バルセロナオリンピックマラソン

1992年8月9日午後6時30分スタート気温26.6度

30kmに30mくらいのアップヒルがある。35kmから有名なモンジュイックの丘が始まり90m上りゴール。 参加国72か国112人

経過

最初の5kmを16分03秒、10kmは31分59秒(この間15分56秒)で通 過。このスローペースのためか10kmでも50人の大集団。15kmで48分18秒(この間16分19秒)。20kmまでの5kmが15分42秒にあがり中間点(1時間7分22秒)で集団は30人となる。24kmでイタリアのS・ベティオルが最初に仕掛けるがほどなく吸収。25kmから30kmは15分20秒でありこのペースアップでトップは3人(黄、金、森下)になる。これにフライガングと中山が離れて続く。ペースアップといえど15分20秒である。集団が崩れたのは気温の高さと、後半にモンジュイックの丘控えるためであろうか?
33〜34kmで金が落後しこのあとゴールまでの残り8kmは黄と森下のデッドヒートとなった。
35kmの順位 は黄、森下に11秒遅れでフライガング、そこから2秒遅れて中山、4秒遅れてベティオル。 40km(2時間6分33秒、この5km:16分31秒)直後で黄がスパートし、22秒遅れで森下銀メダルのゴールとなった。

解析
谷口選手のアクシデント及び25〜30kmのちょっとしたペースアップでたちまち集団が崩れ3人+2人になったことがすべて。これについていけるランナーは当時いなかった(!)。今では考えられないが前年度91年に世界で10分を切った選手は7人しかいなかった。森下、中山は91年度の1位 、2位であった。優勝した韓国の黄はバルセロナが4回目のマラソンである。前年91年デビュー戦ソウルを12分35秒で制し、同年のワールド・ユースを12分40秒で優勝。92年2月の別 大で8分47秒、2位で注目されたがこの4分近い記録の向上がバルセロナへの躍進につながったものと言える。同様のことは森下にもあてはまるのであるが.....。森下と黄の共通 点をもう一つあげておこう。いずれも別大マラソンで頭角を現した新星であったいうことである。

典型的なスローペース、サバイバルレースになるであろうと考えられていたが、それは前半だけであり後半は非常に見応えのあるマッチレースであった。 このレース後半にモンジュイックの丘(90m)があったにもかかわらず、前半よりも後半の方が81秒も記録が良い。転倒というアクシデントにもかかわらず8位 入賞した谷口浩美の健闘も記憶に新しい。 もしアクシデントさえなければ.....。

オリンピックはすでに名をなした実力者はなかなか優勝できない。バルセロナも例外ではなかった。


1991年度マラソン記録

 
記  録
選手名
レース 記録日
1
2:08:53
森下広一
日本
別 大 1991.2.3

2

2:09:12
中山竹通
日本
別 大 1991.2.3
3
2:09:17
Yakov Tolstikov
RUS
London 1991.4.21
4
2:09:23
三村 徹
日本
別 大 1991.2.3
5
2:09:28
Salvador Garcia
MEX
New York 1991.11.3
6
2:09:42
Robert de Castella
AUS
Rotterdam 1991.4.21
7
2:09:55
Osmiro de Sousa Silva
BRA
Marrakech 1991.1.13
8
2:10:00
Andre Espinosa
MEX
New York 1991.11.3