第3章 イグアナとの出会い
私の奥さんは、かなり長いことテレビのクイズ番組に出演していました。
男性チームと女性チームにわかれてクイズに答え、両チームの得点を競い合うという番
組です。
この番組はわりと視聴率が高かったようで、私と奥さんが往来を歩いていても、なんと
なくチラチラとこちらを見られることが多かったようです。もっとも、そうしたことはい
までもありますが、当時は格段に多かったといえるでしょう。
一度などは、私と奥さんが道を歩いていると、なんとこちらを指さして「おい、***
やでー!」と絶叫する人がいるではありませんか。
さすがに、これには少々参ってしまいます。まるでパンダかゴジラが歩いているのを発
見したようなものです。それでも、まだふつうに歩いている時はまだいいのですが、たま
たま夫婦喧嘩をしながら歩いている時にこういう目に会ったり、気分が落ち込んでいる時
だったりしたらたまったものではありません。
むかし、スーパーマンというテレビ番組がありましたが、その冒頭に「鳥だ! 飛行機
だ! いや、スーパーマンだ!」というセリフが流れます。もしもほんとうにスーパーマ
ンが実在したら、さぞ鬱陶しいことだろうと思います。
それでも、うちの奥さんの場合などは、基本的には自分の創作したものが仕事になるわ
けですからまだいいのかもしれません。本人そのものが対象となってしまう役者さんや歌
手の場合など、大変なのだろうと同情してしまいます。
それはともかく、わたしの奥さんはクイズ番組に出演していたのでした。
そして、その番組のなにかの企画で、出演者がハワイ旅行へ行くということになったの
です。なにかの企画で、というのもなかなか頼りない話ですが、なにしろ私は記憶という
ことが大の苦手なもので、どういう経緯なのかほとんど覚えていません。おまけに、我が
家にはテレビがなく、番組そのものも実家に行った時に見るくらいのものですから、ます
ます印象が薄くなってしまいます。
ともかく、そうしてハワイへ行くことになりました。
行きの飛行機の中では、当時発売されて間もないウォークマンに二本のイアフォーンを
差し込んでふたりで音楽を聞いたり、ドボンをしたりして道中を過していました。
発売当初のウォークマンにはヘッドフォンの端子が二つついていて、ふたりで聞くこと
が出来たのですが、最近のウォークマンはみんな一つしかついていないみたいです。二人
で聞く人というのがよほど少なかったのでしょうが、そもそも二つの端子を付けたという
こと自体が、まだスピーカーで何人かで聞くという発想のしっぽを引きずっていたのでし
ょう。それが、いざ蓋を開けてみたら、だれもそんなことをしないということがわかって、
メーカーも自信を持って端子ひとつにしたのでしょう。たしかに、ただでさえ絡んでしま
うと収拾の付かないヘッドフォンのコードが二本で絡みあうと、事態は相当に混乱してし
まいます。
ついでにいえば、ドボンというのはカード・ゲームですが、ひところ我が家ではずいぶ
んこのゲームに熱中したものでした。ところが、私の奥さんというのはとても敗けずぎら
いな人で、その前にオセロをやったときもそうだったのですが、私が勝つととても険悪な
空気になってしまいます。それで、いつのまにかやられなくなってしまいました。
しかも、奥さんは年々忙しくなってしまい――というかゲームをやるよりもよほど面白
いことがどんどん出てきてしまい――すっかりそうした遊びはやられなくなりました。我
が家にはもう使われなくなったscrableだの麻雀牌だのが、押入の隅っこに眠って
います。
それはともかく、イグアナの話に戻りましょう。
私は海が大好きです。おまけに暑いところやカンカン照りの太陽も好きです。というわ
けで、私のほうは勇躍というか、いそいそとハワイへ出かけたのですが、奥さんのほうは
そうではありません。
もともと肌が弱いので日焼けをすると火傷のようになってしまいます。暑さにも弱けれ
ば明るい場所よりはどちらかというと暗い場所を好みます。ですから、奥さんにとっては
ハワイ旅行とはいっても、楽しみは買物や夜のレストランでの食事だったようです。
そういうわけで、短い旅行の期間でしたがずいぶん街のすみずみまで散策しました。ポ
ルノ・ショップとおぼしき店に日本語の看板があったりするのを見て、いやいや困ったも
んだなあと思ったり、物凄く派手なアロハ・シャツを買ったり自転車で引張る人力車のよ
うなものに乗ったりと、私達なりにハワイを楽しんでいたわけです。
そうしてウロウロしている時に、奥さんと私はホテルの近所に動物園を見つけました。
動物園といっても、パンダの檻の前に行列が出来ているわけでもなければ、休憩所で空い
たベンチを捜して殺気立つということもない、まるで公園のような場所です。林の中に動
物の檻が散在しているという感じです。
その檻のひとつの中で――檻というよりは温室のような感じだったのですが――鬱蒼と
茂った熱帯植物の枝に、イグアナがとまっていたのです。
イグアナは食事中でした。
水着みたいな格好の女性が、リンゴをあげているのです。イグアナはその女性が手をの
ばして差し出しているリンゴにがぶりと噛みつくと、シャクシャクと咀嚼しています。環
境が良いせいか、見事な緑色でしかもトゲトゲも立派だし二メートル近くはあろうかとい
う大きさです。
奥さんと私は、つくづくとそのイグアナに見とれてしまいました。おなじトカゲの仲間
とは言いながら、石垣などをチョロチョロと小走りに移動していく日本のトカゲとは、ま
ったく印象が違います。どっしりとした重量感と豊かな表情――イグアナに表情があるか
どうかという議論はあるでしょうが、たしかに特有の顔というものをトカゲにしろカエル
にしろ、あるいは魚にしろ持っています――それに、目の下にある円形の綺麗なウロコ。
そして、ピンクの舌をのぞかせながらリンゴにがぶり、がぶりと噛みつき、シャクシャク
と咀嚼するのです。
もともと、奥さんも私も変ったものや異形のものを見ると呆然と眺めてしまうところが
あります。もしかしたら、ぽかんと口を開いていたかもしれません。ともかく、そうして
飽かず眺めてから、奥さんと私はその動物園を後にしました。
イグアナの印象はよほど強烈だったとみえて、いまこうして書いている時もイグアナの
ことは覚えているのですが、その他の動物のことは一切思い出すことができません。動物
園というからには、ゾウやトラやライオンなどもいたはずなのですが、見た記憶がまった
くないのです。もしかすると、イグアナを見たので満足して、そのまま動物園から出て行
ってしまったのかもしれません。
こうして、イグアナは私達に強烈な印象を残していきました。
しかし、東京に戻った私達が、すぐさまイグアナを買いに行くということはありません
でした。私達の生活にイグアナが参加するようになるのは、ずっと後のことになります。
さすがに、イグアナというものは動物園で見るものであって、自分の家で飼うものだとは
思えなかったのです。それに、そんなものがいったいどこで売っているのか、変ったペッ
トのマニアでもないかぎり、見当もつかないでしょう。
もっとも、ハワイの動物園でイグアナを見ていた私は「そうか、イグアナは草食なのか、
だったら飼いやすいだろうな」とぼんやりと考えていましたから、飼うことをまったく考
えていなかったというわけでもないようです。
それから、私達の生活にはイグアナではなく、子供が参加するようになりました。当時
買っていたハムスターは老齢で死んでしまい、その後で赤坂の手狭になったマンションを
引払い、住宅地のマンションに引越しをし、ルイジアナAとBの二匹のミドリガメがダイ
ニング・ルームの一角に住むことになりましたがそれも死んでしまいました。
そして、長男が幼稚園に通うようになったころには、我が家にはペットが一匹もいない
状態になっていました。
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