■ ひなびた漁師町に 湯が湧いている 江戸の頃

江戸時代、別府は豊かに湧き出る温泉の為に幕府の天領地でした。 その頃の竹瓦かいわいはというと、ひなびた漁師町の風情。 楠温泉や紙屋温泉、不老泉などに自然湧出の温泉が湧き、地元の人や特別に許可を得た人が入湯に訪れる程度。 むしろ、南の浜脇温泉の一帯が栄えていました。
■ 港が出来た! 汽車が来た! 発展を遂げる 明治〜大正の頃

明治4年、別府村を変える施設の登場です。 流川の河口近辺の海岸に「旧別府港」が完成したのです。 松方正義が九州の東の玄関口として、別府村に港を造ったのです。

おかげさまで別府村は大発展。 瀬戸内海の物流の拠点となり、日本で2番目の火力発電所、6番目の路面電車、当時は珍しい街灯を備えた商店街などが出来ています。 また、この界隈は、海岸にあった天然の砂湯を始め、江戸の頃からの自然湧出の温泉、明治10年代から開発された温泉掘削技術により誕生した温泉、等々を求める湯治客で大変なにぎわいを呈する様になり、次第に漁師町から、温泉町へと変ぼうを遂げて行ったのです。

その頃 海岸近くの土地に湧き出ていた湯を楽しむ為に、地元の漁師さんが、湯舟と簡素な小屋を造りました。 屋根には近くの山から切ってきた、竹を半分に割って即席の瓦が完成しました。

別府村の発展と共に多く訪れるようになった湯治客も漁師さんと一緒にこの少し熱めの湯を楽しんでいたのでしょうか? するとあら不思議。。歩けなかった人が歩けるようになりました。膝が痛くてたまらなかったおばあさんの痛みが引きました。

次第にこの湯は評判になり、人気が出てきます。 人知れず。。ついた呼び名が「竹ん瓦の湯」
「竹瓦温泉」の歴史の始まり始まりです。

港から遅れること40年。 明治44年に別府駅ができると、更に発展のスピードはアップしていきました。 駅の西側には、北九州の炭坑王らが、広大な土地に別荘を建てはじめ、「九州の軽井沢」と呼ばれるようになりました。

「竹瓦ん湯」は、明治時代に1度、大正時代に1度、建て替えられ次第に大形の温泉施設となっていきました。
明治〜大正の頃の別府の温泉群。 寺社風からモダンな洋風まで、当時の流行が積極的に取り入れられていた。 左下が大正時代の竹瓦温泉。
(資料提供:浦達夫氏/流川文庫にあり)
■ 別府の黄金時代 昭和初期〜戦前

昭和初期、別府は発展のピークを迎えます。 別府港には関西方面からの湯治客を沢山のせた汽船が到着し、別府駅には好景気で湧いていた筑豊地域の炭坑王が降り立ち、竹瓦界隈を貫く「流川通り」は、「九州の御堂筋」と呼ばれ、不夜城の模様を呈していました。
別府町は付近の町村との合併を行い、現在の別府市の姿が誕生したのもこの頃です。

別府に数多く残る近代化遺産が建てられたのも、この頃が中心です。 当時の別府の勢いを象徴するような名建築が続々と誕生しています。

「竹瓦温泉」も別府市の手により昭和13年に建て替えられました。 当時、大人気だった砂湯を屋内に持ち、勇壮な唐破風の屋根を持つ。。大規模な温泉建築です。 現在も残るのは、この時に建てられた「竹瓦温泉館」です。
大形の客船が停泊する「別府港」のにぎわいと、九州の御堂筋と呼ばれていた「流川通り」の模様。
資料提供:浦達夫氏/流川文庫
■ 戦後〜高度経済成長の時代

戦後から高度経済成長の時代、日本の経済は発展を遂げ、大旅行時代を迎える事になりました。また近代医学の発展により、従来盛んであった温泉での湯治療養というスタイルは失われて行きます。 別府温泉も、時代の流れに応じて、湯治療養型の温泉地から団体歓楽型の観光地へと変ぼうを遂げていきます。

その中で、明治の頃から湯治客誘致の為に建築された別府の温泉建築群は、市民向けの温泉施設という意味合いが大きくなり、維持管理の面、公民館の併設などの要素から鉄筋コンクリートの味気ない建物に建て替えられていきます。 浜脇高等温泉や不老泉などがその象徴的なケースだと言えます。

竹瓦温泉界隈も、商店街・歓楽街として発展し、その発展においてけぼりにあったみたいに何故か竹瓦温泉は残っていったのです、これは竹瓦温泉が昭和13年という比較的新しい年代に建て替えられているという事が原因なのかも知れません。
鉄筋コンクリートレンガタイル造りの名建築「浜脇高等温泉」(昭和4年完成)と大正モダン建築の「不老泉」(大正期の建築)は、戦後、立て替えられた。
■ 注目を集め出した近年


時代は平成になり、日本人が温泉に求める物も歓楽型のものから、保養型のものに戻って来ています。 隣の湯布院温泉は田園型温泉リゾートとして一躍脚光を浴びたのも近年になってからです。

竹瓦温泉は、そのような流れの中で再び注目を集める存在になりました。 平成10年に行われた「竹瓦フォーラム」により、この「竹瓦温泉の価値」というものを筑紫哲也さんをお招きして地元住民が話合い、そして誕生したのが私達「別府八湯竹瓦倶楽部」です。

竹瓦温泉はこの地域のシンボル的な温泉施設であるという事は、いわずもがなの事でありますが、将来の別府のありかたを示唆する温泉であるとも思っています。 どういう意味かと言うと、とても長くなるので、ここでは止めときます^^;


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