Beautiful passage gallery



名文と言われるものがあります。
たくさんの作家が書き、評論家、出版社等がそれを紹介するかたちで書いています。
名文に対する想いは、人それぞれであり、その時々の葛藤状態による筈です。
それは、旧約聖書の詩篇であったり、さりげない隣人の慈愛の言葉であったりします。
また、文筆を主とする専門家からみれば、俗に言う名文、作家や評論家がこぞって賞賛し、多くの書物に 著わしているものであるかもしれませんし、明らかに技術論云々が伴うことでしょう。
読んだ本の文章や、接した人の言葉のなかには、綺麗なものや普遍的なもの、警句が数多くちりばめら れています。
言葉の蓄積は学習でもあり、個人の財産になり得るものだと確信します。

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  • 「生きる」 谷川俊太郎「うつむく青年」
    生きているということ
    いま生きているということ
    鳥ははばたくということ
    海はとどろくということ
    かたつむりははうということ
    人は愛するということ
    あなたの手のぬくみ
    いのちということ

  • 「ひのもと」 作詞 松山高吉
    わがやまとのくにをまもり
    あらぶるかぜをしづめ
    よよやすけくをさめたまへ
    わがかみ

    わがあいするくにをめぐみ
    けがしきなみたたせで
    とこしなへにきよめたまへ
    わがかみ

    わがひのもとひかりをそへ
    みこころおこなはれて
    主のみくにとならせたまへ
    わがかみ

     明治21年編の「新撰讃美歌」に収められており、現行の讃美歌にもはいっているそうだ。
     なんとなくこういう文語表現は好きです。

  • ”Imagine ”by John Lennon
    天国なんてないと思ってごらん
    その気になればたやすいことさ
    みんなの足元には地獄なんてなく
    頭上にあるものはただ空だけ
    そして人はみな今日のために
    生きていると考えるんだ
    国家なんてないと思ってごらん
    けっしてむずかしいことじゃない
    殺し合う必要なんて何もないし
    宗教も必要ないんだ
    皆が平和のうちに
    楽しく生きていると考えてごらん
    そして財産なんかないものと思ってごらん
    君にそう出来るだろうか
    欲張ることも飢えもなく
    人はみな兄弟だと
    そう考えてごらん
    みんなでこの世界を分かち合っているのだと
    人は僕をただの夢みる人と言うかも知れないけど
    でもきっと僕ひとりじゃないよ
    いつの日か君達も僕の仲間になって
    世界がひとつになってくれたらいいと思っている
               訳 湯川れい子

  • マーチン・ルーサー・キング・ジュニア
    人のために何かをすることで
    誰もが素晴しい人になれます
    大学を出ていなくても
    正しい文法で話せなくても
    人のために何かをすることができます
    ただ、やさしい気持ちがあればいいのです
    愛の心があればいいのです

  • 山本太郎
    「きょうという いちぎょうを刻もう
     明日などは いつでもあける」

    「私は平野を好まぬ 人々はそこで軋轢に過ぎぬ」

    北原白秋の二番目の夫人、江口章子は香々地町出身。三番目の夫人、北原菊子は大分市の出身。
    二人の生き方は対照的ではありましたが、内助の功に徹し白秋を支えたそうです。
    白秋の妹家子と画家山本鼎との間に生まれたのが詩人山本太郎先生です。
    大学時代のwander verein同好会の顧問の先生で、大変お世話になりましたが昭和63年ご逝去されま した。
    後年柳川を旅し、白秋生家を訪ねて先生の幼年時代を偲びました。


  • 「源氏物語」の須磨より
    須磨にはいとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹きこゆるといひけむ浦波、 夜々はげにいとちかく聞えて、又なくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
    御前にいと人ずくなにて、うちやすみわたれるに、ひとり目をさまして、枕をそばだてて、よもの嵐を きき給ふに、波ただここもとに立ちくる心ちして、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。

  • 「音の歳時記」 那珂太郎
    一月 しいん

    石のいのりに似て 野も丘も木木もしいんとしづまる
    白い未知の頁 しいんーとは無音の幻聴 それは森閑の
    森か 深沈の深か それとも新のこころ 震の気配か
    やがて純白のやははだの奥から 地の鼓動がきこえてくる

    二月 ぴしり

    突然氷の巨大な鏡がひび割れる ぴしり、と きさらぎ
    の明けがた 何ものかの投げたれきのつけた傷? 凍湖の
    皮膚にはしる鎌いたち? ぴしりーそれはきびしいカ行音
    の寒気のなか やがてくる季節の前ぶれの音

    三月 たふたふ

    雪解の水をあつめて 渓川は滔々と音たてて流れはじめ
    る くだるにつれ川股に若草が萌え土筆が立ち 滔々た
    る水はたふたふと和らぎ 光はみなぎりあふれる 野に
    とどくころ流れはいっそう緩やかに たぷたぷ たぷ
    たぷ みぎはの草を浸すだらう

    四月 ひらひら

    かろやかにひらひら 白いノオトとフレアアがめくれ
    る ひらひら 野こえ丘こえ蝶のまぼろしが飛ぶ ひら
    ひら空の花びら桃いろのなみだが舞ひちる ひらひら
    ひらひら 緩慢な風 はるの羽音

    五月 さわさわ

    新緑の木立にさわさわと風がわたり 青麦の穂波もさわ
    さわと鳴る 木木の繁りがまし麦穂も金に熟れれば ざわ
    ざわとざわめくけれど さつきなかばはなほさわさわ
    と清む 爽やか、は秋の季語だけれど 麦秋といふ名の
    五月もまた 爽やか

    六月 しとしと

    しとしとしとしとしとしとしとしと 武蔵野のえごのき
    の花も 筑紫の無患子の花も 小笠原のびいでびいでの
    花も 象潟の合歓の花も うなだれて絹濃のなが雨に聴き
    いる しとどに光の露をしたたらせて

    七月 ぎよぎよ

    樹樹はざわめき緋牡丹は燃え蝉は鳴きしきる さつと白
    雨が一過したあと 夕霧が遠い山影をぼかすころ ぎよ
    ぎよぎよ 蛙のこゑが宙宇を圧しはじめる 月がのぼる
    とそれは  ぎやわろっぎやわろっぎやわろろろろりっ
    と 心平式の大合唱となる

    八月 かなかなかな

    ひとつの世紀がゆつくりと暮れてゆく 渦まく積乱雲の
    ひかり 光がかなでる銀いろの楽器にも似て かなかな
     かなかなと ひぐらしのこゑはかぼそく葉月の大気に
    錐を揉みこむ 冷えゆく木立のかげをふるはせて

    九月 りりりりり

    りりりりり......りり、りりり......りりり、りり......り、
    りりりり...... あれは草むらにすだく虫のこゑか それと
    も鳴りやまぬ耳鳴りなのか ながつき ながい夜 無明
    長夜のゆめのすすきをてらす月

    十月 かさこそ

    あの世までもつづく紺青のそら 北の高地の山葵色の林
    を しぐれがさっさつと掠めてゆくにつれ 幾千の扇子
    が舞ひ 梢が明るみはじめる 地上にかさこそとかすかな
    気配 栗鼠の走るあし音か 地霊のつぶやきか
    十一月 さくさく

    しもつきの朝の霜だたみ 乾反葉敷く山道を行けばさり
    さり 波うちみだれる白髪野を行けばさくさく 無数の
    氷の針は音立ててくづれる  澄んだ空気に清んだサ行
    音 あをい林檎を噛む歯音にも似て

    十二月 しんしん

    しんしん しはすの空から小止みなく 白模様のすだれ
    がおりてくる しんしん茅葺の内部に灯りをともし 見
    えないものを人は見凝める しんしんしんしん それは
    時の逝く音 しんしんしんしん かうして幾千年が過ぎ
    てゆく

    那珂太郎の詩は文語の素養が色濃く出ており、時には萬葉集や時には奥の細道だったりする。
    韻をふんだ「音楽」という詩が好きで、言葉のもつ響きそして日本語のもつ美しさに魅力を 感じています。

  • 「逝く夏」 那珂太郎
    あおざめしらむよあけの庭の
    あさ髪のみだれるくさぐさの暗みに
    逝く夏のなみだはなみだちあふれ
    ゆらゆれるはだのゆりのゆめもなく
    くちなしの白のにほひもなく
    無明のほめくしののめの野に
    とけゆく時のとほいあらしのこゑは
    めぐりめくるめくまぼろしのみどりを
    ちりぢりに空へ......

  • 「Nothing, nothing, nothing, but wind.」
    なんにもないよ、ただ風が吹いてるだけさ。

    数年前高石ともやが、AustraliaのWestfield runに出場しました。これは10日間で1100kを走破します。
    1日に80〜120kを、自分の足で走るわけですから、精神がおかしくなります。
    その時の状態を、Australiaではこう表現すると、現地のcoachが言ったそうです。
  • 「赤毛のアン」
    「結局一番幸福な日というのは、素晴しいことや驚くようなことが起こる日ではなくて、真珠が一つずつ そっと糸から滑り落ちるように、単純な小さな喜びを次々に持ってくる一日一日のことだと思うわ。」

    『赤毛のAnn』完全版がroadされたので、娘と一緒に見にいった。
    普通であれば、高いcatalogueは買わないのだが、Prince Edwards島の挿絵に引かれて買った。
    娘に見せてあげたくて連れていったのだが、親のほうがみいらになってしまった。
    Renardの『にんじん』、獅子文六の『胡椒息子』に類似したstoryだった。
    でも、悲しさからではなく幸福感で胸いっぱいになった。
    会場には、おじさんは一人もいなかった。

  • 開高健
    明日世界が滅びるとしても
    今日、君はりんごの木を植える

  • 開高健
    跳びながら一歩ずつ歩く。
    火でありながら灰を生まない。
    時間を失うことで時間を見い出す。
    死して生き、花にして種子。
    酔わせつつ醒めさせる。
    傑作の資格。
    この一瓶。

  • Arthur Rimbaud 「少年時 5」より
    「ぼくはほんとうに、沖合い遥かに伸びた突堤に
    棄てられている子供かもしれぬ。
    行く手が空に接する並木道を辿ってゆく小僧かもしれぬ。」

    この詩を読むと、南仏Provance地方の向日葵の丘陵地を連想します。

  • Aisaac Walton 「釣魚大全」より
    Study to be quiet.

    いつかこの本をゆっくりと読んでみたいと思っています。
    心穏やかになることを学べ、という言葉には深い人生が感じられます。
    釣りも奥が深いね。

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