浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か」(要約版)

2001年4月28日 東京大学駒場校舎7号館

※注:この講演録は、浅田氏のチェックが通った完全版が主催者によってネット上に置かれるまでの暫定的なものであり、(ナツ)によって要約されたものであることをここにお断りしておく。

はじめに

知をめぐる歴史的な流れ

前半期(50〜60年代にかけて)

後半期にかけて

教育への波及・近代の良識の喪失

公教育システムの役割

知的な横断的ネットワークの構築へ

これからの教養のあり方

相互批判・相互対話

20世紀の全体的な達成の再考

20世紀の理科系における趨勢

"第三の道"を超えて

絶望的楽観主義という点において前進するしかない

はじめに

大学、学校というのは、基本的に学生が自主的に自分たちで勉強したり、その勉強の助けになるように人を呼んだり、本を読んだりする場所であり、教師は助けが必要な時に助け船を出すものである。ゆえに、学生の自主的な活動にはできるだけつき合いたい。制度的な大学を逆手にとって、学生が横のネットワークでやっていくのが本来大学のあるべき姿。

知をめぐる歴史的な流れ

20世紀は始めの45年間の戦争の時代と、次の45年間の冷戦の時代と、そして最後の10年間、90年代を引き継いで現在にいたる時代と概括できる。最初の45年間は戦争を中心として社会がかき回され、緊張の中で科学から芸術にいたるまでの知的なものが坩堝の中で煮え立っていた。それが広島、アウシュビッツに行き着いて戦後世界が始まる。冷戦下のある種の平和が続く中で、歴史の激動が宙吊りにされた。

1945年から1990年ごろに到るまでの時期は前半期と後半期に分かれる。

前半期(50〜60年代にかけて)

50年代から60年代は世界的にある種の近代化モデルが共有されていた。特に日本の場合は、前近代的なものの様々なしがらみによって戦争へ至った流れを反省しなくてはいけないということで、近代化が金科玉条になった。すなわち近代知を個々人が主体的に内面化し、それによって啓蒙された個人として立とうという建前が共有されていた。

例えば理科系なら遠山啓の岩波新書があり、高校ぐらいの段階でみんなが微分方程式を解けるところに持っていき、実際にニュートンの運動方程式を解いてみると、物を投げると放物線を描くんだとか実直線を描くんだということがわかって、みんなが近代科学のベーシックな部分のところは共有できることにしよう、ということになっていた。

社会、人文科学系で言えば、丸山真男が岩波新書で『日本の思想』を書いていて、その中で例えば「主体と客体」、「であることとすること」というような、物事の認識や判断の最低限の枠組みを提示していた。こういうものを皆で共有しましょう、ということになっていた。

そしてその共有化を実現する場として公教育、学校があった。

後半期にかけて

それに対して68年ぐらいから異議申し立ての運動が起きた。それは近代化の負の側面、資源の枯渇や水俣病に象徴される環境の破壊などに対するものであり、近代科学を批判すべきだという動き。社会科学では、市民社会はこうだ、いやそれを超えたマルクス主義はこうでその先に共産主義がある、といった進歩史観の上に成り立つ社会変革のヴィジョンが実際にはうまくいっていないこと−ソビエト連邦の悲惨な状況や共産党の不格好さ−も当時からわかっていた。近代主義の延長にあるインターナショナル主義を旧左翼とすれば、それに対して新左翼から批判が起きた。産業社会への批判と重なって、近代社会が抑圧してきた内なる自然・外なる自然に対して人間の情念やパトスが対置された。そのこと自体はあってしかるべきだった。

そこで本来、単純な近代主義に対する一定の疑いや批判を経て、生命や情報や環境を焦点としたよりソフトで複雑なパラダイムが描かれていくべきだった。(そうしたパラダイムは現在、部分的には描かれつつあると言ってもいい。)

ところが今度は振り子が逆に振れて、近代化は疑うべきである、そもそも近代西洋の帝国主義的な押し付けだとか、日本には固有のメンタリティがあってそれを復活させなければならないとか、日本の社会には日本の社会のルールがあってそれを復活させなければならないなどということになった。例えば日本的なメンタリティや社会といったものへの回帰を含めて、性急なモダンに対する疑いがむしろモダンを解消するように、あんなものは外から押し付けられた建前だとシニカルにやり過ごす方に動いた。それが70〜80年代。

教育への波及・近代の良識の喪失

それが教育にも波及。50〜60年代の近代的な常識を叩き込むのはフランス革命に遡る思想。コンドルセらが、民主主義で全員が投票するのなら、全員の知識をかさ上げしなければ間違った判断が出されかねないから、民主制を衆愚政治から守るために最低限のパブリックな振る舞いを含めた最低限の知識を共有することが大事だと言っていて、日本も特に戦後、それを強調。ところがそれは押し付けられた西洋的理念であり建前だと相対化され、70〜80年代になると教える側も自信をなくす。正しい近代の常識を身につけることが戦後の民主的な社会を合理的に作る基礎だとして、かつて教える側は過剰に自信を持っていた。だが今度は過剰に自信を喪失して、これは建前だけれども効率的に覚えて受験戦争を勝ち抜くために必要だという感じになった。そこで妙なことが起こった。68年までは自信を持った権威があって、それに対して学生が異議申し立てする図式があったが、今度は権威が空洞化し、相手に擦り寄った。性急な近代へのシニシズムが起こり、最低限の近代の良識が失われたのが80年代から90年代にかけて。

自分はそもそも、近代はすばらしいと言っていた人に対して、近代にも様々な問題はあるし、近代が忘れてきた様々な問題をもう一回考える必要があるという立場だった。しかし気づいてみると近代こそが最低限の常識だ、という頑固親父がいなくなって、近代は絶対ではないとか、公教育というけれども情報量を詰め込むより生きる力をつけなければなどと言っている。今は、学校が妙に生徒に媚びて、やるべき情報の伝達もせず、もちろん生きる力もつかないといった袋小路に入りつつある。

50〜60年代において学生の主要なテーマは、上から押しつけられたモダニズムに対してそうでないものを提起することだった。しかし、70〜80年代から90年代にかけて、上から押し付けるはずの人たちが物分りのいい振りをしだして、知識はいいから生きる力を云々と言い出し、結局生きる力もつかず、それに対して学生の側も暖簾に腕押しになって何を言うべきかわからない。物分りのいい振りをする親たちに対して下の世代がしらけ、袋小路に入っていった。

公教育システムの役割

大きな歴史的趨勢から言えば、国家というもの自体が19〜20世紀にかけてほぼその機能を果たし終えた。長期的/原理的には、国家体の公教育システムやアカデミーのシステムには意味がなくなった。しかし短期的/実践的に見れば、やはり国家は存在するし、例えば日本なら今のままいくと、公教育の水準が低下していく。お金のある家の子は塾にいける、六年制の一貫した私学にいける、それで東京大学なり何なりいい大学に行けるとなり、現に階級分化は拡大しつつある。欧米もしかり。

そうするとフランス革命の時に言っていたような、最低限の近代の常識は国家が憲法などに規定して全員に義務として保障しようというミニマムな部分さえ切り縮められる。国家や公教育のシステムは最低限の保障をする義務を持つし、その役割を果たしてほしい。

それを前提として言うと、頑固親父たちに対して反抗していた息子や娘たちが20、30年経つと頑固親父になるというエディプス的な図式は今後も続いていくだろうが、それはあまり楽しくないし、多様性に繋がるとも思えない。

知的な横断的ネットワークの構築へ

現在インターネットに代表される情報ネットワークが拡がっている。そうすると、自分は何処何処の大学に所属しているからその大学の中でしかできないということはなくなり、少なくとも情報のやり取りに関してはグローバルに可能。そこで関係を作って現実の社会に対してフェイス・トゥ・フェイスで話すこともできる。制度の側もこうしたネットワーク化をしていかねばならないが、制度の側を待たずして、学生が、あるいはそこに社会人その他を含めたところで情報ネットワークを使った自主的な学びのネットワークを作り出すことが現実的に可能。未来の可能性はそういった方向にある。少なくともあと10〜20年のスパンで言えば、最低限のところは国家の公教育システムというものが頑固親父になってすら叩き込むべきだと一方では思っているが、それは情報ネットワークを活用した知的な活動が可能になるための条件でもある。情報は増えている。世界中のローカルな問題の情報もネットでダウンロードできる。一ヶ月に数百冊にも及ぶ文庫なり新書なりが出版される。それは基本的には歓迎すべき。

ただしそこで起こっているのは、少なくとも今の段階では、共通の土俵あるいは横断性の喪失。例えば、自分はこのジャンルとこのジャンルが好きで、このジャンルに関してはこのサブジャンルが好きというようにどんどんオタク的に細かくなっていき、その中では非常に濃密な議論が交わされているかのように見えるが、それらを横につなぐような共通の土俵なり横断的関係性なりが希薄。これが問題。

共通の土俵に関しては公教育が最低限の機能を果たすべきだし、そこが機能していないとすれば例えば自主的にそういったものをリメイクして昔の遠山啓なり、丸山真男なりの価値はどこにあったのか、今それをバージョンアップして現時点で考えるとしたらどういったものがあるのか、という問題設定も可能。その上で言うと、そのくらいのことは公教育が権威主義的にやればいい。学生や社会人を含むネットワークを考えると、それぞれのジャンルで深く細かく突っ込んでるのはそれでいいから、それをどううまく横断的につなげるか、様々な情報の小部屋をどうやって横につなげるかが問題。

これからの教養のあり方

自分は昔のような教養を復活すべきだとは思わないし、復活できるとも思わない。

たとえば自分は医者になるがゲーテは原書で読んだとか、自分はフランス文学をやっているが彗星が来る周期に関しては必死にPCで計算してみたというほうが重要。最低限のスタンダードが教育されている上で一人の人間の中で広く浅くたくさんの人と教養を深めようというより、狭く深くでいいから、それが複数並び立つのがいい。医学をやっている人がゲーテを読んだってあまり普遍的な広がりはないかもしれないが、なくていい。深いが狭い、しかし狭いが深いというようなものが複数あってそれらがネットワークを作ることが重要。

もっというと、それが複数の人の間で拡がっていって、深いが狭い、狭いが深いというようなものがいくつかショートする状況を作ることが重要。情報ネットワークの発達でそれを可能にする条件は整いつつある。昔は物理的に全然関係ない学校の人、いわんや別の場所の人とコミュニケートするだけでずいぶん大変だった。今はそれはネットですぐできる。そういうものを使って良い形でのコミュニケ―ションを作ることが重要。

相互批判・相互対話

そういう風に関係ない人が横でコミュニケーションしようとすると、誤解が生ずるし、一方的に批判したりされたりということが起こる。だがそれは問題ない。ある論点、ある作品を批判するということは、別に作っている人間を批判することではない。それが常識。

ところが最近ネットなどを見ていると、妙に気を使い合ったりして、あまり人の名前を出して批判したりはしない。他方、批判が一回出てしまうと、それが非難の応酬に繋がってあっという間に絶縁、といった、狭い所でお友達どうし傷つけ合わないようにという感じになっている。

しかし、コミュニケ−ションは常にディスコミュニケーションを含むし、議論は常に相互批判を含むから、それができにくくなっているとしたら忌々しき事態。人格・個人に対する批判ではないという前提で、相互に攻撃すればいい。ある程度けんかしなければお互い成長はしない。けんかするとお互い傷つくが、傷だらけでなんとかやっていくのが社会。別に仲良くやっていく必要はない。けんかし、けんかした上で共存していくというのが重要だ、ということは知っておくべき。

知的なものは最初から社会的・政治的なものの中で営まれている

20世紀前半は特にそうだったが、文学者、芸術家たちの仕事が、それ自体として非常に深い政治的、あるいは社会的意味を持っていた。それは作家なり芸術家なりが余技として政治にコミットしていたというものではなく、ものを創る、例えば書いたり、創造したりということが初めから非常に政治的である、あるいはその政治的なものの中に不可避的にそういう文化的なものが最初から含まれている、ということが当たり前だった。例えばスターリンは文化を弾圧したが、少なくとも弾圧しなければならないと思うほど意識していた。今、日本の政治家は弾圧しようとすら思わない。現にどういう現代の文化があるか彼らにはわからない。文化の脱政治化、脱社会化がこれほど進んだ時代はない。それは資本主義の分業システムがどんどん進んでいくと、メディアが、いわゆるハイカルチャーは売れないということでどんどん小さな島に閉じ込めて、ポップカルチャー・大衆文化ということで似たような情報を全国規模あるいは全世界規模で流すということと相即している。

しかしこれはおかしい。文学だろうが芸術だろうが知的なものは最初から社会的・政治的なものの中で営まれているし、また、社会的・政治的なものの領野というのは不可避的にそういう知的なもの、文化的なものを含んでいる、という当たり前のことを確認する必要がある。日本の政治家であれ、官僚であれ、経営者であれ、こんなに知的教養のない人たちはいない。じゃあ知的教養を復活しなければならないか、さっき言ったみたいに共通の土俵を形成するために全体的に底上げしなければならないか。部分的にはそうだ。が、むしろ自分は官僚だけれども現代音楽はマニアックに知っているとか、自分は経営者だけれども文学のこれこれに関しては思い入れがあって、引退したら本でも書くつもりだというようであってほしい。昔は日本でも割とそうだったし、世界的には今でも結構そういうところも多い。

知的なもの、あるいは文化一般が分業システムのなかで隔離される。それから特に日本では、そういう文化的なものは"女・子供の慰み"というイメージがあって、そのイメージは下手すると強化されている。しかしそうではなく、知的なもの文化的なものは即、政治的・社会的でありうるしまたそうでなければならないことを考えておかねばならない。

20世紀の全体的な達成の再考

20世紀の歴史的事実をなかったことにしたり、既に相対化されてしまったと割り切ったりするわけにはいかない。例えば文化的には、モダニズムということで文学でも、ジョイスやベケットがいて現代文学があった。日本でも大江健三郎や中上健次がいて今がある。しかし、特にここ10年くらい、そうした現代文学がなかったかのようにして、大正時代のような小説が平気で書かれる。確かに、ジョイスとかベケットの後では書けないとか、大江健三郎、中上健二の流れだけが現代日本文学だとかいうのは一方的過ぎるけれども、それは一回知っておくべきだし、それを知ってしまうとナイーブに物語は書けないはず。ところが、書き手自身がジョイスやベケットも読まないし、大江健三郎も中上健次も読まない、そして、なんか大正時代の文学が好きだからなんか書いてみたらこうなりましたとなる。それが芥川賞を取ったりする。これは驚くべきこと。では20世紀の文学史というのは無駄だったのか。自分はそうは思わない。そういうものがなかったように振舞うのは嘘がある。美術や音楽でも、確かに20世紀のモダニズムは相当過激なことまでやってしまった。モノクロームの画面が絵だと言い、あるいは画面すら必要のない、あるコンセプチュアルなジェスチャーが芸術だと言った。音楽にしてもジョン・ケージみたいに沈黙が音楽だというところまでいった。前衛の狭いレールの上で、それ以上先に行けないということはわかる。が、そこで突然、具象的な絵を描くのが当たり前なのでそのまま描いてしまってしまった、そしてそれがそのままアートとして通用する。彫刻だってある程度リアリズムがあり、コンセプチュアリズムがあるというのが当たり前の前提だが、あたかもそれがなかったかのように具象的なものをなんとなく作ってしまい、できそこないのマネキンみたいなものが彫刻だとなる。これは驚くべきこと。では今までのモダニズムの戦後50年あるいは20世紀は無駄だったのか。自分は無駄とは思わない。

確かに自由に物語をつむいだり、あるいは具象彫刻を創る自由は誰にでもあるが、実際はかつてのものを現代に、100年のタイムラグを経て反復できることはありえず、どこかで嘘が紛れ込んでいる。そしてその嘘っぽいところが、その種の古めかしい物語や、あえて具象的、ということですらない単純にナイーブに具象的に描かれた絵や彫刻の浅薄さにつながる。とにかく20世紀というものがあったという当たり前のことを確認するべき。

20世紀のさまざまな実験、旧社会主義圏の実験は大失敗だったことは1930年代からわかっていたが、89〜91年に明らかになった。それと同伴したり反発したりしながら続いてきた様々な前衛の流れも文学であれ、絵画であれ、音楽であれ非常にアグレッシブにしかし狭い袋小路に突っ込んでいったのも事実。だから20世紀の様々な実験が素晴らしかったとは言えないし、それを反復しろともいえない。しかし、様々な失敗と悲惨にも関わらず、あるいはそれを通じてはじめて、ある種のユートピア的なものに対するプロジェクト、つまり、"投企"、身を投げかけることが繰り返されてきた。その軌跡が20世紀であって、それが無駄だったかのようには振舞いたくはないし、振舞うべきではない。確かに、いわゆる社会主義圏の失敗があまりにも華々しかったために、他の様々な20世紀の実験も無駄であったかのような風になっているが、そんなことは全くない。実際にアクチュアルには失敗の連鎖として現れているとしても、ヴァーチァルには様々なヴィジョンというのがサヴァイヴしていて、それを読み直しながらどうリサイクルできるかが問題。

20世紀の理科系における趨勢

理科系の話を含めるなら、20世紀は最初、相対性理論と量子力学が現れて、その時代の支配的なパラダイムを形作った。しかし、量子力学みたいなものは数学的にははっきり基礎づけられない、実験観察にもなかなかかからないということでうまくいってなかった。だから20、30年代のアインシュタインがいて、ハイゼンベルグがいてディラックがいてという英雄時代のあと、長く宙吊り状態になっていた。

しかし今になると、一方で数学が非常に進歩して、どうやら量子力学に整合性を与えられるような数学ができつつある感じで、まさに、21世紀にある種の可能性が見えてきている。他方、観測の精度がすごくあがって電子1個というようなものをとらえる、あるいは放出したりできるということになると、粒子でありかつ波であり、かつ粒子であるといった"シュレディンガーの猫"のような思考実験で言っていたことが観測にかかるところまで来つつある。

理科系の全ての領野が同時にそうであるわけではないが、20世紀の始めに偉大な爆発を示し圧倒的な困難の前で進化がなかった、例えば量子力学にしても、21世紀は再び別のディメンションでの展開があるだろう。

"第三の道"を超えて

20世紀は、一方でマルクス主義で社会をコントロールする夢があり、あるいは資本主義でも多少そういったものをとりこんでケインズ主義で経済をコントロールするというような夢があった。しかしそれが旧社会主義圏の悲惨な失敗やケインズ主義的な福祉国家の破綻といった形でだいたいだめになって、70、80年代以降は上からコントロールするというようなおこがましい考えはやめて、市場に任せるのがせいぜいだというシニカルな諦念、諦めが支配的になった。

確かに、昔のようなユートピア的社会工学、つまり社会全体を上から設計できるとは今は考えられない。が、複雑系のように一見全くランダムにみえていたものが実際ある程度単純な法則の反復的表現で生成されている可能性がある。それはたとえば気象とかの自然現象にもあるし、株式市場のような社会現象にもあるといったことが少しずつわかりつつある。考えてみると、今度はまた非常に複雑なものの多数のエレメントを含む複雑なシステムに関しては、今までほとんどランダムとしてしか捕らえられないと思われてきたものがなんとかいくつかの軸から計算し、予測し、もしかしたらコントロールできるかもしれないというところまできている。

今までのような70、80年代以降の、"とにかく社会を全体として認識しコントロールするというなどとはおこがましい、市場に任せるのが関の山"といったシニカルな諦めは時代遅れになりつつある。そうしたシニカルな諦念によって市場が暴走した結果、様々な矛盾が激化しつつあるのが現実とすれば、それを何らかの形で、今でいえば"第三の道"などと言い、市場を認めつつある程度社会民主主義をいれていく折衷案でいこうというのがヨーロッパなどでは当面の主流だが、そういう単純な折衷案もさらに超えて考える必要がある。もう少し知的に社会を複雑性において再認識し、それを場合によっては積極的に様々な形で変えていく、そしてそのための介入を考える時期に来ている。

絶望的楽観主義という点において前進するしかない

20世紀の様々なプロジェクト−政治的プロジェクトから芸術的プロジェクト等々−は確かに往々にして失敗し、様々な悲惨な帰結を生み出した。が、にもかかわらず様々なヴァーチャルな可能性を示している。それをもう一回拾い上げて21世紀の新しい地平が開けるかどうかというのが現在の地点だ。

本当は90年代がそういうリシャッフリングの時期であるべきだった。が、日本経済のみならず世界的に、特に知的なレベルでは、90年代はシニシズムの時代だった。実際、先の見えない環境問題にせよ難民問題にせよ、問題だけはどんどん出て来て、しかしそれを全体として解く知恵が出てこない状態のまま来ている。

しかし、2000年代になって他方で例えば情報ネットワークが拡がり、個々の計算力にしてみても物凄く高くなってきていることからすれば、もう一回ここで未来に対する投企、自分を前に投げ出すという意味でのプロジェクトがすごく重要。もちろん状況は絶望的だがここまでくれば怖いものはないというか、絶望的楽観主義という点において前進するしかないというのが今の状況。シニカルに構えるのがかっこよかった時代は終わっている。かっこ悪くても個々のローカルな場所で手探りしながら実践していく時期にきている。そういう実践がネットワークを作っていくと大変いいのではないか。

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