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奥嶽三橋

出合であい橋/轟とどろ橋/犬返いぬがえり

 奥嶽川は深い谷間を流れる川である。両岸は阿蘇山の噴火による溶結凝灰岩の絶壁が続く。

 古来,住民は深い谷間を滑るように下り,飛び石を渡り,急な坂道をはいつくばって上っていた。江戸時代,長崎や肥後の国には次々と石橋が架けられて行ったが,小藩分立の豊後の国ではとても藩財政に石橋を架ける余裕などあろうはずもなく領民は年貢米を運ぶのに命がけで崖を下り,飛び石を渡り,また崖を這い上がっていかねばならなかった。

 その豊後の地に石橋が架けられるようになったのは明治時代も終わろうとしていたころであり,多くの石橋は大正,昭和初期に建設された。特に,小藩分立で石橋のなかった大分県は大正期に集中して石橋が建設された。そして,そのころ他県ではコンクリート橋が主流になっていた。

 そうした事情もあって,大分県は石橋の数が全国一であり,その中でも院内町と緒方町は石橋がとりわけ多く残っている。天下の名橋と呼ばれるような優美な橋は一つもないが日本一長い石橋,日本一径間数の多い石橋,日本一径間の大きい石橋はすべてこの豊後の地に存在するのである。

 石橋は危ないと考えている方が多いかもしれないが,平成の二度の大水害で流された橋は圧倒的にコンクリート橋の方が多かった。石橋は千年,二千年の風雪に耐えるのである。石橋を見るとき,その石橋の向こうには何万,何十万の民衆の苦しみと願いがだぶって見える。


出合橋

であいばし

清川村左右知
奥嶽川
昭和13年
単一アーチ
橋長 32.3m
径間28.7m

日本2位
轟橋
轟 橋
とどろばし

清川村左右知
奥嶽川
昭和9年
2連アーチ
橋長
68.5m
径間 
31.6mと26.2m

日本1

轟橋の橋脚



     橋の高さも並みじゃない


 竹田営林署の長谷川林道の軌道橋として奥嶽川の深い渓谷に架けられた。現在は村道の橋となっている。

 水面からの高さは27m余りで,日本一の径間と高さである。橋の上から川を見下ろせば足がすくんでしまう。当時の工事の難しさが偲ばれる。

 それにしても,この二つの橋は主要道路から遠く離れているため,訪れる人もなく,その存在すら知らない人がなんと多いことか。


   石橋の向こうに石橋が

 手前の出合橋のアーチの向こうに見えるのが轟橋。 石橋と石橋の距離はわずか80mしか離れていない。
犬返橋

犬返橋
いぬがえりばし

緒方町滞迫
大正13年
単一アーチ橋
橋長 28.0m
径間 21.4m
 この橋の魅力はなんと言っても,その橋の下を流れる水の美しさである。V字型の大峡谷の底の部分にひっそりとたたずんでいる。この橋は完成目前で流失し,再度建設された。奥嶽川最深部にかかる橋である。

 この外にも,天然橋(清川村宇田枝,大正10年,橋長15m,単一アーチ橋)や,岩上橋(清川村宇田枝,大正8年,橋長26m,単一アーチ橋),清水橋(清川村左右知,大正13年,橋長43.5m,2連アーチ橋)など渓谷にかかる石橋がある。

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