ジョシア・チュグワネ(Josiah Thugwane)
南アフリカ
本拠地:ヨハネスブルグ(ナイキ、コカコーラ後援)
1971年4月22日生まれ、29才
身長:158m 体重:45kg
無名選手のアトランタ・オリンピック優勝
チュグワネは1996年アトランタオリンピック優勝し一躍世界的ランナーとなった。南アフリカ共和国の黒人としては初の金メダリストであり、一躍国民的ヒーローとなる。アトランタでの優勝は無名選手であったが故にフロックであると見られがちであったが、チュグワネは翌年金メダルが偶然ではないこと自ら示した。すなわち4月のロンドンマラソンで2:08:06で3位
に入ると、年末には福岡国際マラソンで2:07:28 で優勝した。この記録は福岡国際のコースレコードであり、南アフリカ共和国最高記録でもある。
その後の低迷と復活?
その後チュグワネはマラソンでは一時の勢いを失い(ロードレースでそこそこに走ってはいたが)、98〜99年のマラソンレースでは棄権を繰り返し、記録らしい記録を残していない。チュグワネはもうだめなのかと、一時は思われたものであるが、2000年春のロンドンで2:10:29で8位
に入りシドニーオリンピックの代表に選ばれることになった。
チュグワネの生い立ちとアトランタ以前の経歴
チュグワネはベサルの貧困層の生まれであり、教育を受ける機会がなかった。アトランタで優勝した頃、全く読み書きができないことが話題になったことがある。アトランタを契機に家庭教師を雇い読み書きを習い、今では母国語のみならず英語も堪能になったそうである。
家族を養うために、1990年(19才)にマラソンを走りはじめたチュグワネは初めの5年間で50以上のレースに出場している。アトランタ以前のこの経歴は一般
には余り知られていない。記録は目立たないものの数多くの優勝経験を重ね、1993年南アフリカ選手権、1995年ホノルル
マラソンでの優勝を経て 1996年
南アフリカ・オリンピック国内予選大会を優勝で飾りアトランタ出場を勝ち得ている。96年のオリンピック選考会では自己記録を大幅に更新して、アトランタに臨んでいることは特に注目に値する。
無名ではあったがそれ以前の経歴にはそれなりに納得させられるものが確かにあるのである。
個人記録
ハーフ・マラソン = 1:02:06
マラソン= 2:07:28
過去の主な戦績
1990 Witbankマラソン、2位(2:22:24)
1991 Nelspruitマラソン、優勝(2:18:00)
1991 Ngodwanマラソン、優勝(2:22:24)
1991 Durbanマラソン、6位
(2:14:00)
1992 ケープタウン・マラソン、4位(2:13:36)
1992 Ngodwanaマラソン、優勝(2:17:42)
1993 Tiberiasマラソン、3位
(2:18:42)
1993 南アフリカ選手権マラソン、優勝
(2:14:25)
1993 プレトリア・マラソン、優勝
(2:15:57)
1993 ホノルル・マラソン、13位(2:29:16)
1994 Kyongiu マラソン、28位
(2:24:52)
1994 シカゴ・マラソン、棄権
1994 Sowetoマラソン、5位
(2:22:26)
1995 Ngodwanaマラソン、優勝(2:18:47)
1995 Bredadorpマラソン、優勝 (2:26:39)
1995 南アフリカハーフマラソン、5位(自己最高)
1995 世界 ハーフマラソン、5位
1995 ニューヨーク・マラソン、棄権
1995 ホノルル マラソン、優勝(2:16:08)
1996 南アフリカ・オリンピック選手権、優勝 (2:11:46)
1996 アトランタオリンピック・マラソン優勝(2:12:36)
1996 福岡国際マラソン、棄権
1997 ロンドンマラソン、3位(2:08:06)
1997 福岡国際マラソン, 優勝(2:07:28) (自己最高、南ア最高、コースレコード)
1998 グレートスコティシュ・ハーフマラソン、2位
1998 ロンドン・マラソン,、棄権
1998 グレートノースラン・ハーフマラソン、優勝
1998 ニューヨーク・マラソン、棄権
1999 ファラボルワハーフマラソン、4位
1998 ロンドン・マラソン、棄権
1999 グレートスコティシュ・ハーフマラソン、2位
1999 福岡国際マラソン、26位(2:17:01)
2000 ロンドン・マラソン, 8位(2:10:29)
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