【 病中音楽閑話 於大分赤十字病院 東病棟511号室 】草稿その1

                                   北 林 達 也


 入院手続きが終わると、きれいな病室に案内された。なかなか快適そうだ。3人部屋なのだが、
お互いはカーテンで仕切られているし、それぞれイヤホンでテレビを見ているから、個室と大し
て違わない。担当看護師さんは、若くて美人だが、私より背が高い。エレベーターで話すと見下
ろされてしまう。
 「久しぶりの一人暮らしは快適だ」などと手術のことなど忘れてちょっと浮かれている。扁桃
腺の手術など別に心配していない。全身麻酔から目が覚めないのではないかなどという心配もまっ
たくしていない。列車がトンネルを通る程度の変化にしか感じていない。
 大きな病院なので、通路を記憶するまでが結構大変である。一番よく利用するのが売店だが、
2日目くらいまではよく迷った。隣の管理棟をウロウロしてしまったこともあった。
 時間がたっぷりあるので、好きなCDをたくさん持ってきた。いま聴いているのは、尊敬する
カール・シューリヒトの演奏したベートーベンの第8交響曲である。この曲は、ベートーベンの
9曲の中でも特別に関心を寄せる曲だ。シューリヒトの演奏は、トスカニーニやクレンペラーと
は違って、というより、他のどの指揮者とも違って、明るく明晰である。
 私は、シューリヒトの端正な造形と無駄を排した明晰さを好む。彼のブルックナーも好きであ
る。4番、8番、9番などは、もはや神業の域に達していると思う。
 
 担当の看護士さんから手術に関する簡単な説明があった。執刀はY先生である。この先生は、
子供の穿孔性中耳炎を実にきれいに治してくれた人である。腕の良さは実証済みなので、すっか
り安心している。
 偶然にも私と同じ別府の生まれで、10月から別府のN病院に勤務するそうだ。近くの耳鼻科
でその話を聞いたとき、大分赤十字病院にいるうちに手術してもらおうと思って、さっと予約し
てしまった。扁桃炎そのものは手術するほどのものではないのだが、埋没型のためか、どうも腎
臓に悪影響が出そうなのである。いま取る必要はないが、60歳を過ぎて扁桃の手術などをする
のはゴメンである。去年あたりから、5月と6月の2ヶ月ほど、微熱とだるさに悩まされるよう
になったので、それも解消したい。多少の熱は解熱剤で対処できるが、だるさはどうにも敵わな
い。鍼灸院という仕事柄、お客の多いときは、こちらも体調が悪い。忙しいときには、自分は元
気でないと辛いのである。

 8番を聞き終えた。こんなさわやかな8番は他に聴くことが出来ない。シューリヒトだけの芸
術である。2番を聞き始めた。これも実に素晴らしい。この曲にはヘルマン・シェルヒェン=ル
ガノ放送管弦楽団の怪物的名演もあるが、キリリと引き締まったシューリヒトの演奏からもそれ
に劣らぬ迫力が感じられる。端正で力強く、十分に納得できる演奏である。2番は、トスカニー
ニも良い演奏をしている。

 術後の痛みがひどいときに気を紛らす音楽を、いくつかセレクトしておこうと思い、良さそう
な曲を聴いてみることにする。まず、アントン・ブルックナーの交響曲第1番の3楽章(スケル
ツォ)である。演奏は、ゲオルグ・ティントナーである。私は、この楽章が大好きで、気が晴れ
ないときはよく聴く。実にスカッとするのである。1楽章から通して聴くよりも、3楽章だけを
聴くことの方が多い。

 次は、ハイドンの交響曲82番の4楽章。私はこの楽章が大好きなのだ。もうワクワク・ゾク
ゾクするのである。これも良さそうだ。それにしても、ハイドンのウイットとユーモア、愉悦感
には、脱帽するばかりだ。よくもまあこんなに次々とアイデアが浮かんでくるものだと感心する。
巷ではモーツァルトが別格の天才のように思われているが、天才性ではハイドンの方が、ひと回
り上かもしれないと思う。モーツァルトが別格の天才のように思われるのは、父レオポルトが巧
みに演出した「神童モーツァルト」の余韻を、歴史が未だに引きずっているからだろうと思う。
 確かにモーツァルトは、神童であった。しかし、ハイドンであれ、バッハであれ、ヘンデルで
あれ、音楽史上に燦然と輝く天才たちがもし同じように「神童」として世に紹介され、演奏と作
曲の機会に恵まれていたら、やはり同じように幼い頃から才能を発揮したのではないかと思うの
だ。

 モーツァルトがハイドンより明らかに優れているのは、協奏曲とオペラである。ハイドンもこ
のことは認めていたらしく、モーツァルトの作品を知ってから、協奏曲とオペラの作曲はほとん
どやめてしまったらしいが、交響曲と弦楽四重奏ではハイドンの方が、優れていると感じている。
 日本では、ハイドンはモーツァルトの影に隠れて人気がないが、ハイドンはモーツァルト以上
に聴くべき価値のある作曲家であるように思う。影に隠れて人気が薄れているという点で、ハイ
ドンはいささか損をしている。しかし、もっと割を食ったのは、彼の弟のミヒャエル・ハイドン
である。

 彼の「レクイエム」は、宗教音楽史上の傑作とされ、モーツァルトが「レクイエム」を作曲す
る時にお手本にしたとされているほどの名作だし、交響曲も軽快で気品があり、なかなかの傑作
が多い。もし、モーツァルトの若い頃の作品と偽って、ミヒャエル・ハイドンの作品を聴かせる
と、それがモーツァルトの作品でないことに気づかない人が居るかもしれない。彼の作品を使っ
てモーツァルト・ファンをからかって見るのも一興である。

 彼は、主に教会音楽を作曲していたためであろうが、作風は控えめである。兄ヨーゼフの存在
が大きすぎたことがストレスになっていたかどうか分からないが、実に大酒飲みであったらしい。
自身が優秀な音楽家であり、ヨーゼフ・ハイドンの弟であるのだから縁談も何度かあったらしい
が、あまりの酒の量にぜんぶご破算になってしまったらしく、生涯独身であった。もっとも兄ヨ
ーゼフの妻は悪妻として名高いから、結婚することが良いかどうかは分からない。またヨーゼフ
の妻が悪妻だったというのを真に受けてはならない。そもそもハイドンの忙しさを考えたら、妻
に構っている時間などありはしないことが分かる。女性は、あまりに忙しすぎる男性と結婚すべ
きではない。
 
 それにしても82番は何と素晴らしい曲だろう。このレベルの作品が、全104曲のうち70
~80曲はあるのだから、何ともすごい創作力である。これほど多作にもかかわらず、ハイドン
の作品には、理知の明るさと、思考のあとが常にある。才能に任せて書き飛ばしたところがない
のだ。あれほど多作であったにもかかわらず、彼は常に考えながら作曲していたのだ。ここが私
にとってのハイドンの魅力のひとつである。湯水のように楽想が湧き出ていたにもかかわらず、
思慮に乏しいところがまったくない。これはハイドンの音楽に安定感と充実感を与えた。そして
おそらくは生活においても、モーツァルトとは違って、思慮のないことはしなかった。彼の生活
はカントほどではなかっただろうが、厳格に時間が守られており、経済的にも生涯にわたって破
綻することがなかった。モーツァルトやベートーベンとは時代が異なってはいるが、創作家にとっ
て、<安定した暮らし>はとても大切なものなのである。モーツァルトは、ときに無思慮に過ぎ
たと感じられる。

 交響曲という分野で、ハイドンを超えることは、後の世代の作曲家にとって至難の業だったと
思う。それを成し遂げたのがベートーベンだが、ハイドンが104曲もの交響曲を残しているの
に対し、ベートーベンは9曲である。この分野で自分の世界を開拓することが、いかに大変な仕
事であったか、またハイドンの開拓した世界が如何に広大であったかが逆説的に窺われる。だか
ら、9曲という数にまつわるその後の運命的な出来事の上には、ハイドンという大きな存在が影
を落としているように思えるのである。

 とにもかくにも、ハイドンは、ありとあらゆる音楽上のアイデアを作品の中で試し、立派に完
成させているのだ。ベートーベンの英雄交響曲のようにいきなり全合奏で始めるという試みも、
ハイドンは63番で試している。ただし、ハイドンはベートーベンのように2回ではなく「ジャ
ン」と一回鳴らすだけ。

 あるいは、チャイコフスキーの6番「悲愴」や、マーラーの9番のように静かに消え入るよう
に終わる作品も書いている。45番の「告別」がそうである。交響曲が、最後に大見得を切った
ようなエンディングを持たなくてもいいのだということ、作品は静かに消え入るように終わって
も、作品として完結するのだということを、ハイドンは早くから理解し、非常にウィットに富ん
だやり方で造作もなく実現し、名作として後世に残している。しかも彼はここで、音楽と視覚効
果の融合をも試みているのだ。ロウソクを持って、楽員が一人ひとり居なくなってしまうという
アイデアは、今では実際に見ることはまず無いだろう。
 交響曲に合唱を取り入れたのが、ベートーベンの偉大なアイデアであるとするなら、ハイドン
の「告別」は、交響曲に視覚効果を取り入れた先駆的な作品としてもっと注目されるべきだと私
は思う。DVDで実際に当時そのままにその効果を再現した演奏を見たいものである。この試み
なら古楽器の方が適しているかもしれない。ついでに衣装も当時のままがよい。

 「悲愴」やマーラーの9番が、直接的に作者の「死」を暗示するのに対し、ハイドンの「告別」
にはそういう意味はない。楽員はみな長引いた滞在にうんざりし、家族のもとに帰りたいのであ
る。そして、最後のふたりの奏者だけが残って音楽を最後まで演奏したとき、ニコラウス・エス
テルハージ侯の心には、楽員の寂しさが伝わったのである。同時に、ハイドンという音楽家の偉
大さにも、新たに目覚めたことだろう。疾風怒濤時代にふさわしい激しさを持つ第一楽章が、こ
のような終わり方をすることの意外性は、録音からでは決して分からない。

 モーツァルトとは違って、ハイドンの交響曲には古楽器は似合わない。彼の作品は十分な音量
を持った、モダンオーケストラで演奏されるべきである。古楽器で演奏された彼の交響曲の中に
は、まるで200年分のホコリをかぶせたかのようにくすんだものがある。もし、復古的な演奏
を聴きたいのならば、たとえば、コープマンの演奏した「告別」を、一回だけ聴けばそれで十分
である。芸術作品は、古いか新しいかに関係なく、新鮮で生き生きしていなければならない。古
いものが好きならば、骨董市に行けばよい。かのブリュッヘンでさえ、ハイドンに関しては、今
ひとつの感がぬぐえないのである。ハイドンの音楽には、冴え冴えとした新鮮さな音が必要であ
る。

 ベートーベンが、ハイドンの交響曲を超えるのは至難の業だったと思われるが、30歳のとき
の第一番を、トスカニーニやフランス・ブリュッヘン、あるいはカール・シューリヒトその他の
名演奏で聴けば、そこに新たな領域を見いだしたベートーベンがいることが分かる。そして交響
曲第2番でそれは確信に変わり、第3番に於いて、文字通り音楽史上の革命を、彼はやってのけ
るのである。

 ベートーベンは、当時のオーケストラでは演奏困難というか不可能なほど巨大な楽想を、むり
やり五線譜に書き付けたのである。彼にとって、その旋律がトランペットのものであるならば、
当時のトランペットにそれを吹けようが吹けまいが、それはあくまでもトランペットの旋律なの
である。ハイドンやモーツァルトは、こんな無謀なことは一度としてやっていない。こうするこ
とによって、音楽にどのような変化が生まれたのだろうか?

 モーツァルトやハイドンの交響曲は、オーケストラを近代化し規模を十分に大きくしたからと
いって、楽想そのものが大きくなるわけではない。古楽器を使った場合より、響きは充実するだ
ろうし、管や弦の音は明るく伸びやかになるだろう。しかし予想だにしなかった新たな楽想が生
まれるということはちょっと考えづらい。
 もっとも、クレンペラーのように、ハイドンの作品をときに”巨大なベートーベン”として終
わらせた指揮者も居るし、ニューヨーク・フィルを振ったブルーノ・ワルターのように、あくま
でもベートーベンを志向する41番「ジュピター」を振った指揮者もいる。だから、絶対にあり
得ないわけではないが、その曲想の変化はベートーベンに比べると小さなものである。

 ベートーベンの場合は、たとえば、フランス・ブリュッヘンの指揮した18世紀オーケストラ
の演奏と、フルトベングラーやクレンペラーのような超巨大な演奏を聞き比べると、その変貌の
大きさに驚嘆させられるのである。ベートーベンが、いったいどこまで深く大きな楽想を持って
いたのか、彼の音楽の底知れない深さを見ないわけにはいかなくなるのである。まさしく”楽聖”
と呼ばれるにふさわしい仕事である。
 彼ほど、音楽という大地を底深く掘り返した人はいないだろう。それは作曲というよりも、む
しろ絶え間ない労働の産物であったかのようである。実際彼ほど、主題の可能性をどこまでも深
く探究した人はいない。湧き上がる楽想を次々に五線譜に書き連ねるという作曲の仕方を、彼は
好まなかった。彼は主題をどこまでも深く探求し、その探求の結果を作品として結晶化させると
いう方法をえらんだのだ。ベートーベンにおいては、作曲の方法がまったく異なっているのであ
る。

 音楽を川にたとえれば、彼はその流れに満足できず、川底を掘り返して新たな水源を発見し、
そこからあふれ出る水によって、新らしい流れを生み出した人なのである。だからベートーベン
以後、音楽は革命的に変わっていく。

 ベートーベンは、生前、弟子のシンドラーに、第九交響曲の演奏時間として「きっかり1時間
と3分」と答えている。これは記録として残されている。曲に対して、それは速すぎるテンポを
要求するという批判が、当時すでにあった。しかし、ベートーベンは、「そういう人たちも居る
けどね・・・」と言って、この曲が厳格なテンポで演奏されることを望んだのである。こんにち
聴くことの出来る演奏で、ベートーベンの理想に最も近い演奏は、おそらくトスカニーニ、シュ
ーリヒト、フランス・ブリュッヘンであろう。

 もし、ベートーベン本人が、フルトベングラーやクレンペラーの演奏を聴いたら、

 ”何なんだ!! その遅いテンポは!! もっと速くやれ!!!”

と怒鳴ったかもしれない。しかし、作品に秘められた演奏の可能性として、これほど多様で、時
に異質なものを内包しているというところにこそ、ベートーベンに於ける作曲手法の革命があっ
たように思われる。ハイドンやモーツァルトでは、そういうことは起こらない。作品がきっちり
とまとめられているからでもあるが、彼らの作品は、ベートーベンのような幅広い表現の可能性
を持たないのである。

 時に異質な演奏の、そのどれもが感動的であり、これこそがベートーベンだと思わせるところ
にこそ、彼の9曲が、ハイドンの104曲の前に、まったく引けを取らぬものとしてそびえる理
由があるように、私には思われる。もし、作品に器量というものがあるとするなら、およそベー
トーベンほど器量の大きい作品を書いた人はいないと言って良いだろう。彼の9曲の器量の大き
さは、ハイドンの104曲に匹敵するのである。

 今は、クレンペラーの指揮した第7交響曲を聴いている。ずいぶんとやっかい極まりない人物
だったようだが、演奏は実に素晴らしい。遅いインテンポを絶対に崩さない演奏スタイルは、こ
の人独自のものである。クナッパーツブッシュもテンポはものすごく遅かったが、曲によっては
速い場合もあるし、遅めのテンポ設定の中でも速いところがあったりする。しかし、クレンペラ
ーは、終始一貫して遅いのだ。こういうスタイルは70歳を過ぎた頃に出来たもので、若い頃は
速いテンポで演奏していたらしい。しかし、やはりクレンペラーと言えば、遅いテンポから音楽
の内容をえぐり出すような、迫力ある演奏スタイルを連想する。そういう彼の演奏スタイルにい
ちばん適していたのが、ベートーベンの交響曲である。

 1952年にEMIと専属契約を結ぶようになったとき、プロデューサーだったウォルター・
レッグは、周囲から、疫病神を抱え込むようなものだとか、精神病院から脱走してきた男の面倒
を見るようなものだとか、実にいろいろと言われたらしい。しかし、この移籍は大成功で、後世
に多くの名演奏が残されることとなった。

 第7番を聴き終えたので、第4番を聴くことにする。この人の演奏するベートーベンはどれも
好きなのだが、驚かされたのが4番である。私はこの曲をブルーノ・ワルターの演奏で聴いてい
たが、あまり好きになれなかった。フルトベングラーの演奏も聴いたが、なんだか曲に合ってい
ないような感じがしていた。そういうこともあって、4番は全9曲の中でかなり影の薄い存在に
なってしまっていたのである。その背後には、「二人の巨人に挟まれた乙女」というシューマン
の解釈が、曲のイメージとして私の頭にいつの間にか浸透していたこともあげられる。

 ところがクレンペラーの演奏を初めて聴いたとき、開始早々ドギモを抜かれたのである。序奏
部の荘重さはまるで夜の神殿の静けさで、もう序奏を聴いただけで、クレンペラーが生前「分裂」
と言われようが、「精神病院脱走男」と言われようが、「アンタは偉い!」と、心の底から敬服
したのである。

 クレンペラーは重厚壮大なだけではない。彼のもう一つの特徴は木管の鳴らし方にある。彼ほ
ど木管楽器を重視した指揮者は居ないように思う。

 クレンペラーの木管で思い出されるのは、彼の演奏でメンデルスゾーンの”イタリア”を聴い
たときのことである。人気曲だから、他の指揮者の演奏で何度も聴いてはいたが、彼の演奏で木
管群がこれ以上ない強さで吹かれたとき、私の心は、メンデルスゾーンの見たイタリアの青い空
にスッ飛んで行ってしまった。心が飛んでいったのである。こんな芸当はクレンペラー以外の誰
にも出来はしない。

 先にも述べたように、彼が晩年の演奏スタイルに到達したのは70歳を過ぎてからのことなの
だ。遅めのインテンポを維持するようになったのは、度重なる病気で指揮棒をまともに振れなく
なったかららしい。病気と演奏スタイルに関するこのあたりの事情は、三半規管に異常を来して
お辞儀もままならなくなったクナッパーツブッシュと似ている。テンポが遅くなる前の彼の演奏
で手元にあるのは、ブルックナーの4.7.8番のセットであるが、テンポよりも、金管の強奏
が一本調子で、曲全体が融通の利かない単調なものに感じられる。金管のどんな強奏にも音楽的
な意味を感じさせるシューリヒトなどに比べると、ここでのクレンペラーの演奏は、指揮者の頑
固さを感じさせてしまっている。

 クレンペラーファンは、若い頃の演奏も興味を持って聴いているようだが、私はあまり食指を
動かされない。彼が若いころ得意していたという現代音楽にはあまり興味がない。マーラーの作
品ならば聴いてみる価値はあると思うが、最近は、私自身がマーラーから遠ざかっている。そう
いうわけで、70歳以前のクレンペラーには、あまり興味がない。私にとって、オットー・クレ
ンペラーは、遅いインテンポを固持し、音楽に偉大な力を与える指揮者としてのクレンペラーな
のである。

 カール・シューリヒトの神業的演奏によるブルックナーも、病室に持ち込んでいるが、いま聴
いているのは、ロベルト・パテルノストロ(Robert Paternostro)のブルックナー交響曲全集の中
の第8番である。この全集は、何と11枚セットで1985円(千九百八十五円です)という破
格の安値である。
 
 演奏はどれも立派なもので、第8番も素晴らしい。もっともこれほどブルックナーのファンが
増え、ブルックナーの解釈や演奏スタイルというものにも精通したうるさがたが多くなると、い
くら安くても「こんな演奏しちゃダメだ!!」というようなものは、世に出せないのである。パ
テルノストロはまだ若い。1957年にウィーンに生まれたオーストリアの指揮者(イタリア系
らしい)ということだから、私より5歳若い52歳である。ハンス・スワロフスキーやジェルジ・
リゲティーに師事し、晩年のカラヤンのアシスタントを務めていたこともあるらしい。1991
年にはヴュッテンベルク・フィルハーモニーの首席指揮者に就任している。将来、きっと熟達し
たブルックナー指揮者になるだろうと思う。

 気になったのは、6番の4楽章である。私は長い間、6番の4楽章の良い演奏を探していたが、
なかなか見つからなかった。最近、オイゲン・ヨッフムの晩年のライブ録音(オケはコンセルト
ヘボウ)を聴いて、ようやく胸のつかえが取れた。この演奏には、ヨッフムの50年を越えるブ
ルックナーの演奏の経験が生かされている。他には、ゲオルグ・ティントナーの演奏が気に入っ
ている。
 6番は、2番とともに、オイゲン・ヨッフムの1960年代の演奏が名演として知られている。
残念ながら、私はまだこの2曲を聴いていない。当時は、今より遙かに経済的に苦しく、LPレ
コード1枚を買うにも勇気が要ったものだ。他には、1番、9番が、60年代のヨッフムの名演
である。この2曲は聴いている。さきほど、HMVに彼の6番を注文したから、あとで80年代
のライブ録音と比較することにしよう。

 ヨッフムは当時から「この曲は1楽章あるいは2楽章までに内容の頂点に達し、3~4楽章は
解体傾向にある」と述べている。私が6番で好んで聴いていたのは、ホルストシュタイン=ウィ
ーン・フィルの演奏だった。これは気に入っていたのだが、長らく廃盤となっていて復活してい
ないのでCDとして買えない。ちょっと残念である。

 フィナーレの話に戻るが、音楽は確かに2楽章までに内容の頂点に達するのだが、そのあとの
3・4楽章をどのように演奏するかが問題となる。好みの問題でもあるが、私は、十分なボリュ
ーム感を持ったフィナーレを好む。壮大な4楽章が好きなのだ。ブルックナーらしい豪快さを楽
しみながら、コーダ(終曲)での第1楽章第1主題の回想に到達してもらいたいのである。音楽
を内容的な希薄さから救うためには、響きを充実させねばならないと考えるからである。そう考
えない人にとっては、そういう演奏はうるさく感じられるかもしれない。

 朝比奈隆(ポニーキャニオン)も、この方向で演奏しているが、金管の音が荒く、うるささを
感じてしまう。このあたりがヨーロッパのオーケストラは違うのである。楽器の性能なのか、唇
や肺活量の問題なのか分からないが、ヨーロッパのオーケストラの金管は、地方の楽団でも良い
音を出している。

 もっともこう書いたからと言って、パテルノストロの演奏がダメだと思っているわけではない。
彼には彼の考え、曲のとらえ方があるのだから、それを尊重して聴かねばならない。ただ、私の
好みとして、ブルックナーの交響曲の終楽章は、荘重かつ壮大であって欲しいので、いささか物
足りないのである。終楽章がいくらか物足りないという傾向は、次の第7番にもあって、どの演
奏を聴くときでも、演奏の全体の善し悪しとは別に、この楽章をどういう風に演奏しているのか
が興味の対象になる。

 いま、この人の第8、第9交響曲を続けて聴いたのだが--そしてこの文章を書きながら、第
7番を聴いている--、往年の名指揮者の演奏に伍して引けを取らない秀演である。基本的には
非常にオーソドックスなブルックナーである。

 私は、第8番は、カール・シューリヒト=ウィーン・フィルのスタジオ録音盤を好んで聴いて
いた。最近は新発見のライブものを好んで聴いている。彼の第8は飛び抜けて優れているが、オ
ーソドックスな演奏ではない。スタジオ録音盤の緊密に結晶化した演奏などは、シューリヒトに
しかできないもので、類似の演奏を聴いたことがない。他の人が真似をすれば、速いだけで内容
の伴わない演奏になってしまうだろうと思う。ライブでのシューリヒトは、スタジオ録音盤のよ
うに緊密に結晶化された、つまり隅々までキッチリと設計されたような演奏はしていない。スタ
ジオ録音での演奏と、ライブでのシューリヒトは、演奏スタイルが驚くほど異なっている。

 数年前、30年近く脳裏に浮かんでいた第9番の3楽章を、ウィーン・フィルとのライブ録音
で聴いたときは、ほんとうに嬉しかった。スタジオでの9番も良いが、一直線に天国へと進む3
楽章に”もう少し、ゆっくりと・・・”という思いを捨てきれなかった。それがいつの間にか、
幻の第3楽章を私の脳裏に描き出していったのだが、それを実際の音として聴くことが出来たの
である。

 これが普段のシューリヒトの演奏であって、スタジオ録音での演奏は、ステレオで何度も再現
されることを前提とした特別版なのだ。細部までキッチリと設計され尽くした特別版の演奏を聴
きたいのは、むしろ第5番であるが、これは、2種のライブ録音しか発売されていない。スタジ
オ録音は存在しない。もし、彼が5番をスタジオ録音していたら、いったいどんな名演奏が生ま
れただろうかと思う。これもまた、私にとって幻の演奏であるが、聴くことは出来ないだろう。

※3ヶ月後、シュツットガルト放響とのライブ録音で、キッチリと構成された5番を聴くくこと
 ができた。音楽の微妙な動きが圧倒的なコーダに向かって流れ込んでいく一大叙事詩的な演奏
 と、がっちりと構築された演奏の両方を堪能できるようになった。            

 パテルノストロの第8番とシューリヒトのライブのそれ(1951, シュツットガルト放響)を聴
き比べると、やはり格が違うと言わざるを得ない。しかし、パテルノストロはまだ若い。いまで
もカラヤンの100倍はマトモなのだから、これから先が楽しみである。カラヤンの第8番を褒
める人がいるが、気が知れない。スケルツォが、ダメなのである。ダレているのである。これを
「レガート病」と評した人がいたが、その通りである。ふくらし粉で膨らませたようなスケルツォ
など、聴きたくはない。カラヤンは、戦後、ウィーン・フィルを演奏していたときと、カール・
ベーム亡き後の晩年の演奏を除いては、おおむねダメである。例外的に良いのは、シベリウスと
チャイコフスキーくらいのものだ。ただし、カラヤンは、音楽史に「近代オーケストラの時代」
を築きあげた立役者である。その功績は、彼の演奏とは別に高く評価されねばならない。

 今、第7のフィナーレが鳴っている。1楽章からよい演奏が続いているが、4楽章もよい。こ
の楽章では、荘厳な金管のユニゾンをどう演奏するかがいつも気がかりで、今のところ満足でき
たのは、語りぐさとなっている朝比奈隆のザンクト・フローリアンの名演だけである。
 この演奏でのフィナーレの金管のユニゾンは、2倍以上もテンポを落としており、ブルックナ
ーの楽譜に忠実ではない。
 しかし、私は初めて巨人ブルックナーの魂の言葉を、この演奏から直接に聴くことが出来たの
だ。こんな演奏は、朝比奈以外では聴いたことがない。怪人クナッパーツブッシュですら、ここ
でこんな芸当はやっていない。朝比奈はブルックナーの楽譜を飛び越えて、ブルックナーの魂の
真実を音にしたのである。
 クナッパーツブッシュは、有名な第8(ウエストミンスター盤)のフィナーレのコーダのふた
つのティンパニで、こういう芸当を見せている。こんな意味深いティンパニは、もう誰にも叩け
ない。ブルックナーはここで、「神なき虚空」を叩いたのだと、私は思う。ゲネラル・パウゼを
私はそのように感じたのである。では、私自身は「神なき虚空」を叩けるだろうか? それは私
の死の瞬間まで分からない。人の一生は、それまでの準備なのかもしれない。この作品はブルッ
クナーが生前そういっていたように、まさしく "ミステリウム"(秘儀)なのである。

 ブルックナーの音楽には、秘儀のような一瞬が秘められていて、それは埋もれた宝石のように
楽譜を深く掘り起こして摑み取る以外にない。それを実際にやってみせるのが、真の音楽家であ
ろうが、現在の音楽界には、そんなことの出来る人がもう居なくなってしまった。
 ・・・第7番が終わった。荘厳なコーダである。この曲は、教会で演奏されるのにふさわしい
曲である。

 第7番の名演は多いが、オイゲン・ヨッフムの最後の日本公演での演奏も素晴らしい。ここで
ヨッフムは驚くべき芸当を見せている。長大な1・2楽章に対して、3・4楽章を大きく見せよ
うなどとはしていないにもかかわらず、後半のふたつの楽章を小さく感じないのだ。これにはほ
とほと感心した。まさしく至芸である。ヨッフムは全曲の中心を、2楽章のクライマックスとフィ
ナーレのコーダをつなぐ線に置いたのである。この線の左右のバランスが均等なので、3・4楽
章を小さいとは感じないのである。これはヨッフムが掘り出した宝石である。

 6番の演奏が始まった。誰の演奏であれ、この曲の1,2楽章は感動的である。音楽がすっか
り形になっているのだから、余計なことをせずに鳴らせば感動的になる。私はこの曲の1楽章が
大好きだ。全編に明るく広々として壮大なアルプスの風景が広がっている。
 同じ自然を描いた作品、たとえば、ベートーベンの "田園" とか、ブラームスの2番とか、メ
ンデルスゾーンの "イタリア" や "スコットランド" と比べると、空間的なスケール感が桁外れ
に大きいのである。描く世界のスケールが最初から違うのである。しかし、3,4楽章が、今ひ
とつ物足りない。ことに4楽章が盛り上がりに欠けるためであろうが、演奏されることはあまり
ない。

 とはいえ、1楽章だけでも余人のまったく及ばない別次元の世界に連れて行かれるのであるか
ら、もっと積極的に演奏されるべきだと思う。そのためには、4楽章から宝石のひとつも掘り出
さねばなるまい。その意味では、この曲はブルックナー指揮者に残された大きな課題曲であると
も言える。
 2楽章のゆっくりとした進行は巨人ブルックナーの魂の足取りである。彼はゆっくりと、実に
ゆっくりとアルプスのふもとを歩いている。そして一歩進むたびに、新たな風景が現れ、それが
彼の魂に壮大な響きを生み出すのだ。いや、きっと彼には、その風景が音として聴こえているの
だろうと思う。視覚と聴覚が、彼の頭脳の中では密接に結びついているのだろう。
 それは先に述べた作曲家だけでなく、たとえば、ビバルディやリヒァルト・シュトラウスなど
もそうであったし、イギリスのヴォーン・ウィリアムスやフランスのドビュッシーなどもそうだっ
たのだろう。ただ、これらの人々と違って、ブルックナーは巨人的にスケールが大きいのである。

 いま、6番のフィナーレを聴いている。これを聴き終えたら、ヨッフムのフィナーレを聴いて
手術前日の入浴となる。
 ヨッフム盤のフィナーレは、もう最初から音の迫力が違う。金管の数を増やしているのだろう。
それでいて、目一杯の強奏である。やはりこうでなくてはと思う。
 力強く圧倒的な金管群と、強く伸びやかな弦楽器による十分な音が、この曲のフィナーレには
必要であると思う。ヨッフムは、5番でも金管を倍増して成功している。それを朝比奈にも伝授
し、朝比奈も金管を倍増させて成功している。あの5番ですら、そういう補強が必要なのである。
6番のフィナーレにも、それは必要であろうと思う。

 すでに述べたが、ゲオルグ・ティントナーも金管を補強しているようで、十分に迫力あるフィ
ナーレを演奏している。このティントナーの演奏は、全集の中の1枚だが、この全集の中では、
第1稿を使った3番が素晴らしい。8番も第1稿だ。3番にしろ、4番にしろ、8番にしろ、第
1稿を使って初めて演奏をしたのは、エリアフ・インバルである。これは彼の大きな功績である
が、3番に関して言えば、インバルの演奏は、テンポがやや速すぎるようだ。我々が知っている
最終稿(第3稿)のテンポと変わらないのである。

 ティントナーは、インバルに比べるとかなり遅いテンポで演奏しており、それによって、第1
稿ならではの世界を鮮やかに描き出している。ブルックナーはこの作品で、音楽史上初めてコラ
ージュという手法を取り入れたのだが、最終稿ではこれらはすべて削除されてしまった。
 ベートーベンの第3番「英雄」と同じく、この作品のテーマのひとつは「英雄」である。ベー
トーベンにとって、それは世俗的には皇帝の地位に就くまでのナポレオンだったが、ブルックナ
ーにとってはリヒャルト・ワーグナーであった。この曲の初演が、ハンスリック派(ブラームス
派)の妨害によって歴史的な大失敗に終わったことは知られているが、これが、のちのち9番の
フィナーレを未完に終わらせる大きな要因になったことは、歴史上の悲劇である。

 第3番に関して言えば、第1稿と最終稿(第3稿)は、別の作品である。第1稿はブルックナ
ーの英雄交響曲であり、歴史上初めて他作(ワーグナーのいくつかの作品)からの直接的な引用
を行った曲であり "ワーグナー交響曲" と呼ばれるにふさわしい作品である。しかし、最終稿は
そうではない。それはアントン・ブルックナー作曲、交響曲第3番「最終稿」であって、「ワー
グナー交響曲」ではない。
 実に長い間、最終稿の演奏に "ワーグナー" の名が冠せられているままが、これは商品を売る
ための浅はかな販売戦略にすぎない。クラシック音楽の世界も、あんがいミーハーなのである。

 さて、パテルノストロの演奏で5番を聴き始めた。これは細部までよく行き届いたよい演奏で
ある。ライブでこれほどの5番を演奏するとは、たいしたものである。
 2楽章も素晴らしい。豪壮な第1楽章に対して、まるで母に抱かれた子供のようないじらしさ
を感じさせる楽章である。
 3楽章も素晴らしい。残響の大きいホールのため、音の輪郭がぼやけている部分もあるが、迫
力のあるスケルツォである。これほどのスケルツォとなるともうベートーベンを凌いでいると感
じられる。「ブルックナーはベートーベンに次ぐスケルツォの大家だ」と言われるが、これはベ
ートーベンに遠慮した言い方だろうと思う。スケルツォにおいては、ブルックナーはベートーベ
ンを凌ぐ大家であると、私は確信している。
 フィナーレもよい演奏である。この楽章では弦の弱音が続くところを、聴き手に我慢させずに
聴かせることが必要だと思うが、ほとんどは "ガマン・ガマン" という演奏になっている。ブルッ
クナーの弱音指定は、彼がオルガニストであったことを考慮して、弱くなりすぎないように演奏
する必要がある。
 パテルノストロは、そうしている。シューリヒトやクナッパーツブッシュ、朝比奈隆もそうし
ている。それでよいのだ。
 音楽は、いよいよコーダ(終曲)に突入する。コーダの最高の演奏は、ギュンター・ヴァント
=ベルリン・フィル盤である。このコーダを凌ぐ演奏は、ちょっと現れそうにない。最高のブルッ
クナー指揮者が最高の金管群を持つオーケストラを演奏したときにだけ出来る演奏だと言ってよ
いだろう。解釈だけなら引けを取らない演奏はある。しかし、そこに最高の金管群が無ければ、
やはりこの演奏に劣ってしまう。
 5番の演奏では、ルドルフ・ケンペ=ミュンヘン・フィルの演奏が印象深い。この曲には名演
奏がたくさんあるが、マタチッチ=チェコ・フィルの演奏などは異端的で面白い。フィナーレに
は改訂版から引用されたシンバルが使われていて唖然とさせられるが、演奏自体はたいしたもの
である。もし、厳格な原典主義者であるギュンター・ヴァントがこの演奏を聴いたら、顔を真っ
赤にして怒ったに違いない。カール・シューリヒトと、ウィーン・フィルハーモニー/ヘッセン
(現フランクフルト)放送管弦楽団のライブ録音も非常に素晴らしい。ことにウィーン・フィル
ハーモニーとの演奏では、シューリヒトは、この大曲を一大叙事詩のように演奏しており、この
こと自体に非常に驚かされる。この巨大な作品をこのように演奏できるのは、あとにもさきにも
シューリヒトだけだろう。シューリヒトは、この恐るべき大曲を完全に掌中に収めているのだ。


 さて、いまはハイドンの弦楽四重奏を聴いている。エンジェル弦楽四重奏団の演奏で21枚セッ
トである。発売元はフィリップス。1枚目のOp.0からして充実した作品だ。このへんの作品
番号はちょっと曖昧だ。そのうち整理されるだろう。ハイドンを聴く意味は、私にとっては胸に
迫る充実感を味わうことにあるのだが、ハイドンの膨大な作品の中に期待にそぐわないものはな
い。もしそんなものがあるとすれば、それは演奏が悪いのである。形だけの復古主義を売り物に
した演奏にそういうものがあることはある。
 「復古主義的演奏によるマタイほどつまらないものはない」とは、フルトベングラーの弁だが、
ハイドンにおいても、時にそういう結果になっているものがある。1枚目のOp.0が何歳の時
のものか、調べないと分からないが、若い時分のものであることはたしかだろう。
 若いころの作品だから未熟だなんてことはあり得ない。バッハもベートーベンもそうであるが、
若くしてすでに才能を発揮しているのである。
 以前、ベートーベンの15歳のときのチェロ・ソナタを聴いたことがあるが、 "15歳にして
既に獅子" と感じたものである。作品のあちこちで爪を立てているように感じられるのが面白かっ
た。もしこの作品をハイドンが見たら、下品と感じたかもしれない。あちこちに野生を感じさせ
るからである。
 ハイドンの作品にそういう要素を感じたことは、私はない。それをベートーベンは、15歳で
表現している。個性の違いとしか言いようがない。ハイドンはモーツァルトとベートーベンの両
方から「先生」と呼ばれた人だが、おそらくは、モーツァルトほどベートーベンを好きになれな
かっだたろうと思う。



 麻酔から目が覚めてベッドに連れて帰ってもらった。痛みはたいしたことはないが、息苦しい
のが少し辛い。息を吸うのは楽に出来るのだが、鼻から吐くとピタッと蓋をされるのである。お
そらく舌が腫れているのだろう。横を向くと少し楽になる。あるいは、口からなら吐ける。

 私の扁桃は、至って小さなものだった。Y先生がサンプルにしたものを持ってきてくれた。こ
んなものが原因で、老後に病巣感染なんか起こしたくない。去年と今年の尿路結石も扁桃に由来
する微熱が原因だったと思う。微熱があるので水を飲まなくなる。水分が不足するので血液が濃
くなる。そうしているうちに、腎臓に小さな石が出来る。それが尿管に流れてきて、悶絶するよ
うな痛みを出す。
 術後、4時間経過したので、看護士さんの付き添いでトイレに行った。酸素もポータブルで持っ
てきてくれた。酸欠で倒れる人も、時には居るだろうから、酸素マスクは外せないのだろう。寝
ているときは呼吸が苦しかったが、身体を起こしたら急に楽になってきた。きっと気道周辺が鬱
血していたのだろう。歩くときのふらつきなどまったく無かった。走っても大丈夫だと思った。
私は麻酔系の薬の代謝は早い方なのだろう。たぶん、ふだん、酒を飲まないからだろうと思う。

 さて、今はハイドンの82番の4楽章を聴いている。とにかくこの楽章が好きなのだ。ハイド
ンの感覚的な斬新さ、明るさ、健康さが好きである。
 83番に移った。この曲の冒頭は、バリー・ワーズワースの演奏の方が好きである。彼のハイ
ドンはかなりよいと思う。私は、アダム・フィッシャーの交響曲全集を持っているし、演奏も気
に入っているので、ワーズワースのハイドンを集めてはいないが、聴いた数曲は立派なできばえ
である。84番を聴き終えたら、クレンペラーのベートーベンの第7交響曲の4楽章を聴こうと
思っていたが、少し眠くなってきたので寝ることにしよう。

 今朝は、体温が37.8度まで上がったが、Y先生は「手術の翌朝の体温としてはそんなもの
だな・・」と気軽に言っていた。誰でも少しぐらいは熱が出るだろう。Y先生は昼になる頃には
元気になると言っていたが、まったくその通りで、11時頃から、急に元気が出てきて、売店で
飴やらプリンやらを買ってきた。
 手術翌日の流動食はさすがに味気なかったが、それも喉を通らない人がいるらしい。鍼灸師と
いう仕事柄、常に感じていることだが、痛みの個人差はとにかく大きい。

 いま、フジコ・ヘミング=ユーリ・シモノフ指揮/モスクワ・フィルハーモニーの演奏で、ベ
ートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が鳴りだした。この曲も初演当時の演奏スタイルのも
のと比べると、如何にベートーベンの作品が時代を超越していたかが分かる。
 これまで聴いた "皇帝" の最高の演奏は、ルービンシュタイン/バレンボイム指揮、ロンドン
フィルハーのものだった。それに伍して遜色ないというと、この稀代の名演奏に対して失礼にな
るだろうが、少なくともそのように感じさせる力演だ。

 フジコ・ヘミングを最初に知ったのは、テレビ番組の中であった。そのとき流れていたショパ
ンの演奏に感動して、最初のCDである "奇跡のカンパネラ" を購入した。演奏は実に見事なも
のだった。それよりもっと凄いのは、このCD自体が "奇跡のCD" としか言うほかないような
ものだったということだ。
 このCDを聴いていると、時に、ふとフジコのまなざしを感じることがある。そのまなざしは、
"夢ならさめないで" "神様お願い" "本当かしら・・・" というような切ない思いを秘めたも
ので、それが、どこと決まった所で現れるわけではなく、虚空にふと現れては消えるのである。

 そのほんの一瞬は、あたかも心を離れた魂のように、彼女の意志とは無関係に、音の上にある
いは音の合間に、現れては消えていく。この瞬間に、私は何度もハッとした。ふつう、こういう
印象は、何度か聴いていくうちに消えていくものである。しかし、この "奇跡のCD" だけは何
十回、何百回聴いても、同じ奇跡が起きるのだ。こんなCDは1000枚を超える私のライブラ
リーの中でも、これ1枚しかない。これは演奏者の魂まで記録した "奇跡のCD" である。私は
治療室でこのCDを聴いていたので、おそらく300回は聴いたと思うが、聴き方としてはBG
M的である。もしステレオに対峙して構えて聴いたら、この瞬間は現れないかもしれない。

 その後のフジコのCDから、そのようなはかない眼差しは感じられなくなった。そこにいるの
は、夢ではなく、紛れもない現実として、奇跡のように蘇ったひとりの稀有のピアニストの、素
晴らしい演奏の数々である。

 人生には、奇跡のようなことが現実として起きるということがある。あるキリスト者の書いた
本のタイトルが思い起こされる。『たとい、そうでなくとも』。信仰と切り離して考えても、信
じるという人の行為のうちには、たとえそれが実らなくとも、なおそれを信じるという強さが必
要であるように思う。その信じる心が、人間の心の絆をつくるのだ。叶わないからといって、願
いを捨ててはならない。フジコ・ヘミングは、音楽を越えて、そういうことを私に教えてくれた。
フジコのファンは、それを知ったが故に、フジコを愛してやまないのだと私は思う。
 
 カール・シューリヒト指揮=シュツットガルト放送管弦楽団のライブ録音でブルックナーの交
響曲第4番を聴き始めた。シューリヒトのこの演奏は、もはや神業としかいいようがない。いっ
さい人為的なものを感じさせないのだ。指揮者を感じることも、オーケストラを感じることもな
い。ただただ、ブルックナーの音楽だけが存在する。どの楽器もどの音も微妙なニュアンスを終
始失うことがない。決して単調になったりしない。掛け合う音と音が、その微妙なニュアンスに
感応して、実に自然に流れていく。
 いったいシューリヒトは、どういうふうにして、こんな演奏をオーケストラに伝えたのだろう
か? 細かい指示などで出来ることではない。ブルックナーの音楽の本質を楽団員全員に浸透さ
なればこんな演奏は出来はしない。

 ここのところが、ギュンター・ヴァント=ベルリン・フィル盤との違いなのだ。ヴァントは、
おそらくはこれまでの第4番 "ロマンティック" の演奏史で、おそらくは最高の解釈を示し、そ
れを厳しいリハーサルによって楽員に伝え、オーケストラは、最高のテクニックを以て、その要
求に完全に応えた。

 シューリヒトの場合、そういうプロセスを感じさせない。もっと自由なのである。それでいて
この曲の本質しか感じさせない。風や、水の流れや、雲の動きを楽しむような、自然な構えの無
さによって、愉悦感に浸りながらこの曲を楽しめるのである。そこには威圧するものは何もなく、
圧倒的な迫力が全曲を支配するという印象もない。ただ、自然の流れのままに曲が流れるのであ
る。かつて代表盤のひとつとされていた、カール・ベーム=ウィーン・フィルの演奏に欠けてい
たのがこういう要素であった。
 
 さて、昼食にお肉が出たせいか、がぜん元気が出てきた。やはり動物性タンパクは必要である。

 ブルックナーの第4交響曲が終わって、いまは、バリー・ワーズワースの指揮のハイドンの8
3番を聴いている。この演奏の冒頭の主題は、何度聴いても心に警鐘をならされる。思わずハッ
とさせられるのだ。演奏によって、この部分の印象は異なるから、ハイドンがそういう効果を狙っ
たかどうかは分からないが、ワーズワースは、そのように演奏している。音のバランスのとれた
アダム・フィッシャーの演奏より、私はこちらを好む。
 すでに書いたが、ハイドンの作品の良さは、胸に迫る充実感があるということだ。それも聴く
につれて押し迫ってくるような性質のものなのだ。そこには聴くものに襟を正させる立派さがあ
る。

 初めのうちはソファーにくつろいで聴いていても、音楽が進むにつれ、だんだん姿勢を正さな
いと申し訳ないような気になってくる。ユーモアやウィットが至る所に散りばめられているが、
それによって音楽がくだけたものになることはない。聴き進むにつれ、厳然としてヨーロッパ精
神史にそびえ立つ、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの姿が見えてくるのである。

 ハイドンの交響曲はベートーベンのそれのように、強烈なメッセージを聴き手に叩き込むとい
うことはない。そいういうのは、ハイドンはおそらく嫌いだったのだろう。聴き手に音楽を、あ
るいは音楽に盛り込まれた "精神" を叩き込むという、一種強制的なやり方はベートーベンから
始まったのであって、それは音楽と音楽家がすべての束縛から解放され、自由に自己主張するよ
うになってからのことである。
 ベートーベンは、音楽と音楽家の自立性にことのほか神経質だった。それは、散歩しながらゲ
ーテと対話していたときに、貴族に通路を譲ってお辞儀をしたゲーテを容赦なく罵倒したという
有名な逸話に端的に表れている。「私は彼を容赦しなかった」とベートーベンは書いている。こ
の方向は、のちに音楽家個人の内心吐露のような方向を生み出すのだが、それは結局、音楽それ
自体の窒息状態を生む出すことにもなった。

 西欧の交響曲の歴史は、グルタフ・マーラーとドミトリ・ショスタコービッチで行き詰まった
ように思う。実際、マーラーの「大地の歌」や、交響曲第9番、未完の10番、ショスタコービッ
チの第14番「死者の歌」--これは彼の「大地の歌」である--のあとに、どんな作品が続く
というのだろう。「救いのない死」の向こうに、あるいは、「墓穴の暗さ」の向こうに何が見え
るというのだろう。ここにはもはや虚空を叩く手は存在しない。ここにあるのは、作曲家個人の
「死」ではなく、西欧の精神の「死」である。

 自己主張の強さにおいて、ベートーベンに勝る人はいない。ここにはナポレオンの登場と貴族
制の崩壊、そして庶民の台頭という歴史的事態が背景にある。

 ベートーベンは、革命に共感していたが、ハイドンはナポレオン軍が放った砲弾の音が聞こえ
たときは、すでに臨終の床にあった。ハイドンは、つましく貴族社会に適応して生きた。それは
彼が貧しい家に生まれ、仕事のない辛さを知っていたからに他ならない。ハイドンの労働条件は
なかなか厳しいものだったが、彼は仕事があるだけ有り難いと思っていた。
 もしモーツァルトが、同じ条件で働けといわれたら、どうだっただろう? 「楽員の給料の計
算なんて僕の仕事ではありません。僕の仕事は、作曲と演奏だけです」とでもいって、断ったの
ではないだろうか?

 彼は音楽家としての自分にイヤというほど高いプライドを持っていた。それは、父レオポルト
によって "神童" などとしても売り込まれ、もてはやされたことにも原因がある。彼は与えられ
た条件がちょっとでも気に入らないとすぐに憤慨した。そして、つまらぬことでいさかいを起こ
し、職を失った。彼は自分の音楽には無限の力があると信じていたようである。だから際限のな
い浪費も苦にしなかった。まさか自分が、ウィーンの人々に飽きられてしまうとは、想像も出来
なかったのだ。しかし、最初はモーツァルトに首ったけだったウィーンの人々も、だんだんに彼
の音楽に飽きてきたのである。世俗とはそういうものだということを、父レオポルトが口を酸っ
ぱくして言っていたにもかかわらず、モーツァルトは言うことを聴かなかった。

 彼の収入は、著作権などというものがない時代は誰もがそうだったように、作曲料とレッスン
料が主なものだった。安定した収入を得るためには、貴族にパトロンになってもらうか、教会に
勤めるしかなかったのだが、どれも、彼の高すぎるプライドのためにご破算になった。結局は、
"神童"としてもてはやされたことが、彼の寿命を縮めてしまったように思われる。

 ブルックナーなどは、人類の精神史上、おそらくは最高峰といえる作品を交響曲という音楽形
式に託して残しているが(その他、宗教音楽がある。ことに「テ・デウム」が重要である)、彼
は作曲という行為からほとんど収入を得ていない。彼の収入は、教会のオルガニスト兼作曲家と
してのものであって、以前読んだ伝記には、彼が生涯に得た作曲料は「テ・デウム」が大成功に
終わった際の50グルデンだったと書かれていたように思う。ブルックナーには、モーツァルト
のように馬を何頭も飼って、貴族のように振る舞うというような世俗の欲は微塵もなかった。ブ
ルックナーにとっては、馬を飼うより、教会の鐘が鳴ったとき、跪いてお祈りをすることの方が
大事だったに違いない。

 ハイドンの弦楽四重奏全集の中から、適当に一枚選んで聴きながら、少しモーツァルトについ
て書こうと思う。

 30歳の頃、モーツァルトは自分の音楽の方向を見つけていたと思う。それを強く感じるのは
「フィガロの結婚」の序曲である。私はこの序曲を聴くたびに "おお、市民社会の到来だ!!"
と強く感じるのだ。この序曲には、モーツァルトの音楽の新しい方向性が見て取れるような気が
するのである。
 「フィガロ」がプラハで人気を博し、モーツァルトも招かれて交響曲第38番「プラハ」の初
演を行い、新作オペラの注文まで受けた。この注文を受けて書かれたのが「ドン・ジョバンニ」
である。もしモーツァルトが、このときプラハに移住していたら、彼の人生はまた違った展開を
していただろうが、プライドの高いモーツァルトは、ウィーンを離れる気にはならなかったらし
い。

 結局、ウィーンでの生活はうまくいかず、生活は困窮していき、作品にも死の影が忍び寄るよ
うになる。モーツァルトは、まるで鬱病患者のように「死」と隣り合わせのような精神状態にあ
り、「死」を「自分のもっとも親しい友人」とまで呼ぶようになっていたようである。
 そういう中でクラリネット協奏曲 (KV.622) のような傑作が生まれてもいるのだが、ウィーン
の貴族たちの、あるいは、富裕層の市民の誰が、こんな死の影を感じさせるような暗い曲を金を
払って聴きに来るだろうか? 誰も聴きたがらない曲を、どうして出版できるだろうか? 出版
出来たとしても、それが彼の生活を潤すことになるだろうか? モーツァルトは、この時期には
<自分自身>という一種の隘路あるいは迷路に迷い込んでいて、外の世界とのつながりが見えな
くなってしまっているのである。

 フィガロがロングランの様相を呈し、市民の関心がモーツァルトに再び向けられ始めた頃、彼
の心はもうこの世から離れる準備を始めていた。ちょうどそういうときに、黒い服を着た謎の男
が、あの「レクイエム」の作曲を依頼したのだ。
 モーツァルトは、この曲を自分自身のためのミサ曲だと思い込んだらしい。もしそれが事実と
するならば、自分自身の死と作品がこれほど強く結びついた例は、先にも挙げたチャイコフスキ
ーの「悲愴」とか、マーラーの「大地の歌」とか同じマーラーの交響曲9番とかがあるが、これ
はずいぶん後の作品であって、モーツァルトの時代では異例のことであると思っている。
 そして彼は、多くの可能性を残しながら、"ラクリモーサ(涙の日)"を作曲の途中で息を引き
取った。この作品をモーツァルトの指示に従って完成させたのは、弟子のフランツ・ジュスマイ
ヤーである。

 私は、モーツァルトの人生には、何か大きな齟齬があると感じている。それはハイドンにはな
いものである。ベートーベンの晩年の不遇とも違うものである。その謎を解く鍵は、父レオポル
トの死にあるのだろうか? その謎を解く鍵があるとすれば、それは「ドン・ジョバンニ」の中
だろうか? あるいは、交響曲第40番の中だろうか? 

 40番はずいぶんポピュラーになっているが、イタリアの指揮者、ファビオ・ルイジは、この
曲を謎として捉え、最初の主題を謎として提示して見せた。こんな演奏もこんな解釈も聴いたこ
とがなかったので、大いに驚いたものだ。そのファビオ・ルイジは、40歳になって初めてこの
曲を演奏したのだそうだ。 "難しすぎる。謎が多すぎる" というのが、演奏に踏み切れなかった
理由だったそうだ。そうして40歳になって初めて演奏したのだ。交響曲第40番「謎」を!!

 謎がもしあるとすれば、それはモーツァルトにとっても謎だったのだろうか? それともその
謎を解く鍵がこれらの作品のどこかに隠されているのだろうか? 私には分からない。いや、今
だって誰にも分かっていないのかもしれない。40番に関して言えば、ファビオ・ルイジが、あ
の主題を "謎" として提示するまで、誰もそうは思っていなかったのだから。
 あの旋律はピアノ協奏曲第21番(KV.467)の1楽章で使われたものである。もともと交響曲の
主題としてつくられたものではない。誰にも、あのメロディーからひとつの交響曲が生まれるな
どということは予見できはしない。
 モーツァルトにとって、あのメロディーはどんな意味を持っていたのだろうか? あのメロディ
ーが彼の人生の何かを象徴しているとするならば、それは何なのだろうか?
 これまでの多くの指揮者の解釈は "悲しみ" であって、その表現には実に多くのバリエーショ
ンがあった。音楽は悲しみに始まり、救いがたい慟哭へと向かう。しかし、それではあまりに単
純に過ぎるのではないか?

 ファビオ・ルイジは、"謎"の象徴として捉えた。モーツァルトの人生に於ける謎、あるいは齟
齬、あるいはボタンの掛け違いは、いったいどこにあるのだろう? これはモーツァルトの死因
が何であるのかというような問題より、もっと深いものであると思う。



 音楽の話題とはかけ離れるが、ひとつの生物の種として人類を見るならば、そこには他の生物
とは異なる大きな特異性があることに注目せねばならない。それは「天才」と呼ばれる特異な個
体を生み出すことである。天才はほとんどの場合、脳の働きに関していわれる。数学の天才、物
理学の天才、文学の天才、彫刻の天才などのように「??の天才」と呼ばれる人は数多い。注意
すべきは「天才」という言葉の前に「??の」という形容が付くことだ。射撃の天才、ビリヤー
ドの天才などもいる。
 これら最初の「??の」は、その天才が生まれる前に既につくられている必要がある。アイン
シュタインが、物理学が体系づけられる前の16世紀以前に生まれていたら、彼は平凡な人間と
して一生を終わっていたかもしれない。モーツァルトにしても音楽が体系づけられ、作曲や演奏
という行為が、現実的なものとして成り立つ以前に生まれていたら、いったいその才能をどうやっ
て発揮できたであろう?
 
 現代でもなお原始の生活を送っている人々がいる。彼らは決してその状態から抜け出すことは
出来ない。なぜなら原始の世界は、脳がつくったものではないからである。脳は、脳が造ったも
のを、いっそう洗練させ、いっそう緻密にし、いっそう人工化し、抽象化することによって、よ
り自分にあった環境を造り出していくものである。
 
 脳は、脳自身が造り出した対象(それが音楽であれ、文学であれ、何であれ・・)の中で、初
めて脳にふさわしい進化をする特異な器官である。

 モーツァルトの謎は、あるいは、人類の、それも「脳」の謎かもしれぬ・・などというと、話
が外れすぎるが、しかしもしそうならば、作曲をしているモーツァルト自身にその謎が解けるは
ずがない。<自己自身>とは、脳にとっても謎だからである。だから、脳が自らの隘路に入り込
めば、それは狭い港に迷い込んだ鯨のように、弱って死んでいくしかない。抜け出せない限りは
死ぬしかない。

 さて、退院の準備をしなければならない。ずっとハイドンの弦楽四重奏を聴いていた。ハイド
ンは決して心を奪わない。思考の妨げにならない。それでいて注意を向けると、非常に素晴らし
い作品である。品位を失うことがない。逸脱することがない。ハイドンの作品は、音楽を越えて
ひとつの重要な規範を、私たちに提示してくれているように思われる。それは、現代人にとって
は、他の作曲家のメッセージよりも重要なものかもしれない。ハイドンは、決して隘路に迷い込
みはしない。