編集者より


松 村 亮 司



1997/08/03

ryoji.jpg また暑い夏がやってきました。

寺尾先生の一周忌が終わり、52回目の原爆記念日です。
そして、このホームページが立ち上がり1年が過ぎました。

私が、寺尾先生の御遺稿をホームページにしたことを先生はどのように思うだろうか?本当によかったのだろうか?先生の奥様は「もう、そっとして置いて欲しい」と思われているのではないか?この御遺稿を先生の御遺志と考え、より多くの人に読んでいただきたいと思う気持ちと同時に、私自身の中での迷いもありました。

そういった中で「自信を持ちなさい。うちのお父さんは一度決心したことは後でどんなことがあってもひるまなかったよ」と言ってくださった寺尾先生の奥様のお言葉。そして、国内外からお寄せいただいた数々のメッセージに励まされてここまで来ることが出来ました。

この世の地獄を身を持って体験し、50年も心と体の傷を引きずり生きてこられた寺尾先生。はじめてご自分の体験と心の内を吐露された46年目の夏。この手記で本当に感動させられることは、私達の想像をはるかに超える辛い体験を引きずり生きてこられた寺尾先生が、それを乗り越え、ご自分の人生を肯定なさった上で、あるいは肯定なさろうとして書かれていることだと思うのです。

ああ、あれから46年目ですか。平和の有難さに感謝しています。二度と繰り返さないで下さい。今日まで生かしていただきました。世間にかりた借りを、何らかの方法でお返しできたら嬉しいです。

原爆では多くの友人を亡くしました。
一昨年仲の良かった、友達が白血病で亡くなりました。被爆二世、三世の話しも聞きますし、現に年二度の被爆者定期検診は受けていますが、未だに不安は消えません。死ぬまでおつきあいのようです。
しかし、このことを考えていても仕方がありません。生きている生かされている現実を見詰め前向きに夢を求め理想を描き、世のため人のため社会のお役にたつよう頑張ろうと考えています。

阪神大震災、生きた地獄を体験した被災者の方々。人間の手が届かない天災の何処にもぶつけることの出来ない、また忘れることの出来ない苦しみ、悲しみ、怒り。私達は同時代にその実体を目にしました。
寺尾先生の体験された「生きた地獄」。それは天災ではなく、人間の手によって戦争という行為の中で起こされたものでした。それは例えようもない苦しみではあったでしょうが、人間の手によって起こった「生きた地獄」だからこそ、人間の手によってそれを無くすことが出来るということを寺尾先生はお考えになっていたのだと思います。

ご自分の人生を肯定し、人類の未来を信じ、
「苦しいけれども語っておかなければいけない」
先生の我々人間一人一人に宛てたメッセージ。
今、一度、お読み返しください。




1997/03/18

寺尾先生のご遺志を残したい、多くの人に伝えたいという主旨ではじめたこのページも、多くの方に読んでいただき、国内外からのメッセージも頂くことが出来て、このページの管理者の私自身いろいろと最初の主旨を越え、多くのことを学びました。これからも、寺尾先生の書かれた「原子爆弾による被爆の話」に対して皆様方からお寄せいただくメッセージにより、このページを少しづつでも発展させていこうと思っております。

永野建一さんによって訳していただいております英語版のページの1日の読み出し回数が、今年(1997年)に入り日本語版のページのそれを上回り、次第に英語版の総読み出し回数が日本語版に迫る勢いです。調べましたところ、アメリカ、オーストラリア、カナダ等の第二次世界大戦に関するページ等でリンクさせてもらってるようです。
このページ、どのようなページからリンクしていただいても結構です。その場合、出来ましたらご連絡していただければ幸いです。また、本文の転用、ならびに他のメディア(印刷媒体など)への転載は、私以外の多くの方々の文章をお預かりしている手前、承諾を得るようにしていただきたいと思います。

それからご報告です。山梨大学教育学部の成田先生からご連絡頂いたのですが、このページが科学研究費補助金基盤研究(B)(1)(研究課題 映像等の情報通信の教育利用及び評価に関する調査研究)の研究チームで作られるCD-ROMに収録されるようになりました。
このCD-ROMは、まだインターネット接続されていない小・中・高等学校等の教職員を対象に、インターネット接続できたら,こんなWWW(World Wide Web)ページを見ることができるということを、疑似体験していただくことを目的に、1000枚作成し配付するそうで、利用方法としては、コンピュータで見るほかに、学校内に限り印刷配付可能なかたちになるということです。



1997/02/01

このページが立ち上がって半年、国内、そしてアメリカをはじめ世界からいろんなメッセージをいただきました。 皆さんが本当によく読んでいただき、ありがたいメッセージの数々です。
つい最近寄せられたメッセージの中で、アメリカのRobin Sheppardさんのメッセージには深く感動しました。

私はアメリカ人の一人として寺尾さんの広島での悪夢の体験を恐怖感なしには読めませんでした。私の母国アメリカが1945年のその日に行った極めて恐ろしい行為は国家の犯罪であり、私もアメリカ国民の一員としてこれに加担していることになります。(後略)

本当に自分の国を愛すればこそ、戦争と平和と言うことを深く考えればこそこのように言い切れるのですね。
「日本人の一人として・・・・」、私がどんなことを言えるだろうか?深く胸に突き刺さりました。
そして、このホームページの本文にもまたメッセージも頂いております寺尾先生と同年代の浦塚政子さんが1996年10月に大分県豊の船で韓国に行かれ、パソコン通信COARAの中でその報告をなさっていたのですが、その中の一節で「釜山−大分女性交流の集い」での韓国女性の河さんとの出会いの場面を思い起こしました。

masako.jpg
(前略)
 その日帝時代に女学校を卒業した河さん達は、日本のために自由を奪われ、大事な青春を踏みにじられて、どんなに悔しく、悲しく、惨めな日々を送って来られた事でしょう。 同世代に生き、あの戦争の苦しみを体験して来た私には、私達日本人には推し量れない程の惨めな過去を過ごされた河さんを見ているうちに、とうとう胸がいっぱいになってしまいました。このお方にお詫びを申しましよう・・・。私の宿願を叶えさせていただけたらもう思い残すことは無いのです。私は河さんの隣へ進みました。

「生きている内に一度でよいから韓国へ来たかったのです。そして韓国人のどなたか、せめてお一人でもいいですから、日本人として、あの時代を生きてきた日本人の一人として、心からお詫びを申し上げたかったのです。それが私の長い間の宿願でありました・・・・」

と、頭を深く下げてお話しし始めますと、河さんもスックと立ち上がり、涙をにじませて、 私の手を両手でしっかり握りしめ強く強く振って下さいました。

 後の言葉は言葉にならない位に・・・。ただ二人で何遍も何遍も肩を抱き合い、手を握りしめ乍ら、お互いの涙を拭い合うばかりでした・・・。

(後略)

「アメリカ人として」「日本人として」と言い切ること、そして是も非もまっすぐ見つめ行動する勇気。これこそ愛国心であり、胸を張って国際舞台で活動する源ではないでしょうか?

そんな中、下記のようなメールがアメリカから私の元に届きました。

私はいま学校で進めているプロジェクトのひとつとして広島および長崎の原爆投下について調べています。このプロジェクトには原爆投下についての賛否両論を載せることになっています。原爆による悲劇についての情報はいままでにたくさん集まったのですが、原爆肯定論を見つけるのに非常に苦労しています。もしあまりお手数にならないようであれば原爆投下肯定論の情報があるサイトをご教示いただけませんか。

アメリカの歴史教育の深さを知りました。 「史実は一つしかない、しかし、それに対する認識はそして見方は沢山ある」これは考えてみれば当たり前にことです。しかし、現実の日本の歴史教育はどんなものなのだろうか?教科書検定、一言一句まで国家が統制するシステム。テストのため皆が同じ正解を持たねばならない実体。
多くの学説をまた考え方を情報として集め、ディスカッションし、最後は自分がその史実の歴史的評価をすることが出来る人間を育てる歴史教育。「ああ、これが本当なんだ」とあらためて考えさせられました。

このページに携わって半年。いろいろな方々との巡り会い、そしていろいろと考えさせられました。これも亡くなられた私の恩師、寺尾先生のお導きなんだと考えずにはおれません。



1996/10/07

寺尾先生がご逝去されやがて4カ月になろうとしております。
そしてこのページが立ち上がり3カ月になろうとしています。

テキスト中心のホームページ、果たしてどれだけの方々が読んで下さるかと心配しておりましたが、内外のいくつかの検索サイトにも掲載していただき、アクセス回数も固い内容の割には順調に伸び、また、読まれる方はよく熟読なさって下さっていると聞いております。
また、個人のページに「平和を考えるページ」を持っておられる方、平和市民運動をなさっている方、教育現場で平和教育を推進しておられる学校や先生方、デジタルコラムマガジンなどの方々のページよりリンクしていただいており、「必読です」とか「是非読んで欲しいページです」など、うれしい紹介文を掲載していただきました。
また、英訳を担当して下さった永野建一さんの奥様、永野美恵子さんの英語での御自分の生活や日本の伝統行事などを紹介されているホームページからもリンクしていただき、そのページを通じて、ノルウエー、オーストラリア、アメリカからの反響も寄せられました。
マスコミ関係では、9月下旬に朝日新聞の西部本社版、大阪本社版などに紹介され、また、ソフトバンク社の、「Yahoo!Japan インターネットガイド誌11月号」(9月28日発行)の、「学術・教育」の覧にも推薦ページとして紹介していただいております。紹介文もこのページの真意をとても良く表現していただき、評価も充実度で5つ星満点、快適度で4つ星と大変光栄な評価をいただきました。


何度読み返しても、寺尾先生の文章は心を抉ります。主義主張ではなく、本当に心の底から絞り出した言葉。このような文章はなかなか出会えません。それを支えたCOARAや渡良瀬ネットのメンバー。パソコン通信というメディアが生み出した、歴史に残る文章群だと、私自身思っています。

もし、パソコン通信COARAがなかったら、寺尾先生はご家族にも教え子達にもほとんど話すことのなかったもう葬り去ってしまいたかった「生きた地獄」の記憶を、心の中に秘められたまま旅だったのかもしれない。 それを、パソコン通信で辛いけれども社会に向かって告白し、次の世代に伝えた寺尾先生。それをご遺志と理解してHTML化した私。私がこのようにHTML化したのが良かったのか?もう告白した時点で、最後にした方が良かったのか?私の独善的なこの行為を今でも100%良かったと思い切れないところがまだ私の心の中にあります。寺尾先生の奥様には、いろんな反響がある度、ご仏前に報告するのを兼ねましてご報告しております。奥様は良かったと言って下さっておりますが、なにか私にも吹っ切れないものがやはりあるのです。

先生の文章からいろいろ学びました。平和な世界に住んでいる自分達。戦争は歴史の教科書に出てくる位にしか思えなかった私達。核というもの核兵器というものも実感としてなかった私達。核実験もチェルノブイリも遠い外国のことと思っていた私達。戦争というものが、核兵器というものがただ身体や物を破壊するだけでなく、人の心までも人として生きることさえも大きく傷つけてしまう事をはじめて知りました。戦争を語り継ぐという事が、どれほど語る者にとっては辛いことか知りました。

私にとって心の格闘はありましたが、こうしてWWW上に発表した今、国や民族、心情や主義や、年令や性別を越え、少しでも多くの人に読んでいただきたいと思います。リンクは大歓迎です。

WWWは、こうやって普通に生きている市民が、等身大で自ら情報を発信する事が出来ます。そして、その場限りの情報ではなく、ライブラリーとして、永遠に検索すれば存在する情報として残ります。今、脚光をあびているインターネット。このようなページもあることをどうかお気に留めて置いて下さい。


また新しい動きといたしまして、英訳をしていただき、海外へこのページを紹介していただいている永野さんから連絡が入り、永野さんがメンター(助言者)をしているニューヨークの高校でインターネット教育のプロジェクトがあり、そこの先生のテッドネレンさんから「原子爆弾による被爆の話」をこのプロジェクトのレッスンの第一号テーマとして取り上げる予定とのことです。
このプロジェクトの詳細については下記のURLをご覧ください。

http://mbhs.bergtraum.k12.ny.us
http://www.dorsai.org/~tnellen
この高校のインターネットへの取り組みには驚かされます。

私も、このページ、皆様からの御感想も加えつつ、よりインターラクティブに更新していくつもりで居ります。
これからも皆様のご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。


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