原子爆弾による被爆の話(1)


発言1042(00739/寺尾 武治 /自由人 )91/08/03 13:32

その1

忘れたい思い出、嬉しくない嫌な思い出ですが、今年も8月6日が近付きましたので、これが最後と思い3回に分け書き込みします。
運命の昭和20年8月6日、私は広島高師理科第一部(現在の広島大学高校教員養成課程数学科)の三年生でした。一年生の中ば頃より戦争は次第に拡大し、不利な戦況をきくようになり、学徒動員で ほとんどの学生は軍隊に召集されました。しかし師範学校の学生は将来の先生ということで、徴兵猶予でした。しかしこれも後に文化系は召集され、理科系が残りました。更に戦争は急をつげ、残された我々も学徒勤労動員ということで、この年の四月より、広島市内江波町にある三菱造船所で働くことになりました。ここの造船所は1万噸級の輸送船を造っていました。私の仕事は初めは鉛の混じったゴワゴワの服をきて、カ−ボンのついた電気溶接棒で鉄板を継ぎ合わせる溶接工でした。しかし間もなく修道中学や広島商業の生徒をあずかり、教生実習が始まりました。宿舎は景勝の地宮島で、錦水館という旅館でした。毎日、江波町の造船所へは片道約1時間をかけて船で通いました。往復2時間は、米軍艦載機の空襲の危険や機雷の危険にさらされ、救命具の代わりに板切れを積み込んだものでした。この船での往復2時間は休息と読書の貴重な時間でした。また食料といえば、空きっ腹の我々には、大豆糟のご飯や小麦糠とよもぎを煉った「江波だんご」が最高のご馳走だった。

8月6日

宮島を出て、いつものように8時前に江波の造船所に着いた。よく晴れた雲一つない暑い1日が始まった。8時すこし前「空襲警報」がでて、またかとシブシブ待避、間もなく「解除」、もう馴れっこになっていた。朝礼、あずかっている中学生の点呼も終り、二階の事務室で爆心地の方向を脊に、机に向かって出欠簿の整理をしていた時の事です。何といいますか、電気溶接か、ガス溶接か、マグネシュウムをたいたような物凄く青白い眼をいるような光がピカッとひかり、一瞬世界中が真っ白になったような気がしました。とっさに私は、これは観音町のガス会社か、みささの変電所の大事故と思いました。恐いもの見たさでしょうか、わざわざ窓辺まで行き、開け放たれた窓から、事故現場と思われる方向をのぞきました。そのとき 私の目に映っ たのは、ロ−ソクの芯の様な黄色がかった紅い炎が上がり、その回りをどす黒い煙が棒のようになってたち上っています。(この時は原爆なんて知りません。それできのこ雲が、これから先たち上るのだなんて、夢にも思いませんでした)それと同時に向うの方から、家が一寸浮き上がり、ピシャツと潰れます、それが丁度海岸に立っていると、向うの方から白い波頭が、次第次第におし寄せてくるように、近づいて来ます。(これが爆風なんでしょう)そのとき初めて恐ろしさを感じました。これはいけない。自分のいるこの二階家もつぶれると感じました。一緒にいた相馬君か吉川君が何か大きな声で叫びました。机の下に素早くもぐり込みじっと息を殺して、次ぎの来るべきものを待ちました。光を見てから机の下まで、ほんの何秒間かの出来事でした。

続く

kinoko.gif 米軍撮影

巨大な原子雲。1945年8月6日。世界最初の核兵器としてのウラニウム爆弾が広島市に投下された 。そのエネルギーは、TNT火薬15キロトンと推定されている。約80キロメートル離れた瀬戸内海 上空からの撮影(投下約1時間後)。


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@レスポンス   久保木 真人 91/08/03 20:51

 絶句。
 寺尾先生がそういう体験をされていたとは知りませんでした。

なんというか・・・、息を殺して次の発言を待つ、という心境です。



@レスポンス   佐々木義朗 91/08/03 21:21

 凄い臨場感です
 衝撃波が窓から見えたような気がしました。

 貴重なお話しを拝見する機会を得た事を感謝します。
 今はとても複雑な心境です。



@レスポンス   宮瀬 雅士 91/08/04 01:20

 いつか寺尾先生が、このお話をCOARAでして下さるものとおもっていました。 語るのはたいへんつらいお話だとは思いますが、ぜひ戦争を知らない私たちのために 聞かせて下さい。



@レスポンス  浦塚政子 91/08/04 14:18

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   よくお話して下さいました
 去年の秋、*欲ぼけクラブの国東オフの時に、車の中で、先生から原爆に会われたとお聞きしましたが、あの時どうしても詳しく聞き返す勇気が出ませんでした。

 原爆投下の瞬時を、先生の瞼に焼き付いた地獄の道を・・・。

それはどんなに忘れたくても忘れられず、又一生秘めて置きたい悲しい思い出で有りましょう。でも今、次の世代の人々へ、どうしても語っておかねばならない事だと思います。

どうか、どうか頑張って続けて下さい。お願いいたします。
                     浦塚 政子

*注 COARAの1つの会議室
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