に ん  に く
忍辱

彼岸の心−人間らしい心

苦悩に満ちた世界から、
やすらぎの彼岸に到達する為の
六つの修行の第三番目が「忍辱」です。
「忍辱」とは、普通に日本語訳すれば、
「忍耐」ということです。
忍耐とは、つらさ、苦しさ、怒りを
じっと耐え忍ぶことです。
が、仏教で言う忍辱の忍耐は、
慈しみの心を秘めて
耐え忍ぶということになります。
柔和を秘めた忍耐、これが忍辱です。


人には誰しも自尊心があって、
これを傷つけられることが一番腹立たしくて、
対人関係をこわす原因になります。
にもかかわらず、人間の歴史は
お互いを傷つけあうことを繰り返してきました。


お釈迦様は、人の争いのもとになる、
自尊心を傷つけられて、
なお腹を立てることなく、怒りをしずめて、
相手を慈しむ心を育てることが、
自分も他も救い、彼の岸に到る為に
一番大切なことで、この為の修行方法を、
「頭陀行」という十二ヶ条で、
弟子達にお示し下さいました。

ずたぎょう
頭陀行十二の修行

 一、山林広野の静寂な場所に住むこと。
          こつじき 
 二、常に乞食を行うこと。
 三、食を乞うのに、富んだ家と貧しい家を         区別し ないこと。
 四、一日一回に食すべき分を食すこと。
 五、鉢の中に入れられたもので満足し、
    それ以上求めないこと。
 六、正午以後は飲食しないこと。
 七、質素な衣服を着けること。
 八、三種類の衣服しか所持してはならない。
 九、場合によっては墓石の間に野宿すること。
 十、樹の下で宿ること。
 十一、大地にじかに座ること。
 十二、坐っても休んでも横にならないこと。


衣食住に於いて、
最低限度の生活をすることにおいて、
そしられても、恥しめられても、
それに動揺しない心境に到る修行法で、
出家僧に命じられました。


暑熱の国インドでは可能でも、
寒暖の差の激しい北方系の仏教国で、
すべて行うことは、まことに困難が伴い
無理かもしれませんが、
精神として学ばねばならないことは
沢山あります。


宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ・・」の詩に
頭陀行の心をうかがうことが出来ますし、
お祖師様やご開山様と尊敬される
尊いお坊さんの、小欲知足の生活の中に
十二ヶ条の心が生かされています。


罵られても、相手の心に仏心を観て、
怒ることなく相手を拝みなさいという教えが、
法華経の第20に常不軽菩薩様の話で
説かれてあります。


よれよれの僧衣をまとった修行僧が、
「私は あなたを尊敬します。
軽んじたり、あなどったりしません。
あなた達は仏となられる方々ですから」
といって礼拝して歩いていました。
人々から馬鹿にするなと石を投げつけられたり、
杖で打たれても、少しも怒らず
「・・・・皆さんは仏様になられる方々です」と、
繰り返し言い拝んでまわっていました。


人々は、彼を常不軽(常に軽んじない)
と呼ぶようになりました。
そして常不軽は、どんな辱めを受けても怒らず、
人間礼拝の一行を貫き通して、
ついに仏様になったという話があります。


また同じく法華経第10の法師品には、
「人はすべからく、如来の衣を着て、
如来の座に坐し、如来の室に入らねばならない。
如来の衣とは、柔和忍辱であり、
如来の座とは、諸法空(とらわれない)、
如来の室とは、大慈悲である。」
と、説かれてある。
これ程、人として忍辱は大切な心構えであると
力説しています。


如来の衣にたとえられる忍辱のこころとは、
柔和を伴った崇高な佛心です。
ののしり、敵意を抱く相手に、恨みや悪意を持たず、
赦す柔和な気持ちを持ち続けるわけですから、
正に仏様の心境です。


忍辱の行につとめることは、
彼岸に到る大切な道です。
お釈迦様のいろんな教えを知って、
自らを反省し、たとえわずかでも努力することは、
まことにすばらしいことです。


お互いは誰しも、自分の立場に立って
物事を考えますから、
相手の事を思いやっていても、
決して充分でない場合があります。
そして誤解を生み、
つまらぬ事でいさかいが起こります。
些細な行き違いが次第に大きくなります。
つまらぬ意地やメンツにこだわらず、
しこりの解消に早くつとめることです。


たえず自分の非を反省し、
そして相手の我が儘や間違いを気づかせるために、
その場に応じた適切な手だてが必要です。
ある時はへりくだり、ある時は笑わせ、
ある時は共に泣き、相手の立場を理解し、
こちらをも理解してもらう努力が必要です。


自制を忘れて、感情の赴くまま、すぐ腹を立て、
愚痴をこぼしたのでは、相手を傷つけ、
周囲の人の理解をなくし、結局は自滅してしまいます。

相手を理解し赦す寛容な心は、
対人関係から生じるストレスやイライラ、
或いは欲求不満の解消をもしてくれます。


今日一日、怒ることもなく、笑顔で人に接し、
優しい言葉で語りかける様につとめましょう。
たとえ、さげすみやののしりを投げかけられても、
むしろあわれみの心情を持って、その相手の心が
素直になるように念じましょう。


言うは易し、行うは難しいけれども、
互いに励まし合って忍辱の心を前に押し出して、
一歩でも彼岸に近づこうではありませんか。

     
−十億の人に 十億の母あれど
わが母に勝る母 あらめやも−

−父母の しきりに恋し 彼岸花−
延暦4年(785)7月17日
名を「最澄」と改めた、後の
伝教大師が比叡山に登り
草庵を結ぶ。 時に19歳。


入山後、「願文」を起こす。
苦悩の多い世界とはいえ、
折角得難い人間に生まれて
きたのであるから、
限りある人生を仏道修行に励み、
世の為人の為に全力を尽くしてつとめ
仏国浄土を造りたいと願われた。
生涯 忍辱の心を大切にされた。


比叡山の総本堂
大師は、お薬師様をまつり
「あきらけく 後の仏の
み代までも
光りつたえよ 法のともしび」
と詠んで、灯明を献じ
佛法の光りで世の中の
平安が続くことを祈られた。


不滅の法燈が守られ
今も お祖師のこころざしが
受け継がれている。


比叡山より眺める琵琶湖
厳しい修行に幾多の僧が
涙ながらに湖面を眺め
登り来る旭日に
勇気をふり起こしてきた・・・・・。


今も続く、比叡山の
修行の一つ、回峰行
夜中 午前2時起床
山中をくまなく歩き
仏を拝んでまわる。
但礼拝行


初心の行者は
石につまづき、爪をはがす
血まみれになる・・・・
一途に忍辱の修行


神仏に
天地自然に
祈りを捧げて
世の平安を祈る


雪中行道
比叡山に現在も
伝わる各種の修行が
忍辱を体して、
自行・利他に励む。


炎暑に耐えて咲く
小さき花に 忍辱の姿をみる