2015年6月19日〜27日 :春色に染まる日本一周クルーズ
二日目 6月20日:志布志港フェリーさんふらわあー鹿児島観光ー指宿へ
大阪南港を17時50分に5色のテープを振って、出航したフェリーサンフラワーは15時間の航海を終えて、まもなく志布志港に着きます。地図をクリックして見て下さい。
ゆったりとした部屋でした。いつ、下船ですよ、声がかかっても良いように、荷物をまとめました。豪華客船だったらここで荷物をまとめなくても、またここへ戻ってくるのですよね、その辺りが、定期便フェリーとの大きな違いです。 
朝食は7時からということなので、デッキへ出てみました。 
向こうに見えるのは島でしょうか?それとも半島の先端でしょうか?まだ宮崎県が見えているのか、どうでしょうか。 
580kmを15時間かけて走る船、私たちは、殆どの時間を気持ちよく眠って過ごしました。波を切って走滑り抜ける船、頼もしい限りです。 
食事時間になったので、レストランへ行きました。船に乗ると、本当に食事が楽しみになります。
トレイが赤いだけでもウンとおいしそうに見える、実際にお野菜が新鮮でたくさんあって、おいしいです。
最近のフェリーは随分、公共の場が居心地良くなっています。ここはレストランの窓際の席ですが、そうでなくてもあちこちに、このような椅子やテーブルが置いてあって気持ちの良い時間を過ごすことが出来ます。 
自由閲覧の雑誌などもあって、開いてみました。このサンフラワーのことが載っています。
新幹線や飛行機LCCの速さには敵わないものの、そえらでは体験できない船旅ならではの旅情を提供する、と書かれている。また日本高速フェリーのオリジナルルート、憧れの航路とも。
  他にも昨夜の「星空教室」のことも出ていました。以前から行われ、そして、律儀に続いているのですね。 
 船は予定通り志布志港に着岸しました。そこには南国観光の大きな観光バスが待っていました。今回のツアー客は夫婦8組に1人参加の男性が二人で合計18名、そして添乗員さんと総計19人の一行です。それに対して45人乗りの立派なバス、バスの後ろ半分は自由に座りたい、眠い人など自由に使って良いとのこと。
新ためて添乗員さんのご挨拶、そして、入社2年目というバスガイドさんが乗って来られました。一生懸命にガイドをされる姿が可愛かったです。

左鹿屋、右垂水、鹿児島と道路標識です。垂水の方へ走ります。すぐに出てきたのが鹿屋、体育で有名な鹿屋体育大学の広大なキャンパスの傍を通りました。
垂水市、錦江湾沿いの道に大きな木が見えてきました。「あこうの樹」「あほうの樹」とも呼ばれるとか、ガジュマルの木の一種、の並木道です。木陰が気持ちよさそうです。

やがてバスは桜島へと入って行きました。 いきなり桜島でしたが、本当はもっと遠くから桜島の雄姿が見えるはず、今日は曇っていて、頂上が見えません。
いきなり桜島の展望所に着きました。びっくりしました。広く無い駐車場には、大きな観光バスがたくさん停まっています。殆どのバスは、中国人の韓国客でした。日本人の観光バスはみつかりませんでした。
桜島も何度か来たことがありますが、この展望所は初めてです。そして、今活発に活動をしている南岳がすぐに見える所というので過去の噴火の遺物も何となく生々しく見えます。
今、日本のあちこちで活火山が噴火活動を開始したようで、何となく不気味、
ガイドさんも話していましたが、何時頃から桜島と呼ばれるようになったか、最初は鹿児島と言われていたとか、記録に残るのは1476年(文明8年)
1698年(元禄11年)薩摩藩の通達によって桜島の名称に統一されたそうだ。
古来多くの文人たちも、桜島を訪れては、歌や俳句を残して行った。ここには「初蝶の溶岩につき当たりつき当たり」 高野素十氏の句が掲げられていた。
   
この度避難壕がこの桜島に31か所設置されているそうです。1か所に30人位の人が退避出来ます。それにしても怖いですよね。噴火のない事を願いますが、自然のサイクルはそういう感情とは無関係、備えあれば、の気持ちが大事です。
垂水と有村へと来て溶岩などを見ました。そして、今後は、桜島港から鹿児島本土へ船で渡ります。観光バスがそのままフェリーに乗り、そこで私たちは降りて船室で過ごしてまたバスに戻って船を降りるという方法です。
船の一番後ろです。お客様の子どもさんが宿題帳を持って来ていて、これ教えて、と聞いてきて、一緒に宿題をしました。愉快でした。
途中で船同士がすれ違いました。たった15分の航行でした。
今度は鹿児島市内を走って島津家別邸仙巌園の見学です。市内電車の線路の周りに芝生が植えてあるのが珍しいです。 
 何度来ても興味深い島津家所縁の場所です。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景色、仙巌園です。島津家の科学工業の粋を集めた尚古集成館、反射炉の遺構とその模型など興味深いものがたくさんあります。
 今回初めて詳しく知ったのがこの赤い門「錫門」でした。この門は鹿児島特産の錫で葺かれているそうです。赤い門は高い身分の人しか通ることが出来ませんでした。当時は藩主とお世継ぎのみだったとか。
今日、私たちはこの門から出入りを致しました。
 19代光久の時代に琉球国王から献上されたと伝わる中国風のあずまやです、床には秦の阿房宮の床瓦を模した273枚の磚(せん)というタイルが敷き詰めら得ている。「望嶽楼」の字は王羲之を写し彫られている。28代斉彬が長崎からやーぱん丸(のちの
咸臨丸」に載って会いに来た勝海舟と会談を行ったことでも有名。
今回もまたゆっくりと、島津家の偉業の後を見ることが出来て、夫も満足でした。 
 途中にちょっと違和感あるものが置いてありました。克灰袋です。桜島の灰を集めて捨てる袋のことです。始めは降灰袋でしたが何となく受身的な感じがするので、降灰に強い快適な都市へと積極的に降灰を克服しようと意欲を込めて1991年からこの名称になったそうです。見た目より降灰って重いですね。それでも鹿児島の友人は桜島大好きと言います。良い姿ですものね、どうかいたずらしないで下さいね。
今日のお昼は、薩摩郷土料理 です。奄美大島の「鶏飯」です。左の丼に傍においてあるお皿の鶏肉や卵、漬物や海苔などを乗せて、右の鶏スープをかけて頂きます。片方の鍋には、薩摩の黒豚がグツグツ煮えてました。さつま揚げやきびなご、勘八など、薩摩の食材がたくさんありました。
その後、時間まで尚古集成館を見学してバスに乗りました。 
午後は知覧観光です。私たちは武家屋敷を中心に歩きました。狭いお庭を岩や緑で雄大な景色を表現しています。 
 知覧の武家屋敷は、今、緑が盛んでとても美しかったです。垣根の刈込もダイナミックで本当に何度見ても清々します。
知覧のお茶の歴史は平家の落人たちからと言われていますが、その歴史はよく判りません。しかし、気に入ったお茶が見つかったようで良かったです。あちこちのお庭をみせてもらったりよく歩きました。
ここは知覧二つ家です。これらの武家屋敷は島津家に仕えた第16代〜18代佐多家の時代に造られたのではと言われています。沖縄に似た家の造り、が見られます。江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから影響が見えているのではとのことです。
紫陽花がきれいに咲いている所があり、歩き回った身には、何だかホッとする美しい風景でした。 
知覧平和会館の見学をされた皆さんとまた合流をしました。神風攻撃で亡くなられた人たちに灯篭が一基ずつ手向けられているとのことです。 
知覧町を過ぎて今夜の宿泊地の指宿にやってきました。指宿と言えば開聞岳が有名です。遠くから開聞岳は見えていますが、池田湖を前にした開聞岳はあっという間に通り過ぎました。 
 いよいよ指宿いわさきホテルが近くなりました。矢印通りに右折すると、、
立派なホテルが目の前に見えてきました。こんなに大きなホテルとは思わなかったので、びっくりしました。 
お部屋は6階です。どこもばるこいー付きのビーチ側とのこと、リゾートホテルはさすが快適です。 
 ホテルは大きすぎて、よくよく考えて歩かないと迷子になりそうです。そしえ、砂湯もあって、是非、とのこと、砂湯用の簡単服もあって、早速着替えて砂湯に行くことに。
本館から別館へそして、地下へ行くと海岸に出ました。砂湯に入って、寝ていると、ジワジワとゆっくり体が暖かくなって行きます。別府の砂湯も同じですが、海の傍で海岸の砂が暖かくなっている、温泉の力ってすごいですね。 
 その後、砂を落とすためにプールに入り、シャワーを浴びて着替えて、また大浴場へと行きました。
その後、いよいよ夕食です。18:30からです。
窓際の席に案内して頂いたので、目の下の公園、そして浜辺まで見渡せて、少しずつ夕焼けになる様子を眺めながらお食事をしました。 
ゆっくり食事をした後、広いいわさきホテルを探検しました。天の川のような光の廊下が延々続いて居たり、オシャレなショップがあったり、ゲームセンターがあったり、本当に様々なコーナーがあり、一晩では到底見つくせない広さでした。

部屋ではWiFi で持ち込んだノートパソコンにつなぐことが出来ました。写真の整理をしたり、気になるニュースやメールをみたりしました。
第一日目  続く