[GOWの部屋][映画の部屋]


ここでは私の好きな映画、最近気になる映画などについて語らせていただきます。


 

043.『存在する理由/DOCUMENTARY of AKB48』(2016/07/19

 

ようやく観に行けたので、その感想などを少しばかり書いておきます。

 

先ず全体的な感想ですが、かねてよりネット上で酷い酷いと聞かされていて(笑)、予めハードルを思い切り下げていたせいか、正直それほど酷いとは思いませんでしたね。

ただ感動できるか?号泣できるか?と言えば、全くそんな感じでもなく…orz

エンドロールが終わっても映画館にいた観客(昼間の回で15人くらいか?)は誰も動かず。でも感動して動けないという雰囲気では一切なく(笑)、「え、これで終わりなの?」といった雰囲気でした。前菜を食べ終わったらもうデザートが出て来た、という感じ。メインディッシュが出て来ないから全然お腹一杯にならないのに、高い料金だけはちゃんと取るというタチの悪いレストランといった印象。

 

…あぁ、やっぱり悪口ばかりになっちゃったなぁ(笑)。

 

今回、石原真監督が描こうとしたのは、ただ一言「未来」だったと思いました。

 

AKB48の未来」…それは果たしてどんなモノなのか?どんな形をして、どんな色をしているのか?というところを描き出したかったのかなと。そういう意味では石原さんの根っこはやっぱりNHKなんですよね。「ドキュメンタリー」と言うよりは石原真による「ルポルタージュ」といった感じでした。取材・構成が全て石原ディレクターで(NHKのルポ番組に良くあるように、本作も石原監督自身がナレーションを担当している。お世辞にも聴き取りやすいとは言えないのだが!)、彼が取材して来た「AKB48の未来を感じさせるモノ」が複数寄せ集められた作品。

 

15期生」、「NGT48」、「チーム8」。

海外展開中の「JKT48」に台湾からの留学生「馬嘉伶」。

本作でフューチャーされたこれらは全て「AKB48の未来」へ向かって成長する新芽のようなもの。

そして同じく本編で取り上げられた「焼肉IWA」「ママ小森」「光宗薫」は新芽が成長していつかたどり着く「AKB48の未来」そのものだったとも言えるでしょう。もっともあくまでも「AKB48の未来」の中の「一例」ではありますが。

さらに努力して選抜復活した「宮崎美穂」は「AKB48の未来」のひとつのカタチとして若手にぜひ覚えておいてほしい存在だし、つんくや川上アキラへのインタビューは「AKB48の未来」をあぶり出すためのツールだと思いました。

 

つまり石原監督がこの映画で描きたかったのは「AKB48の未来」なんですよ。だから映画本編では「AKB48の過去」は一切描かれていませんでした。つい先月行われたばかりの『総選挙』さえ、石原監督の中では「過去」扱い(!)。『総選挙』本編の映像ももちろん使用されてはいましたが、それはあくまでも『総選挙』という大掛かりなイベントそのものの姿(様子)であって、来年以降の「未来」へ続くモノとして描かれていたに過ぎません。1位に輝いた指原の姿もスピーチもつまみ食い程度に収録されているだけ。石原監督は徹底して「過去」を排除し、「未来」を描き出そうとしていました。

 

そういう意味では映画冒頭、高橋みなみが卒業する際に大島優子?が語った一言がとても印象的でしたね。

 

「私たちのAKB48が終わった」

 

おそらく石原監督が思い描くAKB48「第二章」に指原莉乃はいません(!)。そこにいるのは「14期生(三銃士)」以降の若手メンバーだけ。

だからこそ13期生より上のメンバーを応援しているファン(それは明らかに多数派だ!)は、この映画を観ても到底満足できないんですよ。AKB48「第二章」メンバーを勝手に決めるんじゃねーよ!と。これはあくまでも「石原案」であって、ファンの総意では断じてありません。そういう意味では今回の映画は最初からもうファンの想いとは完全にかい離していると言えるでしょう。これではファンの支持を得られるはずがありません。

 

ネット上では本作の主人公を「13期生」岡田彩花だと解する向きもあるのですが、僕が観た印象ではそうでもなかったですね。彼女の不幸なエピソードには確かに同情を禁じ得ません。きっとその歌声は天国にまで届いたと信じたい。でも岡田さんはあくまでも「AKB48メンバーはみんないろいろなものを背負いながら頑張っているんです!」ということを示すためにたまたまクローズアップされただけでしょう。だから彼女の独白(携帯電話での通話)で本編が終了しても、観客はそこで映画の「終わり」を感じ取れなかったんです。

 

それは本作のメインがそこではなかったからに他なりません。本作のメインは「AKB48の未来」だったはずなのに、ラストは岡田さんの悲しいエピソード(過去)に対するある種のオトシマエになってしまったのです。過去への応答で終わってしまったため、観客は「え、ここで終わりなの?」「この後で未来を感じさせる部分(メインディッシュ)がまだ続くんでしょ?」と感じたのでした。岡田さんの涙は確かに感動的でしたが、その涙は「過去(思い出)」に向かって流されたもの。このエンディングは決して「未来」へは向かっていなかったワケです。

 

おそらくこの作品を最後どうやって終わらせるか?と考えた石原監督が、とりあえず泣けそうな感動的な場面をラストに持って来たというだけでしょう。本来なら『東京ドームコンサート』直後にインサートされるべき映像を本編ラストにわざわざ持って来たのですが、それが逆に作品を台無しにしてしまった気がします。もしそれでも岡田さんの涙をラストに持って来たいのであれば、彼女が涙を拭い、携帯電話での通話を終えて、「未来」へ向けて歩き出す場面まで描くべきでしたね。そこを描かないで涙で終わっているから、この作品は「未来」へ向かえないまま終わってしまったのでした。

 

そんなワケで石原監督的には「AKB48の未来」を描き出したかったのでしょうが、映画手法というか作法の部分で成功していなかったと言えるでしょう(エンディングを見れば分かるように、その内容は最後まで散漫なままで決して収束しなかった。そのせいで映画全体がピンボケになってしまっている)。またそもそもそこで描かれる「AKB48の未来」は「石原真の考える未来」であってファンが思い描く「未来」とは必ずしも一致していなかった。そういう意味では映画的手法云々以前に、映画本編を作るための切り口というか、視点そのものに最初から問題があったと言わざるを得ません。

 

「ルポルタージュ」で語るのは「作り手」で良いのですが、「ドキュメンタリー」はあくまでも「語り手」に語らせるべき!

 

AKB48のファンならこの映画を観て誰もがこう思ったでしょう。

「つんくやももクロマネージャー、それに週刊文春記者に喋らせる時間があったら、もっとメンバーに喋らせろよ!」と(笑)。

 

石原監督が今回作った映画は残念ながら「ルポルタージュ」であって「ドキュメンタリー」ではありませんでした。

 

石原監督は自分自身も含めて「外部からの目」でAKB48を見すぎであり、本作はそうした「外部からの声」をあまりにも重用し過ぎたと思います(もっとも石原監督は外部の人間である自分に監督のオファーが来たということの意味をそのように理解したのかも知れないが…)。

僕らファンが観たかったのはメンバーやスタッフなどが日夜繰り広げる「内幕」であり、それが観られると毎年期待しているのが映画『DOCUMENTARY of AKB48』なんですね。

 

本作は残念ながらそうした要望にはあまり応えてくれていません。

そんなワケで正直あまりオススメは出来ない作品となっておりました。

 

 

 

 

 

PS.

僕的クライマックスは、梅田彩佳の「最後の握手会」でしたね。集まったファンと一緒に『草原の奇跡』を合唱する場面☆僕はあそこで号泣しましたよ。ここがこの映画の唯一の見どころであり(笑)、ピークだったと思います。あとはもうそう大して面白くないフィルムを延々見せられるだけ。正直苦行でした…。

 

 

 


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