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2001年1月21−26日:亡父の一周忌
父の一周忌の法要・納骨のためにダイヤモンドフェリーに乗って龍野へ行きました。船の中で働いている方に「ホームページを見ていますよ」と声を掛けられびっくりしました。大分の芸短大卒の方でした。こんな所にも見ていて下さる方があるとうれしくなりました。
22日の朝、7時前、まだ夜の明け切っていない六甲アイランドにフェリーは着きました。
神戸の町の中を車で走っている時に、太陽が昇りました。
龍野の家で一人暮らしの82歳の母が元気に迎えてくれました。早速、一緒に買い物に行き、きれいなお花を買って父に供えました。
父の部屋に入ってみました。本棚には父の趣味だった写真のアルバムと謡曲のテープがきちんと納められていました。また父がいつも書き物をしていた机の上にはたくさんのペンやカメラが置かれていて、いまにも父の声が聞こえてきそうでした。

2001年1月23日:一周忌・納骨
午後にお坊さんが来られてお経を上げて下さいました。父を偲び、そして「感謝する心」というお説教をして下さいました。辛いこと、うれしいこと、何でも感謝の気持ちで受けることが出来るようになりたいというお話でした。辛いことでも感謝して、というのはなかなか難しいことですが、そうありたいと思いました。
お坊さんと一緒に納骨のために、車で20分程の所にある亡父のふるさとの姫路市林田の墓地に行きました。建立者として私達姉弟4人の名前が刻まれた新しいお墓に納骨をしました。
お坊さんにお経を上げて頂き、私達もお参りをしました。
参列者一同、記念写真をとりました。

左から松井清・美智子、藤井慈子・惣平・登代、永野美惠子、藤井昭彦、永野建一
そして、松井のアン(犬)
夜は実家のすぐ近くの国民宿舎「赤とんぼ荘」に行ってみんなで父の話しをしながら寄せ鍋をつつきました。

2001年1月24日:亡父を偲ぶ会
朝、赤とんぼ荘の7階の部屋からの景色です。正面に鶏籠山がそびえ、揖保川が流れ、小京都と呼ばれる瓦屋根の美しい龍野です。左の緑の横に実家が少し見えています。
今日は私達の従姉妹夫婦も来て下さって皆でまた林田にお墓参りです。父の生まれた家の前で母と従姉妹夫婦たちが記念写真をとりました。

家は屋敷の半分は中学のグランドになり、昔の面影はありませんが、大きな楠だけは枝を広げて立っていました。
昨日に続いてまたお墓参りできっと藤井の先祖の皆さんは喜んでくれていることでしょう。
お墓の前で私たちも記念写真を写しました。

右から恭代、岳人、建一、美惠子です。
また、総勢17名で赤とんぼ荘に戻ってきました。今から「亡父を偲ぶ会」をします。
父の写真の側で母が「幸せな一生でした。今日はたくさんでお墓参りをありがとう、皆で楽しく思い出話をして過して下さい」と挨拶をしました。
久しぶりに会った、私達の従姉妹夫婦です。村原のお兄さんの乾杯で宴が始まりました。
左の写真:仲の良い姉妹です、左から慈子さん、Mie,政子さん、美智子姉、右の写真:右からすぐ下の弟の昭彦、Ken、末弟の和彦、姉の夫・清さんは肩しか写ってません(ごめんなさい)
久しぶりに私達も揃って父のお陰と思うとうれしいです。
部屋に引き上げてきてからも二次会が賑やかです。岳人が、祖父母のルーツをいろいろと聞くので母が江戸時代の昔からの話をしてくれました。これは記録しておきたい話だと思って私は一生懸命聞き書きをしました。恭代さんの後ろには父の写真が置かれています。

2001年1月25日:まだまだ「ルーツを辿る旅」は続きます
赤とんぼ荘での朝食後、従姉妹の村原さん、宮崎さんをお見送りして私達は藤井の家に帰ってきました。

昨夜の続きの藤井と曽谷のルーツを辿る旅が続きました。古い写真や新聞の切り抜き、手紙などを母が出してくれたので皆で見ています。
藤井家(左)曽谷家(右)の系図まで張り出して皆であれこれと話が弾みました。

これからこの系図に更に書き加えられていく私達です、いつまでも仲良く暮したいと思います。

成彦さんが大阪に帰り、藤井一家と岳人夫婦が東京に帰り、松井一家が高知へ帰りました。私達は夜フェリー乗り場の神戸へ向けて発ちました。和彦夫婦は日曜に北海道に帰ります。
雨の中、神戸に着きました。ハーバーランドできれいな夜景を見てから六甲アイランドのフェリー乗り場に向いました。そして26日の正午頃に大分に帰りつきました。

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