お寄せいただいたご意見・ご感想


木村由美 大分県 大分市  96/07/08
浦塚政子  大分県 日田市  96/07/09
松本志磨子  大分県 大分市  96/08/06
クラウス・ピーター:ノルウェー 96/08/27
スティーヴ・ペニー:オーストラリア 96/09/02
宮崎 覚 :米国ミシガン州立大学 96/09/02
ダン・プリム:アメリカ 96/09/14
井原憲吾 広島県 広島市 96/09/24
神田大吾 奈良県 奈良市 96/11/4
キャンダス・ベス:アメリカ 96/12/30
シェパード・ロビン:アメリカ 97/1/16
小野伸一 福岡県 福岡市  97/01/24
木村由美 大分県 大分市  97/01/25
ダン・プリム:アメリカ 97/02/03
谷岡英明  岡山県 岡山市 1997/02/12
ポール・モンゴメリー:アメリカ 97/02/16
 ダーレン・ソラノ:アメリカ 97/04/06
平野 浩美 愛知県 稲沢市 97/07/08
New!ホ・イン・ファン:アメリカ 97/07/24
New!土屋育子 大阪府 97/07/27
New!西川裕子 大分県 大分市 97/07/31

 ご意見、ご感想をお寄せ下さい 


木村由美 大分県 大分市  96/07/08

kimu.jpg その1に「8月6日 宮島を出て、いつものように」とあります。 多分、8月6日の朝を迎えた時は、
「いつもと同じ一日」の始まりだったんですね・・・

寺尾先生の文章を読んで、涙で途中からまともに字が読めなくなりました。
戦後50年が過ぎ、「戦後は終わった」と言う人がいますが、
戦争体験者にとって「戦後」は永久に続いているんだと感じました。
時計が8月6日で止まってしまっているようです。

今もどこかで戦争があり、核実験が繰り返されています。
地球上の生き物の中で、人間だけが「過ち」から何も学ぼうとしない 愚かな生物なんだと思ってしまいます。

この文章がcafeに書き込まれた時に、リアルタイムで読みたかったです。 寺尾先生とお話したかったです。

寺尾先生、辛い思いを文章にしていただいて、ありがとうございました。
松村さん、再UPして、新人コアラの私とこの体験談との出会いを作っていただいてありがとうございました。


浦塚政子  大分県 日田市 96/07/09

 そうですね

 木村さん、私も同感です。

 松村さんにここに再UPしていただき、6年前へ イエ、51年前へと、私の心はタイムスリップ致しました。

この記録をプリントファイルして残すことにしました。
惨い戦争を後生の人に伝えていくことが、私達戦争経験者の務めだと思います。一人でも多くの人に読んで頂きたい為に残しました。

 先日、友人の一人が、寺尾先生のかっての教え子であることが判り、先生の御訃報と共にこの御遺稿の事をお知らせしました。先生が原爆に会われたことは知っていましたが、このプリントをお渡ししたら抱きしめて帰りましたが、ご主人と一緒に何回も何回も繰り返し読んでいらっしゃるのだそうです。涙をためてお礼を言われました。

 此の国に、こんな平和がおとづれるなどと、あの時誰がどうして想像出来たでしょう。私達は、あの戦争の犠牲者となった相手国や自国の何千万の尊い命と引き替えに得た平和で有ることを、ゆめゆめ忘れてはいけません。

 寺尾先生の勇気有るこの「原爆体験記」こそ、コアラ誕生以来の最高の価値有る発言だと思います。木村さんのおっしゃっているように、もっと沢山の人達の目に留まる事を祈っています。

松村さん、本当にありがとうございました。

                            浦塚



松本志磨子  大分県 大分市 96/08/06

 今日は8月6日です。まだ自分でうまく言えませんが、思ったことを書かせていただきます。

 松村さんに寺尾先生の体験記に関して、お話をお聞きしてすぐに読ませていただきました。

 変な言い方になってしまうかもしれませんが、私は通信をやっていて本当に良かったと感じました。
受け手であり、送り手である通信という媒体のなかで、読ませていただいたからこそ、実際に寺尾先生にお会いしていなくても先生のこの50年間の苦しいお気持ち、つらいお気持ちを、自分なりに感じ取ることができたような気がします。

 これが、一方的に情報が送られてくる新聞、テレビでは、これほどまでに心のなかには響いてこなかったでしょう。

 今年は原爆投下から51年目です。しかし50年という節目の昨年と違い、ほとんど関係の記事を目にしたり、話題にのぼることがありません。

 なにか区切りがついたという感じさえします。
 でも、本当にそうなのでしょうか?

 被爆された方々は、まだ苦しんでいます。
核実験は行われてます。戦争はこの世界からなくなっていません。
広島、長崎のことはまだ終わってないのです。

まだ人々の心の中から消えてはいけないことではないでしょうか。
私は友人にこのホームページのことを知らせようと思ってます。

 寺尾先生の手記に関しては、何度読んでも涙が出てきてしまいます。
おつらかっただろうに、coaraで書いてくださり、本当にありがとうございます。
もっとはやくにcoaraに入って、寺尾先生にお会いしたかったです。
 また、寺尾先生の手記を読む機会を与えてくださった松村さんには本当に感謝いたします。
 ありがとうございました。

                     松本志磨子(shima)



クラウス・ピーター:ノルウェー 96/08/27

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

永野さんの「お盆」のページで「寺尾メモ」へのリンクを知らせてくれてありがとうございます。学校で1時間かけて「原子爆弾による被爆の話」を読みました。
ショックでした。言うべき言葉を知りません。

故寺尾さんが被爆当時のことを思い出すたびに感じたであろうパニックを本当に理解できるのはおそらく被爆者(または戦争犠牲者)のみでしょう。私は寺尾さんがその体験を人に話すことによって最終的には心の安らぎを得られたことと思います。私もサイレンの音やプロペラ機の爆音を聞くたびに不安に駆られ、身の毛がよだつ思いをする人々を知っています。

誰もがそう願うように私も人類が二度と戦火の地獄に突き進んではならないと考えます。
しかしこの点について私はどちらかといえば悲観的です。1945年以降も数多くの戦争が 起こっています。
「文明化」されたはずのヨーロッパでさえ戦争という犯罪を目撃してきました。人々は過去の教訓からなかなか学ぼうとはせず、忘れるのは早いのです。

だからこそこの教訓を常に繰り返し伝えなければならないのです。さらには私たちは戦争によって財産や権力、名誉などを得ようとする人がいまだに存在することを決して許してはなりません。



スティーヴ・ペニー:オーストラリア 96/09/02

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

永野さん、あなたのホームページに松村さんのサイトへのリンクを張ってくれて感謝しています。故寺尾さんの「原子爆弾による被爆の話」を読みました。
私が小さい頃、祖父が広島・長崎の原爆の話をしてくれました。わたしはそれを聞いて怒り、同情、悲しみ、そして苦痛を感じました。わたしは原爆について多くの資料を読み記録映画や写真を見、またなぜ原爆が投下されたのかについても聞きました。

私はどのような理由があるにせよ、あのような恐ろしいことをしてはならないと強く思います。この残虐行為を世界中の人に知らせ常にそれを思い起こさせるべきと考えます。



宮崎 覚 :米国ミシガン州立大学 96/09/02

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

寺尾さんは結局もっと書きたかったのだけれど、耐えきれずに止めたのか、それとも、本当にもうあれ以上書くのが嫌になって止めたのか、今となってはわかりませんが、私個人的には、もう少し書いてあったらと思っています。しかしあれだけの描写でも十分原爆の悲惨さが伝わってくると思います。でもやがては世代が交代し被爆者自身の口から直接聞けなくなるともう歴史の一ページとしてしか扱われなくなるかと思うとやはり、悲しくなります。



ダン・プリム:アメリカ 96/09/14

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

寺尾メモに関する私の考え

Dan4.gif  私は故寺尾先生の手記を読んでいろいろと感じ、また考えされられました。最初に私は体験した恐怖感がどんなものだったかを、ついでこのような信じがたい状況の中で寺尾さんがショックで感覚が麻痺してしまっただあろうことに思いを馳せました。さらには原爆被災者が耐えてきた消すに消されぬ精神的、肉体的傷痕について考えました。私は被爆者の苦難、痛みに心から深い悲しみを感じます。私はいままで長い間寺尾さんの体験について考えてきましたが最終的に戦争そのものについて考えざるを得なくなりました。寺尾さんの苦しみはそれが天災ではなく、人間が周到に準備した行為、すなわち戦争によってもたらされたものだけにいっそう耐え難い苦痛だったのです。ある人々が他の人々を傷つけ殺害しようと意図することが破壊と苦痛の原因となるのです。この異常な状況を「戦争」と呼んでいます。見るも恐ろしい戦争行為の結果を記述することにより寺尾さんは平和の大切さを私たちに教えてくれたのです。

 しかしながら平和な世界を創り出し、それを維持してゆくためには私たちはなぜ戦争が起こるのかを理解する必要があります。一体、何の必要があって人を殺すのでしょうか。どんな種類の人間が他人を殺害するのでしょうか。この問いかけに対して既に二千年以上も前に答えが出されています。古代共和制ギリシャの哲学者プラトーは師ソクラテスの「正義」社会の探求について著述しています。ソクラテスの到達した結論は、最も良い社会とは贅沢さのない質素な社会である、というものです。人の欲望を掻き立てるようなものの無い質素な社会は常に平和であると述べています。この考え方に接して私はスペインの南米征服を思い起こしました。南米に黄金があったばかりにある文明全体が消滅し、何百万人もの生命が失われたのです。これはすべて人間の欲望を満たすために行われことです。

 ソクラテスによれば人間の発達には三つの段階があります。私はこの発達段階という考え方が人が他人に対して暴力を振るう傾向をよく示していると思います。第一の段階は生存のためのものです。つまり、食物、住居、衣服、および子孫を残すことです。これらはいずれも肉体的なもので、そこでは自分のことにしか関心が払われません。この段階にある人は自分の快適さや安全を脅かす者を平気で傷つけます。

 第二の段階は精神的な目覚めです。この段階では人は他人からの尊敬や賞賛を集めることを目的に行動し、それが名声、名誉、および富裕といった形になります。この段階では人間は自己の生存のために他人を殺害することはありませんが、富と名声を得るためには戦争をおこすのです。

 第三の、そして最終段階は理解と理性です。知的な、精神的な段階です。ここに到達した人は自己賞賛の愚劣さを認識しています。この段階に到達して初めて人は他人の悩みに対して哀れみを感じ、同情し、自分をすべての人々と結びつけて考えるようになります。この段階では人の行動規範は最大多数にとっての最大利益です。他人に危害を加えるような可能性はほとんどありません。これこそがソクラテスの求める哲学を持った理想社会の段階です。

 以上述べたことから考えてみると寺尾さんの体験は第一段階の人間が第二段階の政府に支配された必然的な結果であることが明白になります。つまり、無知な人々が無知な指導者を選ぶのです。愚かな、追いつめられた民衆がお前たちを苦痛から救ってやるぞと言われて、不適切な破壊主義的指導者を選んでしまうであろうことは想像に難くありません。1930年代に方角を失い混乱のなかにあったドイツの民衆はその解決の糸口をアドルフ・ヒットラーに見い出しました。この悲劇的な判断の誤りの結果、数百万人の人々が命を失いました。当時人々にもう少し判断力があったらヒットラーのユダヤ人に対する憎悪の念やゲルマン民族の優位性などという馬鹿げた主張には共鳴しなかったでことでしょう。

 したがって教育こそが平和を築き推進するために必須の条件となります。しかし一般的な論議ではほとんど役に立ちません。自己反省、自分自身への冷静な問いかけ、責任感、および勇気ある行動といったものの価値を認めてこそ理性ある考え方や自覚が生まれてきます。残念ながら今日の最先端といわれる社会形態は生産と消費に全面的に依存しています。人生には物質的な充足や個人の利益などよりももっと大切なものがあることに気付いている人はほとんど居りません。

 しかし物質至上主義から脱却することは可能であるばかりでなく、それは大きな喜びをもたらしてくれます。これにより愚劣な想像上の「必要なもの」の呪縛から開放されるとともに人を助けることの極めて大きな充足感が得られます。私たちの中には大哲学者のように脚光を浴びてその存在感を享受するような人はほとんど居ないでしょうが、世界を理解する見方を改めるべく行動し、周りの人々にも同様にするよう手助けすることは誰にでもできます。お互いに助け合い、配慮することが全地球規模で最重要事項であると認識されるようになれば世界平和は容易に実現するでしょう。




井原憲吾 広島県 広島市 96/09/24

 朝日新聞朝刊9月22日を読みましてアクセスしました。

 老人保健施設に勤めている関係で被爆者の方とのかかわりも日常の生活の中にあります。

 私の祖父も広島に駐屯していた陸軍曉部隊の生き残りです。原爆手帳を取得する要件を満たしていたようですが、敢えて取得しなかったようです。孫の私には詳しい話しをしてくれませんが、戦争の体験は語り尽くせないものがあると思います。
 語りたくないのに無理強いすることはできませんが、寺尾先生のように次世代に体験を語り継いで欲しいと思っています。

 有意義な活動と思います。これからも頑張って下さい。



神田大吾 奈良県 奈良市 96/11/4

 私は、奈良県で教員をしております、神田 大吾 というものです。
現在、6年生を担任しておりまして11月7、8と広島に修学旅行に行きます。
 それに伴い、平和教育を現在実践中であります。
 インターネットでの原爆に関する資料を探しておりましたとき寺尾先生の原爆体験談を読ませていただきました。映画や写真を見ていた私ですが、背筋が凍り付くような思いで読ませていただきました。また、長年、被爆体験について口をお開きにならなかった先生のお気持ちを想像するに、本当につらいものを感じました。

 私は広島県の生まれで、祖父は被爆しております。先生のお話にあった工場と爆心地からの距離がほぼ同(と思う)宇品と言うところの工場で被爆しました。
 祖父からは、原爆の話は聞いておりません(私が6歳の時亡くなった)。父が祖父の被爆の様子を語ってくれました。祖父は工場の中におり、ぴかっと光って、工場の外にいたものはおどろいて中に入り、工場の中にいたものはおどろいて外に出た。それで祖父はあのせん光も、爆風の影響も偶然会わずにすんだというのです。

 それで今回、寺尾先生のお話が、まるで私の祖父の話のようでとても冷静によんでいられる状態ではありませんでした。祖父は、死ぬまで被爆体験を家族に詳しく話さなかったようです。

 明日から、また6年生27名といっしょに広島への修学旅行の取り組みを続けます。
 貴重な体験談、もしよろしければクラスの子どもたちに紹介したいのですが、いかがでしょうか。

神田 大吾 28歳

編集者より返信 96/11/4

お読みいただきありがとうございます。
どうぞ、子供達に紹介して下さい。

原爆というものが、戦争というものが、社会の教科書の中の史実の1つとして扱われる中、「核兵器」「戦争」という人間の存在に対する大きな矛盾が、どのように人達に伝えることができるか、私は寺尾先生のこの文章とそして編集作業を通して考えさせられました。

子供達の、子供達の年齢にして、その心のほんの片隅にでも残ってもらえれば、同じ教育者だった寺尾先生が天上からお喜びになられると思います。

有意義な修学旅行になることをお祈りいたします。

追伸

神田先生、先生の御感想のメール、「原子爆弾による被爆の話」の中に転載させていただきたいのですが、どうでしょう。

読んで下さった方の、一人一人の思いをこのページに書き加えることによって、寺尾先生のご遺志をより発展させていきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。

また、子供達の反応などもお聞かせいただけると幸いです。


  96/11/5

松村さん

 先日の「寺尾先生の原爆体験談を拝読して」を転載していただいて結構です。

 今日、隣のクラスの子が、戦争に関する聞き取り調査として、聞く人がどうしてもいなかったのでインターネットで検索して同じ寺尾先生の体験談を自分の感想といっしょにレポートとしてまとめているのを見ました。

 その隣の先生も、この体験談は生々しく読ませてもらったとおっしゃっていました。
この奇遇、不思議に思いました。

 子どもたちにどれだけおろせるかということについては、大変不安ですが、がんばってみます。また、報告させていただきます。

神田 大吾 from 奈良市



キャンダス・ベス:アメリカ 96/12/30

  このメッセージは永野さんのホームページを見て海外から寄せられた反響です

松村さん、

寺尾先生の手記とその反響を読んだ後、すぐに松村さんにお便りを書こうと思いながら今日まで出来ませんでした。改めてこの年末に寺尾メモを読み返しました。

何度読み返しても涙が溢れてきます。と同時に心休まる思いがして人生を振り返ることができました。年の瀬はこのようなことをする時であり、生かされていることに感謝し私達が祝福されていることに思いを馳せる時でもあります。

松村さんのページを拝読して世の中には善意の人々が居ると同時にそれを悪夢に変えてしまう人々も居ることも分かりました。これこそが故寺尾先生がご自分の生涯を通じて訴えたかったことだったのでしょう。寺尾先生のお言葉は人々、特に若い人に対する優しさと慈愛に満ちており、本当に素晴らしい記念碑です。私は先生の魂もとても喜んでおられると思います。先生をはじめとする方々のおかげで私は自分で考え、感じ、そして一人の人間として成長することができました。

私はニューヨークで外周り、旅行、接待といった多忙な生活にあけくれています。このメモワールのようなものを読むことは私にとって何を優先すべきかというバランス感覚を保つのに役立っています。これもあなたを始めとするコアラの皆さんのおかげです。

皆様方が健やかでよい新年をお迎えされますよう、また良いお仕事をされますようお祈り致します。

Candace Veth

編集者より返信 97/01/01

Candace Vethさん、メッセージありがとうございました。

明けましておめでとうございます。ニューヨークの元旦はいかがでしょうか?

寺尾先生の文章、編集したこの私も何度読んでも涙があふれます。
戦争を、そして核兵器による被爆という人生においてこれほど苦しいことがありえないというようなことを経験され、その傷跡を50年背負い続けてきた寺尾先生の、心の底からわき出てきた文章、私達はいろんなことを教わりました。

50年間、ほとんど御自分の葬り去りたかった忌まわしい体験を口に出さずに過ごされてきた寺尾先生が、コンピューターネットワークによるコミニュケーションにおいて、はじめて御自分のご意志で告白された寺尾メモの重み。私も自分の生きてきた中これほど衝撃的で考えさせられたものはありませんでした。

寺尾先生のこの文章は、国境や民族、文化を越え、全人類に語りかけたモニュメントとして、広くいろんな方々に知っていただきたい、また末永く残さねばならないものと私も考えております。

これからもこのサイト、お見守りください。

1997年がすばらしい年になりますよう、また、いつの日か寺尾先生の墓前に、「この世界から核兵器は全て無くなりました」と報告できる日が来ることを祈りながら1997年の初日の出を迎えたいと思います。 Candace Vethさんにとって、新しい年が明るく充実した年になるようお祈り申し上げます。

                         松村亮司

P.S.
もしよろしければ、あなたのメッセージを寺尾メモの「読者よりの感想」の覧に掲載いたしたいと思いますがいかがなものでしょう?
このページ多くの方の御感想を付け加えながら、少しづつでもインターラクティブなものに発展していきたいと考えております。

1995/01/02

松村さん、

丁重なメッセージとともに松村さんのお考えを聞かせて頂きありがとうございました。
ニューヨークのお正月はどうですかとのことですが、ただ一言、”寒い”です。気温は摂氏でマイナス9度くらいですので主人も私もほとんど一日中、家に閉じこもっています。

私は時としてこの世界は非常に住み良いところばかりではないと思うことがありますが、寺尾先生のメモやそれに寄せられたレスポンス、そして松村さんからの私へのメッセージなどを読むと、良い人がたくさん居ることが分かり、心温まるものを感じます。

善は悪から生ずることもあるのです。寺尾先生は高価な代償を支払いましたが御自分の手記を書くことによりこの世に善を残されました。先生はそうすることでどれほど多くの人々の心を一つに纏めてくれたことでしょう。また私達に人生について考えさせその価値を気付かせるとともに核兵器がいかに愚かなものであるかを教えてくれました。

私は、寺尾先生が世の中がコンピューターの時代になりCOARAの人々に巡り合うまで、御自分の経験をお話にならなかったのは、神様がそうさせたのだと思います。

寺尾メモをお知らせ下さり、改めてお礼申し上げます。

私のメッセージ、どうぞ御自由にネットに載せてくださって結構です。なんと名誉なことでしょう。このすばらしいニュースを明日事務所に行って皆に話そうと思います。

1997年がよい年でありますように。

今後ともお便り下さい。

Candace Veth



シェパード・ロビン:アメリカ 97/1/16

親愛なる友人の皆様

私はアメリカ人の一人として寺尾さんの広島での悪夢の体験を恐怖感なしには読めませんでした。私の母国アメリカが1945年のその日に行った極めて恐ろしい行為は国家の犯罪であり、私もアメリカ国民の一員としてこれに加担していることになります。

私は幼い頃、昭和32年から35年まで日本に住んでいたことがありますがそのことをとても誇りに思っております。おぼろげではありますがその頃のことを今でも憶えております。当時の幸せな日々のことや日本の人々が外国から来た小さな男の子にとても親切にしてくれたことなどを楽しく想い出しております。

富士山にも登りました。私はその神聖な山の山小屋で一泊し、翌朝頂上に立ちました。

今までに世界中で数多くの戦争が繰り返されてきましたが、これからはそのようなことは決して、決してあってはなりません。私は私の兄弟姉妹である日本の皆さんが先頭に立ち、私達と共にこの忌むべき核兵器をこの地球上から永久に葬り去ることを強く訴えたいと考えます。

敬具

シェパード・ロビン(Mr.)
アメリカ・カリフォルニア州 ナパ

編集者より返信 97/01/20

ロビン・シェパード 様

メッセージありがとうございました。Robin Sheppardさんの日本を愛してくださっているその思い、そして母国を思うその思い、平和を祈念する心、とても感動しました。

Robin Sheppardさんが「アメリカ人の一人として」とはじめられたメッセージ、私の心に深く突き刺さりました。私も「日本人の一人として」と考えたならば、過去、そして現在と続く多くの過ちを考えずにはおれません。

人間社会がこれほど文化が成熟し、科学が進歩しても、人と人が殺し合うという戦争というものが依然として人間社会から無くならないという矛盾。私は「一つの国の国民」としてというよりも「一人の人間として」 考えていかなければならないと、寺尾先生の心の叫びを読むにつれ感じるようになりました。

今、また寺尾先生の文章を読み返すと、気づいたことに、その中に「アメリカ」という言葉も、「日本」という言葉も一言も出てきません。淡々と御自分の体験された葬り去りたかった悪夢の記憶を語っていらっしゃるだけなのです。

そして、最後に結ばれた「再び叫びます。こんなことが二度とあってはなりません」というお言葉、「核兵器」とか「戦争」と言わず、「こんなこと」とおっしゃっています。御自分が経験され、心深く傷つかれたことだからこそ「こんなことが」というお言葉になったのではないかと思います。

寺尾先生のこの文章は、国家に向けられたものでも社会に向けられたものでも無く、私達人間一人一人の心の中に向けられたものなのでしょう。寺尾先生は、御自分の辛い体験の告白の中、真の平和は一人一人の心の奥底より生まれ育って来るべきものだということを訴えたかったのではないかと思います。

原爆を体験し、生きた地獄を見、その心の傷と放射能による自分のそして子孫への不安を50年間抱え続けてきた一人の老人の告白からはじまったほんの小さなムーブメント。その心の叫びが全人類の心の中に届きますようにこのサイトを私達は作りました。

どうぞこれからもこのサイトをよろしくお願いします。

     「原子爆弾による被爆の話」編集者 松村亮司



小野伸一 福岡県 福岡市  97/01/24

戦争を知らない世代の私には、全てを理解するのは無理かもしれません。
でも、少しでもその悲惨さに触れ、起こしてはならない事・あっては ならない事だと強く心に刻みこまなければいけませんね。
犠牲になられた方々の苦しみや無念な気持ちを私達が知り、 少しでもその御霊を慰める事ができればと思います。

戦争中は敵国を憎む事、自国が正義である事を教え込まれ、 戦わなくてはならない状況にあったのだろうと推測しています。 誰がその責任者だったのか?昔から疑問に思っていました。

最前線で戦った人々も、内地で武器製造に携わった人々も、 きっと当時の状況下ではそうするしかなかったのでしょう。 最高指導者であった人も、特異な精神状態にあったのでは ないでしょうか。 誰かを憎むというより、戦争そのものを憎むしかないのかもしれませんね。

平和な世界に生まれた私達は、時に戦争をかっこいいものと とらえる事があります。 戦闘シミュレーションゲームや、戦争映画、私も喜んで これらのものに接する事があります。 本当の戦争の悲惨さを知らない為かもしれませんが、 戦争で犠牲になった方々は嘆かわしく思っているに違いありません。

寺尾先生のように、勇気を持ってお話をしてくださった方の力をお借りして、 けして過ちを繰り返す事のないように心に刻み、 私達からも後世に語り継がねばならないと、決意いたしました。

天国にいる寺尾先生、どうぞ見守っていてください。

小野 伸一



木村由美 大分県 大分市  97/01/25

私は、国やその国に住む人を憎みたくはないです。
「原爆投下」「戦争」という行為を憎みます。 (「憎む」という表現は、適切では、ないような気もしますが)

「原爆」や「戦争」に「NO」という意志を表示するのは、 私が日本人だからではなく、人間だからだと思います。
自分の属する国から離れたところで物を考えたら、 境界線を国で仕切るのではなく、もっと大きな規模で考えたら、 もう少し「まし」な世の中になるような気がします。

でも、だからと言って私の国、「日本」のしてきた事に 目を背けることはいけないと思います。
戦争で他の国から「されたこと」は、教科書で習いましたが、 日本が他の国に「したこと」を習った記憶はありません。 それらの数々は、大人になって自然と耳に入ってきました。

「歴史」を学ぶのは、未来のため。同じ過ちを繰り返さないため。

平和な世界を私たち一人一人が築いていく。
それが、寺尾先生に、そして、被爆された方々、 戦争で亡くなった方々に対する私たちからの返答だと思います。



ダン・プリム:アメリカ 97/02/03

松村さんの編集者雑感を読みました.

日本の人々は歴史上に何があったかを完璧に理解しようと努め、日本が帝国主義時代 にどんな戦争犯罪行為をしたかを学ぶことができました。その結果、自分たちの祖父 や親の世代が犯した過ちについて強い罪の意識を感じることが往々にしてあります。 当時の日本人が残虐行為や犯行に関与したことについて現在の日本人がそれを恥ずべ きこと、残念なことと感ずるのは当然ですが、祖先の行った行為に対して戦後の日本 人が個人的責任を感ずることはないのではないかと思います。

アジア、特に中国および朝鮮の人々がいまだに日本政府のいろいろな公式見解や政策 に怒りを抱いているのは事実でしょう。彼等の怒りのなかにはもっともなものもあり ましょうがだからといってその怒りの感情を平和を愛し、彼等に同情を寄せる日本人 に向けるのはこれもまた悲しむべき誤りです。

私は世界中の人々を代弁することは出来ませんがただ、大部分のアメリカ人は日本が 過去に過ちを犯したからといって現在の日本人に対して悪意を抱いてはいないと考え ています。どの民族であっても暴力行為や判断の過ちはして来ているのです。大切な ことはその事実を認め、今後そのようなことは繰り返さないことです。

今なお生きている日本の旧軍人・軍属の人々に対しても私達は理解を示し許しを与え るべきです。彼等の大部分は罪の意識に苛まれ、その行為を恥じ、懺悔していると思 います。もう十分なのです、いや、十分過ぎるかも知れません。私達はもし私達自身 が当時の彼等と同じ立場であったら何をしていたであろうかを考えなければなりませ ん。もし彼等の家族の一員として生まれ当時の政府の下にあったら、それでも彼等と は全く異なった行動ができたでしょうか。同じ事は原爆を広島と長崎に投下する道を 選んだアメリカ政府についても言えます。当時のアメリカ政府の見方は(多分間違っ ていたのでしょうが)、より多くの人命を失わせないためにそれを選んだのです。こ れについては今後より多くの事が解明されることが望ましいのです。

私達が過ちを犯す原因は人間の無知と弱さにあります。取るべき正しい行動を知らず 、何が正しいのかを知ろうとしない内面的弱さが原因なのです。過ちが戦争につなが るのです。これを避けようとするなら私達は私達の子供たち、そして究極的には全世 界の人々を正しく教育し訓練しなければなりません。松村さんが言われたように、私 達は重大な決定を下す際には可能な限りいろいろな見方を取り入れるべきでありどう したらそう出来るかを学ばなければなりません。そうすれば私達は力を得ることが出 来、最も適した行動を取るにはどうすればよいかを追求することができます。真に文 明化された世界では戦争する理由はありません。そのような文明世界を築いて行くの が我々の責任なのです。

ダン・プリム (Arizona, USA)




谷岡 英明  岡山県 岡山市 1997/02/12

 原爆についての手記を読んで、今はなんとも言えない気分です。僕は小学生の頃、 図書室にあった「裸足のゲン」を読んで原爆に興味を持ちました。同じく小学生の頃 、家族旅行で広島を訪れ、原爆資料館の様々な写真・資料を見て心の底から恐怖を感 じました。寺尾先生をはじめ、たくさんの方がおっしゃるように「こんなことは2度 とあってはならない」と思います。
 いまどき、かなり精巧なゲームがあるじゃないですか。バーチャなんとか、ってい うタイプの。馬鹿げた話かもしれないですが、戦争したいヤツはコンピュータ上のバ ーチャルな世界でやってくれ、と言いたいです。それで決着つけてくれ、と。本当は それ以前に「戦争なんかすな」と言いたいところですが。




ポール・モンゴメリー:アメリカ 97/02/16

たった今、寺尾メモを読みました。本当に感動しました。私は当時がどんなに恐ろし い時代であったか想像することさえ出来ません。当時の人々が抱いていた感情や不安 感といったものは私にはこれからも到底理解できないでしょう。私は今の時代に生き る人々が憎しみや偏見を捨て去り、これに代わって同情の念を持って日々の生活を過 ごすようになることを願うばかりです。

私達市民は誰でもこの世界に責任を持っています。ですから私達の子供たちが当時の 人々が舐めた苦しみのたとえ半分でさえも経験しなくて済むようにすることが私達の 努めなのです。
松村さん、この寺尾メモを世界の人々と分かち合って読む機会を与えて下さってあり がとうございます。もう寝る時間となりましたが、大切な事を考えさせられ今夜は眠 れそうにありません。

1997年2月16日



ダーレン・ソラノ:アメリカ 97/04/06

私はアメリカ・カリフォルニア州フレスノの高校生で、ダーレン・ソラノと申します。私の両親はフィリピン人です。以前、両親から貴方の国で昔起こった悲劇について少し聞いたことがあります。いま、その全容を知りました。どうしてこんなことが起こったのでしょうか、このショックをどう表現してよいのか分かりません。松村さん、あなたはこのサイトを通じて全人類に再び原爆を使用してはならないと決心させたのです。

 ダーレン・ソラノ

 97/04/07

どうぞ私のメッセージをアップして下さい。
改めてあなたがこのサイトを開設し、全世界の人々にこの悲劇的な大量虐殺の事実を知らせて下さっていることに感謝いたします。私は個人的にはアメリカはたとえそれが戦争中であったとはいえ、このような破壊は行うべきではなかったと考えています。これからもあなたのこの素晴らしいサイトをお続け下さい。私もあなたのサイトを多くの人々に伝えるべくベストを尽くします。



平野 浩美 愛知県 稲沢市 97/07/08

 私の名前は平野浩美と申します。愛知県稲沢市の中学校で国語を教えています。
 寺尾先生の原爆体験と,それに寄せられたたくさんの善意の人々のメッセージを読ませていただき,本当に感動しました。
 私自身も,父母から戦争体験を聞かされて育ちました。高校の時に修学旅行で行った原爆資料館のことも,強く心に残っています。「はだしのゲン」「原爆の子」なども読みました。
 教師になってから,毎年7月になると,「平和」をテーマにした話を扱います。今年も,広島テレビが制作された「碑」を,1年の生徒にテープで聞かせました。
 何度聞いても,涙なしには聞くことができません。子供たちも,みんな真剣に聞いていました。「近頃の若者は…。」ということがよく言われますが,今年の生徒もきちんと受け止めてくれました。
 世間では,神戸の殺人事件で話題はもちきりです。よく教育問題が取り沙汰されますが,昔も今も,子供たちの心は純粋です。こうした戦争体験も,きちんと子供たちに伝えていけば,豊かな心が育っていくのではないでしょうか。
 まだインターネットを始めて間もない私ですが,やっていてよかったなあと思いました。明日からの授業で,寺尾先生の体験やいろいろな方のメッセージを紹介させていただいてもよろしいでしょうか。また,何か良い資料がありましたら,是非教えていただきたいと思います。

愛知県稲沢市立大里中学校教諭 平野 浩美

平野 浩美 愛知県 稲沢市 97/07/22

 先だってEメールを送った平野です。もう少し早くお便りをさしあげようと思ったのですが…。学期末の事務処理に追われて遅くなってしまいました。早速授業の様子をお知らせします。

 中学1年生154人、4クラスで授業を行いました。1時間目に「碑(いしぶみ)」という原子爆弾に関するドキュメンタリーをテープで聞きます。2時間目に簡単に感想を発表した後、一人一人が自由に学習の課題を設定します。3・4時間目に資料を使って調べたり、まとめたりします。5・6時間目に発表をし、最後に感想をまとめます。
   学習課題には、いろいろなものが出てきました。
 (1) 「碑」の登場人物に手紙を書く。
 (2) 「平和」に関する感想文を書く。
 (3) 「碑」を工夫して朗読する。
 (4) 「碑」の背景を調べる。
 (5) その他…原子爆弾・太平洋戦争・戦時下の暮らしなど

 みんな一生懸命調べたり、まとめたりしていました。学校の図書室の資料を使ったり、家の本を持ってきたり、お家の方に戦争体験を聞いてきたり。中にはインターネットで広島市のホームページにアクセスした生徒もありました。調べたことは模造紙にまとめたり、印刷したりして発表しました。全員が発表した後、私が「寺尾先生の体験談」を発表しました。

 発表後の生徒の感想を載せます。

 原爆によって死んだ人も生き残った人も、とてもつらいことがわかった。この爆弾はなんて恐ろしいものなのだろう。たった一つで広島をいっぺんに破壊するなんて…。水爆はその700倍だとすると、一体どれだけすごい破壊力なのか見当もつかない。なんでこんな恐ろしいものを人は作るのだろう。実験という名目で爆発させているというが、それが何になるのだろう。人は地球を破壊するなと言って、自分自身の手で破壊しているのだ。どうしてなのだろう。  (S・S男)

 私はみんなの発表や先生のお話を聞いてこう思いました。
 まず、原爆はとても悲惨で恐ろしいものだと思いました。先生から「寺尾」さんの話を聞いて、とても怖かったです。数秒のうちに外の風景が変わり、しかも家がだんだん倒れて自分の方に(爆風が)近づいてくるのが見えるなんて…。一瞬にして死んでしまった人。生き残っても心に深い傷を負った人。どちらもとてもつらいと思います。

 寺尾さんはなぜ何十年も被爆の話をしなかったのでしょうか。それは本人にしか分からない悲惨な光景を思い出したくなかったからだと思います。
 もう二度とこんな悲惨な戦争がおきないようにしたい。核兵器などをなくして平和な世界になってほしいと思いました。 (M・N女)

 どの感想も平和について真剣に考えているものばかりでした。今後も、こうした平和教育をどんどん実践していきたいと思います。



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ホ・イン・ファン:アメリカ 97/07/24

私はいままで学校で原子爆弾についての討論があったとき、アメリカ政府の決定は正しかったと主張してきました。私の祖父は大戦中には中国に住んでいました。祖父は当時の日本軍兵士による残虐行為や、アメリカがいかに偉大であるかについて繰り返し私に話してくれました。非常に感受性の強い年頃だった私は日本人に対する祖父の憎しみをそのまま受け入れていました。

大きくなってから私は物事というものは単純に善悪に割り切れるものではなく、常に灰色の部分があることを学びました。私は最近第二次世界大戦の歴史について大変興味を持つようになりました。私は原爆投下決定の経緯やそれに対する反対論について非常にたくさんの文献を読み始めました。

今夜、私は故寺尾先生のメモのサイトに出会いました。今までは私にとっては原爆がどういうものであるかを実感として感ずることはなく、単に次の歴史の試験のためにその日付を暗記しておくだけの統計資料の一つに過ぎませんでした。以前、「シンドラーのリスト」を読んでナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の実態を知ったように、寺尾メモを読んで初めてこの恐ろしい出来事が私の心の中で現実のものとなりました。私は今、学校の討論会でアメリカの原爆投下を熱心に支持してきたことや、小さいころから日本人は悪魔の民族であると信じ込まされてきたことを後悔しています。私はいま、私が言ったこと、考えてきたことを振り返っています。そしていま初めて原爆犠牲者の実態が頭の中に刻み込まれ、私の心は呵責の念と悔悟の思いで一杯です。

原爆投下や第二次世界大戦やすべての戦争のことはたとえ忘れてしまいたいと思っても、これを世界中の若者に教育し続けなければなりません。その際にはいまの教科書のようなあまりにも回りくどいやりかたではなくもっとよい方法を考え出さなければなりません。
もしそうしなければ次の世代はこの恐ろしい出来事を単なる試験勉強の一資料としてしか考えず、人類は再度これらの最も馬鹿げた過ちを繰り返すことになるでしょう。

今まで何も知らなかった私たちを教育する労を取っていただき感謝しております。

ホ・イン・ファン
中国系アメリカ人(16歳)



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土屋 育子 大阪府 97/07/27

 インターネットを始めて間もない初心者の土屋育子と言います。

 私は大阪府立千里高校の1年です。実は夏休みの宿題に、“戦後52年をめぐる この夏の動きについて”というテーマで、資料を集め、自分の考えをまとめるとい うものがあり、《原子爆弾》について調べていたところでこのホームページを見つ けました。

   私は今まで“戦争”についての本や記事から、目をそむけていたように思います 。あまりにも悲惨で、はっきり言って見たくなかった。でも寺尾さんの体験記を読 んで、忘れたいのにどうしても忘れられない人もいるんだと、実感しました。

   今でも世界のどこかで戦争をしている国があるのかと思うと、本当に悲しいです 。過ちを二度と繰り返さないためにも、(私も含めた)“戦争から目をそむけてい る人たち”が戦争、原爆の恐ろしさをもっと知っていく必要があると思うんです。

 もうすぐ8月6日がやってきますね・・・。この夏、“戦争”関係の本を1冊読 んでみるつもりです。

                 土屋育子



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西川 裕子 大分県 大分市 97/07/31

寺尾武治先生が、戦争についてのお話をされていたことを、 昨日(7/30)の新聞で知りました。

寺尾先生が書かれたお話を読んでの感想ですが、実のところ どのように感想を書いてよいのか分かりません。 言葉使いの変なところもあると思いますが、お許しください。

私は、戦争を体験したことがありません。戦争についての話を聞くのは、学校で行われる平和授業の時ぐらいでした。平和授業をしてくださる先生方は戦争を体験したという方は少なく、 本当の声を聞くことができませんでした。授業の合間に見せる映像もあまりにも残酷なところはあまり見せていなかったように思います。
今回、このホームページに書かれてあることを見て初めて本当の声に触れたような気がします。寺尾先生が、体験された悲しく辛い出来事をパソコン通信上に公開されるということは、すごく勇気がいることと思います。勇気がいることをしてくださった寺尾先生に感謝致します。
寺尾先生のお話が私たち戦争を体験したことのないものにとって戦争について知る良い教材になりました。

オーイーシーコンピュータサービス
  技術支援課 西川 裕子

  

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