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No.2


■□■  人形作りの後藤絹さん  ■□■


絹さんと人形後藤絹さん,緒方町小野在住,大正8年生まれ,現在82歳。

73歳から紙粘土で人形作りを始める。戦中・戦後の苦しい時代の農家の風景をテーマにした人形は,当時の生活の様子を知らせる貴重な資料というだけではなく,当時の人々の喜びや悲しみまでも見るものに伝えてくれる。

絹さんのつくる人形は「絹さん人形」と呼ばれ,緒方町の資料館や俚楽の里だけでなく県外の博物館でも展示されているほど貴重なものである。

 ■人形を作るきっかけは?

絹さん人形春
 私は60歳になってな,寿会という老人会に入る前の人が入る会に入ったんです。その会では緒方川の橋のたもとの田んぼにいろんな作物を植えて育てました。公民館の方が協力してくれて,そこで取れた綿を使って機織りをしたりしていました。それが公民館と関わり始めたきっかけです。


 緒方町に資料館ができて,あるとき,資料館が昔の道具を集めたんです。まあ大変なこと道具が集まって,みんなで道具を整理したんです。
 道具を整理しよったら,ひとつ誰もわからん道具があったんです。そん時,当時の農作業とかしよる様子を伝える方法はないかなあとみんなで話したんです。それがずーっと頭ん中にひっかかっちょったんです。

 それから数年たったかな,主人がなごみ塾に行くようになったんです。主人と一緒に行ったとき,みんなで紙粘土で遊ぶことになりました。

 私は紙粘土とかしたことがなかったからよー作りきらんかったんです。他の人はウサギを作ったり鳥を作ったり上手に作るんです。

 みんな上手に作るもんじゃから,私は当時はやっちょったエリマキトカゲを作ってみたらなんとかそれらしゅうできて,次はオンドリを作ったんです。
 
これはなかなかおもしろいなあ,動物だけじゃなくて人も作りたいと思って,自分が若かったころ子どもに乳をやりよるところを作ってみたんです。
 そしたらそれをみんなが大そうほめてくれたんです。

 そん時,「これで昔の様子を伝えよう!」とひらめいたんですわ。



 ■人形のテーマは?


絹さん人形 秋 最初は主人が働いているところを作ったんです。なごみ塾の橋本さんからたいへんほめていただきうれしかったです。すぐに資料館に持って行きました。

 かれこれ250ほど人形を作ったけんど,人形には全部名前がついちょるんです。農作業をしているところで,これがおばあちゃん,これはお父さん,これは牛をひきよる隣のおじいさんというように,私が思い出す風景と人をそのまんま作りました。

 私は大正8年の生まれで,16のときに結婚して,子どもが6人できたんです。戦時中の一番苦しいときに子育てと農作業で泣きました。
 田んぼん草取りすると爪がのうなって血が出て泣くごとありました。でも,戦後野菜グループに入って少しお金も入るようになったから,なにかお返しをしたいなあと思うちょったんで,人形作りで昔の様子を伝えることを「神様が教えてくれたなあ」と思いました。



 ■人形作りのおもしろさやむずかしさは?

人形を作る絹さん
 最初は作り方がわからんかったから人を立たせるのもよーできんかったんです。100ほど作ったころ娘が針金を使うことを教えてくれたんです。それから楽になりました。

 でも,難しいのは稲こぎ機械を担がせるとき,物を持たせるように手を作っていても,乾くと小さくなって大きさがあわんのです。台の厚紙もうねができてしまうし,本当に見本もない,写真もない,何もないところから失敗の連続でした。

 色もうまく塗れんでおかしかったんですが,無心に作っちょるといいのができて,その時ん喜びというのは何物にもかえられませんわ。いいものがでくるとまた作りとなる。

 人形を作るようになってから,物をしっかり見るようになりました。人形を作りながらその人形になりきるもんじゃから,悲しいときは涙がポロポロ落ちて人形がだめになるし,楽しいときは一人じハッハハッハ笑うんですよ。



 ■これからは?


 もう体がいうことをきかんようになってきたから,体ん調子がいいときに作るくらいにしています。いま作りかけの人形は完成させんとな。




 《奥嶽小僧の感想》
 絹さんのお話を聞いていると,とても80を越えられた方とは思えない生きいきとした表情と話しぶりにこちらが元気をいただいたような気がしました。これからもずっとお元気で人形作りを続けてください。

  絹さん人形はころ美さんのホームページ「ころ美の夢貯金箱」でご覧になれます!

取材 奥嶽小僧 2001年7月24日 


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