随想録(essay)


古本屋を巡る冒険

 久しぶりに古本屋めぐりをしよう。そう思い立って家を出た。10年ほど前まではよく古本屋をうろうろしていた。といっても、いわゆる古書を探すとか、文献をとか、初版本をとかいう本格的古書店めぐりではない。ハードカバーは高いので手が出なかった。でもまだ文庫にはなっていない。でも安く読みたいという軟弱古本派だった。
 駅裏から10号線に抜ける通りにいくつか古本屋は点在した。まだあるんだろうかという不安も持ちながら行ってみた。10年ほど前のそのまんま古本屋はあった。やる気のなさそうな主人がTVを見ていた。客である私にはひとことも声を掛けない。イメージ通りの典型的な古本屋。店内は暑く、本もいくぶんすすけている。ここは不思議と買う本がなかった。新しい小説もないし、かといっておおこれはとうなるようなものもない。やっぱり郊外のブックセンターかと思いながら店をあとにした。
 次に行ったのもやはり由緒正しき正統派古本屋である。ここも例によって冷房などない。店内に入るや否や、店の若い人が怒っている。レジにいる母とおぼしき人に、ぐちをこぼしているのである。どうもペーパーバックを大量に仕入れて本棚を埋めているのが気に入らないようである。こんなもの誰が買うのかと、すごい剣幕でまくしたてている。ペーパーバックを大量に仕入れたのが誰だか分からないが、耳にする限りでは個人的な思いも多分にあるようだ。ついには教養のかけらもないと、切り捨てた。私がレジに立ったとき、お母さんが苦笑いをうかべて、お父さんに直接言えばいいのにねえと言った。私に言ってもしようがないのだが。
 しかしこの古本屋は面白かった。まず、カテゴリー別のコーナーがあって、映画、マンガ、社会問題、大分県というふうに、店の人の好みで分けられていた。(たぶん好みだと思う。)そこにそろえられた本も興味深かった。これぞ、古本屋の楽しみというかんじである。どうもマンガには思い入れがあるようで、マンガ史や探求本がそろっていた。そして、なつかしかったのがジャンプなどの古少年漫画雑誌(1970年代)である。これらは1冊500円〜700円で売られていた。数年前まで家の倉庫に山のようにあったのに。けっこうな値段で取り引きされているのを目の当たりにして、くやしいやら、なんとやら。 まあ、ここの書店では古き良き客を気にしないやりとりというのが垣間見られ、ノスタルジーに浸ることができた。
 さて、古き良き古本屋というのはこれで終わり。次は現代古本事情チェーン店のブックセンター方式古本屋に行った。まず最初の店。さすがに冷房も行き届き、本もきれいである。この手の店はCD、本、マンガ、ゲームソフトというのが必須である。こういう店は、安い、きれい、近著が多いというのがウリであろう。気持ちよく本が買えた。しかし、けっこうきれいなハードカバーでも100円というのには驚かされる。あと2件ほどこの手の古本屋をはしごした。あまり印象は変わらない。
 やはり今日一番楽しめたのが、古き良き由緒正しき古本屋ペーパーバック事件である。家族で経営しているのであろうが、客がいるのにそっちのけで内紛を露わにしているというのが何ともおおらかではないか。やっぱりこうでなくっちゃ。
 それでは、今日の収穫。といっても文学的に価値があるとか、おお、っと教養をにおわせるとかいった類のものはいっさいない。そこがまあ、私の限界である。

●OUT       桐野 夏生  講談社    800円(定価2000円)
●夜会vol3邯鄲    中島みゆき  角川書店   100円(定価1400円)
●風の道 雲の旅   椎名  誠  晶文社    700円(定価2600円)
●イギリスは愉快だ  林   望  文春文庫   100円(定価450円)
●カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」 佐野 眞一  日経BP社   950円(定価1900円)
●インザ・ミソスープ 村上  龍  幻冬社文庫  250円(定価550円)

2000.8.05


奥田民夫リスナーおっさん化の法則

奥田民生は、おっさんである。コンサートでもおっさんと呼ばれたりしている。バンドブームまっさかりに、ユニコーンとして気張っていた彼も、もう30代半ば。時代は確実に変わってしまった。
コンサートの中でも、奥田民生は、言っている。最近ツアーがおっさんくさい。汗をかかない。で、お客もおっさんくさくなっている。昔は頼まなくても腕ふりあげてたのに。と。改めて言うが、奥田民生は、おっさんロッカーである。無精ひげのおっさん顔。・・・・。と考えていて、ふと、たいへんなことに気がついた。実は自分は奥田民生と同い年なのであった。たしか。民生がおっさんということは、自分もおっさんということではないか。この事実に気づいたとき、愕然とした。あーあ、おっさんなのか・・・。
でも、奥田民生はパワフルで、のほほんとして、ひょうひょうとして、いろんな顔を見せながら、かっこいい。そうだ、よし、これからはかっこいいおっさんを目指すのだ。妙なことに意を新たにする私だった。

ということで、異常に長い前フリになってしまいましたが、今回は奥田民生・ゴールドブレンド・コンサートツアーに行ったぞレポートです。今回の場所は大分文化会館。グランシアタの巨大ホールに見慣れつつある大分県民としては、あまりにもステージが近いのにびっくりしてしまいました。大人になって、幼い頃よく遊んだ広場に行くと、あまりの小ささにびっくりするといったあの感覚です。
ステージはシンプルで、マーシャルのアンプが所狭しと並べられて、最近流行の凝ったステージ装飾とは無縁です。まあ、奥田民生らしいステージです。マイクのそばになにやらスタンド付きのUFO型のものが・・・。あれ何だろう、と思いつつ開演を待ちます。

13分遅れで開演、と思うまもなく立て続けに3,4曲。ものすごいパワーでつっぱしります。一気にいって疲れたのか、MCに入りますが、あまりしゃべりは好きではないようです。そしておもむろにたばこを吸い始めました。そうです。マイクの横の物体は、灰皿だったのです。ステージのライティングも、セットもすべてシンプル、構成も3,4曲歌っては休むというシンプル構成でなかなか快適なコンサートでした。狭い文化会館で、12列目という比較的前方で見るステージは、ちょっとしたライブハウス感覚でドームや大ホールにはない親密感をあじわうことができました。

おっさんであるがかっこいいという、世間の常識では相反する姿を両立させている奥田民生にしびれつつ、おねーちゃんたちの「たみおーっ」という叫び声にもなっとくしつつ、2時間ちょっとの民生ワールドをじっくりと堪能することができました。
奥田民生の曲はシングルを追ってる程度で、ゴールドブレンドも買おうと思いつつ当日に至ってしまったという不勉強さで、プレイリストをつくることはできませんでした。悪しからず。

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2000年6月9日(金) 於:大分文化会館
奥田民生 TOUR 2000 “GOLDBLEND”
19:00開演  1階 12列 30番
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2000.7.25


コイケヤの姑息な寝返り

コイケヤといえばマイナーながら根強いファンを持つ、ポリシーのある渋いお菓子屋さんだった。
コイケヤに出会ったのは、「カラムーチョ」というこれまたはずしかげんの絶妙のネーミングのスナックだった。短冊切りのポテトスナックに真っ赤なチリペッパーという激カラブームの尻馬にのる姑息なスナックに参ってしまった。コイケヤといメーカー名を眺めつつ「こいつはやるな、今にみていろ」と何を見ていろなのかよくわからないうめきを漏らしていた。
その後、カラムーチョの魔力に誘われるように、スナックと言えばカラムーチョとあちこちをさまよい、呪われたように買い求めていた。そして一世を風靡した、あの「ドンタコス」である。「ドンタコスったらドンタコス」とテンガロンハットのおじさんがひたすら商品名を連呼するインパクトオンリーのCMが大ヒットした。今を去ること6,7年前である。
コイケヤ恐るべし、と意を新たにした私は、とうとう「ドンタコス」を口にする機会を得なかった。もしかすると、売れたのはCMだけで、商品はそうでもなかったのかもしれない。
こうして私たちの記憶に鮮烈なインパクトを与えた「コイケヤ」であるが、その後すっかりマイナー路線に舞い戻り、私の記憶からもすっかり遠ざかっていた。

スーパーのレジ前の平台に積まれたお菓子は、安売りのお買得商品、というのはおばちゃんでなくても知っている。何気なくレジに並ぼうとした私は、カルビーのポテトチップス・うすしおがあるのに気づいた。あのオレンジの袋が私を呼んでいた。しかも赤穂の天塩使用である。ひとふくろつかみ、今夜のおやつラインナップに加えた。
その夜、メールでも打ちながら、ポテチでも、と袋をやぶり食べ始めた。おお、カルビーのポテチだ。と疑いもなく食べ始めた私の目に、飛び込んできたのは何とコイケヤの4文字。よくよく見れば、すっかりカルビーのポテトチップスライクなパッケージの左上にコイケヤと書いてある。
な・な・な・んだー。中身も外見もそっくりじゃないか。原料がほとんど同じだからとは言え、うすさもあげかげんもそっくりだ。袋は訴えられてもしょうがないというくらいの真似加減である。(うちの奥さんも間違えた。え、違うの?とびっくりしてました。)

飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのこと(あ、ちょっと違うか)。記憶のスミに追いやっていたとはいえ、あれだけ信じていたのに・・・。久しぶりにあったのに・・・。とかなんとか言いながら、結局おいしく食べてしまったであります。

愛と哀しみの寝返り〜コイケヤの変〜 でした。 お粗末。

2000.6.10


獅子粉砕に鷹笑い・どんたく打線はすごかった

いきなりスポーツ紙の見出しのようなタイトルで始まってしまいました。さて今回はどんたくで狂喜乱舞のまっただ中、福岡ドームに行って来ました。初の西武ライオンズ公式戦観戦です。西武ライオンズ誕生以来のライオンズファンである私はもちろん三塁側に席をとりました。
思えば小学校6年生の冬、学校から帰ると「ライオンズ身売り」のニュース。九州唯一の球団が遠く埼玉に行ってしまったのです。そのころ巨人の「江川問題」にいやけがさしていた私は、なんとなくライオンズを応援していました。東尾監督がばりばりのエースのころです。・・・おっとまたノスタルジーにひたってしまうところでした。これはまた別の機会に。
さて、今まで福岡ドームといえば西武戦以外しか見たことがありません。そしてそういときはいつも2番目に好きなダイエーを応援していました。ライトスタンドの大応援団にのせられて気持ちよく応援し、7回の攻撃前には大声で若鷹軍団を歌って、負けてもすっきりとストレス解消していました。
ところが今日はライオンズを応援に来たのです。福岡ドームでビジターの応援をするほどつらいことはありません。満員の球場の9割が(たぶん)ダイエーの応援なのです。レフトスタンドで懸命に応援する獅子軍団もとても居心地が悪そうです。
わたしたちが席に腰をおろし、さてさてと先発メンバーの発表を見ていると、となりのおじさん(推定30代)が「小久保がでとらんですけど、どうしたとですか。」と話しかけてきた。これは地元のダイエーファンかと思いきや、でも小久保の欠場を知らないのもおかしい。となりのおじさん次第では、ひっそりと応援するしかないかもと様子をうかがうことにしました。
試合前のセレモニー。九州朝日放送の月間MVPの表彰がありました。プレゼンターはなんとカズ山本。そしてその後の始球式では、新日本プロレスの蝶野選手と意外な顔を拝むことができました。うちの奥さんは表彰式でファンファーレがなると条件反射で一生懸命わけもわからず拍手していました。
 さて先発はダイエー・若田部に西武・石井です。おっ、石井ならきちんと押さえてしまったゲームになるなと期待しました。1回表、松井が四球で出塁しましたがそれまで。まあ初回はね、などと気持ちに余裕を持ちつつ、1回裏。打たれるは、打たれるは。2四死球をはさんで6安打、6点。お話にならないくらい気持ちよく打たれました。となりのおじさんも大喜びです。よく見るとうちの奥さん、1回に松井が出塁したときも拍手で応援してましたが、ダイエーの選手がヒットを打っても拍手しています。どうやら先ほどのファンファーレと同じく周りの様子に反応して応援しているようです。
西武打線は好調です。2回以降毎回2安打は出るのですが、その先が出ない。残塁を重ね、歯がゆい思いでイニングが過ぎていきます。ところが、となりのおじさんの様子がどうもおかしいのです。うちの奥さんと同じくどちらを応援しているのかわからないのです。1回はてっきりダイエーファンだと思ったのですが、どうもその後西武を応援しているのです。でも秋山が三振したときは、あーあと深いため息をもらしたりしています。どうも不思議なおじさんです。
秋山の打球が石井を直撃、病院送りになるというハプニングもありましたが、試合は6回表までなんとか「見れる」試合となりました。ところが石井のあとの中継陣がふらふらで、6回、7回に3点・4点と取られついに13:4という期待はずれな結果となりました。
私たちは時間の都合もあって、6回裏3点取られた時点で見切りをつけ、ドームをあとにしました。だから松中の満塁ホームランも見られませんでした。(よかったのか、悪かったのか)このゲームで印象に残ったのは、ダイエーの秋山と西武の松井です。秋山は石井直撃弾を含めて2安打でしたが、打球の鋭いこと鋭いこと。40近いおじさんですが打球は誰よりも切れてました。すごい。
松井は第3打席(だったと思います)、3塁側スタンドにファールボールを10球近くたたき込みました。ねばりにねばった末、最後はセンター前にきれいにはじき返しました。さすが。
それにしても福岡ドームは本当の意味でホームゲームの応援ができるすごいところです。ホームの利というのはサッカーでよく言われますが、福岡の場合アビスパよりダイエーの方が圧倒的にホームゲームらしいのです。あの応援でああいう試合をしてたらやっぱりつらいですね。
やっぱり福岡ドームは、ダイエーの応援に行くに限る。これが今回の教訓でした。

5月4日(木)福岡ドーム 観衆48000人
ダイエーVS西武 6回戦 西武4勝2敗

西  武 000 002 020 4
ダイエー 600 003 40X 13

勝 若田部 4勝2敗
敗 石 井 3勝1敗
本 松中9号(満)

2000.5.10


博多の森の蜂と鹿

 数年前、アビスパ福岡VS鹿島アントラーズのカードをここ博多の森で観戦しました。レオナルド、黒崎もまだアントラーズにいたころのことです。このころのアントラーズは4人FWと言われ、前線の4人が入れ替わり立ち替わり強烈な攻撃を仕掛けるのを持ち味としていました。その試合では、黒崎のシュートのものすごい威力と、レオナルドの華麗なボールさばきには目を奪われるばかりでした。このときアントラーズは7分間で4点を奪うという猛攻を見せてくれました。
 そして今回、ふたたび博多の森でアビスパVSアントラーズを観戦することになりました。花粉症の猛攻で鼻水がとまらない私はアントラーズのタオルマフラー(よくスタンドで振り回したりしてる長いタオル)を買って鼻を押さえつつ(失礼)、ビジター側のアントラーズサポーターのいるバックスタンドに腰をおろしました。
 フライドポテトにたこ焼き、コーラという正統派サッカー観戦の姿勢に入り、キックオフを待つばかり。ところが、どうも前の女の子がしきりに動くのです。デジカメで選手を追うのに夢中ですぐ立ち上がってしまう。で、そのままキックオフを迎えました。おおっといういい場面になると、女の子が立つ。どうにも集中できません。
 と、後ろの男の子がしきりに文句を言い続けます。罵詈雑言を並べるうちに、女の子は立ち上がらなくなりました。これで集中してみられると思いきや、どうにもこの男の子がうるさい。連れの女の子にしきりに解説するのです。「おい、そこは縦パスやろが」「さすが平瀬は早いね」「アントラーズのディフェンスは安定しとるね」そして、なかなか点がとれない攻撃に業を煮やしたか、「あそこは俺ならシュートうっとるね」 いくら好き勝手言ってもいいんですがそこまで偉そうに言わなくても。君は平瀬より的確な判断力と、シュート力があるのか?さらに、左サイドからのクロスボールを見て、彼女「カーブしとる」彼「カーブかけとるの」今までの偉そうな会話の果てに、その間抜けな受け答えは何だ。ハーフタイムで男の子を見たら、高校生ぐらいの、極楽とんぼの山本クン似のかわいい奴でした。
 試合に目を移すと、鹿島は2トップ、平瀬・ベベットという布陣でスタートしました。ビスマルクを起点に相馬、平瀬の左からの攻撃は何度もいい場面をつくりました。でも、ベベットがどうも機能していない、2試合目なので当然といえば当然なのでしょうが、ベベットでボールを奪われるというシーンも数回見られ、小笠原も十分に攻撃に加われませんでした。鹿島の攻めに、福岡はときどき思い出したようにカウンターで反撃をするという試合展開のまま90分が過ぎました。
 ここで、わたしたちはちょっとどきどきしながらも、掟破りをしました。(福岡サポーターの方、ごめんなさい)鹿島のVゴールを見たいがために、福岡側のバックスタンドに移動したのです。アントラーズタオルはおなかに隠して、鹿島の攻勢にも口をつぐみ、借りてきた猫のようにじっとして、延長戦のなりゆきを見守りました。
 延長前半も終わろうという14分、奈良橋が飛び出してきたのにGK小島がからんで倒してしまいました。PKです。このときの福岡サポーターがこわかった。審判に怒濤のブーイングです。これはまずい、逃げねばと思いつつも、じっとPKのゆくえを見守りました。ホイッスルが鳴ると同時に、ダッシュでバックスタンドを後にしたのは言うまでもありません。

●2000年3月25日
●博多の森球技場  観衆12622人
●鹿島アントラーズVSアビスパ福岡
 前半0−0
 後半0−0
 延長1−0
 (前半14分 ビスマルク PK)

鹿島アントラーズ
GK高桑 DF奈良橋 秋田 ファビアーノ 相馬
MF本田 中田 小笠原 ビスマルク
FW平瀬 ベベット

アビスパ福岡
GK小島 DF平島 河口 小島光 藤崎
MF久永 野田 石丸 バデア
FWモントージャ 山下

2000.4.10


ベートーヴェンと動物占い

 NHK交響楽団の公演を聴きに行きました。と、書き始めると、おっこれは由緒正しい読み応えあるクラシック音楽評が読めるんでは、と思われそうですが、ちょっと、いやまったく違います。おおかたの期待を裏切って、今日はクラシックコンサートにおける客席の風景というものについてレポートしてみたいと思います。
 私たちの席は1階の後ろの方だったのですが、そう大きなホールでもないので快適に聴けそうです。開演前のひとときを、パンフレットなんか眺めながら気分よく過ごしていました。どんなコンサートでもそうですが、開演前のひとときというのはなかなか楽しいものです。期待に満ちたたくさんのざわめきの中で、どんな人が来てるんだろうと意味もなくきょろきょろ見回し、客席の事情をさりげなく観察するのです。
 とくに、クラシックのコンサートというのはいろんな光景がみられて十分に堪能できます。まず、目に付いたのは、50がらみの白髪まじり、一見して音楽関係者とわかるような雰囲気をかもしたおじさん。そういう風に見せたいのか、自然にそう見えるのか、オーラがアーティストだぞと言っています。親子ペア、または師弟ペアもあっちの方と、こっちの方で見られます。ステージママとピアノ少女。バイオリンの先生と学生服姿の男の子。ホントにそうかは定かではありません。(勝手に決めつけてるだけ・・)
 20代半ばとおぼしきおねえさんは、長い髪と黒系でまとめているのがポイント。これもオーラが「私音大出てます」と言ってます。芸術家っぽい雰囲気がいいです。一緒にカップルで来ている男の子はスーツで長身、美形。で、この男の子がどうもクラシック通らしいのです。オーケストラのメンバーが出てくるや一人で拍手を始めました。まわりの数人が続いて拍手をしたのですが、どうも周りには広がりませんでした。きっと男の子は「へっ、これだから・・」と思ったはずです。そして、演奏が終わったときには、「ブラボー」と一人で叫びました。翌日の地方紙には、この公演の記事が載っていて、「会場からブラボーの声もあがった」とありました。叫んだ甲斐があったね。
 さて、開演も近づいているのにわたしたちの前の席はぽかっとあいています。どんな人が来るのかとまたまたぼやーっとみていたら、来ました、来ました。一挙に5人分の席が埋まりました。赤や金の頭をしたおばさま軍団です。ばりばりお出かけ着を着飾ってシャネルのバッグやイヤリングを光らせて「みっちゃーん、ここ、ここっ」などとお友達を呼んでいます。
 「おばちゃん」とも一線を画す彼女たち「おばさま」には、一見してお金とヒマが十分にあることがわかります。だから、マナーもいいし、がやがやと騒ぎ立てたりしません。不必要に大きな声は出しません。きっと幼い頃から、クラシックや絵画に親しみ、潤いのある生活をしてきたのでしょう。無意識でしょうが自己主張がちょっと強いことは否めません。
 でもこのおばさまたち、かわいいとこもあるんです。聞くともなしに耳に留まった彼女たちの会話。「わたしコアラだから・・・・」なんとこのおばさまたちは、今ブームの(ちょっと過ぎ去ったかな)動物占いもちゃんとチェックしてるんです。やるもんですね。さすが。
 などと感心しているとあたりは薄暗くなり、いよいよ開演です。本編に行く前にスペースが尽きようとしています。何というレポートだ。でも、プレイリストだけは載せておきましょう。

2000年3月14日(TUE)
NHK交響楽団 大分公演
於:大分県立総合文化センター・グランシアタ

ベートーヴェン

●「献堂式」序曲 op.124
●交響曲第1番 ハ長調 op.21
●ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」 op.73

指 揮:ハインツ・ワルベルク
ピアノ:園田 高弘
管弦楽:NHK交響楽団

2000.3.25


ホンダはおもしろい

 ついにオデッセイを買ってしまいました。といっても納車はまだまだずっと先のことになるようです。
 ホンダの乗用車が好きで、これまで2台乗ってきました。一台目は「ビガー」あのリトラクタブルライトの、アコードの兄弟車です。これは、中古車で買ったのですが、水漏れがするようになり、何度修理してもなおらず、とうとう手ばなしてしまいた。くさびのようなすらっとしたスタイリングがとても気に入ってました。二台目は、アスコット・イノーバです。これは、初代にして生産中止という、幻の車になってしまいました。まるっこいお尻がなかなかかわいい車でした。
 ホンダというと、エンジンがどうこうとかメカニックに関するマニアが多いことで有名です。F1ブームの頃には、そのイメージも加わり、早いクルマ、高性能のエンジンが取りざたされました。でも、わたしが好きなのは、スタイリングや内装含めてのトータルイメージです。また、スタイリングのためなら他を犠牲にするというような本末転倒なことも平気でやってのける大胆さも好きです。
 そして究極のホンダ・イズムというものを今回再認識しました。それは、ホンダの変わり身の早さ、よくいえばしなやかさです。
 私の乗っていたビガーはリトラクタブルライトでした。ホンダはこのころ、リトラクタブルライトが流行る、カッコイイと思ったのでしょう。次々とリトラクタブルヘッドライトのクルマにモデルチェンジしていきました。アコード、ビガー、プレリュード、インテグラ、スポーティーなクルマ=リトラクタブルヘッドライトという構図をみごとに描き、素早く変更して流行にのせたのです。
そして、RVブームがやってくると、オデッセイのヒットを足がかりにCR−V以降のRVなだれ開発、みだれ打ちを展開しました。あのビッグ・ホーンまで自社ブランドで売るという徹底ぶりでした。どのクルマにもカンガルーよけとルーフレールをつけ、中身は何だろうと、RVテイストを売りにしました。
 で、今回のオデッセイです。ホンダはすごい。スタイリングはキープコンセプトで、あまり初代とイメージは変わりません。これは多くのユーザーが望んでいることなのでしょう。私もこれでよかったと思います。クルマ自体は煮詰められ、初代からかなり進化しています。ところが、ある面からみるとホンダはこのオデッセイを180度転換させているのです。ホンダはオデッセイをRVから乗用車へ切り替えたのです。今回、ルーフレールを撤廃しました。もちろんカンガルーバンパーなんてオプションにありません。フォグランプもビルトインです。コラムシフトもなくなりました。
 RVブームは去ったと判断したホンダは、完成度の高いスタイリングはそのままにしながらも、見事にRVを捨て去ったのです。しなやかな変わり身というしかありません。他メーカーなら、名前は同じだけど、モデルチェンジしたら全く別のクルマになってたというパターンに陥るはずです。まあ、ここがホンダが批判されるところでもありますが、何とも面白いメーカーではないでしょうか。これを皮切りに、他のモデルでどうRVを捨てていくのか注目です!

2000.1.28


Y2Kとミレニアム
 Y2K、コンピュータの西暦2000年問題は、結局大きな混乱もなく終わりました。(というにはまだ早いかな?)一部には不具合が起きているようですが、私たちのふだんの生活自体に大きく影響するようなものはありません。いわゆるライフラインに関わるような出来事は起きませんでした。
 年末、スーパーやディスカウントショップにいくと、「Y2K」コーナーがどこに行ってもしっかりともうけられていました。ふだんまとめ買いすることはないと思われる「水」のペットボトルが6本単位の箱入りで売られていたり、カップ麺コーナーがあったり、カセットコンロのボンベが山積みされていたりとかなりのにぎわいを見せていました。うちの奥さんもペットボトル6本、ボンベ、カップ麺はしっかりと買い込み床下に収納してました。いっしょになぜかレトルトカレーが各種そろえられていました。(いつ食べようか、楽しみだなあ、食べ比べ・・)
 ところでこのY2K問題ですが、昨年は本当によく話題にのぼりました。でも、その中身はというと、なんだかよく分からないけどコンピュータが大変らしい、だから食料や水をたくわえておかないといけないらしいという、風が吹けば桶屋が儲かる式の論調でした。はなはだしいときには、ミレニアムとY2Kを混同して、ミレニアムがコンピュータ用語だと思っている人もいたようです。とにかく「Y2K」というのは食料や水をたくわえることだったようです。
 そこで思い出したのが、「オイルショック」です。わたしはまだ小学生ぐらい(だったと思います。あまり記憶もはっきりしていません)のことです。これもなんだかよくわからないが石油がないらしい、だからトイレットペーパーをたくわえておかなければということで、とんでもない買い占めパニックが起こりました。今回はそういうパニックは起きませんでしたが、どうも似た感触がありました。
 だから日本の国民性は・・・などと言うつもりはありません。おもしろい現象だなあと思っただけです。我が家では、あの12リットルの水をどうしようかと問題になっています。 

2000.1.2


「買ってはいけない」の構造

 大ヒット中の「買ってはいけない」を買った。あれだけ話題になって、メーカーからもクレームが来たとか、無視されたとか、後日談に事欠かない。ずらっとならぶ商品名を見た。まあなんといつも使っているものばかりではないか。どうして、こんなに有名な商品ばかりが、危険なことをしてるのだろうか。これじゃあ買うものがない。そう思いつつ本文に突入した。
 「和光堂のベビーフード」。我が家の愛用お手軽お便利商品ではないか。添加物がいけない。味覚を損なう。ほうほう、そうかそうか。そして、だんだん論の中心は「レバー」に及んでくる。赤ちゃんにレバーはアレルギーを起こしやすいというのだ。赤ちゃんにはレバーを食べさせてはいけないのだ。和光堂のベビーフードには「野菜とレバー」というメニューがある。話の中心は、このレバー話であった。これは、和光堂のベビーフードがいけないというのではなく、ベビーフードにレバーを使ってはいけないということだったのだ。そこで和光堂が登場したわけだ。ちょっと肩すかしのかんじがした。
 次にキシリトールガムやコカコーラライトなどの項を読む。甘味料のアスパルテームがあぶないと書かれてある。そうかそうかと思いつつ、他の甘味系の項も読むと、どうやらこれらの商品のネックは「アスパルテーム」のようだ。これだけ有名な商品が使っているとなると、無名の商品群だって使い放題に使っているのではないだろうか。
 ここで思ったのだが、もしこの本が、「使ってはいけない」だったらどうだったろうか、ということである。有害な成分名を書いて、これを使った商品は買ってはいけないとしたら、読者の目にも記憶にもほとんど止まらずに読み過ごされてしまうのではないだろうか。有名な商品名をタイトルにすることで、この本は読者に強烈な印象を与えた。ところが実際には、多くのあまり有名ではない類似商品も同じ材料をつかい、同じ危険性をはらんでいるのである。
 有名な商品だけが危なく、買ってはいけないのではなく、危ない成分を含んだ商品の代表として有名な商品があげられていることに気が付かないと、とんでもない誤解を生む。同類の商品はほとんど買ってはいけないことに気づいたとき、私たちは愕然とするのである。
 こういった批判ができなかったのは、TV、雑誌などのマスメディアが、こういった商品を生み出しているスポンサーによって成り立っているからである。メーカーがスポンサーにつくメディアは当然悪いと分かっていても、こういった批判ができない。口を閉ざすのみである。だから企業スポンサーのない「週間金曜日」でこういった企画をするしかないと本書では言っている。
 本書がこれだけヒットしたのは、取り上げた商品が誰でも知っていて、誰でも買っている有名商品ばかりだったからである。そしてその商品をこれだけ有名にしたのは、メーカーをスポンサーとするマスメディアである。スポンサー企業をメディアが宣伝し、商品が売れる。その有名になった「商品」を使って批判したからこそこれだけの影響を与えた。もちろん著者は、そういった商品をなくしたいという良心から訴えているのであるが、その訴えを広く届けるために、メディアの力を借りなければならなかったのは事実である。皮肉な構造であるが、これぐらいでは消費者は「買ってはいけない」商品を買わなくなるとは思えない。逆に「あの本」に載った商品として名前を売るようなことにならなければよいがと変な危惧をしている。

1999.10.2

ひまわり

 「ひまわり」といっても、映画の話ではない。(ちょっと古いかな)ゴッホの絵でもない。(私の文はそんなに格調高くない)、ましてや伊藤咲子でもない。(何のことだか、という人が多いかな、でも、おじさんにはきっと分かるはず。ねえ。)
 「クレヨンしんちゃん」に出てくる「ひまわり」である。うちの下の子(莉帆・9ヶ月)が最近とみに「ひまわり」化しているのである。ひまわりの「うう〜」「ああああ〜」などのことば、まったくイントネーションといい、発声といい、そっくりすぎておそろしいほどである。莉帆が声を出していると、ついひまわりの顔が浮かんでしまう。
 莉帆は扇風機が好きである。扇風機を見ると、はいはいダッシュをして、果敢に扇風機に突進していく。扇風機につかまり、押し倒す、一進一退の格闘が続く。そして、ついには、がしゃがしゃと扇風機もろとも倒れ、戦いは終わりを告げる。満足そうな莉帆の表情。なんと同じ場面がアニメでも放映された。
 極めつけは、いたずらをしたり、興味深いものをみつけたときの表情である。目が「きらっ!」と輝き、口元がだらしなくゆるむ。そしてにやにやといやらしい表情を浮かべる。そして、「獲物」に向かっておそろしい速さではいはいダッシュをするのである。油断して横になっていると、莉帆は突進してきて髪の毛を鷲掴みにして引っ張る。顔をばしばしとたたく。非常にうれしそうである。
 泣くときも全く同じ。一瞬、「きょとん」としたあと、「ひくっ」となり、サイレンのような音で第一声を発し、あとは一気に怒濤の大泣きになだれ込む。
 いったいこの「ひまわり」を演出しているのはどんな人なんだろう。ここまで乳幼児を的確に描写したキャラクターはない。本当にすごい。相当な観察力と、表現力がなければこんなキャラクターはつくれない。あの超有名乳幼児キャラクター「いくらちゃん」と比べてみるといい。ちょっと年齢は違うが、「いくらちゃん」はあくまでアニメのキャラクターであり、現実の乳幼児とは違う。頭の中で「つくられた」乳幼児の典型である。怒り方、泣き方、喜び方などワンパターンのうすっぺらなものである。
 子供は無邪気でかわいいものという観念が私たちの頭の中にある。赤ちゃんとはこうだ、こうでなければならないという「固定概念」といってもよい。その観念の中で作られたのが「いくらちゃん」である。しかし、現実はそんな固定概念とは違う。よくよく観察してみれば、さまざまな表情を持っている。それは、実際に子供を持った人にしか分からないかも知れない。
 中島みゆきの「幸福論」という曲に「生まれたばかりの子供は欲の塊」という一節がある。これを初めて聴いたとき、こんな表現があるのかとドキッとさせられた。赤ちゃんとは無垢のものという固定概念を壊しているようで、実は「欲の塊」なのは無垢なる故であるということをストレートに納得させられる表現になっている。
 固定概念で表現されたものは、わかりやすいが、深い味わいやおもしろさに欠ける。固定概念をいったん壊したところに本当の表現すべきことがある。話はだんだん訳の分からない方へ向かいつつあるが、何にしても人を感動させたり、驚かしたりする表現というのは一筋縄ではいかないものである。 

1999.9.6

古本屋をめぐる複雑な思い

 最近本棚がぎっしりいっぱいつまってきてしまったので、じゃあ古本屋に売ろうかという話になった。家を建ててから、もう引っ越しすることはないだろうから(たぶん)本はたまるばっかりである。じゃあ、というわけで、夕食後本の大整理が始まった。整理しはじたのはいいが、なかなか進まない。一冊手にとって、ああこんなの読んだなあなどと感慨にひたりつつひとときを過ごす。気が付いたら、拾い読みしてたりして。それでも思い切ってええいっと、本に別れを告げた。
 うちの奥さんも同時進行で同じ作業をした。そして、せーので「さよなら本」を一カ所に集めた。えーっ、これ捨てたらだめ、これはいる。互いの選んだ本が、次々にダメ出しされる。結局、二人の趣味が違いすぎて、お互いに相手の趣味傾向の本を、勝手にいらない本と決めていたのだ。
 今回はハードカバー、文庫あわせて50冊あまりの本を売ることになった。文庫1冊何十円、ハードカバー百何十円。ひきとってもらえたのは、47冊しめて810円だった。810円という金額が、47冊の思い出に換えられた気がして、売られた本にちょっとすまない気がした。(じゃあ売らなきゃいいのだが)
 この古本屋には、ハードカバーの100円本というのが存在する。ハードカバーの本というのは、それなりのステイタスで、同じ中身でも文庫に比べて、「どうだっ」という威圧感がある。小心者の私は、ちょっと一歩後ずさってしまうのである。それが100円、、、。以前ここで、桐野夏生の本を100円で買ってしまったが、いくら汚れてて、売れなくなっても、ハードカバーにはそれなりの威厳を保ってほしいものだ。(でもお買い得っとばかり、今日は宮本輝を買ってしまった。)
 安くてうれしいという反面、自分のお気に入り愛着本があったりすると、なんだかおとしめられたような気がしたりして、古本屋の本棚というのは、複雑な思いが交錯する。
 CDコーナーというのもあって、ここは更に複雑怪奇である。本の場合、値段に影響する大きなファクターに「汚れ」とか「日焼け」というものがあり、お気に入りの作家でも、100円だったりすると、ああこれは汚れているから安いんだと無理にでも納得させられる。しかし、しかしである。CDの場合そうはいかない。「人気」というのが最大のファクターなのだ。自分のお気に入りが、450円で売られていたりすると、情けないことこのうえない。さらに、そのCDが、自分の持っていないのだったりすると、「安い、得した」とレジに持っていったりする。このときの心中たるや・・・。中古CDの悲哀を肌で感じるひとときであり、癖になると更に更に深みにはまっていく。
 今日、ショックだったのは、佐藤竹善(シングライクトーキングです。)のソロアルバム「コーナーストーンズ」が450円で売られていたこと。お気に入りアルバムで自分でも3000円出して買っていただけに・・・。そんなときは、心の中でこうつぶやく。「わかる人にしか、わからないのさ。」
 今日も古本屋は、悲喜こもごも、いろんな思いを巡らせて活気づいています。

1999.8.31

キャンベル・スープの逡巡

 アンディ・ウォーホールのスープ缶として有名になったキャンベルのトマトスープが100年ぶりにデザインを一新したという。あまりに有名になりすぎたから変えるに変えられずここまできてしまったようだ。売れ行きの不振を、デザイン変更で挽回しようということらしい。
 私でも知っているくらいだからウォーホールのあの絵は有名すぎるほど有名である。あれがなかったら私は「キャンベル」スープの存在を知らなかったと思う。(もちろんウォーホールの作品がなくてもモンローは知っているが)。これを利用しない手はない。
 売り上げ不振挽回の会議かなんかで、ここはいっちょ変えてしまいましょ。世界的に名の知れた「キャンベル・トマト・スープ缶」だから、こりゃ、トップニュース間違いなし。世界中にキャンベルスープの名がとどろきますぜ。なんて言った人がいたんだろうか。
 でもキャンベルスープのすごいところは、理由はともあれ同じデザインを100年間続けたということだ。100年間続くもの、ちょっと想像できない。あのミニでさえモデルチェンジをする世の中だ。そこにはデザインの存在感がなくてはならないし(存在感があるからこそねウォーホールもとりあげたのだろうが)、普遍性もなくてはならない。
 モデルチェンジでよく語られるのが、車の話である。一昔前、日本車は4年1サイクルでフルモデルチェンジを行っていた。新しく買った車があっという間に旧車になってしまう。デザインのコンセプトを引き継いだリニューアルならまだしも、全く違った車になってしまうものも多い。ひどいことに、私の以前乗っていたホンダ・アスコットイノーバという車は、初代の車ながらにしてモデルチェンジされることなく、そのまま消滅してしまった。
 最近はその傾向を見直す動きも見えてきているが、早い話、4年しかもたないデザインを商品化しているということではないだろうか。ユーザーがそのデザインに愛着を持って、何代も乗り継ぐようであれば、メカニズムやエンジンは進化しても、デザインは設計上どうしようもない部分以外はキープコンセプトでいくはずである。
 直接、真っ先に眼に入ってくるだけに、デザインというのは訴える力が大きい。一度そのデザインが受け入れられれば、デザインそのものが大きな力を持つ。真似をしようものなら、○○スタイルなどと陰口をたたかれるだけだ。誰だってe−oneをオリジナルだとは思わないだろう。i−macが獲得したオリジナリティーはそんなことでは微動だにしない。(でも、e−oneほしいなあ)
 キャンベルスープも悩みに悩み迷いに迷っただろうが、果たして吉と出るか凶と出るか。世界中を駆けめぐったこのニュースを聞いて、ああトマトスープ・・・と言いながらマーケットに走ったニューヨーカーはどれくらいいるんだろう。

1999.8.27