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 緒方町原尻の滝,春は「チューリップフェスタ」,夏は「こだい火祭り」,そして秋は「川越し祭り」と県内外からたくさんの人々が祭りを見に訪れる。

 左は4月,桜の頃の原尻の滝。
 緒方平野を黄金色に染めた稲が刈り取られ,人々は豊作を神に感謝する。
 川越し祭りとは,毎年,旧暦の10月に行われる緒方三社の祭りのこと。緒方三社。久土知の一の宮社,原尻の二の宮社,上自在の三の宮社の三社をそう呼んでいる。いずれも郷土の武将緒方三郎惟栄が建てたと伝えられている。


 日もどっぷりと暮れた夜の7時,川にはあちこちにかがり火がたかれ神輿の通り道をこうこうと照らす。

 上自在地区から「エッサ,エッサ」という声と,「チン,チン,ドンドン」という神楽太鼓の音が聞こえてくる。

 川の向こうに大きな松明のかがり火を持った男たちに囲まれて神輿を担いだ男たちが威勢良く声をかけながら川へと向かう。

 男たちはみんなフンドシ一つの勇ましい姿だ。

 一の宮社には仲衰天皇(父)、二の宮社には応神天皇(子供)、三の宮社には神功皇后(母)が祭られており,この川越しまつりは,一の宮社の神輿と三の宮社の神輿が二の宮社に集まるものだという。
 つまり,父親である仲衰天皇と母親である神功皇后が,子供である応神天皇のもとにいき,一夜だけ親子3人で楽しく過ごすという粋な計らいのまつりらしい。

 このとき母親の神功皇后は川を渡らなければならず,この神輿がフンドシ姿の若者たちにかつがれ,川を渡るということになっているという。

 川は浅瀬ばかりでなく,ところどころ深いところや滑りやすいところがあり,何人か転ぶものもいた。

 11月の川の水は冷たい。おー,さぶ。

 川を無事渡った神輿はいよいよ二の宮に入る。ここで一の宮の神輿と一緒になり二の宮の社殿に入っていく。
 一の宮の神輿を担ぐ氏子たちは白装束。二の宮の氏子たちは褌8ふんどし)いっちょと対照的でおもしろい。
 この祭りのいわれは,今から800年ほど前,源頼朝の家来だった大友能直(よしなお)が頼朝から豊後国の支配を任される。その能直に敵対したのが郷土の武将緒方三郎惟栄の一族,大野泰基だった。
 泰基は朝地の神角寺にたてこもり戦ったが,能直の兵,古庄四郎亘能に討たれた。

 以後,この奥豊後の地も大友氏の支配下になった。
 ところが,その後,原尻の滝で洪水や暴風雨が相次いでおこった。緒方三郎惟栄の怒りだったのではと不安を抱いた大友能直は,原尻の二の宮社に緒方三郎惟栄と大野泰基の霊を祭ったという。
 これが川越しまつりの始まりと伝えられている。


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