『死の家の記録』 について

http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif


     


< 概要 >  
長編。シベリヤで流刑生活を送った男ゴリャンチコフが書き遺した手記という形で、ドスト氏自身の四年間に渡るシベリヤでの囚人たちとの共同監獄生活と監獄内の囚人群像(アレイペトロフイサイ・フォミーチ、他)を活写した実録小説。 題名の「死の家の記録」は、世間から葬り去られ人間らしい自由な生き方を奪われた監獄生活の記録の意。

《所収》

河出書房版全集(巻4)

筑摩版全集(巻4)

新潮社版全集(巻4・工藤精一郎訳)
新潮文庫(工藤精一郎訳)

新潮世界文学(巻11・工藤精一郎訳)



○ 以下(1〜4)は、通読して印象に残った箇所

1、
もうずいぶん夜も更けた。わたしは寒さで、ふと目をさました。老人はまだ暖炉の上で祈っている、うして朝まで祈りつづけているのである。アレイはわたしのそばでしずかに眠っている。わたしは彼が兄たちと芝居の話をして、半分眠りかけてもまだ笑っていたことを思い出して、思わず彼の安らかな子供のような顔に見入った。しだいにいろんなことが思い出されてきた。今日の一日、お祭りの日々、この一月(ひとつき)のこと……わたしはぎくっとして頭をもたげて、官給の蝋燭(ろうそく)のふるえる仄(ほの)暗いあかりをあびて眠っている仲間たちの顔を見まわした。わたしは彼らの蒼(あお)ざめた顔や、貧弱な寝床や、どうにも救いようのない赤裸(せきら)の貧しさをながめた――じっと目をこらした――まるでこれがみな醜悪な夢のつづきではなく、現実であることを見きわめようとするように。
( 第一部「十一、芝居」内のもの。新潮文庫の252)

※、シベリヤの地の夜の監獄内の、囚人たちのねぐらの光景。監獄内で寝起きしたドスト氏の体験の実感や暗い狭いその部屋の中の様子がリアルに読者に伝わってくる印象的な箇所。


2、
すきとおるような紺碧(こんぺき)の大空に何鳥か、鳥を見つけて、執拗(しつよう)にいつまでもその飛んでいく姿を追う。さっと水面をかすめて、青空に消えたかと思うと、またちらちらする一点となってあらわれる……早春のある日、岸の岩の裂け目にふと見つけた、しおれかけた哀れな一輪の草花でさえ、何か痛ましくわたしの注意をとめるのだった。
( 第二部「五、夏の季節」内のもの。新潮文庫のp348)

※、戸外での煉瓦(れんが)運びの囚役作業の合間に、「そこからは神の世界が見えたからである」(p347)と前置きして、主人公がイルトゥイシ河畔から眺めた広大な眺望を描写している箇所。


3、
みんなけだものじみた悲鳴をあげて、ぎゃあぎゃあわめきたてる。湯気の雲の中から、傷だらけの背中や、剃った頭や、曲げた手足がちらちら見える。
( 第一部「九」内のもの。新潮文庫のp187)

「浴室の戸をあけたとたんに、わたしは地獄に突き落とされたかと思った。で始まる、監獄の囚人ちでぎゅうぎゅう詰めになった監獄内の浴場の様子を活写した場面の一節。ツルゲーネフによって、「ダンテ的だ」と絶賛された箇所。


4、
わたしは一度やさしくなでてやったことがあった。こんなことは一度もされたことがないし、思いもよらぬことなので、ベールカはいきなりペタリと地べたに腹ばいになって、全身をがたがたふるわせ、感きわまってうわずった声で吠えだした。わたしはかわいそうに思って、それからときどきなでてやった。そのためにベールカはわたしを見ると、かならず甘えた吠え声をたてるようになった。遠くからわたしを見かけると、すぐに吠えたてる、痛々しい、涙のにじんだ声で、吠えたてるのだった。
( 第二部の「六、監獄の動物たち」内のもの。新潮文庫のp373)

※、監獄の敷地内にいた犬たちのことを描写した箇所。虐げられたものたちへのドスト氏のやさしい心根(こころね)やいたわりが現れていて、心打たれるものがあります。



http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif