自己紹介
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黄色い…?
Yellow Submarine
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3輪車編

黄色い車椅子
'92年大分国際車いすマラソン
 (ハーフ:1時間19分7秒)
なんでこんな乗り物に
 運動不足は恐いものだ。ちょっと前のことになるが、どうも体がダルい頃があった。医者で診てもらうとγ−GTPが異常値を示していた。
 「晩酌をやめれば…」と医者から言われた。酒を口にしない私にとってどうしていいやら。半年、漢方薬を飲んでも症状が変わらず。そこへきて医者が言うには「そういえば、ちょっと太りぎみなのかな?」(そう思ってたら、最初から言ってくれ!)
 職場(その当時は福祉事務所)に戻って報告すると「マラソンでもするかぁ」とけしかけられた。「そうですねぇ。」と答えると、あれよあれよという間に、車いす交付の申請書が出来がってしまった。
 名前を書いてハンコを押して…気が付くと目の前にこんなものが…
乗るからには練習
 日頃は杖で歩き回っているものだから、本格的に車いすに乗るのはもちろん生まれて初めて。だもんだから、わざわざこいつに乗らないとどうしようもない、という環境をつくって練習した。
 走れるようになれば、レースに出たい。だったらレース本番直前まで毎日“通勤”だぁ。(世界広しといえど、レーサー用の車いすで通勤したのは私ぐらいだろう。)
 この3輪車に、着替えとノートパソコンを入れたバックと松葉杖をぶら下げ、1日平均15kmくらい走り練習に励んだ。(なんとライトがついている。これは夜、暗くなっても家までたどり着けるため。ラッパは「どいてくれぇ!」と叫ぶかわりに使うものである。)
スタート!
 大分県庁前、11時。沿道の数え切れない群衆の歓声をあびながら、平松大分県知事のピストルでスタート。(「あぁこの歓声の数百分の1は自分のもんだなぁ」と、わけのわからぬことを考えていた。)
 ところが…である。スタート直後、20mも走らないうちに、前の選手がひっくり返るのが見えた。(このレーサー用の車いすは、前のめりに座らないと、ひっくり返ってしまう。)
 その後ろはずっと渋滞。止まっていた自分に後ろの選手が追突。2台、3台。(ついには前輪のタイヤがはずれてしまった。)
 「もうダメだ…」 あきらめ呆然としていたところに係員が駆け寄ってきた。「あぁあ、せっかく練習しのに、パァ!」と弱音を吐いたのだと思う。(よく覚えていない)
俺が走らせてやる!
 ところがいきなり怒鳴られてしまった。「なにを言うか、俺が走らせてやる!」(「頑張って走ってください」なぁんてな、ありきたりな励ましではなかったのである。このとき係員の口をついて出た言葉は、死んでも忘れない。)
 我に返ると、係員が数人がかりで前輪のタイヤをはめ、空気を注入してくれていた。競技用のタイヤは1つ100g程度の軽量なものなのに、なんとこいつに10気圧をブチ込む。
 「今、何気圧だ…6、7、8、9…よぉーし!」と、機敏な係員のチームワークで前輪が復活。(後輪は幸い300gのぶ厚いタイヤだったため、パンクなし。通勤に使い捨ての1本6,000円のタイヤじゃ金欠病になっちまう。ケチってゴムのぶ厚いタイヤにしていて助かったのだ。)
再スタート!
 「大丈夫だ。走ってこい!」係員の対応のおかげで、後ろから3番目に再スタートができた。(追突の犠牲車が数台あったのだが、うち2、3台はリタイア。)
 スタートと同時に嵐の中にいるような感じで沿道の歓声が聞こえてきた。(「今度の歓声は全部自分のもんだ!」と思った瞬間、歓喜の涙がわいて出た。)
 あとは夢中になって走るだけである。(あれ、後輪も変形してるぞ。)タイヤこそパンクしなかったが、後輪のリムが車いすのフレームに接触し、音を立てていた。
なんで私の名前が?
 上の写真は弁天大橋である。このとき延岡からは応援団が数名きていて、その応援団の内山登世巳さんがこれを撮ってくれた。(生涯最高の写真だと思っている。)
 自分を知っている応援団から「堀田ぁ、頑張れぇ!」という叫ばれるのはわかる…ところが、会ったこともない人間が「堀田さん…」と呼びかけてくる。(どうやら名簿が沿道の人たちに配られているらしい。)ホントにありがたい声援だった。
 橋の上り坂など、中学生の一団が待ちかまえている。黄色い声援に応えたいところだが、声が出ない。息もつけぬ状況のなか、苦し紛れにラッパを鳴らした。パフパフ…大ウケである。
ゴール
 走り出せば、練習のときのシナリオどおり。(ここに来るまで随分シナリオがくるったが)目標を立てていた1時間20分前後でゴールにたどり着くことができた。(競技場に待ちかまえていた応援団の声援で、トラックを1周するときにも3台抜けた。)
 1時間19分7秒、154位。このときハーフマラソンでは250台余が完走しているから、後ろから3台目からスタートして、100台くらいはヌキまくった勘定になる。(普通に走ったんじゃ、こうはならない。)
 生涯忘れられない1日となった。
その後…
 走り終わって暫くして、γ-GTPの値を測ってびっくりした。なんと正常値に戻っている。(なんのこたぁない、運動不足で人間ホアグラ状態にでもなっていたんだろう、と自分なりに解釈した。半年、漢方薬を飲まさたあげくの車いすの練習、脂肪が燃えれば、脂肪肝も回復。何が体に効くかわからない。)
 この後しばらく、コレで通勤を継続。無灯火の高校生の自転車に対抗すべくライトを強化。今後のレースの追突にそなえバックミラーを装備。沿道の声援に大きく応えられるようにラッパも増強した。
 翌年、翌々年と大分のハーフマラソン、はては東京まで遠征して、新宿都庁前から大井競馬場までの東京シティマラソンも2回ほど出走した。
 ところが時は移り…今の仕事(福祉事務所から情報管理課)になって、5時には帰れぬ環境になってしまった。いつしか3輪車から遠ざかるようになり、現在に至っている。(かわいそうに現在、この愛車は物置の天井に吊され、サビまくっている。)
 でも最近、また人間ホアグラ気味なので、いつか昔のように走るかもしれない
大分国際車椅子マラソン
大分国際車いすマラソン大会




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