ありふれた「三つ葉のクローバー」として・・・



■スタッフのエッセイ集です

・2010年〜2012年のエッセイ集です(41篇)

「意外な出来事には」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.12.24

「Have yourself a merry little Christmas.(ささやかなクリスマスを祝おう)」
  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸 2013.12.20

「方言は健康の秘訣」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.11.26

「お別れには挨拶を」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.10.28

「あなたはどの年齢で生きていますか?」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.09.24

「自分の番」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.08.27

「『用』の力」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.07.26

「午後の最後の芝生」
  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸 2013.07.23

「一本の万年筆」
  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸 2013.07.18

「クライマックスを生きる」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.06.24

「今日と言う日は・・・」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.05.23

「ベジ・ファースト」
  事務長 甲斐敏幸 2013.05.21

「映画の台詞」
  事務長 甲斐敏幸 2013.05.16

「就任のご挨拶」
  清川診療所 所長 坪山明寛 2013.04.26

「豊葦原の瑞穂の国」
  事務長 甲斐敏幸 2013.04.08

「卒業写真」・「風の彼方」 YouTubeにアップしました!
  甲斐敏幸・菅亮一 2013.02.07

「ゴスペル」
  事務長 甲斐敏幸 2013.01.24







2013年12月24日(月)
「意外な出来事には」  清川診療所 所長 坪山明寛

冬耕を終えた百枝平野が、霜で輝く日が多くなってきた。
それは決まって晴天で、ふくら雀を良く見る朝だ。
私は運転しながら想像する。寝静まった夜、冬の月の光を浴びながら、青女が踊り狂う姿を。
ざわめく世踊り鎮める青女かな 明寛
青女とは霜を降らす女神のことだ。その姿をみたいと思うが、いまだ出会ったことがないのは残念だ。
その姿は、青い薄絹の衣をまとったスレンダーな女神なのだと思う。
彼女が踊る時の曲は、フィギュアスケートで良く使われるノクターンか、荒川静香選手が優勝したトウランドットか・・。
いや私が希望するのは、アメイジング・グレイス、それも本田美奈子さんの歌うアメイジング・グレイスだ。
何故そう思うのか。彼女は、白血病に襲われ闘病の末に亡くなった。
白血病になることは、彼女にとって意外も意外、想像だにしなかった出来事だった。
しかし彼女は、この病を受け入れながら歌い続けた。そして一時退院の日に、病棟で主治医や看護師さんの前で歌ったのが、アメイジング・グレイスだった。
その歌声を聴いたとき、音痴である私の心が凍りついた。いつのまにか手を合わしていた。
 身じろぎを許さざる歌声や冬の月 明寛
もともと本田さんは、旨い歌手だった。彼女の歌声は、白血病という意外な出来事に真向かうことで、それまでよりもはるかに透明で一段高い精神性を醸しだしたのだった。
病にならかったとしても、彼女が上手になったのは確かだと思う。
しかし、これほど崇高で気高い宗教性を帯びたアメイジング・グレイスは、歌えなかったと思う。
「何故に神は人に病という苦痛を与えたもうのか」と言う問いを、人は心に持ち神の存在への疑念を叫ぶ。
私も学生の時に大病に罹った。両親の嘆きを目の当たりにして、死をも覚悟し自分の人生を奪う神を恨んだ。
でも今、ここにこうして医師として生きている自分にとって、あの大病という体験は、大きな財産になっている。
医師として、病を持つ人々の苦しみや嘆きが、自分の体験したことを通して、身をもって分かるからだ。
おそらく本田美奈子という歌手も、白血病という病を通して、苦しみ嘆きや諦めに苛まれることで、アメイジング・グレイスの歌詞や曲の持つ意味の解釈が深まり、彼女の苦悩が昇華され、あの退院日の歌声になったのだと私は思う。
病は、人々にとって、ある日突然に襲ってくる意外な出来事だ。そうでない病もありますがね。
例えばタバコによる肺癌、心筋梗塞は意外なものではなく十分予測される病だ。
いずれにしても、神さまが何故に人に病を与えるのか、明確に答えることはできない。
私が言いたいのは、病と言う意外な出来事を、忌み嫌い逃げて生きることはしないで欲しいということだ。
人生において、予測可能な出来事の中だけで生きることが、楽しいことでしょうか?
例えば、自分の人生は○年○月○日に終わると決まった人生は、楽しいでしょうか?
たまらなくうっとおしく、嫌な毎日になると思う。「風が吹けば桶屋が儲かる」のように意外なことには、可笑し味や面白味が詰まっている。
人生という道で意外なことに出会うと、ちよっと苦労するかもしれないが、面白味一杯の豊かさをもって生きていけると思う。
病という意外な出来事も、神さまが下さった贈り物と考え、逃げずに一生懸命付き合ってみると、健康な時よりはるかに豊かで意義深い毎日を送ることもできると思う。その証は様々な闘病記が示してくれている。
病になっても人生を投げないで欲しい。
冬の清川には、冬木立の枯れた風情、枇杷の花の賑わい、山茶花の華やかさ、銀杏落葉の気高さがあるように、人生の冬と思いがちな病とともに生きる道にも、意外なことを楽しむ心のゆとりがあれば、素敵な趣を供えることはできると確信します。





2013年12月20日(金)
「Have yourself a merry little Christmas.(ささやかなクリスマスを祝おう)」
  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸


寒いクリスマスの朝、いつも枕元にお菓子の入った赤い靴が置かれていた。
子供の頃、それがとても嬉しくて、いつもは朝寝坊をするのに、その日だけは早起きだった。
歳時における父母の細やかな心遣いは、今でも自分や孫に続いている。
結婚してまだ子供が生まれていない頃、クリスマスイブを知人の教会で過ごした。
ゆらめくキャンドルと暗さの中で、オルガンのペダルを踏む音が耳に残っている。
黒い表紙の讃美歌を目で追いながら、私たち二人は幸せな気分になった。
お金がかかった贅沢ではなく、気持ちばかりの菓子と飲み物とおしゃべりが、私たちを豊かにさせた。
人との会話が心を弾ませ、華やかさと神聖さと安堵を覚えた。

クリスマスは世界中の人たちが安らかな心になり、お互いを許しあう、そんな平和な時間だと思う。
オリンピックのように、一つの行事を通して、みんなが仲良く平和に過ごせる、確かな時間だと思う。
だから、クリスマスを祝おう。
ややこしい心の垣根を払い、苦手な人にも話しかけてみよう。
やがて小さな緑の芽生えに気付くことがあるかもしれない。
距離がどんなに離れていようと、思う心は瞬時に人の心に入っていく。
大好きだった義父や義兄は亡くなったが、あなた方の言葉や仕草は今も自分の心を満たしている。
人を思う心の隔たりは、距離でもなく、時間でもなく、或いは存在でもないかもしれない。

今年のクリスマスイブは、キャンドルを灯して目の前の家族に、そして離れている家族に、そっと歌いかけてみようと思う。
大好きなこの歌を、大好きな家族のために・・・
Have yourself a merry little Christmas.
ささやかなクリスマスを祝おう。






2013年11月26日(火)
「方言は健康の秘訣」  清川診療所 所長 坪山明寛

 七五三晴れ着に負けぬ笑顔かな 明寛
10月10日秋晴れのこの日、7歳と3歳の2人の孫の七五三お参りがあり、安岐町まで出かけた。
2人とも晴れ着に髪飾り、口紅まで塗ってもらい上機嫌だった。焼ケ幡八幡神社という木の素肌の美しい神社で、祝詞をあげてもらった。
私も孫の後ろに座って頭を垂れて神妙にしていた。
しばらくすると退屈したのか、孫の正座の足が崩れ始めた。そこで一句、
 もじもじと正座の足や七五三 明寛
無事に儀式が終わり、よくぞ元気に育ってくれたと心の中で感謝することだった。

ところでこの文章をパソコンで書いている時に、あれっと思ったことがあった。
それは神社という文字を書くときだった。キーで最初「じんしゃ」と入れた。すると「人社」と変換された。
何回しても「神社」は出てこなかった。そこで「じんじゃ」と入れた。すると「神社」と変換されたのだ。
おかしいなと自問自答しながら考えた、そして調べた。わかった!「じんしゃ」と発音するのは鹿児島弁だったのだ。
方言がこの年になっても、まだ脳の奥底にしみ込んでいるのには驚いた。

方言といえば思い出すことがある。
昭和59年栃木から県立三重病院に転勤して来た当時、外来診療していると「先生、あどが痛いんじゃ」「先生 喉がはじかい」「先生、わしの仕事は、なばづくりじゃ」「先生 聞きたいことがあって、へもどってきた」という方言のシャワーを浴びて戸惑ったのだ。
看護師の通訳で、あどはかかと、はじかいはイガイガ、へもどるは帰る、なばは椎茸と理解した。
こんなことではいけないと必死に方言を覚えた。そうしないと患者さんは私をよそ者として、心を開かないと思ったから。
今はほとんど理解できるし、自分も大分方言(厳密には旧大野郡方言)を使っている。

さてこの方言だが、方言は健康を守る力があると私は考えている。
方言が健康を守る?そんなことはあるまいと思われるでしょう。私はあると思う。
それは「方言が理解できるということは、同じ地域に住んでいる仲間」という刻印だからだ。
 例えば「けさんどうろは いちべえこんじょった。いっすんずりじゃった」「みずばいじぇくっちょったら はなみずばでちょる」「あんひとは すもつくれん」「ほらけて つぶしをおしょった」という会話を聞いて分かるということは、豊後の土地で豊後の空気を吸って生きてきた人ということだ。
よその人にはちっとも分からんのだ。なしか?と言われても、理由はたった一つ。それはよその人は豊後の風土に育っていないからだ。
方言は故郷にうまれ故郷に育った言葉なのだ。
石川啄木の歌に“ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく“という歌がある。
あの激情放浪癖のある啄木でさえ、故郷は癒しの場だったのだと思う。

さてこの方言が何故に健康とかかわりがあるのかという問いだが、私はこう考える。
人はひとりぼっちでは生きていけない。仲間のなかで生きてこそ、健やかに生きていけるし、仲間の支えがあってこそ苦しい時を乗り越えることができる。そのもっとも身近な仲間は家族であり、友人だ。
何かあれば、家族は真っ先に心配し、相談に乗って助けてくれる。非常に頼りがいのある仲間だ。
しかし、昨今地方では、人口が減少し高齢化が進み、所によっては共同生活が維持できなくなった限界集落なる地域が、増加してきているというのが日本の現状だ。

この豊肥地域でも、若者は都市部に移動して、住居を構え仕事につき生活し、地域には高齢者が多く残っているというのが残念ながら実情だ。
こういう鄙の場で健康に生きるには、法律的家族ではないが、地域の仲間が家族の一員となり家族的共同体を構成し、お互いに助け合うという仕組みが必要だと私は考えている。
このような家族を、私は「地域家族」と呼んでいるが、この地域家族の家族は、その地域の方言を自由に使い、方言を通訳なしに理解できる仲間だ。
方言が理解できる仲間とは、先祖代々同じ地域に住み、地域を守り育ててきた、地域を愛おしく思う仲間だ。
こういう仲間のなかに生きて、日頃の付き合いを良くして、和やかに方言で会話し、時には旅行するなどして、心の満足度が高い人ほど3年後の健康度が高いとの報告もある。
このようなことからも、高齢期の望ましい健康作りの要諦は、隣近所を含めた地域の方々と、方言を駆使して思い切り語り合い、心の中をさらけ出し、生きていることに喜びを感じていることであり、方言会話こそ何物にも代えがたい健康の秘訣と言えよう。

今朝の診療所では、賑やかに笑いを交えた方言会話が繰り広げられていた。
そこには会話を通訳なしに理解できるようになった、大分在住29年目の鹿児島生まれの私がいた。





2013年10月28日(月)
「お別れには挨拶を」  清川診療所 所長 坪山明寛

秋の夜長、眠れない日があった。別に体調が悪いわけでもなく、深刻な悩みがあるわけでもない。
ただ診察の時に、患者さんと交わした言葉が気になっていたのだ。その方が診察の時に「ぴんぴんころり」と逝きたいと言ったのだ。
私は咄嗟に「そうかなあ、それも悲しいことじゃないかな」と返事した。その方はきょとんとしていた。
私も「ぴんぴんころり」の意味は知っていたし、「ねんねんころり」より、「ぴんぴんころり」の方が望ましいと思っている。
でも日頃からどこかがひっかかるのだった。あえてどこだと言えば、「ころり」と言う言葉だ。
「ころり」について、大辞林には急死を意味すると記載されている。
この「急死する」ことが、「ぴんぴんころり」をすんなりと受け入れ難いと、日頃思っていた理由だったので、患者さんに思わず言ってしまったのだ。
勿論、元気で長生きしよう!という運動に、クレームをつける考えは毛頭ありません。
じゃあ何故そんなに固執するのか、それは「ぴんぴんころり」を言葉の通り言いかえると、「元気で長生きして急死しよう」ということになる。
「急死する」ということを喜んでいいのかと、自分の心に疑問が湧いてくるのだ。
医学用語に「突然死」と言うのがある。私も突然死された方に何人か出会った。
年齢は様々だったが、残された方々は「どうして?」「なんか言いたかったのじゃなかろうか」「“さよなら”を言いたかった」「“ありがとう”を言いたかった」等々をご遺体の前で呟いておられた。
ここに和歌がある。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」これは細川ガラシャの辞世の歌だ。
芭蕉には「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の辞世の句がある。辞世はこの世を去る時の挨拶だと思う。
挨拶は、人と人が出会い別れる時に掛け合う言葉だ。朝出会うと「お早う」昼は「こんにちは」夜は「今晩は」、別れる時には「さようなら」と言う。
この世で人が別れる時が「死」だ。この大事な時に、逝く人残る人が言葉もかける暇もなく別れることが、「ころり」の意味合いであり、胸にしっくりこないのだ。屁理屈だと思う。
でも長患いの方でも、思いもかけない日に急に亡くなった時、残された方が悲しんで、先述のような言葉を言っておられた場に遭遇してきた者として、「ころりといきましょう!」とは言えないのが正直なところだ。
私は「ぴんぴんころり」運動の本来意味していることを、批判しているわけではない。
世界保健機構が提唱した「平均寿命より健康寿命」を長くしようという活動、すなわち心身ともに自立し、健康的に生活できる期間である「健康寿命」を延ばすことは、正しい方向だ。
因みに豊後大野市の男性の平均寿命は78.1歳、健康寿命74.1歳だ。この差3.5年は介護を受ける不健康期間であり県内2番目に長い。
女性の平均寿命86.26歳、健康寿命78.82歳で、介護を受け受ける期間は7.44年と長く県内3位だ。
是非「ぴんぴん」した高齢期を過ごし介護を受ける期間を短くするため、食生活・運動習慣・レクレーション三昧を心掛けてほしい。でも「ころり=急死」は避けて欲しい。
十辺舎一九は「この世をば どうりゃお暇にせん香の煙とともに 灰左様なら」と歌っている。
この世を去る最後のお別れの時には、連れあい・子供・孫そして友達と、「楽しかったよ」「ありがとう」の言葉をお互いに交わし合い、「さようなら」の挨拶をして欲しい。
以上のような考えで、患者さんに「ころり」は悲しいことだと言ったのだった。
私は「ぴんぴんころり」より「ぴんぴんさようなら」がいいと思っているのだが・・・。
それでは今回はこのへんで、「さようなら」






2013年9月24日(火)
「あなたはどの年齢で生きていますか?」  清川診療所 所長 坪山明寛

仲秋の名月をゆっくり眺めていた。久しぶりだ、こんなにしみじみと見たのは。
ああやっぱり居る、兎さんが。ふと声をかけたくなった、兎じゃなくあの人へ。
あの人、そう「かぐや姫」に。そこで一句、
  かぐや姫健やかなりや望の月 明寛
かぐや姫は、もういくつになられたのだろうか。竹取物語が書かれたのが900年頃と言われているので、千歳を越す年齢だ。
でも今でも若々しく艶やかにしか思い浮かばない。
さて「あなたはどの年齢で生きていますか?」と尋ねられたら、皆さんはどう答えますか。殆どの人が「75歳を生きている」とか「85歳じゃ」と、今の実年齢で答えられることでしょう。
でもちょっと聞いて欲しいのです、私が20年位前にであった患者さんの話を。
年齢は82歳、農業の男性です。小柄で声の大きい方でした。話し好きで稲作の出来具合、マムシ捕獲の自慢、野菜作りは名人じゃと、それは話題豊富でした。
ある朝病室を回診していたら、看護師さんから「先生面会ですよ」と呼ばれました。こんな早くに誰かなと思いつつ行ってみると、そのお爺さんでした。
「あれ まだ診察には早すぎるがな、どうしたんな」と聞くと、「先生に野菜を持ってきた」。土の着いた白菜が新聞紙に包まれていた。「朝一番に取ってきた」の一言を残し外来へ降りて行った。
仕事熱心な人だった。野球大好きで審判もしていた。バス旅行にも積極的に参加し、日常の移動は自転車で走り回っていた。俳句の趣味があり、時折診察室に俳句手帳を持参して披露してくれた。毎日日記を書き、その日のことを句にするのだった。
とまあこのような生活している翁がいたのだ。ひと言でいえば「元気なお爺ちゃん」である。
ある日「いくつになったんかな?」と尋ねた。
「そうじゃな~、50だな」との返事。決してこの方は物忘れがひどいわけじゃない。怪訝そうな私を見て、「自分は50歳のつもりで生きている」と、しっかりした口調で言った。
その時思いだしたことがあった。「人は3つの年齢を持っている」ということを。
3つの年齢とは、1に暦年齢(実年齢)、2に肉体年齢、3に心の年齢である。
暦年齢は、言わずと知れた誕生日から生きてきた年月である。肉体年齢は、その人の体の機能(歩行速度・跳躍力・記憶力・骨密度など)がどの年齢に相当するかを示す。
この年齢は生活習慣の工夫で疾病の予防や体力増強して変えられる。心の年齢は、意欲・生きがい・感動するなど精神的な年齢であり、自分で決められる。これらの年齢を、先ほどのお爺さんに当てはめると、暦年齢は82歳、肉体年齢は、かなり動けるので60歳位、そして心の年齢は、自分で決めた50歳となる。
この人は、自分は今50歳だと思いこみ、運動や食事など生活習慣に気をつけて手にした60歳の体を動かし、82歳の今を生きているということになる。
3つの年齢の中で、人生を豊かに健やかに生きるには、心の年齢が大切なのです。
東京都健康長寿医療センターの調査では、健康な長寿者には、前向きな考えを持っている人が多いのです。前向きな考えは心の若さで生まれます。心の若さは、紹介した翁のように「心の年齢」を若く設定することで、おのずと醸しだされます。都合のいいことに、「心の年齢」は、お化粧もせずに自分で勝手に何歳にでも設定できるのです。
かぐや姫が、月の世界で千年経った今も、若い姿で浮かぶのは、地球を離れた時の20才という「心の年齢」で過ごしているからでしょう。
今日の仲秋の名月は、かぐや姫のようにひときわ若々しく美しいです。
さあ皆さん、「あなたはどの年齢で生きていますか?」と尋ねたら、なんと答えますか?





2013年8月27日(火)
「自分の番」  清川診療所 所長 坪山明寛

猛暑です!通勤途中の畑では、里芋の葉が枯れ切っていました。そこで一句。
 芋の葉のかりかり焼かれ日照り夏 明寛
でも猛り狂う暑さをものともせずに、働いておられる方がいます、一人の翁です。
腰をくぐめ黙々と小さな畑を耕し、草を摘まんでおられるのです。私はその方を見るたびに思い出す詩があります。
「自分の番」という相田みつをさんの詩です。

うまれかわり
死に変わり永遠の
過去のいのちを
受け継いで
いま自分の番を
生きている
それがあなたの
いのちです
それがわたしの
いのちです

「自分の番」 相田みつを

この翁は繋ごうとしていると思うのです。本当に小さな畑です。
でもそれは、お父さんとお母さんが開墾し作物を愛で育て、この翁を養ってくれた畑ではないのか。
あるいはご自分が開墾した我が子のような畑かもしれません。
私にそう思わせるのは、この翁の働く姿に、真剣さと土を愛おしんでいる心が滲んでいるからです。
ひょっとしたら誰もこの畑を受け継ぐ人はいないのかもしれません。いやそうなんでしょう。
このご時勢だかこそ私の推察は確かだと思います。しかし、たとえそうであっても、私はこの翁の日々の仕事を無駄とは思いません。むしろこの翁の姿を神々しいと思いつつ、心のなかで御苦労さまと呟いています。
 くぐまりて草取る翁炎暑の日 明寛
相田みつをさんの詩にあるように、まさに生きるとは、繋ぐことであり受け継ぐことだと思います。
その意味でこの翁は、必死に生きていると強く感銘を受けるのです。
話は変わりますが、先頃モスクワで世界陸上大会が開催されました。日本のメダルはマラソンの福士加代子さんの銅メダル一個でした。
世界の壁は厚いですね。ひときわ輝いていたのは、ウサイン・ボルト選手でした。
100m、200mに加え、400mリレーで優勝と3冠を達成しました。ただただ感服するのみです。
私は特に400mリレーに感動しました。4人の選手がひとつのバトンをしっかり繋がないと、この競技には勝てません。
日本はバトンタッチが少し乱れてしまい、6位に終わりました。しかし繋げることはできました。だから400mリレーというドラマは完成しました。
私はこの競技に相田みつをさんの詩「自分の番」が重なりました。
いま生きている私達は、父母を含む祖先からバトンを受け継ぎ、「自分の番」を走っているのです。一生懸命走っているのです。
そのバトンは、モスクワ大会の選手が掴んでいたバトンのように新品ではありません。
古ぼけているし、汗や汚れにまみれています。でも艶やかに光を放っています。あの古い農家の大黒柱のような黒光りです。
誇りにあふれている輝きです。今生きているということは、祖先からバトンを受け継いでいることであり、このバトンは渡すことです、次のランナーに。
そうすることが、今を生きている私達の責任であり役割「用」なのです。
しかし毎日全力で走ることは大変です。バトンに自分の汗を滲ませ、落とさないように走り、さらに渡し損なわないように走ることは、大変な緊張を強いられます。疲労困憊します。
そんな時に思い出して欲しいのです、「人は支えられてしか生きられない」という言葉を。家族や地域、行政に加え、診療所も皆様を支える場所と考えています。
診療所は病に冒された時だけ来る所ではなく、弱音を吐く所でもありたいのです。体の弱音、心の弱音があると、大切なバトンをうっかり落とすかもしれません。
どうぞ走り疲れたら診療所に来て、弱音を吐き出してください。そしてバトンを握りなおし、故郷清川の風を浴びながら、自分の番をゆっくり走ってください。






2013年7月26日(金)
「『用』の力」  清川診療所 所長 坪山明寛

 嫁がせしわが身のかろし空蝉や 明寛
先日末娘が嫁ぎました。その時の思いを綴った一句です。
ある方が診察室に蝉の抜け殻(空蝉)を持ってこられました。空蝉は蝉の幼虫が地中で5-10年過ごした後、木の上で羽化した抜け殻です。
空蝉には、役目を果たした安堵感が漂っています。空蝉を手に取ると本当に軽かったです。
娘を嫁がせ親としての役割の一つを果たし、何となくほっとし身軽になった気持ちを、空蝉の軽さに託した一句でした。
この役割の意義について述べてみましょう。
数年前の診察日に“もう役にたたないから迷惑をかける、死んだ方がましや“と寂しげに話すお年寄りが来ました。私は身を乗り出しました。
その時の会話内容を紹介します。

お婆ちゃん「先生 ちょっと話していいかな」
私「はい なんですか、何でも話しちょくれ。分かることならいいがな~」
お婆ちゃん「もうつまらん、毎日がつまらん」
私「どげんしたんな、何があったんな」
お婆ちゃん「ちょっと時間があったから、夕ご飯の支度をしたんじゃ・・・」
私「へえ 何作ったんな」
お婆ちゃん「煮つけじゃ!」
私「美味しそうじゃな、煮つけはいいな・・
私も大好きじゃ」
お婆ちゃん「それが・・帰って来た嫁に叱られたんじゃ」
私「へえ 何でまた、手伝ったのに」
お婆ちゃん「余計なことせんで!私がこきつかっちょるち思われるがな。年よりはじっとしとけばいいんよ、と言われたんじゃ」
私「そげんなんこち言われたんな。そりゃいかんな。そげなん時だまっとるんじゃなくて、自分の考えを言わなきゃ」

とまあ、大体こんな会話でした。
“もう役にたたんごちなったんじゃ、迷惑かけるばっかしじゃ・・死んだ方がましじゃ”この言葉に私も同感です。
人は役割を失うと生きがいを無くし、生きる喜びを失い、坂道を転がるように元気をなくしていきます。
自然流で、98歳まで生きられた作家の宇野千代さんはこう言っています。
『人間は役割がなくなると、とたんに生きがいも失ってしまいます。ずっと働き通して来た人にとって、これから先、自分の働く場所が、もうなくなるのではないかと思ったとき、生きている甲斐もないほど、がっかりするのは当然です』(私何だか死なない気がするんですよ)より。
前回の「きよかわの風」でも述べました、「生きることは動くこと」にも通じますが、人はこの世に何で生まれて来たのか?という哲学めいた問いかけの答えの一つは、「神の用を手伝うため」と私は思います。
この『用』こそ役割なのです。
私が神から言いつけられた『用』は、親であり医師です。子供を育てる用は親の用です。
人は用がないと言われることが最も辛く寂しいことなのです。生きようとする意欲を削がれるからです。
高齢になると身体能力は落ちます。だから若い時の『用』が出来なくなります。
でも生きている限り、『用』を作り『用』を果たすことが生きることであり、生きる原動力だと思います。
『用』は何でもいいのです。草取り、洗濯物の取り入れ、新聞の整理、カーテンの開け閉め、戸締りの確認、電気炊飯器のスィッチ入れ、話し相手、孫の世話など、何でもいいんです。
高齢者も自分の『用』を確保して欲しいのです。高齢者のご家族へのお願いは、高齢の方に元気になって欲しいと真剣に願うなら、『用』を奪うことではなく、その方に相応しい『用』を作ってあげることだと思います。
『用』こそ人の生命力、認知症を遠ざけ、人生に幸せをもたらす力だと信じているから。






2013年7月23日(火)
「午後の最後の芝生」  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸

仕事のことを中心に書くとストレスが溜まるので、全くかけ離れた事柄を文章にしようと考えている。
今回は、今をときめく村上春樹大先生の作品について、恐れながら僅かばかりの私見を述べさせていただければと思う。

先日、ある若者と東京の恵比寿でグラスを傾けながら食事をした。
彼はずっと寮に入り、最終年では寮長として、秋のフィナーレを飾る、恒例の騎馬戦の隊長として活躍したようだ。マスコミが取材に来るような、大騎馬戦大会らしい。
騎馬戦の組織戦術、戦い方を熱っぽく語る彼の口調に、今時の若者らしからぬ迸る情熱を感じ、思わず引き込まれ、微笑ましい好感を持った。
そういうバンカラ風の寮らしい。
村上春樹はその寮に住んだことがあり、途中で引っ越したようだが、少しばかりのエピソードを聞くにつけ、文学青年とジャズ愛好の両面を持っていた若者だった。

彼の作品は、「風の歌を聴け」以来、「ノルウェーの森」しか読んだことが無かった。
短編や長編を読んだかもしれないが、すぐに思い出せる記憶が無いというのは、さほどの感動がなかったのだろう。
国内だけではなく、世界中にファンがおり、何故そうなのか、想像はできてもはっきりと分からない。
今回読んだのは、「中国行きのスロウ・ボート」に収められている「午後の最後の芝生」である。
学生時代に安岡章太郎の「ガラスの靴」を読んで、アンニュイな独特の雰囲気の読後感を味わったが、あの時の感情が蘇ってきた。
心象風景の記録というか、人間の心を追いながら、時には自己を深く見つめ、或いは第三者の目から推測したり、様々な角度に照準を当てながら村上春樹のセンテンスを構築していく。
彼の構文はなんとなく嬉しくもあり、一つ一つの言葉がさりげなく押しつけもなく掲示されている。
だから、自分が選択してポジティブに取りに行こうとすれば、すぐそこで味わえるような感覚を起こしてくれる。
何となく読後感がいいと言おうか、温泉のぬるま湯にでも長く入って、外に出たら秋の微風が頬を撫でて通って行くような、そんな心地よい、乾いた感じを与えてくれる。
そう、スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」に通じるような、一瞬の夏なのだ。
言葉そのものではなく、言葉を繋いだ文章の連鎖を通じて、程よい軽さを感じる。
それを取りにいくかどうかは読者次第で、その辺が平易と難解の錯覚の所以かもしれない。






2013年7月18日(木)
「一本の万年筆」  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸

僕とモンブランの出会いは、伊丹十三のエッセイから始まる。
「ヨーロッパ退屈日記」という単行本を何気なく買ったのは、たぶん中学生だったと思う。
そこに書かれている世界は、すべてが新鮮で、自分の興味は飽くことが無かった。
料理への追求、モノへのこだわり。
その頃、スパゲティにアル・デンテという概念は一般家庭に無かったと思う。
お腹を満たせばいいということではなく、本場の味をどうやって再現させるか、それを写実派の一幅の風景画のようにこと細かに描写し、愉しませてくれた。
そのエッセイの中に、モンブランのシャープ・ペンシルの一文があった。
彼はこよなくそれを愛し、デザイン、重さ、長さ、書き具合など、機能のすべてに対して賞賛を贈った。
自分には高価で手の届かないものだったが、いつか持ちたいという気持ちが芽生えた。

同じ頃、開高健の著作を読み始め、彼の紡ぐ文章に魅かれ始めた。
彼の文章作法は、自室に閉じこもり、その孤独のなかで何度も推敲を重ね、時間をかけて熟成させた。
そして、他の作家同様、原稿用紙に万年筆で書いていた。
その万年筆は、モンブラン・マイスター・シュテュックという。ドイツ語で、傑作という意味だそうだ。
基本は黒色で、随所に金色が鏤められており、書くときの何とも言えない愉悦感は、ますますそれを助長させる。
日常のちょっとしたメモ、遠くにいる子供たちや友人への手紙など、お気に入りの万年筆を使うことによって、相手への真摯な気持ちが生じ、それが文章に表れる。
アナログ的かもしれないが、インクの色や滲み、万年筆の醸し出す雰囲気は、相手とのキャッチボールの、最高のツールになればといつも願っている。
例えば、暑い夏の眩しい光が嬉しい。リズミカルでアルペジオのような雨の音が美しい。
ささいな喜びを感じる心は、感じようとする素直な心根だ。
万年筆で書くことは、ささやかな喜びではあるが、ささやかな連続だからこそ嬉しく楽しい。

いいものを持つというのは、ステイタスを所持することの満足ではないと思う。
いいものは、伝統という時間のなかで、人々に愛され、洗練されてきた所以があり、デザインと機能の両方を併せ持っている。
安いものをいくつも買って駄目にするよりも、始めからいいものを買って丹念に手入れしながら、長く使うことを選択したい。
それが結果的には、無駄遣いをしないコツだと思うし、人生をより心地よく生きるコツだと思う。

開高健のかつての茅ヶ崎の自宅は松林に囲まれ、遠く湘南の海を眺めることができた。
今は記念館となり、付近も住宅が立ち並んでいるが、瀟洒な建造物の庭に赴くと、往時を偲ばせる松林が点在する。
庭から書斎に入ることができ、広く重厚な文机の上には、亡きご主人のマイスター・シュテュックが孤独に耐えていた。





2013年6月24日(月)
「クライマックスを生きる」  清川診療所 所長 坪山明寛

セザンヌも絵筆投げよう四葩かな 明寛
冒頭から拙い俳句を披露してしまいした。私が表現したかったのは、この季節、雨に濡れた紫陽花の透き通る青の美しさです。
診療所に来るまでに、いくつもの紫陽花に出会います。珍しいのはピラミッド紫陽花です。
百枝を通る道で、垣根越しに豊かな花房を惜しげもなく見せてくれています。この花はアジサイと名前はありますが、ユキノシタ科で普通のアジサイとはちょっと血脈が異なるようです。

名は体を表すと言いますが、この花にはまさにうってつけの名前だと思います。
それまでは、アジサイのようだけど変な形だなとしか思っていませんでした。名前を知ると近しさを感じますし、大切に接しようという心地になります。
戦争で人を殺しあうのは、お互い相手の名前を知らないからではないでしょうか。名前を知る関係では、相手を敬うことこそすれ殺めることはできないでしょう。
路傍に咲く草花も名前を知ると近づき触り語りかけたくなります。
そう言う意味で、診療所勤務を始めた今の私の大仕事は、外来受診者の方々の名前を覚えることです。
そのためにも診察の合間や後に語り合うようにしています。このことでお一人お一人の生活、家族、生き方、性格を私の記憶中枢に刻もうとしています。
しかし1カ月半が過ぎようとしていますが、年のせいかなかなかまだ覚えきれません。頑張ろうと思います。
この診療所に来て思うことは、みんなお歳の割にお元気だと言うことです。
病はそれぞれにお持ちですが、お話しをすると、とにかく体を動かそうと言う意気込みが感じられるのです。
付き添いの家族の方が、「草取りはしないでといつも言うのですが、言うことをききません。先生から注意してください」と訴えられる方もいます。
確かにちょっと無理だなと言う時には、私も病状の説明をしながら「無理は止めましょう」と言います。
でも私は内心では動こうとされる方を尊敬しています。それは生きることは、動くことだと思っているからです。
体を動かす、頭を働かす、心を躍らせる、それが生きることだと思います。
今の自分に残されている能力を存分に動かすことが、まさに生きることでしょう。
患者さんが願う言葉があります。「ピンピンコロリ」です。なかなか事は上手くいきませんが、私はこの言葉の奥に、「寝たきりになりたくない!存分に動いて生き抜きたい、動くことこそ生きることだ」という叫びを聞きとります。

さて私は高齢期こそ人生のクライマックス(最も盛り上がる時)だと思います。
命の力は年齢とともに衰えていきます。しかし自分の人生への満足度は、年と共に高まっていくべきです。
人生はよくドラマに例えられます。ドラマの価値は最後の締めくくり方で決まります。
最終回の場面が良ければ、このドラマは素敵だったと思うし、終わり方が今一つだと、このドラマ見るんじゃなかったとなります。
私達の人生もそうでしょう。
その意味で、高齢期は自分の人生ドラマの最終章です。この時期に活き活き生きることが、子供や孫は勿論自分自身も拍手出来る人生ドラマになると思います。
さあ腰を伸ばし空を仰ぎ、手足口そして頭と心を、今の自分で動かせるだけ動かし、一日の終わりに快い疲れを覚え眠りにつきましょう。
最後に医師としてひと言、「決して無理はしないでください」ね。





2013年5月23日(木)
「今日と言う日は・・・」  清川診療所 所長 坪山明寛

診療所の坪山です。赴任してひと月になります。
診療所周辺の若葉の色も濃くなり、陽の光も一段と明るく強くなり、いよいよ夏、森羅万象ものみな力強さを増す季節となってきました。
私も診療所の雰囲気に馴れてきたところです。
訪れる方々が診察室に来られ「初めまして、よろしくお願いします」と、真心のこもった挨拶をしてくださいます。
私も「初めまして、坪山です。よろしくお願いします」とお返しの挨拶をします。
この挨拶のわずか数秒の間に、緊張がほぐれて行き、受診された方々の表情のこわばりが薄れて行くのを感じる時に、私は嬉しくなります。
それは「ああ この方が私を受け入れてくれている」と感じるからです。
医師は、患者さんと語り合える関係を築くことが最も大切だと考えてきました。
赴任する前は、この伝統ある診療所を汚してはならない、頑張らなきゃという張りつめた気持ちでした。
このひと月を経て、多くの方々と会話し診察して、ゆったりとした気持ちが心の中に湧いてくるのを感じています。

今、私は医師として働く喜びを感じています。と同時に、受診される皆様の明るさ、愉快さ、元気の良さ、一生懸命さに驚かされ感心させられています。
診察の前、前任の橋永先生の病気要約を読み年齢を見ます。そこには5~7個の病名が書かれ、年齢は80歳代が最も多いです。
ひと言で言えば、高齢者で多病の方が多いということになります。だとすると、毎日の生活は不自由で寂しいのでは・・・と思いました。
しかし、しかしです、全く違っていました。毎日草取りをしている、炊事も洗濯も、ゲートボール、グランドゴルフ、芝居見学を楽しみ、農作物はイノシシや鹿、タヌキに半分は喰われるけど頑張っている・・という言葉が、明るい口調で語られるのです。
デイケア「もみの木」の利用者も、不自由な体をおして、トレーニングにゲームに作品創作に取り組んでおられるのです。
何より嬉しいのは、笑顔が見られることです。
この笑顔のことですが、先月号の私の挨拶文を読まれたらしく「嘘笑いでもいいんだって」と話されるのを聞き、私は心の中で「いいんですよ、嘘笑いでも」と頷きました。

今回は「今日が人生で一番若い日である」という言葉をお贈りします。
5か月の嬰児、18歳の女学生、30歳の青年、88歳の米寿の人など全ての人にとって、人生と言う月日の中で、今日と言う日が一番若い日と言う意味です。
お年寄りの方々が診察で言われます「先生もう年だから」と。その後に続く気持ちは「もう年だからつまらない」ということなのでしょう。
ここでちょっと考えてみましょう。今日と言う日を「もう年だし先は短いし、役立たないし迷惑かけるだけだから、早く死んだ方がいい」として過ごすのか、「年はとったけど、私の人生はまだ終わっちゃいない、今日が一番若い日だ。何かすることないかな、何か始めてみよう」として過ごすのか、どちらが人生最後の時に「私の人生は良かった、悔いがない」として迎えられるでしょうか?
「今日が私の人生の中で一番若い日」と考えると、たとえ体が言うことを聞かなくても「何か始めて見よう!」と元気が出ると思います。
難しいことでなくてもいいのです、草取りも素晴らしい!俳句をひねるのも最高!お空の雲を相手に語るも素敵!孫に電話するも良し!どうぞ皆さん「今日が人生で一番若い日」と思いながら、朝を迎えてください。

診療所横の保育園から元気な笑い声が聞こえてきます。
私の帰り際には手を振ってくれます。
私の人生で一番若い日、幼子たちに手を振るという仕事ができ、今日という日を満ち足りた気持ちで帰ることが出来ます。





2013年5月21日(火)
「ベジ・ファースト」  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸

NHKの「ためしてガッテン」で、「野菜を先に食べるだけで、食べる量は変わらなくても痩せられる」という内容の放送(2011年5月18日)があった。
同じくNHKの朝のニュース(2013年5月21日)で、「ベジ・ファースト」(vegetable first)という話題を取り上げていた。
なんだ、これは同じことだった。そこで、過去の「ためしてガッテン」の記事を調べてみました。
以下、「ためしてガッテン」より引用です。

引用、始まり。

“今回ガッテンが挑んだのは、「老化を防ぎたい」という人類永遠の願い。
お肌のハリがなくなった、目がかすむようになった、足腰がめっきり弱くなった・・・誰しもに必ずやってくる様々な体の老化に、共通の原因物質があることが明らかに!
その物質を体内で増やさなければ、老化予防“アンチエイジング”が可能になるんです!
いつまでも若く元気でありたいと願うすべての人に!10年20年先も若さをキープするために!
科学が解き明かした超意外な老化のヒミツと、外見だけじゃない“本当の若さを保つ”ための、とっても簡単なワザをご紹介します!

■正体発見!老化物質「AGE」とは?
最近の研究から、全身のさまざまな老化に、なんとある共通の物質が関わっていることがわかってきました。
その名も「AGE」。AGEは、ある原因によって誰でも、お肌や、骨、目、血管など、全身のあちこちにたまってくるのです!
AGEがたまると、骨や血管がもろくなったり、皮膚の弾力性の低下や、視力の低下につながると考えられています。
つまり、AGEを増やさないことこそ、老化予防“アンチエイジング”になるのです!老化物質AGEとはいったい何なのでしょう?

■おいしさと老化の意外な関係
老化物質AGEは、なぜたまってしまうのか?その謎を解くカギを握るのは・・・
なんと、パンやお肉を焼くと、コンガリとキツネ色に色づき、おいしくなる化学反応。
これは「メイラード反応」と呼ばれ、「たんぱく質」+「糖」=茶色くなるという反応です。
この「おいしさの方程式」が、実は、人の「老化の方程式」でもあったのです。
人の体のたんぱく質と、食べ物から摂取する糖が、ジワジワと時間をかけて、「糖化」と呼ばれる反応を起こすのです。
この糖化によってできるのが、AGEだったのです。AGE=Advanced Glycation End-products(終末糖化産物)。

■コラーゲンの糖化=老化だった!
「糖化」の影響を受けやすいのは、コラーゲンなど代謝の遅いたんぱく質です。コラーゲンと聞くと、どんなイメージをお持ちでしょうか?
お肌に大事なもの?実はそれだけではないのです。コラーゲンは、体中の細胞と細胞をつなぐ接着剤のような役割を果たしており、いわば全身の細胞の土台です。
コラーゲンなくして、生き物は多くの細胞を支えることができません。
つまり、体中の細胞の間を埋めているコラーゲンが糖化され、茶色く劣化してしまうことは、全身の体の老化につながるのです。

■糖尿病は老化を加速する!?
糖化を加速する要因は、高血糖です。その最たるものは、糖尿病。これまで糖尿病は、こわい血管病であると、広く認識されてきました。
しかし、糖化という観点から見ると、それだけでなく実は「老化を加速する病気」とも言えるのです。
糖尿病でない人も注意したいのが、食後の高血糖です。
最近、空腹時血糖値が正常でも、食後の血糖値が高い糖尿病予備軍の人が増えています。
日頃から食後の血糖上昇に気をつけることが、慢性的な高血糖状態になることの予防につながります。
体の若さを守るためにも、高血糖には注意したいものです。
※血糖値を上げないために、食事の炭水化物の量を極端に減らすことは危険ですので、ご注意ください。

■糖化を防ぐ!食事のコツ
糖化をなるべく進めないことは、老化予防につながります。とはいえ、○○を食べてはいけない、△カロリーまでしか食べてはいけないなどと制限をしてしまうとストレスも大きく、長続きしません。
そこで今回ご紹介したのは、食後の血糖値の急上昇を抑える、ちょっとした食事のコツです。
みなさんは、カレーライスとサラダ、どちらを先に食べますか?ごはんを先に食べると、血糖値が一気に上がりやすくなります。
それに対し野菜などの食物繊維を先に食べると、腸での糖の吸収がゆっくりになり、血糖値の上昇もゆるやかになります。
糖化を予防する食事のコツは、「先に野菜を食べること」なのです!
実際に糖尿病患者さんの食事療法として、「食べる順番療法」を実践している病院では、血液中の糖化の指標値である、糖化ヘモグロビンの値(HbA1c)が大きく改善する効果も見られています。
さらに、先に野菜を食べることにより
(1)自然と野菜を食べる習慣がついたり
(2)自然とごはんが控えめになったりするため、
糖化予防はもちろんダイエットまでもが効果的に実践できると考えられています。

■今回のお役立ち情報
・今回番組で紹介した老化とは?
人の老化には様々な要因がありますが、最近の研究から、ある物質が、皮膚や骨、血管など全身の様々な組織の老化に深く関わっていることが明らかになってきました。
その物質の名前は、AGE(Advanced Glycation End-products;終末糖化産物)といい、体内で起こる「糖化」という反応によって作られる物質です。
AGEがたまることによって、皮膚の弾力が失われたり、血管や骨が硬くもろくなったりすることがわかってきています。
・糖化とは?
人の体の「たんぱく質」と、主に食べ物から摂取する「糖」が、ジワジワと時間をかけて反応します。
これが「糖化」あるいは「メイラード反応」と呼ばれる化学反応で、お肉やパンなど、たんぱく質と糖を含む食べ物を加熱したときに、こんがりと茶色く色づき香ばしい香りが生まれる反応と同じものと考えられています。
特にコラーゲンなど代謝の遅いたんぱく質では、この糖化の影響が残りやすいと考えられています。
・糖化を進める原因は?
私たち人間が食べ物から糖を摂取している以上、ある程度の糖化は避けられません。
ただ、より糖化を加速させてしまうのが、「高血糖」です。
糖尿病にならないようにすることはもちろんですが、糖尿病でない人も注意したいのが、食後の高血糖です。
最近、空腹時血糖値が正常でも食後の血糖値が高い、いわゆる糖尿病予備軍の人が増えています。
日頃から食後の血糖上昇に気をつけることが、慢性的な高血糖状態になることの予防につながります。
体の若さを守るためにも、高血糖には注意したいものです。
・糖化の予防法は?
番組では、食後の血糖値の急上昇を抑えるちょっとした食事のコツをご紹介しました。
それは、「先に野菜を食べること」。ごはんを先に食べると、血糖値が一気に上がりやすくなります。
それに対し野菜などの食物繊維を先に食べると、腸での糖の吸収がゆっくりになり、血糖値の上昇もゆるやかになります。
※血糖値を上げないために、食事の炭水化物の量を極端に減らすことは危険ですので、くれぐれもご注意ください。“
引用、終わり。

「アンチエイジングだ!肌ホネ血管一挙に若く保つ方法」 NHK「ためしてガッテン」。2011年05月18日放送記事より。





2013年5月16日(木)
「映画の台詞」  三重東クリニック 事務長 甲斐敏幸

外国人の洒落た会話には脱帽させられる。人を褒めることも直接的ではなく、比喩や対比を用い、心憎い言葉で賛美する。
この分野においては日本人は不得手だと思うし、学びたいと考えている。
以前、「きっと忘れない」という映画を見た。
ホームレスのサイモンと4人のハーバードの学生、とりわけモンティとの交流を描きながら、人生において何が大切なのかを描いていく。
ホイットマンがいかにアメリカに愛されたか、映画の中で彼の詩がスパイスとして香りを放っている。

<ハーバードの教室のシーン>
(100人くらいの学生の前で教授が講義している・・サイモンとモンティもいる)

教授:建国の父たちは女性も尊重して、建国の父と母たちは憲法を制定した。選挙で選ばれた王
   様が、専制君主となるのを防ぐためだ。これは成功したかな?ミスムーア、答えて。
ムーア:大統領は王ではありません。
教授:そうかね。合衆国大統領は、自分の一存で世界を破滅させられるかな。
ムーア:できます。
教授:できる?シーザーやナポレオンやヒトラーはできたか?
ムーア:その質問自体が間違ってるのでは?
教授:今日は厄日だ。学生に質問したら逆襲された。政府の回し者かな。座って。
   この質問に答えられる者はいないか?

・・・モンティとのやり取り(省略)・・・

教授:他に答えられる者はいないか?合衆国憲法の神髄は?君!君の意見は?
サイモン:ボク?
教授:クラスの学生かね?ゲスト?
サイモン:ルンペンです。
教授:いや正式には貧困に挑戦するものだ。
サイモン:浮浪者さ。ハーバード専属。
教授:推薦入学がもたらした輝かしい結果だ。
サイモン:先生、俺がいるのは残飯あさりの結果だ。
教授:残飯あさりに?
サイモン:大学は人間のクズだ。残飯の山だ。特にハーバードは。
教授:ウィットがある。ワイルドターキーを飲んだせいかな。ホームレスは声を大に慈善と援助を求める
   が、君たちが本当に望んでいるのは、酒に酔うことだ。
サイモン:へぼ講義を聞くより安酒を飲むほうがましだ。
教授:憲法修正21条で飲酒の権利が認められてる。

・・・(サイモンは階段を降りて席を外そうとする)・・・

サイモン:出口は?
教授:ハーバードでは教授に敬語を使う。
サイモン:どのドアから退場しますか、くされ教授。
教授:民主主義的修辞法だ。
サイモン:さっきの質問に答える。憲法の神髄は修正出来ることだ。固定されたルールではなく、国民
     の意志を自由に反映できる。
教授:人間の意志にたよると、憲法が不完全で欠陥だらけなものになる。
サイモン:欠陥?そうじゃない。建国の父母たちは農民だが偉大な人々だった。自分たちが無知である
     ことをよく知っていた。間違いを犯しても改める術を知ってた。指導者のおごりを持たず、
     王ではなく市民の政府を作った。教授たちの政府でもない。政府は変化するものだ。大統領
     は爆弾を投下できても、選ばれた王じゃない。だから信じるな、彼は国民のしもべに過ぎない。
     ルンペンと同じさ。浮浪者だ。だがその使命は重い。自由と正義だ。

(教授・・沈黙。学生たちの大きな拍手の中、サイモンは教室を退出する)

<死の床のサイモンに向かって学生4人が朗読するシーン>
・・・ホイットマンの詩集を朗読する・・・

”わたしは老人であり若者、賢者であり愚者である
他人に関心を持ち 無頓着
父親であり 母親 大人であり 子供である
粗末な材質と 良質の材質で できてる
数多い国家の中で 最も小さく 最も大きい国
わたしは太陽に向かって 白い髪を揺さぶる
肉体を流れに変えて 押し流す
発芽するように 自分を土に寄贈する
わたしに用があれば 長靴の底で捜せ
わたしが何者か 分かるまい
だがそれは どうでもいい
わたしは君の血を 清める
わたしが不在でも 失望するな
ほかの場所を捜せ そこで君を待ってる“





2013年4月26日(金)
「就任のご挨拶」  清川診療所 所長 坪山明寛

清川診療所を囲む里山も、山笑うにふさわしい新緑の季節を迎えております。
私は、5 月から清川診療所に勤務することになりました坪山と申します。よろしくお願い致します。
故郷は鹿児島です。昭和 59年に大分県立三重病院に赴任し、統合後の豊後大野市民病院勤務と、足掛け大分在住 29年間となり、故郷より大分での生活が長くなりました。
清川診療所は、私にとり思い出多き場所であります。それは診療所初代所長の竹田津先生との縁が、私が自治医大から大分に来て地域医療に従事する契機であること、県立三重病院勤務の際、幾度か診療所に代診に来たことがあるからです。
清川診療所は、無医村となった清川村に先人たちの努力で開設され、開院当初は大分の地域医療のシンボルでもありました。
竹田津先生、佐藤先生と引き継がれ、第八代の軸丸先生まで自治医大卒業医師が守ってきた診療所であります。
診療所は、いっとき自治医大卒業医師とは縁遠くなっていましたが、社会医療法人関愛会長松理事長の熱意により引き継がれました。
この度、私が地域医療に従事する原点となった、自治医大と関わりの深い診療所に勤務することになり、絆を強く感じ嬉しく思っています。
清川診療所が、清川町の医療・保健・福祉の支えとなるべく、微々たる力ではありますが、歩いて行きたいと思います。
まずは安全で良質な医療の提供、患者さまに分かりやすい説明と言うことに留意して、職員ともども日々の診療を行っていきます。
診療所の診療機能には限界がありますので、背伸びすることなく、患者様の一人ひとりに寄り添い耳を傾け、体の不調は勿論心の悩みにも対応してまいります。
ひと言でいうなれば、「語りあう診療」を行っていきます。
併設の「きよかわリハビリテーションセンターもみの木」と「きよかわ介護サポートセンター三つ葉」では、心身の健やかさを取り戻し、高齢期を生きがいを持って生活できるように支援していきます。
私の考える健康とは、たとえ心身に不具合があっても、今を生きていることに幸せと満足と豊かさを感じられれば、健康と叫んでいいと思っています。
「早く迎えがこないかなあ」と考えている人こそ不健康です。
「一日一笑」、笑いは心身の健康の象徴です。
一日を終え寝る時に、「今日一日笑ったかな」と問いかけて欲しい。一回でも笑っていたら健康に過ごしたと思って眠りについてください。
明日もきっとさわやかに目が覚めるでしょう。もし一日全く笑いがなかったら、そのまま眠ってはいけません。
どうするか?寝る前に歯磨を終え、鏡に写る自分の顔を見つめて、「うん、いい顔だ」と呟きながらにっこり笑ってから眠ってください。
たとえ嘘笑いでも結構です。笑いは心身の健康の源です。
とまあ、いろいろ書きましたが、これから皆様を知り清川を知り、ゆっくりと診療を始めていきたいと思います。
清川診療所を、皆様と一緒になって育てていきますので、ご意見やご希望をお寄せくだされば幸甚です。
最後になりましたが、皆さま方に清川診療所の運営へのご協力をお願いして、就任のご挨拶といたします。




2013年4月8日(月)
「豊葦原の瑞穂の国」  事務長 甲斐敏幸

学生時代に、本の好きな友人がいた。
有名作家、無名作家、ジャンルを問わず紹介された。
講義をサボって、喫茶店でよく話をした。
そういう会話の中から、2人で奈良に行こうということになった。
何故奈良なのか。漠然としているが、京都は平安、奈良は万葉ということで一致し、万葉を選択した。
クリスマスの日に東京を出発した。
先ずは、京都の修学院の友人の下宿に上がり込み、酒を飲んでごろ寝した。
寒さで眠れなかった。
12月の京都は底冷えがし、観光客も少ない。
大原の里は、竹林越しに白い景色が広がっていた。
二日目の宿は、御所近くに住んでいる叔父に電話をし、突然泊めてもらった。
菓子箱一つ持参しただけだが、ご馳走してくれた。
学生の僕たちは、たくさん食べた。
翌朝、奈良に向かった。
「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕間暮れ・・・」
長谷寺は桜井市にある。長い階段と赤い鳥居が幾重にも並ぶ。
「いくたびも参る心ははつせでら山も誓いも深き谷川」、花山法皇の詠んだ歌だ。
奈良のお寺は京都と違い、電車で移動し、それも結構離れているので、旅の風情は満点だ。
女人高野室生寺に行き、五重塔を見たが、参拝客はいない。
ただ、寒いだけだった。
麓の旅館に泊まり、飲みながら歌を歌った。
彼は声質がよく、歌がうまい。娘はソプラノ歌手で、時々コンサートを開いているそうだ。
「赤く咲く花、青い花、この世に咲く花、数々あれど・・・」
妙に印象に残っている。演歌もいい。

2人は、大和言葉に憧れ、京都・奈良を旅し、遠い大和のまほろばの栄華に浸った。
その頃読んだ詩人で、那珂太郎のフレーズが、すっと胸に入ってきた。

「凪ぐ海のうれひの靡く藻のもだえの
なだれる波のなげきの白いしぶきの
無の泡だつ網の目の永遠の絵模様の
無限のむらさきのむらさめの絃琴の
沙のさみしさの雪の花火のいのちの
うつせみのうなじのふるへる富士の
透明の塔の遠さのはての白鳥の羽の
羞らひのくれなゐの夕雲の夢の行方」

音楽「作品B」 那珂太郎

日本の美しさ、日本人の心の穏やかさ。
修辞を多用するが、絵画的な情景が目に浮かぶ。

日本人はいつから国旗を捨てたのだろう。
いつから国家に誇りを無くしたのだろう。
偏執的ではなく、ただ普通の日本人として、日本を愛し続けていきたいのに。



2013年2月7日(木)
「卒業写真」・「風の彼方」 YouTubeにアップしました!   甲斐敏幸・菅亮一
昨年の秋、きよかわ福祉祭りの余興として、神楽会館で演奏をしました。
その前に自宅ガレージで練習をし、第1回目に録画したものです。
稚拙な演奏ですが、二人にとっては思い出のシーンです。
お祭りのステージでは、かなりの緊張をしました。もう、ステージから逃げたくなりましたが、逃げられずにいました。(笑)
「Fly me to the moon」、「夜空ノムコウ」、「風の彼方」、「卒業写真」の4曲を演奏しましたが、ピンと張り詰めた緊張感と大きな心地良い音色が快感となりました。
出演するのは、些か向こう見ずの意識だったのですが、時にはこんな経験も面白いと思いました。
200人の観客は、ノリもよくて、大きな拍手をいただきました。

先ず、荒井由実が歌った「卒業写真」をジャズ風にアレンジしています。



次は、押尾コータローが作曲し、演奏した「風の彼方」です。NHKの南極番組のテーマ曲でした。
ソロは、菅亮一です。




2013年1月24日(木)
「ゴスペル」   事務長 甲斐敏幸

クリスマスは過ぎてしまったが、ゴスペルソングが大好きで、学生時代に教会に通って聖歌隊(ゴスペルクワイア)の歌をよく聴いた。
教会には清らかな空気が流れているようで、そういう雰囲気にも惹かれた。
寺院や神社では喜捨するのは当たり前なのだが、理屈では分かっていても、教会で献金箱が回ってくるという行為に生理的な嫌悪を感じた。
貧乏学生の自分は、20円を献金することさえ躊躇した。
ゴスペルは壮麗で端麗であり、気高さ、喜び、悲しみ、許し、すべての情動を織り混ぜながら、ストレートに表現する。
アフリカから奴隷として、あるいは移民してきた黒人たちは、生活の思いを歌に込めていた。
世界には数多の民族が存在し、例えば和音階、沖縄音階、ハワイ音階などそれぞれの民族特有の音で曲が作られている。
ゴスペルも宗教と言う枠の中で進化し、さらに逸脱、拡がりながら民衆の心を捉えてきたようだ。
虐げられた人々のどうしようもない悲しみ、言い換えれば慟哭とでも表現できようか。
ブルース・ギターの歌うような弾き方は、言葉以上に心に響いてくる。

以前、知人の教会に行き、妻と二人でクリスマスイブの夜を楽しんだことがある。
寺院や神社に流れる空気とは違った静謐さが漂い、集まった方々の笑顔と歌の温かさが印象的だった。ゴスペルは、ひとときの幸せを人の心に運ぶ。リフレインする単調な人生に、喜びのスパイスを与える。
医療でも何でも、人が喜ぶことが即ち喜び。無機質なモノではなく、心を喜ばすのは心でしょう。
人は善性であると思う。善で接すると心は弛緩する。
無責任な褒めそやしに終始するのではなく、労りの叱責と熟考された展望が彼に届けば・・
そして、巡り巡った挙句の許しとの邂逅は、周りを同化していく。
よき理解者でありたい。時には守護者でありたい。
誰もが素晴らしい人であり、その個性の素晴らしさをどう組織に生かしてゆくか。

近頃の若いものは、とかいう言葉をよく聞くが、人はそんなに変化するものではない。
人は善性の塊である。そう考えたい。しかし、時として踏み誤ることもあり得る。チェックは常に必要だ。
仕事においても正義でありたい。スタンダードは、使い古された正義。それでいいのではないかと思っている。
「知恵の悲しみ」という言葉がある。かつて美味しく食べていたものが、美味しく感じられなくなる。転じて、年を重ねることで経験や知恵がつき、知ってしまったことで、心を躍らせたことがいつの間にか輝きを失っていくということだ。
輝きを失ったから、価値が無いのではない。失われ、通り過ぎてしまったが、それはかつて自分にとって輝いていたものであるのは確かなことだ。
順序があるように、歴史があるように、人にも段階が存在する。
どんな人にも、ゴスペルの歌のように、苦しみ、喜びが訪れ、だからこそ、その人は輝きを増していく。
これからも、心と心のふれあいの場を作り続け、患者様、利用者様の気持ちを少しでも汲み取りながら、本人や周りのご家族の幸せが続くように願う。










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