きん  りゅう  ざん



明治五年、比叡山延暦寺に帰属した大法院住職秀圓和尚を師といただく 秀教上人 
大分市上野にある円寿寺の住職、圀領豪舜和尚について修学時代のこと。

正月二十二日早暁。
勤行の後、師僧と共に境内にて毎朝のならわしで、四方遥拝。

西方の小高き山の頂に、おりしも昇りし旭日に映えて、雲の金色に光り輝きただようを見る。

その様 まさに
「金龍の天空を遊泳するが如し」と。

そして翌朝も翌々朝も、同じ様相を三日続けて観ずる。
 

 








 


 

大法院時代から、臨済寺移築後
1世紀を静かに
眺めてきた役(えん)の行者さま










 

 
何かを探し求めて走る童子が如く、若き秀教 身を打ち震わせながら、その雲のただよう場所に向かって 走る。

草木をかきわけ小高き丘に登る。
名も知らぬ小さな白い花の咲き乱れるなかに、結跏趺坐(けっかふざ)して禅定(ぜんじょう)に入る。

しばし瞑想。

時を経ずして忘我の境に到り
一瞬まどろむ。
妙なる香煙ただよい
「ハッ!」として両眼見開けば、
眼前に地蔵菩薩のご来迎を拝す。
秀教に告げてのたまわく。

「汝 この地に我をまつり大衆を教化すべし」と。

驚き伏し拝む秀教。
松風にのって妙なる
香のかほりを

かすかに残し、
ご尊姿かき消え、
後に、小鳥のさえずる声のみ。

時に、明治十五年正月の二十四日初地蔵の朝の奇瑞。
 

 
旧観(昭和初期)

 
 

ことの次第を師のご坊に詳細に話し、激励を受け二月末日をもって円寿寺に於ける修学を終わる。

しかる後、
おいづるに修験行者崇拝の
厄よけ不動尊像を奉安し、 
全国各地を遊行。

苦修練行を重ね、
生誕地尼ヶ瀬大法院に帰山。

地蔵菩薩の霊告によって、
小高き丘の上に大法院を移築することを発願。

当時尼ヶ瀬の地、水難多く、
その対策の為にも移築を決意。
広く世間の信者に呼びかけ、
その協力支援を得て、

明治二十四年早春
現在地に移築。

 

「陽春」 寺司 勝次郎
 

1990年フランス カーニュ国際美術展 金賞

「臨済寺移築百周年記念大法要に
慶讃して謹刻」
 

臨済寺中興開山 秀教上人

 

かって「金竜が遊泳するが如き雲」
ただよいし、この小高き丘を

「金龍山」と命名。

奇瑞に感得した地蔵菩薩を、
ご本尊として勧請(かんじょう)。

「仏の彼岸に衆生を済度する」

という断迷開悟、抜苦与楽の仏意から
「臨済寺」と改称。

後に昭和十年になって順應大僧正、不動明王の啓示ををいただき、ご本尊を修験伝来の不動明王と改める。

以後、開山感得の地蔵菩薩は、大法院始祖役の行者像と共に、「臨済寺開山佛」として大切におまつりされている。

 

 

     
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