大正時代

大正時代

1912(大正元/明治45)
*松本清張(3歳)
*第1次バルカン戦争
*ニールスボーアが電子は「量子化」された特定の軌道しか走らないと発表
*(01)清が滅び中華民国が成立
辛亥革命の後、独立を宣言した省の代表が南京に集まり、孫文を臨時大総統とする「中華民国」が建国された。清朝は北洋軍閥(新軍から派生した中国最大の政治・軍事勢力)の指導者・袁世凱を革命勢力との交渉にあたらせたが、袁世凱は自らの臨時大総統就任と引き換えに皇帝の退位を認めた。すなわち、宣統帝(6歳の「ラスト・エンペラー」(溥儀)のこと)退位を条件に孫文、臨時大総統の地位を元清朝の総理袁世凱に纂奪される。
革命派は臨時大総統となった袁世凱に対抗するために中国同盟会を議会政党である「国民党」を改組し、議会での多数派を形成したが、列強から多額の援助を得た袁世凱は議会を弾圧して独裁権を確立した。

辛亥革命により清は滅び、中国は各地の軍閥が群雄割拠する戦国時代となる。しかし庶民の間では君主への畏敬が根強く、混乱を避けるために紫禁城の中だけそのままの状態で残された。愛新覚羅溥儀は退位した後もこの中で、1000人の家臣がかしずき、儀式やまつりごとをしていた。紫禁城の外に出ることは禁じられていた。

*(03)任意法人、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTBの前身)が鉄道院総裁室を本部として設立。明治26年に設立された「喜賓会」を発展したもの。
*(04.14)タイタニック号が沈没
*(07.30)明治天皇逝去。大正天皇が即位する。追浜飛行場開設
*(08.09)アルバニアの反乱
*(09.13)乃木希典殉死
*(10.19-12.03)第一次バルカン戦争
*(12)長州藩閥の第3次桂太郎内閣誕生
1913(大正2)
*イギリスがオスマン・トルコ帝国から租借していたキプロス島を併合→1925
*松本清張(4歳)、一家は下関市田中町に移る
*三共商店が三共に改称
*実験ずみの合金を捨てた山のなかに、光る破片を見つけた者があった。それを集め、分析し、ステンレス鋼が世に出た。
*ニールス・ボーアにより原子構造の発表(量子法則を原子の構造に適用)
*特務艦「若宮」が改装され、日本初の航空母艦へ
*英国の自動車会社のモーリス(Morris)創立
*ロックフェラー研究所の野口英世が中枢神経系の病気の患者の脳と脊髄から(梅毒?)スピロヘータを発見)
*ロックフェラー財団が設立された。新しい財団としては目覚しい業績がほしい。そこで、研究所を代表するスター研究者の英世が起用された。英世はニューヨークから船でアクラ入りした。港などなく、はしけでジェームズ海岸に上陸した。その半年後に黄熱病にかかり発病した。
*(01)第3次桂太郎内閣に反対する憲政擁護・閥属打破の国民運動が激烈になる
*(02)大正政変(日比谷騒動、第3次桂太郎内閣が憲政擁護・閥属打破の国民運動に倒れ、薩摩の山本権兵衛が政友会を基盤に内閣を組織(〜1914.3))
*(06.12)オスマントルコ、進歩同盟党のクーデター。エンペル、たらと、ジェマルの集団独裁発足。マフムート・パシャの暗殺
*(06.29-08.10)第二次バルカン戦争
*(07)袁世凱が英・米・独・露・日の5国借款団から得た軍資金で各地の軍閥買収して革命派に挑戦。追い詰められた国民党内の過激派李烈鈞は湖口で江西独立を宣言し(中国)『第二革命(反袁運動)』起こる。南京、広州、上海、湖南、重慶の各地も独立宣言し、多くの日本人が革命軍に投じた第二革命は2ヵ月で完全に崩壊。革命の失敗で孫文が再び(最初は1905年[陰暦では1904年?])日本へ亡命。孫文の腹心の汪兆銘はフランスへ向かう
*(11.21)徳川慶喜死去(74歳)
1914(大正3)
*松本清張(5歳)
*岸信介、第一高等学校入学
*三共が清酒防腐剤サリチル酸の国産化に成功
*【英】アイルランド自治法成立
*(大戦勃発の2週間後)パナマ運河開通→1904
*(日本)帝国飛行協会の創立され、飛行士を養成
*イギリス、ロシアがペルシャを分断し、占領
*アラブ人による反シオニスト組織が、中東6都市に設置される
*(01)ドイツのシーメンス社による日本海軍高官への贈賄が発覚、(薩閥の)山本権兵衛内閣は倒れて、大隈内閣となる
*孫文、東京で中華革命党を組織
*(01.01:木)日本郵船、東北凶作地救済のため、宮城県石巻港に荷揚げする米穀の無賃運送開始
*(01.02:金)全国的な暴風雨で青函、関門の連絡途絶
*(01.03:土)米−独間の直通無線通信が確立
*(01.08:木)「土陽新聞」が「土佐銀行の危機」を掲載、即日取り付け騒ぎ起こる
*(01.10:土)中国、袁世凱大総統が国会停止令を宣布
*(01.12:月)鹿児島・桜島が大噴火、35人死亡。溶岩流出で対岸の大隈半島と地続きになる。
*(01.13:火)中外新報が「東北惨状記」連載開始
*(01.16:金)ロシア作家・ゴーリキーが帰国(革命への関与で死刑判決を受けた後、国外追放となり8年目)
*(01.23:金)独・シーメンス社の日本海軍への贈賄事件報道から同志会・島田三郎、衆議院で政府を追及
*(01.27:火)東京・麹町のドイツ教会で盛大なウィルヘルム2世誕生(55歳)祝賀会。日本のドイツ宣戦布告は想像すらされていない。
*(01.30:金)シーメンス事件に関してロイター通信記者・ブーレー、恐喝容疑で収監
*(01.31:土)ロイター通信記者・ブーレーの夫人が、剃刀で喉を切って自殺未遂
*(02.04:水)東京地裁、海軍汚職問題で英・ヴィッカース社員を召喚
*(02.09:月)シーメンス事件で海軍大佐・沢崎寛猛を拘禁
*(02.15:日)シーメンス事件で海軍少将・藤井光五郎を拘禁
*(02.16:月)政府がシーメンス事件の全貌を発表
*(03.08:日)金物相場が大暴落、京浜に破綻店続出
*(03.09:月)イタリアで増税反対のゼネスト。内閣総辞職
*(03.23:月)貴族院が海軍拡張費削減に固執し、予算不成立
*(03.24:火)山本権兵衛内閣総辞職(藩閥政治反対と憲政擁護の国民運動および大正3年度予算不成立の責任をとって)
*(03.31:火)売薬法公布。薬剤師・医師以外の売薬を禁止
*(04.16:木)第二次大隈重信内閣誕生(〜1916.10)大隈はかねてより藩閥政治と政党政治を唱えていた。
*(04.20:月)夏目漱石「朝日新聞」に「こころ」連載開始
*(04.21:火)米がメキシコ内乱に介入
*(06.08:月)イタリアで反政府ゼネスト(ムッソリーニが蜂起煽動)
*(06.28)オーストリア領ボスニアの都市サラエボで、オーストリア・ハンガリー帝国の帝位継承を予定されているフランツ・フェルディナンド大公と妃が、隣国セルビアの秘密結社の民族主義者たちに暗殺された。『サラエボ事件』。オーストリアとセルビアはバルカンをめぐってきびしく対立しており、特に汎スラブ主義にたつセルビアの民族運動は、種々の異民族を含むオーストリアをおびやかすものであった。オーストリアから支持を求められた同盟国ドイツは好戦的で、簡単にこれを約した
*(07.23)オーストリアはセルビアに最後通告
*(07.25)オーストリアとセルビア国交断絶
*(07.28)第一次世界大戦(1914-1918)。オーストリアがセルビアに宣戦布告
この時、オスマントルコのスルタンはメフメット5世(1909-1918)だったが、この頃すでに政治の実権は青年トルコ党、とくにその急進派の指導者エンベル・パシャ将軍(スルタンの娘婿、参謀総長、後に国防相)に掌握されていた。このエンベルこそトルコの第一次大戦参加に主導力を発揮してトルコを破滅の寸前に引きずり込んだ。
*(07.30)バルカン進出をめざすロシア、セルビアと関係が深いロシアは、ここで友好国のセルビアを見捨てると声望は失われるであろうし、またオーストラリアやドイツの勢力がバルカンに拡大するとの懸念をもったため、ロシアが総動員開始。ロシアの総動員に対してドイツは中止を求める最後通告を発したが、ロシアは応ぜず
*(08.01)ドイツの対ロシア宣戦布告
*(08.01)トルコのエンベルによるドイツ大使経由の対ロシア同盟条約の申し入れによって、ドイツ・トルコ秘密同盟条約が成立(ドイツ、オーストリア同意の下に10月末まで中立にとどまる合意)。これはハリム首相(優柔不断)、外相、国防相のみによる秘密交渉で他の閣僚たちは同条約の存在を第一次世界大戦が始まった後に知った。
*(08.02)トルコ・ドイツ軍事同盟
*(08.03)フランスが同盟国ロシアを援助することを予測したドイツは軍事力を二分する不利をさけるためこの日フランスに宣戦布告。まず西部戦線でフランスを短期でやぶり、ついで東部戦線でロシアをやぶるという作戦であった。
*(08.04)ドイツはフランスを攻撃するに当たり、まず、永世中立国ベルギーに侵入。イギリスはベルギーの中立保障を求めドイツに最後通告。しかし、ドイツはこれに応ぜずこの日夜半、イギリスはドイツに宣戦布告。ドイツ、オーストリアの同盟国側にはトルコ、ブルガリアが加わり計4カ国となった
*(08)大隈内閣、第一次世界大戦への参入を決定
*(08.23)日本は連合国側としてドイツに宣戦布告し参戦
ドイツはウィルヘルム2世、フランス兵としてベトナムから10万人が参加。ホーチミンはフランスにいてこの現状を見ていた
*(08末)ロシアがタンネンベルクでドイツに敗北
*(09.05)トルコで悪名高かった、「カピチュレーション」がすべて一挙に廃止された
*(10)ドイツ大使が20億クルシュの金塊贈与を参戦の代償としてトルコに支払うことを申し出た
*(10.29)トルコ艦隊が黒海沿岸ロシア領砲撃して数隻のロシア船を破壊。トルコのハリム首相は激怒してエンベルに行動停止と対ロシア謝罪を命じたが、すでに遅かった
*(11.02)ロシアがオスマントルコに宣戦布告
*(11.05)英仏がトルコに宣戦布告。英がキプロス島併合
*(11.07)日本軍、山東半島のドイツ租借地膠州湾を封鎖、青島を攻略
日本はインド兵を中心としたイギリス軍と共同して、ドイツの中国経営拠点である青島を包囲攻撃、陥落させた。青島攻撃軍の総司令官は神尾光臣陸軍中将(59)> 第一次大戦の勃発した時、レーニンはアルプス地方を旅行中だった。オーストリア軍につかまり、ロシアのスパイとして銃殺されかけた。しかし、ウィーンの市長によって、肋命された。市長が社会主義の共鳴者であったせいもあるが「この男はわが国に対してより、ロシアにとってさらに危険人物」と判断したためだ。
*(11.11)オスマントルコのスルタンが「聖戦(ジハード)」を布告
トルコ側の軍人の立役者は、ドイツ軍事顧問団長のザンデルス将軍、エンベル、ケマル・パシャ両将軍であった
*(11末)トルコのエンテベは7万の軍を率いて11月末北東戦線アルメニアに出陣。しかし、3ヵ月後、距離と季節を無視しての攻撃により、3万の兵が凍死した。1万2000の兵と退却
*(12)英独の「フォークランド沖海戦」
1915(大正4)
*松本清張(6歳)
*五代目長兵衛、武田製薬所を設立
*野口英世が帝国学士院恩賜賞を受ける
*アーセミン商会(第一製薬の前身)設立
*三共が梅毒治療薬サルバルサンの国産化に成功
*アインシュタインの一般相対性理論発表
*イタリアが三国同盟を脱退し、連合国側につく
*(中国)『第三革命』起こる。孫文が広東に政権樹立。汪兆銘はフランスから帰国、孫文と苦楽をともにする。
*ガンジーが南アフリカから戻る。マハトマとは「偉大なる魂」。当時、ガンジーは南アフリカで人種差別反対運動をやっていたことで知られていた。彼は南アで弁護士(?)であったが人種差別にあっていた。
*(01)大隈重信内閣が中国に21ヵ条の要求を袁世凱に出す
旅順、大連の租借期限の延長/満蒙における権益の保障など
*(02.19)連合軍がガリポリ半島上陸
ガリポリ半島南端でイギリス艦隊による攻撃が開始された。アンザク(オーストラリア、ニュージーランド)軍、インド軍、インド軍、イギリス本土軍6万、フランス本土軍およびフランス・アフリカ海外植民地混成軍あわせて2万、合計8万をもってする上陸作戦であった。しかし上陸軍はザンデルス将軍指揮のトルコ第1軍が機雷を敷設し、強力な防衛線を設けていることに気がつかなかった。この戦線での方面軍司令官がケマル・パシャであった。結局、西部に上陸したアンザク軍はなんとか橋頭堡をつくったものの、東部は部分的にしか成功しなかった。連合軍は2万5000人の犠牲者を出し、ついにガリポリ作戦を断念するしかなかった。勇戦したケマル・パシャは国民的感謝の的となった、また軍の名声と指導力はエンベルよりケマルに移動しはじめた。
*アルメニア人(東部地方の)の反乱(ヴァン湖地方) 列強、とくにロシアにそそのかされてトルコ人との協力を放棄してロシアに協力、荷担した。これが「アルメニアの虐殺」につながっていく
*(夏)「アルメニア人の虐殺」
ヴァン湖地方、エルズルム周辺地帯からのアルメニア人の強制移動がはじまった。この過程で100万人(当初は60万といわれていたょのアルメニア人が虐殺され、200万人が難民となったといわれている(数字はいいかげん)。これはトルコ国内では外国人が口にしてはならないタブーとなっている。
*(10.24)英がマクマホン書簡でアラブの独立を支持
1916(大正5)
*松本清張(7歳)、下関市立菁莪尋常小学校に入学
*袁世凱死亡
袁世凱は1913年の自分に対する孫文らの挙兵(第二革命)も弾圧した。その後、正式に大総統となった袁世凱は1915年になると皇帝になろうとしたが、内外からの強い反対を受けて失敗し、1916年に病死した。その後、大総統は軍閥の指導者により占められたが、すばぬけた指導者は現れず、列強の援助を受けた軍閥が各地に割拠して争い合う時代に入った。
*日中両軍、鄭家屯で交戦
*アインシュタインが「一般相対性理論の基礎」と題する論文を発表
*(01)チャンドラ・ボース(カルカッタ大学に在学)が差別事件で停学処分
市電の英国人優先席廃止運動に加わったインド人学生が、英人教授に平手打ちを食う事件が起きた。抗議ストライキが始まる。そんなある日、学生が教授を殴ってしまった。殴った学生は退学となり、級長であったボースはストを煽動したとして停学処分を受けた
*(01.22)日本国内初の飛行船「雄飛号」が飛行に成功
*(02.16)ロシア軍がトルコのエルズルム攻略
*(04.18)ロシア軍がトルコのトラブゾン攻略
*(05.16)英、仏、露のトルコ分割案(サイクス・ピコ密約)を調印
*(05末)英独のユトラント沖海戦
*(06.05)「アラブの反乱」が起こる
アラビアではトルコ軍はイエーメンに駐屯地をおき、メジナとダマスカスを結ぶ鉄道を中心に防衛体制をとっていた。ところがここに「アラブの反乱」がおこる。1916.6.5 フセインの宣言ではじまる。フセインは砂漠の軍団を編成して第3王子エミール・フェイサルに指揮をとらせた。イギリス士官多数がこれを援助するのであるが、その中で群を抜いたのが「アラビアのローレンス」であった。アラブの反乱は結果的にトルコに6万5000人の被害を与えた
*(10)寺内正毅(まさたけ)内閣誕生(〜1918.9)
*(12.16)怪僧ラスプーチンは一九十六年、貴族の一団によってペトログラード(現レニングラード)で殺された。まず、彼をケーキやワインでもてなした。数人を殺せる青酸化合物入りのもの。しかし、ききめはない。ひとりが銃で胸を撃ち抜き、鉛入りの重い杖で頭をなぐりつけた。そのあと、みなでネバ川へほうりこんだ。発見された死体の解剖でわかったのは、死因は溺死。
*吉野作造、デモクラシーを唱導
1917(大正6)
*松本清張(8歳)、小倉市に移り、市立神島尋常小学校に転校
*資生堂がわが国初の多色白粉「七色粉白粉」を発売
「パレスチナにユダヤ民族の郷土を建設することに賛成する」という文面のバルフォア宣言が、イギリス政府により出される。同時にイギリス軍がエルサレムに無血入城、エルサレムのイスラエル支配が終わる。
*独、無制限潜水艦戦を宣言
*岸信介が東大に入学
*孫文、広東に軍政府樹立、大元帥となる
*(02.23?)ロシア「二月革命」
パンを求めて主婦らのデモがきっかけでロシアで二月革命。ロマノフ王朝滅亡を導くことになった革命
*(03.11)イギリス軍がバグダッド攻略
*(03.12)首都ペトログラードで労兵ソビエト組織成立、皇帝ニコライ2世が退位して、300年続いたロマノフ王朝が滅亡する。
*(04.06)アメリカがドイツに宣戦布告。先頭部隊がヨーロッパに到着するまで、2ヵ月かかった。はじめてドイツ兵へ銃が発射されたのは、その4ヵ月後。軍隊規模の戦闘はペローの森でだが、1918年の6月6日
-ダグラスマッカーサーは歩兵大佐
-フランクリン・ルーズベルトは海軍次官
-ヘミングウェイは高校卒業後(大学進学を望んでいた両親をがっかりさせた)カンザス州の新聞社で記者見習をしていたが、政府の「すべての若者は義務を果たせ」と訴え、徴兵年齢前の者には後方勤務を呼びかけた。ヘミングウェイはすぐにボランティアとして米国赤十字に応募し、イタリアのミラノに渡る。
*(04.17)サン・ジャン・ド・モーリエンヌ条約
*(10.25)ロシアで十月革命。ソビエト政権樹立を導くことになった
*(11)石井・ランシング協定
*(11.07)ソビエト政権樹立
社会革命党のケレンスキーを首班とする内閣は武装蜂起したボルシェウィキに打倒され、ソビエト政権が成立する
1918(大正7)
*松本清張(9歳)
*武田製薬設立
*アーセミン商会から第一製薬が新発足
*小林富次郎商店が改組し、小林商店に
*(中国)軍閥闘争(〜1928)
*孫文辞職
*張作霖、満州を制圧し北京に進出
*【英】30歳以上の婦人に選挙権が与えられる
*オスマントルコ、第35代スルタン メフメット6世即位(1918-1922)。最後のスルタンとなった。
*(03)ソビエトが第一次大戦から手を引く
*(03)ドイツは運命を賭けた最後の総攻撃を西部戦線で決行。一時は優勢になった。
*(03.03)ブレストリトウスク条約
*(03.26)トランスコーカシア共和国(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン)解体
*(04)ウラジオストックで日本人殺傷事件が起きると海軍は陸戦隊を上陸させ、陸軍は北満州で反ソビエトの旗あげをしたコサック隊長セミョーノフ大尉に武器を援助してシベリアに攻め入らせた。
*(05.26)グルジアとアゼルバイジャンが独立宣言
*(05.28)アルメニアが独立宣言
*(07)ヘミングウェイはイタリアで負傷兵輸送の運転手をしていた。前線に出る義務はなかったが、戦場が見たかったため兵士にチョコレートやタバコを配る仕事をかってでる。そんな時にベネチア郊外で敵軍の砲弾の破片を受けた。7月にミラノの赤十字病院に運ばれた。病院での担当看護婦がアグネス・フォン・クロスキーで、『武器よさらば』のヒロインであるキャサリンのモデルと言われている。
*(08)アメリカを加えた連合軍はドイツの総攻撃をくいとめ、反撃にうつる
*(08.08)米騒動
米価の急騰による生活不安から富山県魚津市の女たちが資産家や米屋に押しかけたことに端を発した「米騒動」が起き、全国に広がる。米の値下げ要求や米強奪を含むデモと暴動は都市住民を中心に70万人以上の国民を巻き込んだ。これは日本近代史上最大の大衆動乱。最終的には寺内内閣はこれを鎮圧するために延べ5万7000人以上に上る軍隊を出動させた。当時、警視庁第一方面監察官として東京の騒動鎮圧を指揮したのが正力松太郎。
*(08.12)寺内正毅内閣がシベリア出兵を断行[ソビエト革命の波及を防ぐとともに、東シベリアに日本の勢力下にある国家を樹立しょうと陸軍と外務省が画策していた。タイミングよく、南ロシアの反ソビエト政権を支援する方針を決めたイギリスとフランスが日本とアメリカにシベリア出兵を要請してきた。アメリカは反対](〜1922):日本軍は1万2000人出兵。ハバロフスクやチタを占領して10月末には7万2000人にふくれあがる。3000名死亡。イギリス、アメリカ撤退後も日本のみが通算7年にわたって約20万人の軍隊を派遣するが、現地住民のレジスタンスに苦しんだ末、敗退。『シベリア出兵』
*(08.25)アグネスの死後、公開されたアグネスの日記には「ヘミングウェイが私に熱を上げている。私、好きになってしまったみたい」と書かれてある。当時、アーネスト・ヘミングウェイがアグネスに出した手紙では宛名に「ミセス・キッド」(坊やの奥さん)と書かれていた。
*(09)憲政史上初めて本格的な政党内閣「原敬(たかし)」内閣誕生(〜1921)
*(09.07)「大変、大変、どうしよう。ヘミングウェイの枕の下にあった私の黄色いヘアピンをマックに見つけられてしまった」(アグネスの日記)
*(09.15)トルコ軍がバクー占領
*(10)ハンガリー独立
*(10.14)トルコ、タラト内閣は辞任、イッツゼット内閣が成立
*(10.30)ムドロス休戦条約
レムレス島ムドロス港、イギリス艦「アガメムノン」艦上において、キャルソープ提督とトルコ側代表との間で休戦条約締結。休戦条約は仮借のないもので、トルコ国民にとって屈辱と悲哀の日々がはじまった。
*(10末)(ドイツ)キール軍港の北海岸方面のドイツ艦隊に出動命令が下った。水兵たちにとっては、もとめて死地におもむくのにひとしい。彼らは命令をこばんで暴動をおこし、革命の波はキール市からさらにドイツ各地におよんでいった。
*(11)島村抱月が流行性感冒で急死
*(11.02)オスマントルコのエンベル、タラト、ジェマルが亡命
かれらはいずれもオデッサ経由ドイツに亡命した。しかし、タラト元首相はアルメニア人に暗殺された。エンベルはモスクワに赴き、その後、中央アジアに戻り、アナトリアの同志たちと連絡をとっていたが、ケマルのサカリア川決戦勝利の報を知って中央アジアのイスラム軍組織を計画中にロシア軍との戦闘で死亡。ジェマル元国防相はケマルのためにボルシェビキと接触中に中央アジアでアルメニア人により暗殺。
*(11.09)(ドイツ)ドイツ11月革命。皇帝ウィルヘルム2世(即位1888)退位。さらにエーベルトを首相とする社会民主党の臨時政府によってドイツは共和制となった。
*(11.10朝)(ドイツ)皇帝ウィルヘルム2世はオランダへ亡命
*(11.11)第一次世界大戦終了
(ドイツ)臨時政府の主導権を握った社会民主党はパリの北東コンピエーニュのルトンドで休戦協定成立。第一次世界大戦終了、戦争終結により、戦後恐慌がおこる。およそ1370万人が、第一次大戦で戦死した。つづいて流行したスペインかぜでは、1年間で2000万人が死亡した。
*(11.13)連合艦隊がイスタンブール入港、ケマル・パシャがイスタンブールに帰還
*世界初の定期航空郵便サービス(ニューヨーク-フィラデルフィア-ワシントン)
*(暮)ヘミングウェイは傷がいえた暮れ、トレビーゾ(ベネチアの東北)の新しい勤務地にアグネスを訪ねた後、アグネスとの結婚の約束に胸をおどらせ、一足先に米国へ帰国した(1919年初め)。
1919(大正8)
*松本清張(10歳)
*塩野義三郎商店と塩野義製薬所が合併、塩野義商店発足
*ライオン石鹸工場が改組し、ライオン石鹸を設立
*アフガニスタン独立
*(01.18)パリ講和会議
第一次大戦のベルサイユ講和会議がパリで開かれる。アメリカ(28代大統領ウッドローウィルソン)、イギリス、フランスが主役
*(01)ドイツで超インフレ(パン1個=1兆マルク)
*(01.05)松井須磨子(32)、島村抱月の病死の後を追って、首吊り自殺
*(03)イタリアのアグネス(アギー)[27]から、一足先に米国へ帰国してしたヘミングウェイに待っていた手紙が届く。「いとしいアーニー。あなたが好きだという気持は変わりません。でもそれは恋人というより母親の感情に近いと思うの・・・」と書かれてあった。ヘミングウェイは年上の女性に失恋したわけである。
*(03.01)朝鮮で三・一運動(朝鮮万歳事件)
朝鮮の旧首都、京城のパゴダ公園で数1000人の群衆が集まり、朝鮮独立宣言を発した。この日のデモには50万人以上が参加したという。「朝鮮独立万歳」の声は全土にとどろき、5月にかけて運動参加人員は200万人にものぼったという報告もある。1ヵ月後に、大韓民国臨時政府が上海で組織された。
*(03.08)フランス軍がトルコ東南部占領
*(03.29)イタリア軍がトルコ南部地方占領
*(05.04)中国に「五・四運動」起こる
パリ講和会議で日本は中国山東省にあるドイツ権益を得るなど、アジアにたいする露骨な干渉に打って出たことである。この山東問題に抗議して中国で五・四運動(北京の天安門広場に3000人以上の学生達が集結し、愛国精神をうったえた排日運動)。中国国民党成立
*(05.05)ムスタファ・ケマル(ケマルとは完全なという意味)将軍が第9軍監察官に任命される
*(05.15)ギリシア軍がトルコのイズミール上陸
*(05.19)オスマン帝国第9軍による黒海沿岸地域の治安維持がなっていないということで、メフメット6世は第9軍監察官ムスタファ・ケマル将軍をコンスタンティノープルからサムスンの小港まで行く。「05.19にサムスンに上陸」。トルコではこの日が祝日になった。
*(06.03)上海の民衆闘争大会(六・三事件)
*中華革命党、中国国民党と改称
*(06.21)第9軍監察官ムスタファ・ケマル将軍はイェシル川の峡谷にせりだした古いヒッタイト人の要塞があるアマシヤで独立宣言を発布した。スルタンも、首都も、政府もがすべて外国の束縛を受けているため、アナトリアのシワスで開催されることになっている国民会議に代議員を送るように彼はトルコ国民によびかけた。するとたちまち、この監察官にコンスタンティノープルへの召還命令が出されたが、彼は拒絶した。ケマルはすでに独立戦争と呼ばれるようになっていた抵抗運動を呼びかけた最初の軍事指揮官ではなかったが、山岳地帯にたてこもっていた将軍の中ではもっとも優秀な将軍であった。
*(06.28)(ドイツ)ベルサイユ条約に調印(第1次大戦終了後の講和会議。日本は多大な益を得た)
*(07.08)第9軍監察官ムスタファ・ケマル将軍は監察官を辞任
*(07)「エルズルム国民会議」
第一次世界大戦直後、連合国側がトルコ分割を画策していたころ、亡国の危機にあった祖国を超人的な活躍で取り戻したムスタファ・ケマルが最初に行動を起こしたのがエルズルムである。「エルズルム国民会議」開催し、全世界に対して民族自決の権利を訴え、本格的な抗戦を開始した。ついに3年後の1922年、外国軍をすべて国外に撃退して共和国を自立した。エルズルムとはトルコ民族が移り住む以前からの長い歴史があり、アラビア語で「ローマ人の土地」という意味である。現在ではトルコ東部最大の都市となっている。
*(08)(ドイツ)当時、最も民主的といわれた「ワイマール憲法」を制定
*(09.04-09.12)ケマルによる、「シバス国民会議」開催
*(10.xx)『パリ条約』(航空条約)締結
*第三インターナショナル(コミンテルン)結成
1920(大正9)
*松本清張(11歳)
*『集団遺伝学』の研究始まる
*安直戦争、安徽派敗走
*(中国)治外法権撤廃運動起こる
*英・アイルランド条約で南部26州の独立が決定。北部6州(アルスター地方)は英国残留
*間島事件
*赤松大三郎[のち則良](1841-1920) オランダに留学、造船技術習得
*日本が国際連盟に加入、常任理事国に就任
*(01)国際連盟ができる
*(01.02)アイザック・アシモフ誕生
*(01.17)米国で禁酒法が施行された。全くのザル法。悪い密造酒により1500人死亡。法律は関係なくみな飲んでいた。医者がアルコールを横流しして儲けていた。都市のギャングが大儲けをした。
*(02)ドイツ労働者党が「二十五ヵ条綱領」が発表され、この直後に党名も「民族社会主義的ドイツ労働者党」と改名(通称ナチ党とは、元来は反対党からの軽蔑の意味をこめた呼称)
*(03)株価暴落(「戦後恐慌」始まる)
*(03.16 早朝)イスタンブールが連合軍占領下に入る
英国陸軍兵士、海兵隊、水兵らがスタンブルとペラの主要建物を占拠し、装甲車が市内をパトロールした。トルコ陸軍省は英国軍将校に占拠され、捜索されたあと、連合国3国(英、仏、イタリア)の共同管理下に置かれた。85人の議員と約60人の陸軍将校や高級官僚が逮捕された。
*(03.15)イギリスのバルフォア外相はトルコの政府、軍首脳、高官たちを逮捕してマルタ島へ移送。ケマルはコンスタンチノープルには近づかなかったので逮捕を免れた。
*(03.18)オスマントルコ帝国議会が正式に解散され、コンスタンティノープルに戒厳令が敷かれた。これに対しケマルはアンカラに新議会、新政府発足の手をうった。全国各地の指導者たちが急遽アンカラに集まってきた。
*(春)イタリア人サッコー(SACCO)、ヴァンゼッティ(VANZETTI)事件。無実?の罪で死刑
*(04.23)アンカラでケマルを議長とする「新国民会議」(レジスタンス代表190名、コンスタンチノープルより逃亡してきた議員100名)が開催された。同時に新憲法制定委員会が設置された。ケマルはただちに、共和国政府の発足を各国に通告した。ついでケマルはレーニンに書簡を送り、外交関係の設定と、西欧帝国主義と戦っている革命トルコに対するソ連の援助を要請した
*(04.24)アメリカ代表欠席のまま、サン・レモで平和会議が開催され、フランスはシリアを、イギリスはイラクとパレスチナを獲得した
*(05.01)上野公園で日本最初のメーデー行われる
*(05.30)トルコ、フランスと休戦協定成立
*(06.16)ウォール街で爆破事件。犯人は共産主義者とされた。ロシア革命の火がアメリカに移ってきたとして、時のミッチェル・パーマー司法長官が弾圧
*(07)岸信介が東京帝大を卒業し農商務省に入省
*(07.14)トルコ共産党創設
*(07.25)ギリシア軍がトルコのアドリアノーブル占領
*(08.10)セーブル条約
*(秋)世界で初めて米国でラジオ放送開始(大統領選挙にあわせた)
*(12)ナチ党が「フェルキッシャー・ベオバハター(民族的観察者)」紙を買収
1921(大正10)
*松本清張(12歳)
*三共がわが国初の合成農薬、燻蒸殺虫剤クロルピクリンの製造を開始
*カルツァ−−クライン・モデル
*広東政府成立(大統領孫文)
*魯迅『阿Q正伝』
*ヘミングウェイが最初の結婚(妻は8歳年上のハドレー)をし、パリへ。フリーの記者をするかたわら、小説を書き始めた。
*アインシュタインがノーベル物理学賞を得る
*原敬が東京駅で暗殺さる
*ナチ党が演説会場の整理防衛組織として「突撃隊(SA)」を編成
*チャーチルが母を病気で失った
*チャンドラ・ボースがガンジーと出会う
*(01.20)トルコ、ルソーの思想とフランス革命の理想を盛った新憲法が国民会議によって採択された。それ以後、コンスタンチノープル政府の署名した一切の条約義務を無効とする旨を宣言。詩人エルソイの詩が作曲家チャータイによって作品化され国民議会はこれを国家として採用した。
*(03.16)トルコ・ソ連友好親善条約
その第一条は「ソ連政府はセーブル条約を否認する」
*(05)ヒロヒト(20歳)、ヨーロッパを歴訪
*(07)ドイツ労働者党に入ったヒトラーは精力的な活動とたくみな煽動演説をもって党勢を拡大させると同時に、党内での地位も高まり1921.07には党の独裁的指導者になった
*(07)中国共産党結成
*(08)ルーズベルトが小児マヒにかかる
*(08.23-09.13)トルコ、サカリア川の会戦。トルコ軍勝利
トルコ軍4万5000人、ギリシャ軍11万。ケマルはアンカラに防衛線を敷いた。しかし、ケマルは「防衛線というものはない、防衛する国土があるだけだ。私は諸君に死を命ずる」と叫んだ。こうして、人も物もすべてがサカリア戦線に集中された。トルコ国民は男も女も老人も子供も、侵略者ギリシアに対する怒りで火のようになって英雄的に行動した。資材も弾丸も食料もガソリンも、老人、女性、子供の手で運搬された。
*(09.13)ギリシア軍がアンカラから総退却。トルコ軍は大勝利を収めた。ケマルには名誉ある「ガーズィ(信仰戦士)」の尊称と元帥の称号が与えられた。
*(11)ワシントン会議(軍縮)開催(〜1922.2)
*(12)ワシントン会議で4ヵ国条約に調印、日英同盟破棄
1922(大正11)
*松本清張(13歳)、小倉市立板櫃尋常高等学校(後の清水小学校)高等科に入学
*イタリアでムッソリーニのファシズム政権が成立
*第一奉直戦争(張作霖など)
*ブラケット系列発見
*このころカリフォルニア大のエバンスが小麦胚芽油から新物質を取り出す。αトコフェロール(子供を得るアルコールという意味)。抗不妊剤として牛や馬の飼料に混ぜて使用された。1936年これがビタンミンEと名づけられる
*【英】アイルランド独立
*(01.03)ツタンカーメン王(エジプト第18王朝)の墓発見
*(02)ワシントン会議で海軍軍備制限条約、9ヵ国条約に調印
*(2.28)エジプト独立
*(03)全国水平社創立
*日本航空輸送研究所により大阪-高松-徳島に定期便 (水上機を使用して、週2往復)
*(06)シベリア派遣軍撤退声明
*(07.15)第1次日本共産党の結成(コミンテルンの指示と指導によって、秘密結社として結成)
*(09.09)トルコ軍がイズミールに入った
ケマルは有名な命令を下した。「前進! 目標は地中海!」。ギリシア軍は総崩れとなり敗走。イズミールのギリシャ将兵はあらゆる船を動員して本国めざし退却。イズミールのアルメニア居住区ではその夜、怪火が発生して市は3日間炎上し、2万5000の建物が灰燼に帰した。
*(10.03)トルコ国民会議とイギリスの休戦協定会議開始、調印(10.11)
*(10.29)トルコの国民会議はトルコを共和国として発足させることを決議、初代大統領にケマルを選出
*(11.01)ケマルは大国民会議でスルタン制の廃止を求める動議を提出。ケマルは政教分離主義者だった。第35代スルタンであったメフメット6世を廃し、カリフ位のみのアブドゥル・メジト2世(1922-1924)を置く。コンスタンチノープルにはスルタン政府が存在していて、ケマルを攻撃、非難。国民軍の指導者たちに死刑を宣告していたりした。
*(11.17)メフメット6世がイギリス艦でマルタに亡命
スルタンは生命の危険があるとして、あわてて侍従や使用人と共にイギリス巡洋艦に保護を求め、マルタ島にのがれ、さらにサン・レモに亡命した
*(11.18)トルコ国民会議はアブドゥル・メジト2世をまったく宗教的事項に関するカリフのみ認めることを決議した。激論と対立する混乱の後の採決であった。この決議のために、ケマルは年来の友人、支持者とも決別した。
*(11.20)ローザンヌ講和会議
*(12)ソビエト社会主義共和国連邦成立
*(12)レーニンが二度目の脳出血に倒れる
1923(大正12)
*松本清張(14歳)、父が小倉市紺屋町に小さな飲食店を開業
*山之内薬品商会創立
*(01)第一次世界大戦の賠償支払いの遅延を理由にフランス軍とベルギー軍がドイツのルール地方を占領
*(04.03)『赤旗』創刊
*(07.24)トルコ、ローザンヌ条約調印
*(08.07)司馬遼太郎が大阪市浪速区に誕生。父・福田是定(薬剤師)、母・[旧姓:河村]直枝(実家は大和国北葛城郡當麻[タイマ]町竹内[タケノウチ]。国道166線沿線)。二人の姉妹を持つが、兄が二歳で死去している。司馬遼太郎は母の実家で二歳まで育てられる。竹内街道、竹内峠、竹内峠の横の二上山[フタガミサン](約二千万年前の噴火以来、火成岩の一大産地になった。なかでも、ヤジリの原石となる貴重なサヌカイトが採れた。太古の人々は麓で原石から石器を作った)。
*(08.11)ケマルは大統領として再選された
*(08.23)トルコ国民会議がローザンヌ平和条約を批准
*(09.01)関東大震災。死亡・行方不明者 107,500人
*(09)憲兵隊の甘粕大尉は無政府主義者の大杉栄らを扼殺
*(09)朴烈大逆事件
朴烈・金子文子、検束。後に皇太子爆殺を企んだとされ、大逆罪で死刑宣告。恩赦で無期懲役に減刑される。
*難波大助による皇太子狙撃
*(10.02)連合軍がイスタンブールから撤退
*(10.13)トルコがアンカラへ遷都
*(10.29)トルコが共和制宣言
*(11.08夜)ミュンヘン一揆
*(11.11)ヒトラーはスイスとの国境近くのハンフシュテングル(この大資本家が当時の彼の有名なパトロン)の別荘で逮捕
*(12)甘粕大尉が懲役10年の刑に処せられる(1925年出獄の後、1929年に渡満)
1924(大正13)
*松本清張(15歳)、小倉市立板櫃尋常高等学校(後の清水小学校)高等科卒業。川北電気株式会社小倉出張所の給仕となる。このころから文芸書に親しむ
*メートル法実施
*モンゴル共和国独立
*第1次国共合作
*プント系列発見
*(東京工業大学)東京高等工業学校は関東大震災で被災したため、1924年に東京都目黒区大岡山に移る。紫禁城の外に出ることを禁じられていた溥儀は思いがけない形で自由の身となった。
*軍閥の馮玉祥(ふうぎょくしょう)により愛新覚羅溥儀(18)は家臣たちと共に紫禁城を追われた。
*(01.21)レーニン死亡(後をスターリンが継ぐ)
*(02)ヒトラー、ルーデンドルフらは大逆罪で告訴され、特別法廷がひらかれた。ヒトラーは共和政府転覆の責任をみずから負うことで、共和制をはげしく論難した。
*(03.03)トルコ国民会議がカリフ制廃止。これによりオスマントルコ帝国は名実ともに滅んだ
*(03.04)カリフのアブドゥル・メジト2世は国外追放
オスマントルコ帝国を支配した血族はすべてトルコ国内に留まることを許されない法律が通過した。
*(04.01)ヒトラーは五年の禁固刑に処せられたが、九ヶ月後には釈放された。この間、ランズベルグの獄中で、ヒトラーは『わが闘争』を口述筆記させた(1925年、1927年に上下二巻として刊行)
*(04.20)トルコ共和国の新憲法成立
*(06.16)孫文が広州の黄埔軍官学校の開校式で三民主義(民族主義、民権主義、民主主義)をとなえる。校長は蒋介石(36歳)、周恩来(26歳?)。この時孫文が演説した内容が、現在の中国国歌。この学校にはホーチミンが送り込んだインドシナの若者たちもいた。
1925(大正14)
*イギリスがオスマン・トルコ帝国から租借(1878)、併合(1914)していたキプロス島を正式に植民地化。島民の大部分はギリシア人で、ギリシアとの統一を願い、1931-1940に大規模な不服従運動や叛乱を起こしたが、イギリスは武力をもって厳しく弾圧した。
*
*松本清張(16歳)
*パウリの排他定理
*普通選挙制、治安維持法が成立
*ロカルノ条約
*JTB、鉄道乗車券代売開始
*薬剤師法公布
*中外新薬商会(現、中外製薬)創立
*上海紡績スト
*(仏)ジョセフィン・ベーカーが好評を博す(アメリカが生んだ最初のSEXシンボル)
*ハイゼンベルグ・シュレディンガーが量子力学の公式
*広東に国民政府成立
*KKK(クークラックスクラン)の運動が激しくなる。移民たちはグループを作っているのに、アメリカ生まれの白人も結束する必要があるためとされた。特にクランは黒人を迫害した。
*第14回ソヴェト共産党大会
スターリン派の一国社会主義政策を多数をもって支持。その後スターリンとトロツキーは中国問題をめぐって対立
*スターリンの一国社会主義理論採択
*オッペンハイマーがハーバード大学卒業。英ケンブリッジ大学へ留学
*(01)日ソ基本条約調印(日本、ソ連承認して国交回復)
*(02)ミュンヘン一揆後禁止されていたナチ党がヒトラーの出獄をまって再建
*(03)孫文死去
中華民国はかたちだけで、実質的に中国は分裂状況におちいり、失意の孫文は「革命未だ成らず」の言葉を残して、1925年北京で世を去った
*(04)(日)治安維持法を公布
*(05)(日)普通選挙法を公布
*(05.30)五・三◯事件(反英運動と英官憲の中国人虐殺)5.15、上海の日本内外綿第7工場でストライキ中の労働者に工場側の警備員が発砲。共産党員が1名射殺されたほか労働者数名が負傷。5.30になって労働者学生が数1000人街頭にでて抗議デモしたのに対して、イギリス人巡査が一斉射撃をあびせて死者13名、負傷者10名、逮捕者53名をだした。
*(07)テネシー州で「ダーウィンの進化論」の裁判。この裁判はラジオで全米に中継された。進化論を教えた教師は有罪。「進化論を教えてはならない」という法律が廃止されたのは1968年。
*(07)(日)ラジオ放送開始