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 九州の屋根祖母山系に源を発する大野川中流域の小都市,三重町。この三重町から宮崎県に抜ける国道326沿いの内山地区に蓮城寺(れんじょうじ)はある。
 通称「内山観音」と呼ばれるこの寺は,長者伝説や京都三十三間堂と並ぶ千八体の薬師像など奥深い歴史と文化を有している。
 この町の歴史は古く,すでに7世紀の後半には律令制が整備され,郡の役所が置かれていた。
 また,日向の国に通じる官道の要所として駅がおかれ,駅馬・伝馬(てんま)がそなえられていたという。

向こうの山々を越えて日向へ

 蓮城寺(れんじょうじ)は三重町の平野部から三国峠に入る山すその静かな内山地区にある。
 蓮城寺は高野山真言宗の寺で,寺伝によれば,欽名天皇の15年(546),中国の天台山から渡来した僧蓮城が開山,真名野長者の開基といわれる。

 蓮城寺は春には桜の,秋には紅葉の名所でもある。そして,この寺には興味深い真名野長者伝説がある。
国道326から内山地区を見下ろす
山腹には巨大な般若姫像が
 



蓮城寺を見下ろす 蓮城寺
蓮城寺 黄金がザクザク出てきた?金亀ケ渕
実は,蓮城寺の建立時期ははっきりしないのであるが,蓮城寺についておもしろい文書も残っているという。
 文治四年(一一八八)の「大法師基覚譲状案」によると、蓮城寺院主大法師基覚は、同院主職を嫡弟禅修房覚秀に譲るに際して、次のような注意書を付している。すなわち、「本来ならば代々の譲状をそえて与えなければならないところを、それらは基覚が所用で上洛している間に風波や賊難を避けるために玉田太郎に預けておいたが、玉田は火災のため焼失してしまったといい、返してくれないので、もしその証文をたてに寺の所有権等でもめることがあれば、それは盗人のしわざであるから用いてはいけない」というのである。この譲状の存在によって、蓮城寺の創建が少なくとも平安時代最末期文治四年以前に遡ることがわかるのであるが、譲状の文面からは、このころすでに蓮城寺が、風波や盗賊を恐れるほどに疲弊した状況にあったことが知られるのである。(「三重町誌」より)



 観音堂には本尊の千手観音,薬師堂には京都三十三間堂と並ぶ千八体の薬像が安置される。

薬師堂 小五郎夫婦の墓
今では千体観音はガラスで保護されている
 また,長者の娘,般若姫の守り本尊である1寸8分観音や長者夫婦の墓といわれる石造宝塔などが今も残されている。



木造千躰薬師立像
木造千躰薬師立像 表情がすべて違う
 薬師堂本尊の薬師三尊の左右両側には階段状の壇がしつらえられ,左右504体ずつ合わせて1008体の薬師如来立像が安置されている。すべて檜材の寄木造とみられ,螺髪に群青,衣に朱が塗られ,肉身部には漆箔を施している。
  


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