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千歳村

 大野郡,千歳村。
 面積22.01ku,人口約2,800人。
 三重町の北に位置する小さな小さな村。
 中北部を東流する茜川と南東部に大野川が流れる肥沃で実りの豊かな土地。
 そして,あのおかしなおかしな祭『ひょうたん祭り』がある村。
 12月3日(日),柴山八幡社には村人だけでなくたくさんの見物人が訪れる。近くには駐車場がないので田んぼのあぜ道に車を並べることになる。

 柴山八幡は巨大な杉がこんもりと生い茂る小高い山の上にある。平安後期の鳥羽天皇の時代の創建と伝えられている。 
  この「ひょうたん祭り」正しくは,「霜月祭り」と言うのだが,いつのころからか「ひょうたん祭り」と言われるようになった。
 太鼓と鐘の音が遠くから聞こえてきた。見物人が大急ぎでその鐘のなるほうに動き出した。大きなカメラやビデオを抱えた人たちも一斉に動き出した。


 頭に,二尺五寸(約80センチメートル)の長ひょうたんを冠り,背には三尺(約1メートル)の太刀を斜めに背負い,緋色の直垂、緋の袴,腰には肩からつるした「御神酒三升入りの大ひょうたん」。
 足に履くのは幅二尺(約70センチメートル),長さ三尺五寸(約1メートル10センチ)の”おおわらぢ”
というなんとも奇妙奇天烈な格好をした先導が古武士行列の先頭にたっている。
  このひょうたん様,はいているその巨大なわらじのせいか,頭の上の大きなひょうたんのせいか,ふらふらしていていっこうに前に進まない。
 それもそのはず,このひょうたん様たらふく酒を召し上がっていて完全に酔っ払い状態。周りに支えてもらって立っている。これで約1キロメートル練り歩くというのだから恐れ入る。
 今からおよそ800年前,豊前・豊後の守護職・大友と,薩摩の豪族の間で長く続く戦を嘆いた宇佐八幡のご神霊は,その分霊にこの土地を治めさせようとしていた。
 これを聞いた土地の豪族・益永豊武が,ひょうたんに清酒を詰め,流鏑馬,獅子舞などを奉納して柴山八幡におまつりしたのが,「ひょうたん祭り」のモデルだといわれている。
 腰にぶらさげた大ひょうたんには,3升のお神酒が入り,「五穀豊穣,健康になる酒じゃあ」と言いながら,村人をはじめ,沿道を埋めた観光客にこの酒を振る舞う。村の人々は持ってきた徳利を差し出す。
 ひょうたん様は大きなひょうたんからお神酒を注ぐ。みんな,早くお神酒をもらおうとひょうたん様の周りは黒山の人だかりとなる。

 
 大きなひょうたんを腰に吊し,大きなわらじを履いた「ひょうたん様」が「ヨイショ、ヨイショ」のかけ声でのっし、のっしと少しずつ(1キロの道をなんと2時間もかかって)練り歩く。そのユーモラスな姿が、祭りに訪れた人に幸せな笑いを誘う。
 大野川を母とする、豊かで緩やかな時が流れる村に、明るい笑い声が終日響き渡る。

 それにしても,わらじの大きさが半端じゃ
ない。酔っ払ったひょうたん様は一歩も前
に進めない。そこで村の付き人がわらじに
紐をつけて掛け声とともにわらじをひっぱ
って前に進める。
これがなんともこっけいだ。

 ひょうたん様の後ろには馬に乗った武士と神輿が後に続く。ひょうたん様がいっこうに進まないからじっと辛抱の行列となる。
 一番大変なのはこの馬と馬の手綱を握る人ではなかろうか。

 晩秋の奥豊後,のどかな千歳村の祭りは,派手さや勇壮さはないが,人の心をほんわりと暖かくしてくれる素敵な祭りだ。
 会場には千歳村の一村一品である,ひょうたんだけを売る店が出ていた。「元祖一村一品」という文字も見受けられた。見事なひょうたんばかりで,けっこう売れていた。
 また,別の店では千歳名物はと麦茶や川ガニを売っていた。私も川ガニを一袋(800円)買った。さっそく夕食のおかずに。川ガニの味噌汁は最高だった。


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