<第一章 「夢」>

 俺は、気が気ではなかった。 

講義が終わるとまっすぐに部室に行く毎日、いつもと変わらないことなのだが
ここ一週間はあるところからの連絡を俺は心待ちにしていた。

「黒澤明が大分で映画を撮るらしい」

当時熊本の大学で映画サークルに所属していた俺は、その話に何の迷いも無く飛びついた。
映画のタイトルは「乱」といい、前作「影武者」を遥かに超える規模の戦国絵巻のために
国内の映画会社からの製作資金だけでは足りない、製作は延期?とまでは聞いていたが
遂に製作が実現するようだ。 しかも熊本・大分の県境で撮るという。

「乙は黒澤信者だからなぁ、嬉しいだろ?」」
サークルの先輩は笑いながらエキストラ募集要項を見せてくれた。
大掛かりなロケのため、地元の学生や一般のエキストラを大量に必要とするらしい。
とはいうものの誰もかれもが採用されるわけでもないらしい。
「俺、絶対出ます。出なきゃいけないんです。」
何故かと聞かれても、俺はそう答えつづけただろう。 
俺にとって【あのひと】は神様だから。

エキストラ募集の説明会のため、日本ヘラルド映画の担当者が大学を訪ねてきたのはその数週間後だった。
「乱」の製作資金はなんとフランスの大物プロデューサー、セルジュ・シルベルマン氏がゴーモン社とグリニッヂ・フィルム社から日本円にして24億円を出資させてくれるという話やおおまかなストーリー、そして必要とするエキストラの数1500人、騎馬の数800騎、履歴書が必要なこと云々の説明を受けた。
頭の先から足の先までがわくわくする。 そのとき俺の状態を言葉に表現するとしたらこう言うべきだろうか。

「【あのひと】が作る映画に出演できる」

これさえ叶うのなら死んでもいいと本気で思った。
一番明るい顔で写っている写真を選び、生まれて初めて書く履歴書。
サークルの仲間数人と熱く語りながら投函した日から何日経っただろう、ヘラルド映画から通達が来た。

「1984年8月23日より、大分県飯田高原にて合戦シーンを撮影。午前5時に大学前に集合」


<第二章 「隠し砦」>

 当日朝5時に大学の前に集合した俺は前夜からあまり眠っていなかった。
スタッフの人から朝食をもらう、カロリーメイト一箱とオレンジジュースだった。
さらに撮影終了後、日当として3,000円が支給された。 割の良いバイトではないが、俺にとっては
反対にこちらがお金を払っても出演したいくらいのことだった。
やがて貸切りバスが数台やってきた。 分乗して一路飯田高原へ、道中の所要時間は約2時間。
撮影場所に近づくと胸が高まった。 こんなにも心は、はやるものなのか。

ロケ地はメインの道路からわき道に入ったところ、うっそうと茂った草むらを抜けると突如白いテントが
無数に立てられた広場が出現した。
まさに【隠し砦】であった。

現場で各バス毎に班分けされ、それぞ【隊】に隊長がつく。 あの【影武者】に出演した【三十騎の会】の
メンバーだ。 髭を蓄えた鎧武者そのものの男性が諸注意を説明する。
カメラは様々な角度から10数台廻している、決して笑ったりしないこと。
「命をかけて挑む侍は合戦の時、口を開けない。」
この言葉は俺の胸に焼きついた。
諸注意を受けた後、着替え場所に案内された。 ブルーシートを広げた上に山のような鎧・甲冑・足袋
草鞋・刀・槍・・・。 身に付ける順番もあり、事細かに隊長がレクチャーしてくれる。
草鞋は縄をきつく締めないこと、何十回ともなく全力疾走するので足を痛める。 ただし、緩過ぎると
ぬかるんだ地に足をとられて動けなくなる云々。

俺は根津甚八扮する次郎軍の槍2番隊所属となった。
すべての鎧・甲冑を身に着けたとき、小刻みに震える身体に気がついた。

「怖いのか?俺は」

「いや、嬉しい」

「これが【武者震い】!」

震えは止まらなかった、このときのことは今でもはっきりと覚えている。

画像はいっしょにエキストラとして参加してサークルの後輩が写してくれた俺の勇姿(?)

下に着る着物の襟元はしっかりと交差して鎧・甲冑を身に付けると、俺のような華奢な男でも
侍に見えてくる。 
「乙、いいよ。似合うよお前」 「本当か!?」 
「ああ、一番最初に矢が当たって死ぬタイプだな」 「バカいえ」
友人たちとからかいあいながら急ごしらえの侍の出来上がりだ。

兜は自衛隊のヘルメットのようなものを改造して作られてあった。
それなりに重く、真夏には異常なくらい暑い。 集合したのは早朝だったが、着替えが終わるころには
汗が身体を伝っていた。
いよいよロケ現場に向かう。 隊列を組み、道を進む。
途中、スタッフと談笑しているピーターや宮崎美子らしき俳優を見たが、今日は出番がないらしく
Tシャツ姿だった。 その薄着がうらやましく思えてならないくらいの暑さが、容赦しなかった。

<第三章 「素晴らしき日曜日」>

隊列を組み、5分ほど歩いていっただろうか。 なんと道中の右横にディレクターチェアに座って
台本をひとりでチェックしている【あの人】がいるではないか。
みんな口々に「黒澤だ」「本物だ」とささやいている。

目の前に神様がいる。

隊列の右端にいた俺は、列からおもわず離れて駆け寄っていった。
そしてあの人の目前に立ち「おはようございます!」と挨拶した。

あの人は顔を上げ、俺をジッと見つめた。
長い時間のように感じた。
その時、

「おう!!」

あの人は少し笑って返事をしてくれた。

俺が神様と会話をした瞬間。

一生の宝物を手に入れた。

<第四章 「天国と地獄」>

ロケ現場は小さい林が東西に面した草原だった。 「乱」ほどの大作ならロケも広範囲。
現に城の焼き討ちのシーンは富士の御殿場(実際に山城を建築して延焼させた)、合戦のシーンは阿蘇・大分庄内町阿蘇野
城内のシーンは姫路城等、全国に渡っている。

(画像は「乱」の撮影スタッフのバイトとして参加した映画サークルの仲間による撮影。右側、カメラ手前に黒澤監督)

真夏日に延々と繰り返される次郎軍・三郎軍の合戦シーン。 フィルムの露出の関係上、夏の日差しでは
日中と夕方の明るさが極端に違うらしく、夕方になればなるほど赤く映るらしい。
映画の中ではそう長くないシーンだが、黒澤天皇と呼ばれたあの人は、ただひたすら気に入るシーンが撮れるまで
妥協をしらなかった。
甲冑を身にまとい、隊列を組んで林の奥から走ってくる俺たち。
そのすぐ横を騎馬隊が300騎、地響きを立てて疾走していく。 何人かが落馬、転倒等で骨折していった。
心底怖かったが、夢中だった。 一時間半ごとに廻ってくるヤカンの冷水がこんなにもうまいものだとは思わなかった。

ある日の撮影のとき、天候は曇りだった。 撮影日も押して、その日も何度もリハを繰り返しいよいよ本番ってときに曇り。
これはもう今日は撮影は無理。と誰もが思い、あきらめムード漂う頃にメガホンの声。 あの人の声。

「みんな、必ず晴れるから。 もうちょっと頑張ってよ」

その後、間髪入れずスタッフに

「みんなのど渇いてるんだから水持って走れよ!バカモン!!」

いっせいにヤカンを持って全力疾走するスタッフたち。
水分補給をみんな取り終わった頃、空が晴れた。

いっせいに草原から撤退するスタッフたち。 そしてあの人の声。

「本番だからね!がんばっていこう!」

本番。
怒涛の如く突撃する俺たち。声が枯れるまで叫びながらの突進。
一瞬の沈黙。

「カット!!」

再び沈黙。

「オッケー!!」

歓声があがる。拍手も沸く。

そしてあの人の声。

「ありがとう、みんな! 素敵だったよ!!」

俺はただ泣いた。

つづく