我が家が現在のような動物園のような状況になってしまったことについては
、もともと私も奥さんもペットを飼うのが好きだったということがあるでしょ
う。
べつに爬虫類にかぎらず、ともかくペットを飼うのが好きなのです。ペット
を飼うのが好きというよりも、ペットを飼う習慣があったということなのかも
しれません。
私の育った家では、スピッツが飼われていたことがありました。いまでこそ
、スピッツなどというとあまりぱっとした印象がありませんが、かつてはペッ
トと言えばスピッツと相場が決っていました。『ペスを尾をふれ』という、一
世を風靡した少女マンガの主人公もスピッツです。
それはともかく、スピッツばかりではなく十姉妹を飼っていたこともありま
す。この十姉妹というのはともかく子供を育てるのが上手で、しかもとても丈
夫なものですから、繁殖を楽しむのにはもってこいです。
もっとも、いったん繁殖しだすととめどというものがありません。最初ツガ
イだったはずの十姉妹はたちまちのうちに十数羽の十姉妹の大軍になり、巨大
な藤丸篭のような檻のなかで猿山の猿のような生活をしていました。丈夫で子
育てが上手というのも、少々考えものかもしれません。
そのほか、インコも飼っていれば猫を飼っていた時もありました。それぞれ
がまた、ライフサイクルによって重複して飼われていた時もあるわけですから
、私の育った家にはいつもなにかペットがいたということになります。
私の母親というのは、爬虫類を見ると鳥肌が立つという人だったので、さす
がに子供のころは飼うわけにはいきませんでしたが、高校生になるとそれなり
の発言力も家の中に出来、とうとう爬虫類の飼育も始めました。
とはいっても、イグアナだとかベルツノガエルなどという、今流行の爬虫類
というわけにはいきません。近所で捕まえてきたヒキガエルを鳥篭に入れて飼
い始めたのです。
それまでインコを飼っていた篭の底に土を敷いてやり、ヒキガエルをそこに
住まわせます。しかし大変だったのは餌で、なにしろカエルというのは基本的
に生き餌しか食べません。
実際には、生き餌というよりも動いているものでないといけないということ
らしいのですが。なにしろ、あの連中は動いていないものはまったく目に入ら
ないようなのです。
いまもうちにいるヒキガエルも、水槽にコーロギを入れてやると、原則的に
は目にも止まらぬ素速さで舌を伸ばして食べてしまいます。
ところが、コーロギが一度動きを止めてしまうとそうはなりません。目の前
にいるというのに、まったく気がつかない様子でそっぽを向いてしまいます。
コーロギが少し動くと、そちらのほうをジロっと横目で眺めますが、そこでコ
ーロギが動きを止めると横目でしばらくそちらを眺め、やがて興味を失ったよ
うにまたそっぽを向いてしまいます。それからまたコーロギが動くとジロっと
横目で眺め、コーロギが動きを止めるとそっぽを向くということの繰り返しに
なります。
コーロギのほうも、そんな知能があるとは思えないのに、まるでヒキガエル
を翻弄するかのようにしばしば動きを止め、ヒキガエルの餌を食べる光景を眺
めようとしているギャラリーをいらいらさせます。
そんなわけですから、爬虫類専門のペットショップにいけばコーロギが売っ
ているというわけにはいかない時代に、餌を確保するのはなかなか大変でした
。ともかく、あらゆる昆虫を捕まえては餌にします。バッタやゴキブリ、それ
にセミまで捕まえてきてはヒキガエルに与えます。餌の昆虫が元気がなくなっ
てしまうと、しまいには目の前にぶらさげて動かしてやるということまでしま
した。
これがけっこううまくいって、餌不足の窮地を脱することもしばしばだった
ように覚えています。もっとも、大食で知られるベルツノガエルなどは、肉片
ですら目の前でぶらぶらさせると食べるそうですから、あの連中は生き餌でな
ければいけないのではなく、ともかく動くものでないといけないということな
のでしょう。
大学に入ってからはハムスターを飼い始め、やがて家の中はおろか私の友人
の家にまでハムスターが跳梁跋扈するようになってしまいました。
私の奥さんの育った家にしても、さすがにヒキガエルは飼育していなかった
ようですが、カナリヤや犬や猫が住んでいました。
私が始めて奥さんの家に行った時にも、犬が家のなかをモゾモゾと歩き回っ
ていました。なかなか賢そうなところもある犬ではあったのですが、押しも押
されもせぬ雑種の、それもかなり大きな犬が家の中を歩き回っている光景に、
多少圧倒された記憶があります。
そういうわけですから、私達は結婚してからすぐにペットを飼うことになり
ました。
私の奥さんは、どうあってもペットのいる生活に戻りたかったようなのです
。
最初は、順当なところでハムスターになりました。
マンションの一角にハムスターの檻が置かれ、その中では夜な夜なガチャガ
チャと檻の扉をこじあけようと奮闘するハムスターとの生活が始まったわけで
す。
どうしてもなにかペットがいないと淋しいと感じていた奥さんも、ハムスタ
ーのお陰で、すっかり気持がおさまったかのように見えました。
ほんとうは奥さんはハムスターよりも犬のほうを飼いたかったようなのです
が、まさかマンションの中で犬を飼うわけにもいきません。奥さんが犬を飼お
うかという話をしていた時にも、私はあまりまともに相手をしていなかったよ
うに思います。
これが、あとになって考えるとたいへんな結果を生むことになりました。
ある日、会社から帰宅した私は、家の中になんと犬がいることを発見したの
です。奥さんは、ハムスターを購入したペット屋さんに出掛けると、かねてか
ら目をつけていたシェトランド・シープ・ドッグを買ってきてしまったのでし
た。
いちおう、大型犬ではありません。ことに、買われてきたばかりの時は仔犬
ですから、小さいしじつに愛くるしくもあります。それにしても、たった2D
Kのマンションにシェトランド・シープ・ドッグというのは尋常ではありませ
ん。小さいうちはいいにしても、大きくなったらいったいどういうことになる
のでしょう。私の奥さんはいったいなにを考えているのかと思ってしまうのは
こういう時です。
じつのところ、私の奥さんはこういう時にはなにも考えてはいないようです
。作家として、また評論家として知られているからには、いつもなにか高邁な
ことを考えているのではないかという考え方もあるでしょうが、けしてそんな
ことはありません。
評論などを読むと、時代の流れを的確にとらえた優れた評論を書いていると
――こう書いてもうちわぼめとはいわれないでしょう――思いますし、エッセ
イなどでも実に鋭い見方をしていると思います。家で世の中の出来事について
話している時にも、奥さんでありながら、まったくそうした関係を離れて尊敬
もしています。
しかし、時によるとまったく後先を考えないという悪癖を持っていることも
また、事実といわなければならないでしょう。まあ、たぶんこうした性癖は一
方では果断さとなるのでしょうが、あまり日常生活に向いた性癖であるとは言
い難いかもしれません。この文章を読まれてもわかるとおり、私が優柔不断こ
の上もないのですからそれでいいのかもしれませんが。
そういうわけで、私と奥さんの家にやってきたシェトランド・シープ・ドッ
グは、ほどなくして実家で生活するようになりました。なにしろ、非常に活発
この上ない犬で、いたずらはするし吠えるしで、とてもマンションの生活には
向いているとはいえません。
フータと名付けられたその名前がいけなかったのかもしれません。奥さんの
書いている『魔界水滸伝』に登場する名前からとったのですが、その風太とい
う登場人物はなんと火の神という設定なのですから。