三重東クリニック


last up date
2019/11/19
   

since Sep.2010


診療受付
月〜土曜
(水・土は午前)

午前
内科・小児科
8:30〜12:00

午後
内科
13:30〜17:00
小児科
15:00〜18:30

休診日 日曜・祝日・年末年始

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■社会医療法人
 関愛会

■関愛会 清川診療所


<検査情報>
下記の検査が出来ます。
血液検査など、当日に検査結果をご説明できる検査が多いので、スタッフにご相談ください。

  • MRI検査
  • ヘリカルCT検査
  • 骨密度検査
  • エコー検査
  • 睡眠時無呼吸症候群検査(SAS)
  • 胃内視鏡検査
  • 大腸内視鏡検査
  • ホルター検査(24時間心電図)
  • 頸動脈エコー、血圧脈波検査
  • 各種血液検査
  • その他
     各種予防接種、禁煙外来、もの忘れ外来、肺機能検査、心電図検査、便潜血検査

    〒879-7104
    豊後大野市三重町小坂4109-61
    TEL 0974-22-6333
    FAX 0974-22-6341

    統括管理者・院長
    内科
    宇都宮 健志
    副院長
    内科
    飯尾 文昭
    副院長
    小児科
    別府 幹庸

    清川診療所
    院長
    内科
    坪山明寛
    (火曜午後・水曜午前)

    関連施設
    清川診療所
    きよかわリハビリテーションセンター もみの木
    きよかわ介護サポートセンター 三つ葉

  •  



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    スタッフからひと言

    「全国でインフルエンザ流行期入り、昨年より1ヵ月早く」
    厚生労働省は15日、全国的なインフルエンザの流行シーズンに入ったと発表した。前年比で4週間早いシーズン入りで、現在の統計法で調査を始めた1999年以降では2番目に早い。
    国立感染症研究所が15日付でまとめた、2019年第45週(11月4~10日)の感染症発生動向調査において、インフルエンザの定点当たり報告数が1.03(定点数:全国約5,000 ヵ所、報告数:5,084)となり、流行開始の目安となる1.00を上回った。
    都道府県別では、報告数が多い順に、沖縄県(4.45)、鹿児島県(2.66)、青森県(2.48)、長崎県(2.31)、福岡県(2.03)、北海道(2.00)、熊本県(1.80)、広島県(1.73)、新潟県(1.61)、佐賀県(1.33)、岩手県(1.32)、宮崎県(1.31)、福島県(1.16)、茨城県(1.13)、東京都・神奈川県・静岡県(1.11)、石川県(1.00)。 ウイルスの検出状況をみると、直近5週間(2019年第41~45週)では、AH1pdm09(98%)、AH3亜型(1%)、 B型(1%)の順で、09年に流行した新型インフルエンザと同型が大半を占めている。
     〜CareNetより〜



    お知らせ

  • インフルエンザ予防接種をしています。

  • プレミアム付商品券が使用できます。(三重東クリニック、清川診療所)
     使用期間は令和1年10月1日より、令和2年3月1日まで。

  • <検査情報>
     血液検査など、当日に検査結果をご説明できる検査が多いので、スタッフにご相談ください。
     MRI検査、ヘリカルCT検査、骨密度検査、エコー検査、睡眠時無呼吸症候群検査(SAS)、胃内視鏡検査、大腸内視鏡検査、
     ホルター検査(24時間心電図)、頸動脈エコー、血圧脈波検査、各種血液検査、その他、
     各種予防接種、禁煙外来、もの忘れ外来、肺機能検査、心電図検査、便潜血検査

  • 小児科での受診はWEB予約をお願いいたします。
     予防接種の際は必ず「母子手帳」をご持参ください。


  • 清川診療所は坪山明寛医師が月曜日から金曜日まで診療いたしますが、火曜の午後と水曜日の午前は三重東クリニックで診療(完全予約)いたします。

  • 小児科 予約システムで、携帯電話やパソコンから診察の順番取りができます。
    「小児科の待ち時間について(お知らせ)」 (pdf) です。ご一読ください。
    ここからお入りください。→小児科自動順番予約システムへ

  • 予防接種等自費料金(接種名称・料金・ワクチン名)。予約制です。

    接種名称 料金ワクチン名
    🍒インフルエンザ 1回目 3,600円インフルエンザワクチン
    🍒 2回目 2,600円(小児)
    🌿おたふくかぜワクチン 5,500円
    🌱水痘ワクチン 7,100円
    🍒麻疹風疹混合ワクチン 9,800円MRワクチン
    🌴子宮頸がんワクチン(二価)16,200円サーバリックス
    🌵子宮頸がんワクチン(四価)16,200円ガーダシル
    🍓肺炎球菌ワクチン(十三価)10,300円プレベナー
    🍏ヒブワクチン7,800円アクトヒブ
    🍑肺炎球菌ワクチン(二十三価)8,300円ニューモバックス
    🌷二種混合ワクチン4,700円DTビック
    🌸日本脳炎ワクチン6,800円
    🌼BCGワクチン6,500円
    🌺ロタウィルスワクチン(1価)13,400円ロタリックス
    🌈ロタウィルスワクチン(5価)8,500円ロタテック
    🌿B型肝炎ワクチン(0.25ml)5,000円ビームゲン
    🌱B型肝炎ワクチン(0.5ml)5,000円ヘプタバックス
    🍒A型肝炎ワクチン7,000円エームゲン
    🌴不活化ポリオワクチン8,300円
    🍓四種混合ワクチン10,300円
    🍏血液型検査(自費)2,200円


  • 健康診断、特定健診を実施しています。
     法定健康診断 Aコース 7,000円(消費税込) 35歳、および40歳以上の方が対象となります。
     法定健康診断 Bコース 4,000円(消費税込) 34歳以下、および36歳〜39歳の方が対象となります。
     予約が必要ですので、ご連絡ください。


    ■スタッフからひと言(過去の記事です)
    2019年/ 2018年


    ■甲斐ジムチョーの読書日記


    ■患者さまからの声


    ■スタッフのエッセイ集です
    過去記事: /2018年(13篇) /2017年(17篇) /2016年(18篇) /2015年(17篇) /2014年(19篇) /2013年(17篇) /2010年〜2012年(41篇)

    ■「隣家の灯り」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.10.28
    ■「自由が必要だ!」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.9.27
    ■「身体も物を言う」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.9.4
    ■「今なお梅雨空の心地」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.7.27
    ■「刻印された呻き」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.6.27
    ■「膝の重み」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.5.27
    ■「医の道の道標」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.4.22
    ■「大切に歩みなさい」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.3.25
    ■「103歳の心音」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.2.25
    ■「己亥に思う」清川診療所 所長 坪山明寛 2019.1.24







    2019年10月28日(月)
    「隣家の灯り」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     「隣の家に灯りが見えると安心する」こう呟いたのは、独居ながら気丈に日々を過ごしている86歳の媼(おうな)だった。私よりひと回り年配であり、診療の合間の語りに学ぶことがたびたびある。先日は水害の被災者の辛苦に心を寄せているうちに、苦労ということからお互いの子供の頃が話題になった。
     この方の12歳頃は、多忙な両親を助けて弟や妹の世話や弁当造りをしていて、お小遣いなんて貰えなかったと話した。お小遣いには私も思い出があった。4,5歳頃、U字型磁石につけた紐を腰に巻き付け、雨に洗われた未舗装の道を数人で歩き回り、磁石にくっついた針金や鉄屑を屑鉄屋に持って行きお金に換えお小遣いにしていた。一番高価なのは、戦後復興期の架線工事が盛んな頃だったので、工事中の電信柱の上から落ちてきた屑の銅線(当時は赤がねと言っていた)だった。この方は「こんな苦労を経験している私達は、どんな災害でも生きぬけるな」と若い看護師をみてニコッとした。
     災害といえば、今回の千曲川氾濫には驚いた。18歳頃の私は島崎藤村の「破戒」や詩集を読み“まだあげ初めし前髪の 林檎(りんご)のもとに見えしとき・・”などと愛唱していたので、夏休みに小諸城懐古園を訪れ、眼下の千曲川を見ながら、藤村の「千曲川旅情」の詩碑の“小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なす繁縷(はこべ)は萌えず 若草も籍(し)くによしなし・・”を朗読した。その時見た千曲川は、川面が輝き静かに流れていたので、今回の暴れ川に変じた姿をみて驚き、やるせない気持ちになった。
     そんなことを思い出しつつ媼と会話を紡いでいた時に、先ほどの「隣の家に灯りが見えると安心する」の言葉が漏れてきたのだ。
     どういうことかと尋ねると「夜になり辺りが暗くなった時に、隣の家に灯りが点るとホッとして寂しさも不安も和らぎ、安心感がじわーっと体中に広がる」と語ったのだ。この安心感には、灯りが点ったことで隣人も恙(つつが)ないのだとの安心感も含まれていた。
     独居の身を隣近所、故郷の支えを得て生き抜いていることへの感謝がこもり、この方の深い愛郷心を感じた。愛郷心と言えば、この方はスポーツ観戦も好きで、以前は広島カープのフアンだったが、今はソフトバンクとのこと。変えた理由は、「ソフトバンクは故郷のチームだから」だった。私が「えっソフトバンクは福岡では」と聞くと、「何が~、九州、九州でしょう、故郷のチームだよ」と平然と応じたのには唖然とした。野球のついでにラグビーの話になった。媼もこれまで見たことは勿論ルールも知らないが、あの肉弾戦(タックル、スクラム)にはしびれたらしい。顔がいきいきとし手振り身振りも加わり、86歳とは思えない話しぶりになった。
     私もラグビーは、あまり見ないほうだったが、妻と二人で大分市にオープンした祝祭の広場やテレビで手に汗握り鑑賞した。ルールが分かった方が楽しめると思い、ノックオン、オフロードパス、フランカー、ジャッカル等、にわか勉強もした。
     今回ラグビーの試合を見て、ラグビー精神の”ONE FOR ALL, ALL FOR ONE(一人は皆のために 皆は一人のために) ““NO SIDE(試合終了、敵味方なし)””ONE TEAM(チームは一つ)”には感銘を受けた。この心構えは人生の歩み方の上で大切な、否!根本的な心柱でもある思った。
     媼の呟いた「隣の家に灯りが見えると安心する」は、故郷で隣人同士尊敬し合い切磋琢磨し、助け合いながらONE TEAM(ひと家族)として生きてきたという、ラグビー精神が込められていて、ストンと心に落ちるものがあった。
    この日は、これからも病む人に敬意を払い人生を共に歩むONE TEAMとして、診療所が「隣家の灯り」となるよう務めることの大切さを学んだ、媼との意味深い診察日になった。




    2019年9月27日(金)
    「自由が必要だ」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     診察室の椅子に座った途端「あ~あ」と大きな溜息をついた齢90の翁がいた。
      ため息に尚生きる意志秋の虹 明寛
     溜息の後、翁は「私には自由が必要だ」と呻くように叫んだ。この溜息に私は“自由を奪われた切なさ”を感じてやるせなかった。
     医者は病む人の苦痛を和らげる慰者(いしゃ)でもあるので、叫ぶ翁を抱きしめたかったが、肩をさするだけにした。
     叫びの事情はこうだった。翁は独居で、視力も弱り運転も家族から禁止され、外出の自由も奪われた。様々な面から独居困難となり、施設入所を余儀なくされた。施設の規則は、自由に生きてきた老い人の心の自由をも縛った。だから叫ぶ「部屋に閉じこもりテレビを観ていることなど、もっての外。そんなことをしていたら、人間が堕落する!あ~あ」と。正論だ。翁の溜息の訳には夢の断念もあった。「燃料不要で永久に回転するモーター」、所謂「永久機関」発明が翁の夢で、24時間研究に没頭していた。診察の後は、必ず発電の仕組、回路や備品など微に入り細に入り進捗状況を熱弁した。実は科学の法則に基づき「永久機関」開発は不可能と証明されていた。でも私には、そのことを翁に告げられなかった。
     どうして?だって「永久機関」開発は、この翁の夢であり生き甲斐だから。夢や生き甲斐を奪うなんて、私にはできなかった。
     だが入所により、「永久機関」開発の夢と生き甲斐と自由と喜びは、いともた易く剥奪された。私は、翁はこんな環境には耐えられないのではと不安視していた。予感的中!
    翁は入所数日にして、自発的に退所した。しかし自宅生活はすぐに破綻した。食事の失敗で体調を壊し独居困難、再入所、部屋に閉じこもりテレビを観るだけの、本人曰く、人間堕落の再入所生活となってしまったのだ。
     以上が、“あ~あ”の溜息と“私には自由が必要だ”の叫びとなった経緯だ。
    私は翁の生き様に、“分け入っても分け入っても青い山”など、自由律俳句の放浪俳人種田山頭火の匂いを感じ、ちょっと面白い、ちょっと不思議、ちょっと切ない人物像に惹かれる気持ちもあった。できれば「永久機関」の開発に生涯を捧げさせてあげたかった。だから翁の“あ~あ、私には自由が必要だ”の叫びは身につまされた。そして老いの生き方について考えさせられた。
     老いの生き方には、自立と自律が立ちはだかる。自立は自分のことは自分でできる事で、自律は自分のことは自分で決めることだろう。老いると身体的能力低下ゆえに、自立が困難になり、誰かの世話を受けることを余儀なくされる。しかし自律は自分の心、あるいは思考の領域であり、誰にも邪魔されない、誰にも奪われない自分の専有世界だ。
     老いても自律を堅持できていれば、人の世話になり自立ができなくても嘆くことはないと思う。渡辺和子さんが「置かれた場所で咲くも咲かないも、どのように咲くのかも、自分次第」と述べ、篠田桃紅さんの「自分の心が自分の道をつくる」の言葉は、自立より自律の優越性を示唆している。他者の支えを受けても自律心を失わず生きていくことも、自立した生き方と割り切ることが、老いの境地を歩む術だと考える。宇野千代さんの言葉に「老いを自然に受け止め、足らないところはまわりの人達の助けを借りて、素直な気持ちで生活することも、自分らしい生き方だと思っている」がある。私は、さらりと老いと向き合うこの姿勢が好きだ。自由自立が失われても、季節の移ろいを自分で感じ自分で楽しみ、用意された食事を自分の意志で食べ、日々生きていると実感できていれば、自律できている姿だと思う。令和元年敬老の日、愛すべき翁の入所生活が愉快になるように、これからも翁の夢である「永久機関」の話に、一生懸命耳を傾けようと決意したのだった。




    2019年9月4日(水)
    「身体も物を言う」 清川診療所 所長 坪山明寛

     “おっ還ってきたな”と呟いた。8月下旬の朝、通勤の途上、視界の中に銀輪が見えた。そう高校生の通学の銀輪が並んでいた。ある者は力強く先を急ぎ、ある者はゆっくりペダルを踏み、友人と何やら楽しそうに談笑していた。夏休みが終わり二学期の始まりだ。
      通学路銀輪ならび夏終わる 明寛
     夏休みと言えば、お盆帰省ラッシュでもある。私は母親が亡くなってから帰省は正月になった。夏休みには、遠方の子や孫が帰省するので、家族全員我が家に集まるのがお盆行事になった。
     今年も8月11日、孫6名を含む総勢14名が集まった。大人は食事とお酒でワイワイ尽きない会話を楽しんでいた。孫達を退屈させないのが、祖父の私の役割となっている。  今年もビンゴゲームになぞなぞ遊び、迷路に点つなぎなどを準備した。2歳児から小学3年生までの年齢に合わせて、景品や問題を準備するのは、大変でもあり楽しみである。
    遊びに夢中になっている孫を眺めるだけでも愉快だが、時々助けを求めてきた時に「どれどれ」と教えてあげるのは、鼻高々とまでは言わないが何となく嬉しい。しかし座学だけでは子供の欲求は満たされない。そんな時、親が「パプリカ」を踊ってジイジ、バアバに見せたらと声をかけた。幼稚園児と小学生が立ち上がり、スマホで流した音楽に合わせて踊りだした。
    “曲りくねり はしゃいだ道
    青葉の森で駆け回る 遊び回り 日差しの町
    誰かが呼んでいる・・・
    パプリカ 花が咲いたら晴れた空に種をまこう
    ハレルヤ 夢を描いたなら 心遊ばせ あなたにとどけ”
     孫達は手を挙げ腰をひねり、楽しそうに踊った。パプリカは、NHK提供の「2020年とその先の未来に向かって頑張っているすべての人に贈る応援ソング」だ。カラフルなパプリカらしく夢を抱かさせる歌詞だが、ダンスもリズミカルで、子供だけなく大人にも大流行らしい。孫達のダンスは、少したどたどしさもあったが、“一番星”のクロスの力強さ、“あなたにとどけ”の心のこもった感じがしっかりと表現され、立派な応援になっていた。
     「はじめに言葉ありき」(ヨハネの福音書)という一節は、広く知られている。聖書での「言葉」は神を表すが、人が自分を表現する手段の第一は言葉だろう。
    私も病む人の状態把握手段として言葉を大事にしている。それは「平静の心」(ウイリアム・オスラー著)の中に“患者さんの発する言葉は勿論、患者さんの発する身体所見や事象に耳を傾けよ。患者さんは、あなたに「診断」の手がかりを発している”との一節を読んだ時から肝に銘じている。それ故、医療者は「言葉の図書館」持つべきが、私の信条のひとつにもなっている。
     だが意思疎通、自己表現法には言葉だけでなく、非言語的表現(色彩・まなざし・ふるまい・触れ合い・姿勢・手の温度・間合いなど)方法もある。孫達の「パプリカダンス」は、歌詞は分からなくても手の動き、眼差し、腰のひねりなど身体の動きに、「優しさ、励まし、願い、慰め・・」などが立派に表現され、正に身体が物を言っていた。
     「身体が物を言う」と言えば、「黒書院の六兵衛」(浅田次郎著)を思い出す。旗本六兵衛が大政奉還後の江戸城に、10カ月端正な姿で一言も話さず居座り、江戸城入城の天皇に真向かい一礼して去る。去る時にひと言「物言えばきりがない。しからば、身体に物を言わせるのみ」と言った。六兵衛の沈黙の居座りは、260年間続いた平和は、「武士は食わねど高楊枝」の高い精神性がもたらしたことを、次世代に伝え引き継ぐためであり、そのためには説明より端正な座り姿という身体での表現が最善だったのだ。
     診察室でも病む人の表情、素振り等の身体表現を見逃さぬよう注意深くありたい。




    2019年7月27日(土)
    「今なお梅雨空の心地」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     7月25日、ひと月余り続いた梅雨もやっと梅雨明け宣言を迎えた。空の青がシャワーのようにふりそそぎ、縮こまっていた稲たちも日差しを受け、一斉に背伸びをして、“さあ、分蘖(ぶんげつ)に精出そう”とばかりに武者振るいしている。 
       梅雨明けや碧きシャワーに浸りおり 明寛
    いつもなら、私も心も晴れやかという気分ですが、今年は今なお心は梅雨空の心地だ。
     皆さまご存知のように、清川診療所・もみの木の2施設は、来年令和2年の夏を目途に、清川の地での仕事を終了し、三重町にある三重東クリニックへ移転統合することになりました。このため多くの方々に不安を与えることが重く心にのしかかり、梅雨明けの碧天(あおぞら)の心地になりきれないのだ。
     私が豊後大野市民病院を退職し、清川診療所で働き始めたのが、6年前の平成25年5月だった。栃木県自治医大から大分に赴任し地域医療に従事し始めたのは、初代所長竹田津先生との縁だったので、清川診療所にはひとしお思いがあった。
     診療所は自治医大卒医師が8代に渡り守ってきたが、紆余曲折があり診療所閉鎖の危機に見舞われた。この時診療所を守るべく立ちあがったのが、現在診療所運営母体の社会医療法人関愛会会長の長松先生だ。先生も自治医大卒であり、自治医大建学精神「地域住民の福祉の向上を図ることを使命とする」の立場から、平成23年4月経営的には厳しい環境の中、豊後大野市から診療所の引継ぎを決断した。私の退職時に診療所勤務を誘ったのが長松先生だった。先生の地域医療死守の熱意に強く感銘し、平成25年5月新しき仕事場と決めた。その時はここが医師として最後の仕事場と考えていた。
     私にとっては初めての診療所勤務で、高齢のひとり医師という不安があったが、診療所の限界をわきまえ、「安全な医療」「説明する医療」「心身を包括して診る医療」を肝に銘じて診察室に座ってきた。それから6年余、総勢959名の方々の問診聴診をし、寂しいことだが33名の方とお別れをしてきた。
     この診療所勤務6年間は、医師になって46年間の中で最も医師らしく生きて来られたと思っている。それは私の信念である「医療の原点は癒やすこと」を、皆さんと語りあい楽しく気持ちよくやってこられたからだ。
     しかし現実は現実だ。6年間を病院運営の面で凝視分析すると、厳しい経営状況が続いていた。私としては、へき地医療を守る信念は持っていたつもりだが、力不足ゆえに十分な医療サービスができなかったことや人口減少などから、経営状況が民間組織である私共の法人としては看過できなくなってきた。
    医療は、過疎地でも都会でも公平に機会を与えられるべきと考える。しかし経営的基盤の安定なしには理念も吹き飛んでしまう。
     今回の診療所移転という決定は、地域貢献を理念に掲げる当法人として断腸の思いであり、私個人としても皆様に不安と心配をおかけすることとなり、心苦しさと申し訳なさで胸が詰まる思いです。
     今後は、現在ご利用いただいている方々(診療所・もみの木)の健康状態に支障の生じないように、十分にご希望をお聞きして対応していくことが、私共の責務と考えております。どうぞご遠慮なくご意見ご希望をお聞かせください。
     この記事を書き終えるにあたり、あらためてこのような事態を招き、皆様方にご苦労をおかけすることになりましたことを、心からお詫び申し上げますと同時にご理解を頂くことをお願い申し上げます。
     なお今回の決定について、8月27日(火)18時より神楽会館において、当法人理事長の説明会が開催されますのでご出席ください。よろしくお願い致します。



    2019年6月27日(木)
    「刻印された呻き」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     遅れている梅雨、でも始まった田植え。水鏡が幾枚も並び、まほろば瑞穂の国らしき涼やかな風の匂いを感じられる通勤の朝がある。
      あまたして風招きたる早苗かな 明寛
     診療所にも夏到来、患者さんの服装も軽くなり、幾分か診察がスムーズになった。清川診療所受診者は、長寿の女性が男性より約2倍多い。花瓶の紫陽花の清涼さの前で、媼(おうな)達から”呻き“が漏れることがある。”ご主人はお元気ですか“と尋ねると、表情が凍り眉間に皺が寄り「苦労させられた」「腹が立つ」などの言葉が、粘っこく出てくるのだ。亡くなったご主人のこともあるので、しばらく聞いた後、私が「ほら 『千の風になって』の歌詞にもあるように、魂は千の風になって大空を吹き渡っているのだから、ご主人の魂は、この診察室で今の話を聞いているよ」と、話の腰を折ろうとすると、「先生はどっちの味方な」と突っ込みが入る。私は公平な立場なので、亡き人に鞭打つ気分ではなく、また目の前にいる方を咎める権利は勿論ない。それで「大変だったんですね・・」と言いながら、媼の肩をさするのが関の山だ。こんなことで呻きの源が解きほぐれるとは思わないが、人の手の温もりは、薬や言葉より良いような気がしている私がそうさせた。
     呻きと言えば、沖縄の呻きも耳底にへばりついている。この文章を書いている6月23日は、沖縄慰霊の日だ。先の天皇皇后陛下に倣って、沖縄に心を寄せておきたく、TV中継を観ながら慰霊祭に参加した。
     毎年慰霊祭で心待ちしている平和の詩は、今年は山内玲奈ちゃん(小6年)の「本当の幸せ」だった。詩のなかに“家族と友達と笑い合える毎日こそが/本当の幸せだ/未来に夢を持つことこそが/最高の幸せだ/”の一節があった。「平穏な普通の日常こそ幸せ」との思いは、東日本大震災の惨状を目にした時に確かめた思いに通じる。「済んだことだ」「後悔先に立たず」と、過去を引きずることを戒める諺がある。しかし過去を引きずるのが人間であり、大切なこともある。亡き人を偲ぶことも、過去を引きずることだが、ある意味では今を共に生きる力を得る事でもある。
    先の大戦で、地獄を見せた沖縄の過去は、日本人が未来に背負っていくべき過去だ。昨年の平和の詩、相良倫子さん(中3年)の「生きる」に心が震えたのを覚えている。
    “みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない/懸命に生きる命だったのだ。/・・・/それなのに。/壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。/・・・平和とは、あたり前に生きること。/・・・・鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。”
     若き二人が沖縄の呻きを刻印し、これからも刻印し続けんと、覚悟を決めている姿に感銘を受けたのは私だけではないだろう。
     今年の直木賞「宝島」にも、沖縄の悲しみ怒りが綴られていた。この本にあった沖縄方言「たっくるせ」には、沖縄の呻きが刻印されているようで、私の心を押しつぶした。“たっくるせ“は“叩き殺せ”という意味だ。沖縄県民が、米国軍人のひき逃げ事件に抗議する場面で、“たっくるせ”の文字が31回連続していた。音読すると、“たっくるせ”は”呻き“の地響きになっていた。74年間の沖縄の民の呻きは、大地や木々やウタの碑に,ガマの闇に今もへばりつくように蠢(うごめ)いていることを、 ”たっくるせ“の31回の文字の羅列に見た。
     過去を生きぬき、今を生きる診療所の媼達の呻きも、沖縄戦で幸せな日常を奪われた無辜なる民の呻きも、状況は異なるが、しっかり受け止め心を寄せ続けて行くことを心に刻んだ6月23日、慰霊の日だった。



    2019年5月27日(月)
    「膝の重み」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     新しき元号「令和」が明けた。その時を私は大阪の息子宅で迎えた。令和元年5月1日水曜日、大阪は曇り空だったが、爽やかに目覚めた。自分自身はそう変わりはないのだが、何かが変わる、それも粛々と和やかにという雰囲気が満ち満ちていたのを感じた。
       薫風に令和幕開く笑みの渦 明寛
     息子には二人の女の子がいる。幼稚園年長と小学3年生だ。二人とは年に1回か2回ぐらいしか会えないので、会うたびに“おっ”と思うほど大きくなっていくのを感じる。
     姉のほうはおっとりとして少しおとなしい性格で、妹はお茶目でおおらかで人懐っこい性格だと思う。年に1~2回ではあるが、“じいじ、ばあば”と話しかけ、幼稚園での発表会のこと、学校での出来事などを語ったり、運動会・発表会のビデオを見せてくれたり、カルタ取りやゲーム遊びに誘ってくれるのは嬉しい限りだ。
     5月1日の朝、座ってテレビを観ていたら、下の孫娘がそっと寄ってきて、私の膝にちょこんと座った。一瞬、あれっと思ったが、そのままにして一緒にテレビを観ていた。5歳7カ月の子どもだから、73歳の私でも重たいわけではなかったが、じわ~っとした重み、敢えて表現するなら「和みの重み」を感じた。「和み」と言う意味は、その孫の重みが私の心に「和み」を、「心地よさ」を、「喜び」を感じさせてくれたからだ。
     この時ふと私は同じような膝の重みを感じたことを思いだしていた。
     それは私が自治医大に勤めていた頃で、息子が1歳を過ぎた頃なので、今を遡ること43年前ほどになる。宿舎で机の前に座って勉強していたら、息子が近づいてきて、本を広げていた私の腕の下をかいくぐり、あぐら座りしてた私の膝に座ったのだ。
    あの時の膝に感じた重みを、今こうして息子の子、私の孫が思い出させてくれたのだ。父として祖父として、子や孫が膝に乗ってくるというのは、親近感というより幸せを感じさせるものだが、子どもはどう思っているのか,聞くに聞けずにいた。でも運よく最近その答えを貰えた。それは我が子や孫からではなく、よその子が教えてくれた。
     令和元年5月9日の新聞に、次のような詩が掲載されていたのだ。

      しあわせ  中川 柊(保育園3歳)
     ねぇ パパー
     「しあわせ」って
     パパのおひざに のること?


     そうなんだ、親や祖父だけでなく、膝に乗る子も、同じように「しあわせ」を感じているんだと教えられ、孫がくれた膝の重み、膝の温もりは幸せの証だと思い、人にとって膝は自分を支えてくれる土台であるだけでなく、心の交流する場でもあると思った。
     そういえば「膝」のついた語句は、“膝を打つ、膝を抱く、膝を交える、膝を突き合わせる、膝を進める、膝詰め”など、心の交流を図る意味を持っている。そういう意味ではまさに膝は、自分自身や他の人と語り合う窓口、場ともいえる。高杉晋作が作ったと言われる都都逸に「三千世界の鴉を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」とあるが、この時晋作は遊女の膝枕だったのだろうか・・・。
     診療所にも膝を語る方が多く来られる。
    “膝が抜ける、膝が笑う、膝が泣く、膝が言うことを聞かない”などと、こちらは膝と距離を取りたい、膝がお荷物となってきた高齢の象徴となっている。こう見てくると、良きにつけ悪しきにつけ、膝は私たち人生の旅路を歩く際の心と体の“よすが”ともいえる。
     令和の年が明けた今、新天皇のお膝元である我がまほろば、日本国に、争いもない児童虐待もない、和みに満ち溢れた時の流れ行くことを切に願いそして祈りたい。



    2019年4月22日(月)
    「医の道の道標」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     診療が一段落した4月1日午前11時41分、テレビに映し出された文字は「令和」とあった。新元号だ。〝れいわ“と呟いてみた、響きはよかったが釈然としなかった。元号には国の目指すところが込められていると聞いていた。明治は、天下は明るい方に向かって治まる、昭和は国民の平和と世界の共存共栄を願う、平成は全て滞りなく順調に運び、正しさを得るという具合に。でも「令和」の国は何を目指しているのか?発表の瞬間にははっきりしなかった。首相談話では「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」とあったが、今一つ納得できるものがなかった。
     しばらくして、万葉集研究家の中西進氏の「令和」への思いに出会った。「令」は麗しい、善の意味があり「和」は聖徳太子の「和をもって貴しとせよ」の和が込められているとあった。このことから令和の時代は、「令和」出典の万葉集巻五の序文のような、麗しく善き和(なごみ)に満ちた平和な国を目指すことだと理解でき、「令和」が素敵な元号として私の心に落ち着いた。発表の夜、令和の文字を繰り返し書いて呟いてみた。

      新元号つぶやき書きぬ春の夜 明寛

     令和の足音が近づいてきたが、私は平成の時代を歩まれてきた天皇皇后両陛下には、医師として貴重な学びを得たと思っている。
     平成時代は戦争こそなかったが、災害多き時代だった。両陛下は災害地を足しげく訪問され、被災者を慰められ励まされてこられた。またご高齢の身をおして、先の大戦の地にも足を延ばされ、慰霊の誠を捧げられてきた。
    私はこのお二人を動かしているのは、悲しみに「寄りそう」真心の強さだと思う。それは天皇のお言葉に、「寄りそう」「祈る」という言葉が多いことからも理解できる。
    例えば「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく・・」「障がい者を始め困難を抱えている人に心を寄せていく・・」「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました。人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄りそうことも大切・・」と、事あるごとに「寄りそう」の言葉がある。
     また美智子皇后の存在も大きかったと思う。昭和天皇は勿論、現天皇が皇太子の時には、視察や災害地訪問の際に国民の前で跪(ひざまず)くことはなかったが、美智子皇后と行幸啓され始めてから、国民や被災者と目線を同じにされ、息づかいが聞こえる距離で語りかけられるようになったように思う。その意味では、美智子皇后の存在は、皇室のあり方を善き方向へ導かれたのではないか。
     美智子皇后は、多くの困難の中で失声になられたことがあった。その困難を乗り越えられた原動力は何か?真実は知る由もないが、私は絵本「でんでんむしのかなしみ」と神谷恵美子さんとの出会いではと思っている。「でんでんむしのかなしみ」は、第26回国際児童図書評議会ニューデリー大会の基調講演で紹介されていた。私も読んでみた。
     「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」と結ばれていた。神谷さんは美智子皇后の相談相手の精神科医で、長くハンセン病患者を支えていた方だ。神谷さんは「生きがいは困難や苦しみの中から生まれる」と説いている。美智子皇后はふたつの出会いがあり、困難を乗り越えられたと私は思う。 
     私は病む人が苦しみを乗り越え、生きがいを持って生きていけるように支えていきたいとの思いで医の道を歩いている。
    この道を歩む時に、天皇皇后両陛下の努めて来られた「寄りそう」姿勢は、大きな道標になっていたので、退位される今心から感謝したい気持ちで一杯だ。
     診療所の燕が抱卵を始めた。新しき命の囀(さえずり)を楽しみに令和を迎えたい。



    2019年3月25日(月)
    「大切に歩みなさい」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     庭の沈丁花の香りが薄れ、紫陽花の新芽が膨らみ、通勤路には桃の花が満開だ。桃の花と言えば、毎年この時期に清川駅の大鉢の桃の花に会えるのを楽しみにしてきた。
     桃は仙木、仙果と言われ、悪鬼を追い払う魔力を持つと言われる。古事記を読むと、変わり果てたイザナミノミコトの命令で追いかけて来た黄泉(よみ)の国の軍人を、イザナギノミコトが桃の実を三つ取って投げて追い払えたので、桃の実にオオカムヅミノミコト(偉大な神の実)と名付け、これからも苦しむ人々を助けてくれと言ったとある(口語訳古事記28-29頁:三浦佑之訳)。
     3月3日の桃の節句も、女の子を邪鬼から守る桃の力に願う神仙思想に由来する行事だ。
     私には孫が6人いるが、全員女の子だ。雛祭には、娘たちの雛飾りは嫁いだ時に持たせてないので、孫娘達の健やかな育ちを願い、これまで収集した小さな立ち雛、内裏雛などを毎年妻が玄関に飾ることにしている。
       六人の孫皆めの子雛飾る 明寛
     初孫が今年小学校卒業だった。自分は出席できなかったが、妻の撮って来た写真を見ていると、誕生の日、初参り、お食い初め、七五三、歩き出した時の笑顔などなどが走馬灯の如く流れ、感無量で胸が熱くなった。
    祖父の卒業を祝う気持ちを「卒業おめでとう」の題で詩にして贈った。

     こっちゃん
     安岐中央小学校卒業/おめでとう!
     六年間どうだったかな
     あっという間だったかな
     でもあるよね
     思い出がいっぱい
     出来たよね
     お友達がたくさん
     学んだよね
     知識を生きることを

     こっちゃんは
     元気に大きく育ってくれたね
     じいじとばあばの初孫として
     ばあばとじいじは
     あふれるほどの喜びを
     言い切れないほどの幸せを
     こっちゃんから貰ったよ
     ありがとう!
     ほんとうにありがとう!

     こっちゃんの卒業の姿を目にして
     じいじとばあばは
     とても喜んでいるよ
     心から嬉しいよ
     おめでとう!
     こっちゃん
     初孫よ


     この詩を書きながら、昆愛海さんのことも考えていた。3月20日の新聞に、愛海さんが卒業式の日に、3・11の日から育ててくれたおばあちゃんに、卒業証書を渡している写真と3・11の日に行方不明のお母さんに覚えたばかりの平仮名で、「ままへ いきているといいね。おげんきですか」と手紙を書いて眠り込んでいる4歳の写真が掲載されていた。袴姿の愛海さんは、素敵な女の子になっていた。その姿を8年ぶりに見て、言葉が出なく唯見入っていた。「よく頑張ったね」も「大変だったね」・・・の言葉も空虚に思えた。
    未曽有の大地震と大津波に両親と妹を3・11に突然失い、抱かれて甘えることも、手作りの好物を食べることも、絵本を読んでもらえることも、両親の温もりに触れることも奪われてから8年間、私の想像を絶する2900余日を、耐えて生きて大きく育ってくれて笑顔を忘れずにいる姿に、唯見入ることしかできなかった。そして愛海さんから卒業証書を渡されているおばあちゃんの心情は、写真からは読み取れなかったが、同じく孫の卒業式を迎えた祖父の私の倍する喜びが、否!考えの及ばない次元の違う感慨が渦巻いておられたんだろうと拝察した。私は写真のおばあちゃんのお姿に、〝ありがとうございました″と呟いて深く頭を垂れた。
     人は生きてゆくしかない。地球という生命を育んで来た奇跡の星で、生かされて生きてゆくしかない。その地球も、宇宙誕生から難儀な嵐の中で生き抜いてきて、まだ不安定のまま蠢(うごめ)いている星であることを忘れずに、人は淡々と生きてゆくしかない。 
    小学校を卒業した孫娘と愛海さんには、「新しき広場に向かって、日々を大切に大切に歩みなさい」という言葉を贈っておこう。



    2019年2月25日(月)
    「103歳の心音」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     2月19日は24節気のひとつ、雨水(うすい)の日だ。天の神はタイミングよく柔らかい雨を降らせた。雨水の日は、空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になるという意味だ。草木が芽生える頃で、農耕の準備を始める目安とされて、春の兆しを知らせる風物詩のひとつだ。これから春一番が吹き、三寒四温を経て春本番となる。そう思うからか、雨水の日の雨は、少々濡れても身震いすることはなかった。
     出勤前に庭に出てみたら、沈丁花は香りを振りまき、椿の蕾が大きく膨らみ、翁草の鉢には土のふくらみが見えた。
      そこここに土の膨らむ雨水の日 明寛
    春の香りといえば梅だ。水戸の偕楽園で梅林を散策した時の花の可憐さと爽やかな薫を思い出す。梅と言えば、冬の寒さを耐え凛とした姿で、穏やかに登場してくる姿に、ふわっとした心地になる。
     診察室でこんな心地になる方がいる。毎月一度家族に付き添われて受診される。診察の様子はこんな具合だ。「○○さんどうぞ」と声をかける。看護師さんに支えられながら、診察室に登場される。そこで立ち止まって、私に顔を向け、ちょこんと会釈、それから2,3歩進み椅子に腰を下ろされる。両手を膝に揃えて、首を垂れながら「お早うございます」と挨拶される。そして背筋を伸ばし、口元に笑みを浮かべ、また会釈される。私もまっすぐに座りなおし「○○さん、おはようございます」と挨拶する。この5年余、診察の始まりのしきたりに、狂いは微塵もない(歩く時の支えが、ちょっといるようになったが・・・)。
     この方は御年103歳の媼(おうな)です。私が診察している患者さんのなかで最高齢者です。しかし所謂老いの雰囲気を感じないのです。とても小柄な方ですが、瞳は透きとおり目元には優しさが漂い、口元には微笑みが絶えません。その表情には、齢という年月しか醸すことのできない古酒のような、味わい深さ、気品さが漂っているのです。
     この雰囲気は、103歳の今を、風のゆらぎ、太陽のおおらかさに委ね切って生きておられるかのようです。まさに心身脱落の心境で日々を過ごしておられるのでしょう。
    心身脱落とは、道元禅師の教えで「只管打坐」と並ぶ教えだ。すなはち「身も心も一切の執着を離れて、自由で清々しい境地への解脱(五欲煩悩が取り除かれた状態)」と言われる。この103歳の媼と会い話していると、まさに心身脱落の雰囲気を感じるのだ。
    103年を生きてこられたことに対してもそうですが、その立ち居振る舞いの品格を目の当たりにすると、思わず手を合わすことがある。
     挨拶が済むと、聴診器で呼吸音と心音を聴く。私はリズミカルな103歳の心音を聴くと、感動する。心臓が血液を力強く全身に拍出しているのだ。ふと考えたことがあった。この方の心臓は何回動いているのだろうと。心臓は一日約10万回動くから、この方の心臓は、約37億6千万回動いてきているのだ。しかしいささかも動きは乱れてもいないし、弁の閉じる音も確かだ。
     103年間、寂しい時にはゆっくり、通学列車の中で恋した時にはときめき、農作業の時には早鐘のように打ち、老いた今は淡々と命を支えている。
    私は医師として、103歳の心音を聴けていることに、言い知れぬ有難さを感じる。またこの方の心音を聴くと、103歳7カ月で亡くなった私の母親の心音を思い出す。ひと月に一度、これからも103歳の心音を聴き、命の不思議さ尊さを噛みしめていきたい。
    窓辺を見ると診察室で孵化したメダカが、射しこむ光にキラキラ輝いて泳いでいた。



    2019年1月24日(木)
    「己亥に思う」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     清川町の皆さま 明けましておめでとうございます。今年も診療所、三つ葉、もみの木をよろしくお願い致します。
    通勤路の庭先に、蝋梅の花が春の水先案内人となる数多の光を抱き育てていた。
      蝋梅やあまたの光うごめいて 明寛
     さて今年は「亥年(つちのとい)」、猪の年ですね。イノシシについては、診療所に来られる方々から「稲がやられた」「野菜が荒らされた」「電柵代もバカにならない」「もう農業はやっちゃおれん」・・と聞かされてきた動物です。干支には十二の動物がいますが、こんなにも憎まれている動物はいません。
    そうなると「己亥」という今年、何だか不安になり、どんな年になるか調べてみた。
     己は草木が十分に生い茂って整然としている状態で、亥は草木が枯れ落ちて種の内部に草木の生命力が籠っている状態とあった。
    つまり2019年は、何事も次の段階に踏み出すために、知識や心や体を育て成長を期する年で、決して暗澹たる年ではなかった。猪にめげることなく力強く生きていくのが今年という歳のようです、頑張りましょう。
     今年の正月は、故郷鹿児島へ帰省することもなく過ごした。室生犀星に「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ・・・(小景異情―その二―)」という詩があるが、決して犀星の詩ほど故郷が嫌なわけではなく、両親や弟を亡くしたからか、何となく故郷を遠くに感じるようになっている。
     今年も3社参りをした。昨年お賽銭をいれたらブザーが鳴った大国社(今年は鳴らなかった)、杵築の奈多宮、近くの松坂神社に初詣して、家内安全・健康と幸せを祈願し、気持ちがすっきりした感じになり良かった。
     正月3日には孫が遊びに来たので、双六、福笑い、紙独楽まわし、トントン相撲などに興じた。今流行りの電子ゲーム遊びではなく昔風の遊びだったが、孫も喜んでいた。子供の心をくすぐる遊びに今昔はないようだ。そのことを一番感じるのは昔話だ。今でも「ももたろう」「舌きりすずめ」「うらしま太郎」などは面白がる。昔物語と言えば、「猿カニ合戦」を読んでいた時に、昨年患者様から頂いた1個の柿が思い浮かんだ。尖った形でやや赤味を帯びていた。「これは、“じゅうれんじかき“。今は少なくなった」と聞いた。その名を聞いたのは初めてだった。「じゅうれんじかき」は「十連寺柿」と書く。珍しい柿だなと思いながら調べたら、この柿には悲しい物語があることを知った。
     この柿のルーツは、祖母傾山を越えた隣町の高千穂町土呂久集落だ。この部落では、猛毒亜ヒ酸中毒により100人近くの人が、平均39歳で亡くなっていた。水俣病より古い公害病だ。人は勿論だが、大気や土壌の汚染で蜜蜂は消え、椎茸も芽をつけず、十連寺柿も実をつけなくなったのだ。現在は鉱毒対策で自然が回復し、十連寺柿も再び実をつけ始めている。十連寺柿という紙芝居が作られており、その中に患者さんの言葉「たとえ根治の見込みはないと言われましても、生きていく権利があります。また、生きとうございます」があった。公害病を知る中で悲しいのは、水俣病裁判を含め公害病裁判の過程で、一時的にせよ医療者が公害の加害者側に立つことがあることである。土呂久公害裁判でもその傾向が見て取れたのは、悲しみを増幅させた。頂いた十連寺柿は、医療者は常に病む人の側に軸足を置いて、揺らぐことがあってはならないことを再度教えてくれた。
     平成最後の正月は、三社参り、孫との戯れ、十連寺柿の教えと清浄な空気の中で過ごせた。
     己亥の今年、イノシシも清浄心の境地に浸り、清川の自然と人の心を、猪突猛進に駆け回り荒らし乱さないで欲しいと祈りたい。



    2018年12月25日(火)
    「忠恕の精神」 清川診療所 所長 坪山明寛 

     10月22日冬至の夜、いただいた柚子2個を入れた柚子湯を楽しんだ。湯船に入ると、ほんのりと甘酸っぱい香りを放ち、柚子は浮き沈みしながら湯船を動いていた。
      柚子ふたつ浮き沈みして冬至かな  明寛
     柚子湯に浸りながら来し方を振り返ると、柚子のように浮き沈みがあった。でも今何とか浮いていることを喜びたい。
     三木清は「人生論ノート」の中で、「人生は運命であるやうに、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きてゐることは希望をもってゐることである」と述べている。私も沈んだ時には、“とにかく生きぬこう!医師という生業は、神が私にくださった『神の用』。疾苦の人に寄り添い続けることが生きがい・希望”と覚悟し歩んできた。そして72歳の今なお、人生の波間に、やっとながらも浮いておられることを幸いと思っている。
     患者さんと話をしていると、自分の歩みの中での疾苦・沈みが些細に思えることがある。
     85歳の媼が、開墾の話を聞かせてくれた。働き者のご主人と山に入り、鍬や鋸で山林を切り開き斜面を削り、畑や田んぼを作ったというのだ。写真を趣味にする自分が、美しいと感じる段々畑は、媼のような難儀の結実だということを、体現者から直に聞き身が震えた。開墾作業には、数十分では語りつくせない苦労があったことは推察できた。私は腰の曲がった小柄な媼の大きな生命力に、心からの畏怖と尊敬の念を禁じ得ず、診察室を出ていく後姿に頭を垂れた。
     頭を垂れるといえば、媼の診察をした翌日23日、天皇誕生日記者会見での御言葉に居ずまいを正し頭を垂れて聞き入った。
     特に胸の詰まる思いをした言葉を列記する。
    “私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその勉めを行い・・”“多くの犠牲者が生まれ、多数の難民が苦難の日々を送っていることに心が痛みます”“沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません”“心に残るのは災害のことです。・・被害を受けたことに言葉に尽せぬ悲しみを覚えます”“障がい者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの務めと思い、過ごしてきました”“天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います”
     これほど胸を打つ言葉を最近聞いたことがない。日本国憲法の象徴天皇として初めて即位され、象徴天皇のあるべき姿を深く思慮され行動してこられた真摯な姿勢を表した言葉だ。天皇の真摯な姿には、天皇教育係の小泉信三の薫陶が影響している。小泉が象徴天皇のあり方に示唆を受けたのが、福沢諭吉著「帝室論」の一節、「わが帝室は日本人民の精神の収斂する中心・・帝室はひとり万年の春にして、人民がこれを仰ぎ見れば悠然として和気を催すであろう」だ。小泉が天皇に強く求めたのは、自分の良心に忠実で、他人のことをおもいやる精神「忠恕」だ。天皇は平成の30年間、師の教えを体現せんと、国民の様々な疾苦をわがものとして、忠恕の精神で沖縄の人々、戦没者、被災者、障害者に真心を寄せ続けられ、癒しと慰霊の旅を皇后陛下とともに歩んでこられたのだ。天皇陛下の「心を寄せる」姿勢、忠恕の精神は、医師として生きる私にとって大きな道しるべとなった。
     さて清川町の皆様には、今年一年、診療所・三つ葉・もみの木をお世話いただきありがとうございました。来年が皆様にとって良き年であることをお祈りいたします。







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