自然破壊とは無縁の、伝統的焼畑システム

焼畑というと、一般には熱帯雨林減少の凶因と理解されることが多いようです。

しかし、良く調べてみると、伝統的な焼畑は、自然の持つ循環機能にゆだねた農法であり、きわめて合理的な持続的農法の一つであることがわかります。

宮崎県東臼杵郡椎葉村向山地区で聞いた、昭和初期の焼畑の例で考えてみましょう。

椎葉では焼畑のことを“やぼ”と呼びます。集落の周辺では、夏に焼く“置きやぼ”タイプの焼き畑が営まれていました。また大木の茂っている奥山では“春焼き”タイプの焼き畑があって、大きな木に登って木の枝を切り落とす、“樹下ろし”作業がおこなわれていました。

 

1.“置きやぼ”の作業暦

年度

作目

作業時期

名称

作業内容

前年

準備

9月〜12月

やぼ伐り

樹木の伐採

1年目

準備

7月上〜中旬

7月下旬〜8月初旬

やぼ払い

やぼ焼き・きざね焼き

萌芽・雑草の切除

焼き払い・焼け残りの後片付け

ソバ

8月初旬

10月中下旬

ソバ播き

ソバ刈り

散播

刈り取り

シキムギ

8月初旬

5月下旬

ムギ播き

ムギ刈り

散播(ソバと混播)

ダイコン・カブ

8月上中旬

晩秋〜初春

種播き

ダイコン引き・カブ引き

散播(ソバと混播)

2年目

ヒエ

5月下旬

6月下旬

8月

10月下旬

10月下旬〜11月上旬

ヒエ播き

おわなぎ

草取り

ヒエ刈り(稗千切)

刈りビエちぎり

散播

初期除草

除草(萌芽が多い)

株刈(穂刈)

株刈後の穂刈

アワ(糯)

6月上旬

8月

アワ播き

草取り(以後ヒエに同じ)

散播

3年目

アズキ

6月上中旬

8月

10月中下旬

アズキ播き

草取り

アズキ刈り

散播

4年目

ダイズ

6月下旬〜7月上旬

8月

10月中下旬

ダイズ播き

草取り

ダイズ刈り

散播

サトイモ

3月下旬〜4月中旬

春〜夏

9月下旬〜10月初旬

芋地(いんもじ)打ち

草取り

イモ掘り

耕耘と植え付け

トーキビ

6月上旬〜下旬

8月

10月

トーキビ播き

草取り

キビ穫り

散播

ミツマタ

数年間

直す

皮剥ぎ

比較的に新しい

20年〜25

なし

なし

荒らし

放置(森林回復)

※“直伐り”タイプ(スズダケの無い“ほーけ”で行う)の作付け方式では

1年目 6月下旬〜7月中旬 やぼ伐り

7月下旬〜8月初旬 やぼ焼き・きざね焼き

(その後は“置きやぼ”と同じ。)

 

 

2.“春焼き”の作業暦

年度

作目

作業時期

名称

作業内容

前年

準備

9月〜12月

やぼ伐り(木下ろし)

木下ろし唄

1年目

ヒエ

5月下旬〜6月初旬

 

8

10月中旬

やぼ焼き・きざね焼き

ヒエ播き(マッコミ)

草取り

ヒエ刈り(立てちぎり)

火入れ・片づけ

散播(箒で掃く)

2年目

ヒエ

5月下旬〜6月初旬

8

10月中旬

ヒエガラ焼き・ヒエ播き

草取り

ヒエ刈り(立てちぎり)

火入れ

アズキ

6月上中旬

8

10月中下旬

アズキ播き

草取り

アズキ刈り

散播

50年〜100年以上

荒らし

放置(森林回復)

 

奥山で営む本格的な“春焼き”は、山火事の危険が多かったので早く廃れましたが、“置きやぼ”は昭和40年代にもおこなわれていました。

今でも焼畑を営む農家が残っています。

“置きやぼ”では、前年の秋に伐採しておき、萌芽が出そろったところで切り払って、山火事の危険の少ない7月下旬から8月初旬に焼きます。こうすると、作物栽培中に筍が出てきて、生長すると除草の困難なスズタケの勢力を抑えることができます。またこの頃は、焼畑周辺の林地では、緑に覆われた樹冠のために、地面がまだ湿っていて、延焼を防ぎます。さらに、斜面の上方から徐々に焼き下ろすのも、火をコントロールするテクニックの一つです。その後、栽培期間の短いソバを作付けします。次の年は、主食のヒエ、その後は、アズキ、ダイズとマメ科の作物が選択されています。

焼畑は、火をつけて焼くところからの名称ですが、焼くことよりも、長い休閑期間をおいて、自然の地力回復を待つ、長期的な循環に特徴があります。椎葉では、循環期間は20年から25年と伝えられており、それより短いとヒエなどの作物の生育が極端に悪くなるといいます。

この、休閑期間に自然に地力が回復するので、循環をたもつことができるのです。

このように、自然の生態に逆らわず。それをうまく利用しているので、長年にわたって焼畑栽培を続けてくることができたのでしょう。

今、熱帯雨林などで問題になっている「焼畑」は、はじめから循環を考えていないように思います。そうすると、あれは「焼畑」ではなく、「火を使って畑を造成する、開発法」といえると思います。

 

それでは、自然の許容力を越えて、過度な焼畑耕作をおこなったらどうなるでしょうか。江戸時代の対馬での例を、木庭作停止論に見てみましょう。

環境の許容力の限界:陶山訥庵(すやまとつあん)享保14(1729)『木庭作停止論』

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