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大野町 常忠寺の ハナショウブ    


 大野町 常忠寺のハナショウブ

 常忠寺は大野町大字藤北の山の中にある。きれいなハナショウブを楽しめることはそれほど知られていない。この小さな寺は戦国時代の大大名である大友宗麟のご先祖様の大友能直の墓がある寺なのだ。

ハナショウブの畑の向こうに常忠寺が見える
 
ハナショウブ


常忠寺
 豊後の国大友氏といえば,大友宗麟が有名だが,その家臣に戸次鑑連(後の立花道雪)というすばらしい武将がいた。
 常忠寺はその 鎧岳(よりいがだけ)城主戸次(べっき)氏代々の菩提所で、境内奥に大友初代能直(よしなお)の墓と伝えられる五輪塔がある。
 また、能直と戸次河原合戦で戦死した戸次統常の位牌が伝わる。



ハナショウブを見に来ている方々

 ハナショウブの畑には板がしいてあり,畑の中に入ってじっくり花を干渉することができる。
 
 それでは,常忠寺のハナショウブをじっくり楽しんでください。








大友初代能直(よしなお)の墓と
伝えられる五輪塔

 大友能直 ( よしなお)と大友一族

 豊後の戦国大名大友宗麟は,九州6カ国を勢力圏とした。その大友氏の始祖大友能直は頼朝から豊後国の守護職を与えられた。しかし,豊後に移住するようになったのは三代親泰のときからである。その後,親時−貞能−貞宗と続いた。その間に,親秀の弟から詫間氏・一万田氏・鷹尾氏・田原氏, 頼泰の弟から,戸次氏・木付氏,貞親の弟から入田氏といった庶子家が分かれている。これらが,室町・戦国期,大友宗家の有力家臣化していった。
 氏泰のとき,足利尊氏に従い,豊後のほか,豊前・筑後の守護職を得,北九州きっての守護大名になった。

 戦国期,義長・義鑑・義鎮の三代で,戦国大名として大きく成長を遂げ,薩摩の島津氏,肥前の竜造寺氏と九州を三分する勢いであった。なかでも大友氏の全盛を築いたのは義鎮で,豊後.豊前・筑後・筑前・肥後・肥前の六ケ国と伊予・日向の半国に大名領国制を展開した。
 義鎮は入道名の宗麟の方が知られている。有馬晴信・大村純忠とならぶキリシタン大名でもあった。天正六年,豊後より南下の軍を起こしたが,日向耳川の合戦で島津氏との戦い敗れ,大友氏は守勢に立たされることになった。


取材 奥嶽小僧 2002年6月7日 

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