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これまでの経緯

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2001(平成13)年大分県庁を50歳で希望退職し、別府大学短期大学部にお世話になり、
 早いもので9年が経過しようとしている。
 この年
4月から、別府大学短期大学部経営情報文化科助教授として新たなスタートをきり、
 1年間、比較的マイペースで仕事をさせていただいた。
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2002(平成14)年は、時代の変化に対応した短大への見直し作業に入り、資格教育を重視し、
 社会のニーズに応じた即戦力の人材育成に対応する短大づくりのため、仕事が増えてきた。
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2003(平成15)年は、経営情報文化科の学科長・教授として社会環境の変化に対応した
 文部科学省の地域総合科学科構想を取り入れた新たな学科再編作業にとりかかり、激務が続いた。
  こうした激務の中、
6月16日に入院中の母親が死去(75歳)、心にポッカリ穴が空いた。
  しかし、学科再編作業の激務が、淋しさをまぎらせてくれたように思う。
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2004(平成16)年は、全国でも4番目の地域総合科学科が認可され、初代学科長として、また短大
 の学生部長、大学全体の留学生委員長として役職者となり、一気に学務中心の生活となった。
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2005(平成17)年は、引き続き短大学生部長、大学全体の留学生委員長として学務中心の
 生活が続いた。
  仕事中心の生活の中で、
4月から熊本学園大学大学院経営学研究科の入学が決まり、週2回、
 仕事が終わる夕方から車で熊本に通い、MBA(経営学修士号)の取得を目指す日々が始まる。
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2006(平成18)年は、2期目の短大学生部長、大学全体の留学生委員長としての役職者の
 生活がスタートし、学務中心の生活が続く。
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2007(平成19)年は、3月に熊本学園大学大学院経営学研究科を無事修了し、MBAを取得した。
 また、仕事では学務中心の仕事をこなしながら、文部科学省の学生支援GPに応募し、
 見事選定され「進路対策一貫システムの構築」が補助金をいただき、実施することとなり
 仕事が増えたものの、学生に対する指導内容が充実された。
  また、この年から新設された
大分大学大学院経済学研究科博士後期課程地域経営専攻に入学し、
 博士号取得を目指して、これまでの研究の集大成にとりかかった。
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2008(平成20)年は、役職者として2期の任期が終了したので、学生支援GPの最終年度として、
 事業の円滑な執行に留意した。
  また、博士論文の中核をなす歴史的資源を活用した会津若松七日町、川越一番街、彦根夢京橋、
 道後の県外4プラス県内4地域の観光型商店街に対して実地調査を行い、その取りまとめに没頭した。

・ 2009(平成21)年は、博士論文に明け、博士論文に暮れた1年であった。ライフワークの集大成
 という面では満足できる年であった。しかし、3年の研究生活の間にすっかり目が弱くなってしまった。
  また、年末のBS1「シリーズ立花隆の思索紀行 人類はがんを克服できるのか(3回番組)」を見て
 人生観が一変した。がん年齢を迎え、これから残された年月はQOLを大切に、積極的に社会に貢献
 できる人生を送らねばと考えるようになった。
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2010(平成22)年 3月に博士(経済学・大分大学)号取得が決定。学位記授与式は3月25日。

2010(平成22)年 年頭所感「世に生を得るは事を成すにあり」

 今年は県庁退職後10年、別府大学在職10年、50代最後の年となる節目の年です。
これまでの研究の集大成と、最後のライフワーク実現のための新たなスタートの年です。
多くの犠牲を払い、長年努力してきた成果を実践に移すことができる年となります。
教育・研究活動の充実と税理士業務の本格稼働により、地域社会への貢献を目指します。
 今年の活動如何が、来年迎える60歳以降の人生のあり方を決めることになる「人生の大
一番」と位置づけ、坂本竜馬の格言をあえて引用し、全力で取り組んでいきます。
 こうした節目の年を迎え、皆様方には引き続きご指導・ご鞭撻をよろしくお願いいたします。