ドスト氏との出会いと、その後                           
 




                         《 ドスト氏との出会い 》

                               私が中学一年の終わり頃
                               学校の図書館で、何か読もうと思って館内の本棚から適当に引き出して手に取った本が、
                                  
ドスト氏の中編小説『貧しき人びと』
                                
だったのでした。

                                本の初めを開いた瞬間、その本の扉(とびら)のところの、
                                 
ペローフ作で知られるドスト氏の肖像
                                  
( 日本では新潮文庫のドスト氏の小説の旧表紙で知られる、有名なドスト氏の肖像画。
                                    新潮文庫の表紙は、この肖像の肩より上の部分を採用しています。
                                    ペローフの描いた原画はへんに生々しいカラーですが、
                                    この本の扉の肖像は、新潮文庫の表紙と同じく肩から上の部分を採用したモノクロ印刷
                                    となっていました。)
                                が不意に私の目に入ってきました。その時、私はその風貌に思わず引きつけられて、
                                しばし突っ立ったままその風貌に見入(みい)っていたこと
                                を、私は今も記憶しています。

                                これが、自分のドスト氏との最初の対面でした。その時妙な興奮にとらえられた自分は、
                                ともかくも、その日は、その本を借りて帰り、
                                家では
                                  ドストエフスキー! ドストエフスキー!
                                と口に出してその長い名前を覚えようとしながら、『貧しき人びと』を読み始めました。  

                                『貧しき人びと』を読み終えてのち、
                                 ( 私の本格的なドスト氏体験はそのあとに読んだ『罪と罰』から始まったので、
                                  その時読んだ『貧しき人びと』については、今思い出してみても、
                                  それほど印象の強いものではなかったようです。)
                                引き続いて、自分のドスト氏文学の読書が、
                                  
『罪と罰』、そして、『カラマーゾフの兄弟』
                                
へと移ってからは、
                                日々未知の世界に連れて行かれるような、私のドスト氏文学への入()れ込みが始まりました。

                                
私は、その時まで、「算数」が得意・大好きで将来数学者になりたいと思っていたのですが、
                                『罪と罰』との出会いで、「自我」と、「文学」の面白さや価値・可能性に、強烈に目覚めてしまい、
                                私は、「文学」少年・文系学生へと変貌してしまったのでした。

                                大学も、文学科を選ぶことになり、
                                 ( しかし、私は、好きであったもう一方の国文学科を選び、
                                  将来ドスト文学研究の学者を目指してロシア文学科に進学するということはしていません。
                                  ドスト氏の文学に対しては、学問的に究めていきたいというよりも、
                                 自己流に独自に付き合っていきたいと思っていました。)
                                中学一年の時のドスト氏との出会いとその後のドスト氏の文学や思想との長年の付き合いは、
                                私のその後の人生の方向や物の見方や精神生活に大きな影響を与えていったのでした。
    


                             

                        《 出会い後、今日までのドスト氏との付き合い 》    ( 以下の1〜5 )


                      
       1.私の場合、
                                『貧しき人びと』『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を読んだ後に読破していったドスト氏の主要小説を、
                                読んだ順に並べれば、
                                   『地下室の手記』『悪霊』『白痴』『死の家の記録』『虐げられた人びと』『未成年』
                                   『白夜』『永遠の夫』『賭博者』『二重人格(=分身)』『スチェパンチコヴォ村とその住人』
                                   『伯父様の夢』『おかしな人間の夢』『おとなしい女』
                                となります。特に
                                    『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『死の家の記録』『地下室の手記』『永遠の夫』
                                は、これまで、再通読や重要部分の読み返しをしてきました。  

        
                             2. 『貧しき人々』を読んだ後、中学の二学年にかけて
『罪と罰』を読破したわけですが、
                                この小説の読書体験によって、私は、
                                  ・
「小説」というものの感興、醍醐味、深い感動
                                  ・ドスト氏が描く各登場人物の造型の面白さ、
                                  ・各シーンにおける
ドスト氏の表現力のしたたかさ、
                                 
「思想小説」というものの価値、
                                 
「文学」というものの力や可能性、   
                                
といったことを、子供心にも、本格的に実体験し認識してしまったように思います。
                                 ( それまでは、家にあった小学館版の、小学生向けの世界文学全集に親しんではいました。)

                                その時は、この小説を
旺文社文庫の江川卓氏の名訳(現在の岩波文庫の分)で読んだわけですが、
                                  旺文社文庫の、表紙カバーを外したあの薄黄緑色の装幀の風情(ふぜい)
                                それから、何と言っても、
                                  江川氏がこの文庫で採用したデッサン書き風の挿し絵(シマリノフ筆)の質朴な魅力
                                が、私を惹()きつけました。このシマリノフが描いたドスト氏の小説の世界は、
                                私がイメージするドスト氏の小説世界の一つの原風景(げんふうけい)となりました。

          
                              3.その後、引き続いて、
                                  ドスト氏最後の大長編小説
『カラマーゾフの兄弟』
                                
を、学校の図書館にあった平凡社刊の文庫型の世界文学全集で、
                                中学の二学年の夏休みの終わりまで三ヶ月余りかけて読みました。

                                テキストは上・下二冊の文庫型のもので、その分だけ、各冊、分厚(ぶあつ)くなっていたわけですが、
                                初版の古い本だっただけに、そのページ用紙の、ほのかにカビ臭い匂いと古びた色や
                                濃いえび茶色の皮装幀の手触りが、これまた、なつかしく思い出されます。
                                 ( 私は、近年、この本が欲しくなり、古本屋で探していますが、 いまだ、なかなか手に入り
                                  ません。 
注:この本は、20018月に、やっと入手でき、現在、わが書棚に並んでいます。)

                                『カラマーゾフの兄弟』を読む前に『罪と罰』を読んでいたことは、
                                ドスト氏の小説世界に対する免疫ができていたこともあって、
                                『カラマーゾフの兄弟』の世界へすんなり入って行けて、都合がよかったと思います。

                                『カラマーゾフの兄弟』を読みつつ、小説の形を取っていながら
                                
この小説の中の随所に込められている、
                                  人間や人生や神や社会などに関する、最晩年のドスト氏の様々な思いや考え
                                に、私は、圧倒され、心打たれました。
                                私の精神や物の考え方の形成において、『カラマーゾフの兄弟』の最初の読了は、
                                ある決定的な、大きな影響を持った、
と言えます。

                                その後、今日までの、『カラマーゾフの兄弟』の中の大事な箇所の読み返しは、
                                 
その独自の自由観・自由論
                                の影響を初め、自分の生のあり方においてむしろ「毒」となった点もありながらも、
                                 ( ドスト氏の小説の愛読者は、一方で、
                                 ドスト氏の小説や思想の内にある諸「害毒」には、十分気をつけるべきでしょう。)

                                その影響を、私の心の深部まで、しみわたらせてきました。

                                その後の私が、人に対してやさしい心を持つことがあったとしたら、また、
                                物の考え方において人並み以上に謙虚に遠所深所まで行くことができたことがあったとしたら、
                                それらは、
小説『カラマーゾフの兄弟』の世界を通して思ったり考えたりしたことのおかげだ、
                                
と私は今も思っています。

                              
                             4. 高校時代の後半より、小林秀雄氏(文芸評論家)の文章に、はまってしまい、
                                  
ドスト氏のふところ深く肉迫しようとする小林秀雄氏のドスト氏論
                                は、ドスト氏及びドスト氏の世界に対する私の理解や関心をさらに進めてくれました。
                                 ( とは言っても、小林氏のドスト氏論書は私にとっていまだ難解な箇所が多くあります。)

                                近年では、
                                    
中村健之介氏の著作における「ドスト氏・ドスト氏の文学」観
                                に接し、親しむことによって、従来の私の「ドスト氏観、ドスト氏の小説観、ドスト氏の思想観」
                                は修正を迫られ、かなり変容を遂げたように思います。( → 中村氏の論())

                                  
江川卓氏・清水正氏の、ドスト氏の主要小説の細部の謎を解明していくテキスト分析
                                には、私も多くの恩恵を受けています。

                                そのほかのドスト氏論書としては、
                                  
米川正夫氏、勝田吉太郎氏、清水孝純氏、ベルジャーエフ氏、のドスト氏論
                                が、その文章表現の卓越さも含め、読んでおもしろくて、
                                ドスト氏の文学や思想への理解を深めてくれました。

                                のちに接したドスト氏論書として、
                                  ドスト氏の小説の主要登場人物を、近代社会人たちの「生」の病理学の立場から
                                  批判的に論じ、ムイシュキン公爵も含めて彼らの「生」のありようを反面教師として
                                  捉えていこうとする観点と内容
                                を持った、
                                  
川喜田八潮著『脱「虚体」論 ― 現在に蘇るドストエフスキー』
                                                    (日本エディタスクール出版部1996年初版)
                                には、大いに共感を覚え、( → その本の中の箇所())
                                ドスト氏文学の捉え方において、一つの大事な方向性を与えられたように思います。
       
   
                              5.ネット上でドスト氏のページを開設しようと思い立つまでには、ドスト氏やドスト氏の「文学・思
                                想」に親しむことからやや離れていた時期もあり、また、キリスト教に対していまだ全面的には
                                共鳴していない自分ながら、
                                   
『カラマーゾフの兄弟』を初め、その文学作品に込めたドスト氏の、
                                   ありがたく尊く思い・考え・メッセージ

                                を、将来、いっそう、自分なりにより理解し、文章により練りあげて、それらを、人々に聞いても
                                らい見てもらい、人々と話し合い、分かち合っていくことができたら、と思っています。

  
                              6. 
〔 以上の書き込みの中の補足及び追加は、のちに記入します。〕