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1999年7月4日、大分県朝地町無線資料館へ行きました。    by Mie

広島や福岡と西日本に多大な被害をもたらした、梅雨末期の集中豪雨もようやく勢いを弱め、今日の日曜日は久しぶりに薄日が射してきました。一週間前に、ニューヨークのEメール友達から「無線のほうのMLに流れた記事です。大分とあっては無視できません。取材をお願いします」という電子メールが飛び込んできました。それが今から訪れる朝地町の明専寺の「無線資料館」です。
朝地町に入りました。深い山、美しい渓谷を通って、竹田市の近く標高300mの山の中にその資料館はありました。(右はもみじの描かれた橋の欄干です)
明専寺の横に2階建ての建物がありました。そこがこの6月に開館したばかりの「無線資料館」です。無線関連の展示300点以上もあるとのことです。表には大きなパラボラアンテナが立っています。
  

出かける前に電話をしていましたので、館長の小代隆徳さんが奥様と一緒に出迎えて下さいました。入り口で説明書をもらっています。「さあ、どうぞゆっくり見て下さい」と案内をして下さいました。1,2階合わせて130平方mの展示室はところ狭しと、無線機、真空管ラジオなどが展示してあります。窓の上にきれいに並べられたみかん箱は何かしらと思っていましたら、全てに整理された部品が入っていると聞いてまたまたびっくりしました。
中央白い箱のように見えるのは、大分のテレビ局が使っていた、カラーカメラだそうです。(TAYLOR-HOBSON)
小代さん曰く「ここは昭和の動態資料館にしたいんです」とのこと。37年間、高校の教師を勤められた小代さん、昨年、退職をなさり、今で集めて来られたものを展示、同好の士の集まれる、研究の場にもなればとの思いでこの資料館を作られたとのこと。
これはスペクトラムアナライザーです。(上、下とも)左から出ている筒は、上記のテレビカメラのレンズ部分です。
右下はマイクロウエーブ出力測定機、機器のあちこちにメモ書きをした荷札が下がっています。これは、現在の所、代替部品がなくて、探していることを示すメモ書きです。
ここにあるたくさんの機器の8割は、修理復元されて、実運用出来るものだそうです。置いてある機器のことは殆ど分からない私ですが、でも、昔の機器もちゃんと修理されて動くということは、本当に素晴らしいことだと思いました。
この細長い機器には、「平成元年より、マイクロウエーブ実験中」と書かれています。その電波は、玄関の横のパラボラから発信され、庭の中に立てられた白い反射版にあたって、また玄関横のもう一つのパラボラが受信する、という仕組みになっていました。
  

左は佐賀でSSBの草分けであるJA6AQO古賀誠吾氏の作品で、佐賀県ではじめてSSBの電波を出したSSBゼネレーターです。また同氏によ「Automatic phase controlによるVFOの試作機械」が「CQ」誌1969年4月号に掲載されました。その実物は館内に展示されています。
右は、有線電話関係機器。
  

左の写真は自衛隊のトランシーバー、右の写真はタクシーの無線、横長は昭和30年代の指令室用、その上は、タクシーのトランクにいれていた大きな無線機。声は運転席で聞けるようになっていた。最上部は小型になり、やっと運転手の席に置けるようになったもの。
軍用受信機R-28/ARC-5、アメリカ海軍の中型以上の航空機に搭載されていたトランシーバーの一部で周波数範囲が100〜156MHzの受信部である。チャンネルは4波、真空管を10本使っている。昭和17年コリンズ社が米国海軍に納入。
軍用無線機の専門家、千葉の石川俊彦氏より購入したもの。(資料より)
この4トラックオープンデッキには、ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹博士の声が入っている。1972年に湯川博士は、三浦梅園、広瀬淡窓の業績を求めて大分に来られ竹田高校で講演をなさった、その時に小代さんは、放送係として湯川博士の声をこのテープに録音をされたのだ。
三菱ダイアトーンのスピーカーはとてもきれいな音で湯川博士の声を再生してくれた。
2階の書籍などの展示室に上がってきました。テラスの外は緑が一杯でとても涼しい風が吹きこんできます。
昭和17年製、アメリカ海軍のオールウエーブ受信機で第二次世界大戦中の米国海軍が誇る最高の受信機なんだそうです。小代さんの手元にまできた経路は、本当に偶然で実にうれしかったと話して下さいました。米軍福岡基地から、香椎在住のハム仲間の所へ、その方から良かったらどうぞ、ということでもらってきたとか、当時は二人とも世界の名機とは知らなかったとのこと。
昭和49年修復完了、そして完動するそうです。
  
 世界的な名機R-388A、アメリカコリンズ社が特許を持つ軍用名「R−388A」民生用名「51J-4」の国内版JRC-240Jで、JRC(日本無線)がコリンズ特許のもとに製造したもの。
500KHz−30.5MHzまでの30バンドで全バンド1KHzを読み取ることが出来る。(資料より)
      
   

大正14年代(1925)のラジオです。NHK東京放送局JOAKが放送を開始した時期に使われた受信機で、アメリカの大量生産ラジオ会社クロスター社の廉価ラジオを模して作られている。使用している真空管は201A5本、パーツは大正13年の製品で日本の当時としては高級品に属する。昭和59年(1984)に修復をしたが同一の部品はなく代替品を使っている。(資料より)
たくさん集められた書籍を見せて頂く。その中でも、これは!という本を出して見せて下さった。
  

左は昭和18年の「子供の科学」右は大正12年の「科学知識」電気から高山植物のことまで、あらゆる範囲のことが書かれている。とても貴重な本です。
ここが小代さんの無線基地。JA6DDOのコールサイン、昭和37年に免許を取得なさったとか。子供の頃から機械好きで古い部品を集めてはラジオの組み立てに熱中していたそうです。
   

これは古いラジオです。磨いて、部品を点検、代替品を使ったりして組み立てて、また聞こえるようになっています。右はこれから修理をするラジオです。たくさん待機しています。
   

左は、エジソンの発明したのと同じ形の円筒型蓄音機。GRAPHOPHONH。小代さんが手にされているのは、美しい木彫りのカバーです。右の写真は、たくさんのラジオなどの部品、真空管、といろいろなものが置いてあります。その中でおもしろかったのが、、、、
   

左の手作りラジオです。容器はなんと、アルミのお弁当箱です。右は、宝物が入ったケースです。部品毎に見事に整理されています。
2階のテラスの前の明るい場所が小代さんのアトリエ、今もラジオの分解、再生中です。ここに同好の士が集まって無線の話などに華が咲くのでしょう。
  

何も分からない私達に懇切丁寧に説明をして下さいました。本当にありがとうございました。その後、お茶の間に招じられて、奥様も交えて楽しい一時を過ごしました。夫より一つ年長と言われた小代さんの生き方は私達も大変刺激を受けることが出来ました。本業のお寺の山門の前でご一緒に記念写真です。また、お邪魔したいと思いました。そしてまたいろいろとお話をしたいなと思いました。

アジサイがとても美しく咲いている明専寺でした。朝地町は何故かアジサイが似合います。今日はとても素晴らしい方にお会いできてうれしい日となりました。しかし、知識のない私達がお話を伺ってきて作ったホームページです。何か間違いなど気づかれた方はどうぞ教えて下さいませ。よろしくお願い致します。
無線資料館・・・・大分県大野郡朝地町大字上尾塚154−1、電話0974-72-1484、FAX・0974-72-0156
追記・・・・・・本日、無線資料館館長からご連絡を受けました。展示が大きく変わったそうです。見学に行かれる方は、ご連絡を取ってから出かけられることをおすすめします。(2007.1.18 by Mie)

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