韓国の歴史
その18、三国時代の生活C 瓦の家と詩(うた)の国、新羅
前回からまたまたずいぶんと時間がたってしまいました。いつもそんなことを言ってては困ります、もう少しテンポを上げないと・・・前回はタムドック王や王族のきらびやかな生活を支えた農民や普通の人たちの生活にも目を向けました。今回は高句麗より南の地で栄えた新羅のお話です。(何故に、日本にオンドルが伝わってこなかったのか、火鉢は伝わってきたんですね、この回でよく分かりました)
千年王国の新羅!新羅はその長い歴史や寺と塔、華麗な黄金の飾り物などの文化を残した国です。また三国を統一し、民族文化の基盤を作った古代王国でした。新羅の人々はどのような生活をしていたのでしょうか。

「三国遺事」には、当時の新羅の首都ソラボル(今の慶州)について「歌の声が絶え間なく、すべての家は瓦の家であり、ご飯を炊く時も炭火を使うほど繁盛した都市だった」と記しています。ソラボルは新羅の中心であり、象徴でありました。王や貴族の共同体もソラボルに住み、中央や地方の重要な官職にもソラボル出身の人がついていました。全盛期のソラボルの人口およそ18万世帯だったと「三国遺事」に記されています。今のキョンジュであるソラボルには唐や渤海、日本、アラビアの商人も出入りしていました。ソラボルの繁栄の原因は税金としての品物や、各種の物流の中心地だったからです。
8世紀から9世紀頃、新羅の首都ソラボルは中国や中央アジア、イスラムの世界とも交流をしていた国際都市だったのです。
イスラムの歴史地理学者のイブン・フルダドビが845年に編纂した「王国と道路総覧」に新羅の話が出ています。その本によると新羅は快適な自然環境に恵まれ、豊かな産物のために永住する外国人もいたといいます。

特に新羅はたくさんの金が採掘出来る黄金の国だったと記しています。日本にも新羅の黄金に関する記録があります。実際に新羅の遺物の中には黄金のものが大変に多いんです。金冠やブレスレット、ネックレス、指輪、イヤリング、さらに靴にまで金を使っていました。「三国遺事」には、ソラボルには金閣の邸宅が35軒もあったと記されています。新羅の黄金文化は華麗な飾り物を生み、金細工の技術を発展させました。新羅の王室の墓である、キンカン塚、コウナン王塚の出土物には金冠や純金の腰帯、その他の飾り物が集中しています。
では、一般の人々の生活はどうだったのでしょうか。統一新羅は全国を九つの州にわけ、一つの州には多くの村落がありました。普通の村落は山城の下の丘や平地にありました。奈良の東大寺の正倉院から発見された「新羅帳籍文書」には、村の規模や人口、土地と家畜、果樹などが細かく記録されていますが、それによると平民たちは屋根をわらでふいた家に住んでいました。
そのわらの家をのぞいて見ますと部屋の真ん中に炭火で暖める火鉢があります。その火鉢は昔の中国風の釜に似ています。銅で作られていて小さいので、移動させるにも便利でした。寒い高句麗ではオンドルが発達しましたが、高句麗に比べて暖かい気候の新羅の出土品にはいろいろな火鉢が発見されています、三つ足の鼎のような形で、真ん中に穴があってそこに火をつけます。その上に釜をおいてごはんを炊いたり、暖房の役割もしました。室内の真ん中を丸く掘ってそこに火鉢を設置した形もあります。
「三国史記」によると、韓国の代表的な伝統食品であるもちは、三国時代を経て、統一新羅になってから、より一般化したのでした。また三国時代には仏教の影響で寺の料理が発達しました。またお茶を飲む風習も、禅の修行のための一つの方法として受け入れられたのです。
お茶を飲む風習がでて、僧侶や王族、花郎(ファラン)や一族郎党までもお茶を楽しんだのです。いろんな儀式でもお茶の礼が登場して国の大きな行事にも茶礼が行われました。火鉢の前で湯を沸かす当時の絵が残っています。
1500年前の新羅の人々の生活を伝えるもう一つのキーは土偶です。大体10センチほどの大きさの土偶は、老若男女の多様な人々の様子だけではなく動物、家、生活道具のものもあります。愛し合っている一組のカップルや性的な面が強調された人物像も目立ちます。男性の土偶の場合は男性の性器が強調されているのが多く見られ女性の場合も胸や性器を大きくしたのが見られます。子孫を多く残すための象徴や穀物の豊富な収穫の意味を込めたものでしょう。土偶は三国の中でも新羅にだけ存在しています。新羅独自の文化だった。新羅の土偶には一般の人々の生き方が滑稽に描かれています。こうした土偶は当時のおもちゃであり、呪術性を持ち、また墓に供える性格を持っていました。
海を臨む宮殿という意味を持つ臨海殿にはアナプチッという人工の池があります。もともとの名前は月池すなわちお月様が見える池という意味です。674年に掘られたこの池は新羅の歴代の王が春と秋に宴会を開いた場所として記されています。アナプチッには島を作りその中に動物を飼っていました、1970年代に発掘されたのですが、木管、仏像、船が出てきて船遊びを楽しんでいたことがわかります。
1975年に木で作った14面体のすごろくが発見されました。それぞれの面にはいろんな罰則が記されています。酒三杯を飲む、隣の人の鼻を叩く、など面白い罰則が書いてあります。統一新羅のある時代にはこうしたおもしろい遊びがありました。飲酒や歌舞を楽しんだ新羅の風流な文化の一面を見ることが出来ます。
舞いと歌を好む新羅の人々、定期的に宴会や祭りを開いていました。韓国のお盆である「秋夕」(チュソぐ)の風習も新羅から始まりました。新羅の風習の中に、「カベ」という宴会がありました。旧暦の8月15日ごろに女性を二つの組に分けて、着物の材料である綿布を作る大会を開きます。そこで負けた組が勝った組を接待する風習がありました。十五夜を意味する「カベ」が「カイ」になり、特にお月様が大きいという意味の「ハンガイ」、即ち漢字表現で「秋夕」になったのです。
外国の文物を受け入れ国際的な国に成長した新羅。しかし固有の伝統と風習も守っていました。伝統文化をもとに、素朴で神秘な文化を、三国統一後は三国の文化まで吸収して、雄大な韓国の文化の伝統を作り上げた新羅。新羅は結局、歴史から消えてしまいましたが、楽天的で素朴だった新羅の人々の生き方は今でも韓国人と一緒に生きています。
いよいよ、明日はヨンジュンさん初め、太王四神記の撮影隊のチェジュ入りとなるのでしょうか?まもなく、ヨンジュンさん演じられるタムトック王の勇士が見られるでしょうか?きっとこの新羅の国で発達したという金細工の数々も、タムトック王は、身に着けていたに違いありません。少々、時代が違っても、このドラマはファンタジーの要素も多く取り入れてあるとのこと、華麗で勇敢でそして、ロマンチックな王であって欲しい。私の願望です。(2006.9.3by Mie)
広開土大王(カンゲドテウァン):374〜412 朝鮮・高句麗第19代の王(在位391〜412)。正しくは国岡上広開土境平安好太王。略して好太王・広開土王という。
その17、三国時代の生活B 高句麗、その二 鉄が歴史を動かした その19、三国の統一戦争 : 百済の滅亡 その1