1999年4月17-19日、韓国の馬山、昌信大学訪問

永野美恵子




「寺尾先生の被爆の記録」を英語の教科書に掲載したいので、許可を頂きたいという英語のメールが松村亮司さんの所に飛び込んできたのは、昨年の秋のことでした。

早速、寺尾先生の奥様のご了解も得て、実現の運びになりました。そして教科書が出来た時にはお祝いに韓国へ行きたい、是非いらして下さい、というメールが「原子爆弾による被爆の話」の翻訳をさせて頂いている夫(永野建一)との間に交わされました。

楽しみにしていましたら、今年の3月に李承煕(Lee Sung Hee)教授から出来あがったばかりの教科書が送られてきました。


左が新しく出版された英語の教科書、右は本になった「原子爆弾による被爆の話」


教科書は3部構成で、第2部読本のトップに寺尾先生の文章が載っていました。
大変うれしくて、すぐに寺尾先生のご仏前にお供え致しました。

17日、馬山へ
福岡から40分の飛行で韓国の釜山の近くの金海空港へ着きました。そこへ李承煕教授が車で迎えに出てくださっていました。
「教科書出版おめでとうございます」「ようこそ韓国へおいで下さいました」と挨拶は英語です。

馬山までは、歴史的な所や、博物館に案内をして下さりながらのドライブでした。馬山に着いたのはもう暗くなってから、早速、古い路地の奥にあるお店でおいしいプルコギをご馳走になりました。

18日、昌信大学へ
私たちの泊めて頂いたホテルから大学は目と鼻の先でした。馬山は海と山に挟まれた神戸に似た町と聞いていました。その山の斜面を利用してキャンパスがありました。90年の歴史を誇る高校を母体とした学校で、大学は短期大学で5000人の学生がいる創立9年の若い大学です。

早速、本日の会場の校内の教会に案内され、牧師先生、学長さん、本日の通訳をして下さる李教授の奥様のお母さま文貞愛(Mun Jong Ac)さんに紹介されました。直ちに会堂に案内され、韓国語のミサに参列を致しました。お話の内容はわかりませんでしたが、牧師さんの熱意溢れるお説教には心を動かされました。

やがて私たちが招かれて、3人で前に並びました。李教授が紹介をして下さいました。その後松村さんが私たちを代表してスピーチをしました。一言ずつ 文さんが、韓国語に通訳をして下さいます。



松村さんは、私たちの紹介の後、寺尾先生のこと、パソコン通信のこと、ホームページにしたこと、などを話しました。

皆さんが頷きながら聞いて下さっていることが分かりとてもうれしかったです。最後には大きな拍手を頂きました。会堂を出る時にも、皆さんが「カンサハムニダ」と握手をして下さる事が大変うれしかったです。寺尾先生のご遺志がまたこんな形で多くの人の心に刻まれていくことが本当にうれしいと思いました。



昼食は学長のお招きで、馬山港を見下ろす素晴らしいレストランで頂きました。
夜は、李教授のご家庭にお招きを受け、奥様や、お母さまのお手製の韓国の家庭料理の数々をご馳走になりました。
短い馬山滞在でしたが、寺尾先生のご縁で本当に素晴らしい方々に出会えた旅でした。
帰りまして、早速、寺尾先生のご仏前に今回のことをご報告致しました。



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