ドストエフスキーの概略

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名前 >
名前(フルネーム)は、
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

 (
旧表記など、別の表記もあり。)
ロシア語書きでは、
Фёдор Михайлович 
Достоевский 
 ( 英語などの表記 )

 

< ドストエフスキーの肖像・写真    
     


< 作風、文学史上の位置づけ    
      

・トルストイと併称される19世紀のロシアの文豪(小説家)。         
・近代化途上の帝政ロシアの当代の都会ペテルブルグを中心にした小説舞台で、様々な人間模様や彼らの抱く思想や魂の苦悩を演劇的手法で描いた、時に幻想的作風も見せる都会派のリアリズム作家。ロシア文学史上、最初の「職業作家(専業作家)」とされている。  
・その作品の、傑作とされる大作群の数量、創作の技量、饒舌ながらのその語りのうまさ、老若男女の登場人物の造型の秀逸さ、深層意識まで照射する人物描写や心理描写の鋭さ、善悪を合わせ持った人間に関する深い洞察や理解、神の存在を問う主要小説の思想性や問題性、愛といたわりの精神の広さ、未来社会の運命を透視する予見性、
など、総合的に見て、古今東西の小説史上、五指には必ず入る作家であり、聖書・キリスト・ロシア正教・ロシアメシアニズムに依拠した異能の宗教的(キリスト教的)思想家・ジャーナリストでもある。・その小説手法は、 近現代の世界文学に様々な可能性を開き、その文学・思想が後世の世界の文学者・思想家・芸術家などに与えた刺激や影響は大きい


< 生涯の事跡              
  ドストエフスキーの簡略「年譜」  
    ドストエフスキーゆかりの地・旅行地 

18211030に誕生1881128に没。享年満59歳。 ( 以上は、ロシア暦での月日。新暦では、各々、1111日、29日。)
・貧民救済病院の院長の次男として、モスクワに生まれる。十代後半に母、そして、父と、両親を失う。途中、シベリアでの長い流刑と服役の生活(10年間)や、妻子を連れだっての欧州滞在生活(42ヶ月余り)もあったが、青年期以降は、ペテルブルグ(現サンクト・ペテルブルグ)を中心に都会で作家活動を送った。23歳の時、小説『貧しき人々』で華々しい作家デビューを飾り、以後4年間、初期の中短編の名作を次々と発表していったが、 一方で、フーリエ主義を信奉する非合法サークル活動に関わっていたかどで、28歳でシベリア流刑と服役の身となり、世間での自由な作家活動を10年余り中断させられた。その服役を終え、満38歳でやっと居住許可を得てペテルブルグに帰還し、世間での旺盛な創作活動を再開した。以後、59歳でペテルブルグで肺気腫を悪化させて急逝するまで、債鬼や持病の「てんかん」に苦しめられながらも、『地下室の手記』『永遠の夫』などの中編、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』などの長編、そして最後の未完の大作 『カラマーゾフの兄弟』、など、数多くの傑作の中長編小説を発表し、在世時のロシアでも知識人や民衆から人気・尊敬を集めた。
創作以外にも、40歳以降は、ジャーナリストとして自ら時事雑誌の編集にも携わり、スラブ主義・土壌主義と称された立場から、時事問題・社会問題などに対しても活発な言論活動を展開した。
・墓所は、ペテルブルグのアレクサンドル・ネーフスキー大寺院にある。


< 作品、著作
・知られた代表作は、『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』
・その他の傑作・知られた小説として、
 『白痴(はくち)』 『悪霊(あくりょう)『未成年』
 (
以上、ドストエフスキーの「五大長編小説」 )
『貧しき人びと』 『白夜(びゃくや)『地下室の手記』 『永遠の夫(おっと)』『死の家の記録』 『虐(しいた)げられた人びと』などがある。
生涯に残した小説は、中編小説・短編小説も含めて、35作。 
  
 ドストエフスキーの小説一覧
・小説以外では、
大部の『作家の日記』
 ( 週刊雑誌「市民」及びドストエフスキー個人が刊行した月刊雑誌「作家の日記」に掲載された社会評論・時事評論・文学評論・回想記・短中編小説などのこと。ふつうのいわゆる日記では無い。ドストエフスキーは特に日記は書かなかった。)
評論
( 他の雑誌に掲載された社会評論・時事評論・文学評論など。)
五大長編の「創作ノート」雑記帳(「メモ・ノート」)、大部の書簡、
が残されている。) 
   
 邦訳全集の細目


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