『悪霊』 について http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif

( これから読む人は、以下、ネタ
ばれの箇所(
の箇所)に注意!) 





< 概要、登場人物 >  

長編小説
当代のロシアの某県のとある町を舞台にした一種の
政治小説

スタヴローギン(=ニコライ)(軍務の合間の一時期の決闘事件や放蕩、四年前に町に戻ってきた際の数々の奇行、その後のヨーロッパ・近東放浪などの過去を持ち、知力体力ともに人並みはずれた美貌の貴公子)は、町の社交界で権勢を回復しようとしている母ワルワーラ夫人の住む故郷の町へ四年ぶりに戻ってきた。

彼には、町に住む足が不自由で神がかりの狂女
マリア・レヴャートキナ嬢と過去に外国で結婚していたとの疑いを初め、過去におけるいくつもの色恋沙汰や情事のうわさが立っていた。

町では、
ピョートル(スタヴローギンと同時に町にやってきた社会革命活動の策士の青年)レンプケ夫人(新市長夫人)に取り入り労働者たちを扇動し仲間を操りスタヴローギンをカリスマに仕立てて町に騒乱を起こそうと暗躍していた。

町の慈善会の祭りの日、
何者かの放火によって町は大火に包まれ、その騒ぎにまぎれて、火に包まれた一軒家でマリアとレビャートキン二等大尉(その兄)の惨殺された死体が発見される。
この殺害は、スタヴローギンの教唆のもと、脱獄囚
フェージカのしわざだった

その成果を見届けたピョートルは、
元仲間のシャートフ(ロシア・メシアにズムを信奉する青年。スタヴローギン家の農奴のせがれ。突然舞い戻ってきた元妻マリイとその出産に歓喜している最中だった)を、シャートフによる密告を恐れる仲間たち(県の役人リプーチン、妻が産婆をしている役人ヴィルギンスキー、ユダヤ人リャムシン、独自の社会理論の持ち主シガリョフ、年輩のトルカチェンコ、ピョートルに心酔している若者エルケリ)をひき連れてひそかに殺害し、かつ、友人のキリーロフ(特異な自殺哲学を抱いて自殺を図る青年技師)にシャートフ殺害の主犯であったとの遺書を書かせて自殺させ、ひそかに町を去るのだった。

一方、スタヴローギンは、
町のチーホン僧正のもとを訪れて、過去に自分はマトリョーシャという少女を誘惑して陵辱の性的関係を持ち自殺に至らしめたことなどを公表を覚悟のうえ告白するもむなしく、
この告白は、当時の連載や刊行においては掲載されなかった一章「チーホンのもとで――スタヴローギンの告白」の中に語られている。
過去の愛人リーザとの恋にも破れ、自己のうちの非凡な力を何に使っていいのか分からず、善悪の感覚を失い、ダーシャ(=ダーリヤ)(ワルワーラ夫人の養女。シャートフの妹)の献身的な看護の申し出も退け、ついには、虚無と倦怠の中で自ら縊死してしまう

一連の殺害事件も、
ついに、リャムシンの自白で、真相が明るみに出、関係した者たちは次々と逮捕されていったが、ピョートルの行方は全くわからなかった

その他の登場人物として、

この事件の記録者で作中にも登場してくる(=アントン=G)
終盤で回心を遂げる西欧派の理想主義者ステパン氏(元大学教授。少年期のスタヴローギンの教育係。ピョートルの父。ワルワーラ夫人宅で彼女の庇護のもと食客として過ごしている。)
リーザの婚約者
マヴリーキー、
父があしらわれたことでスタヴローギンに決闘を申し込む若い地主ガガーノフ
揶揄的に描かれている大文豪カルマジーノフ(作家ツルゲーネフをモデルにしている)
も配されている。


< 題材、主題、スタヴローギンの告白の章、等 >

・当時の社会事件(メンバーを殺害したネチャーエフ事件)や実在した人物(大学教授・政治思想家・作家等)、ドストエフスキー自身の青年期のペトラシェフスキーサークルでの活動や仲間たちを、取材し、モデルにし題材にしている。
事件の記録者で登場人物でもある
が過去の出来事として語るという形式をとっている。全3部。

・彼らに影響を与えたその親たちや中心的登場人物として造形された悪魔的超人スタヴローギンも含め、ロシアの大地(根源や伝統)から遊離して社会革命という目的のためなら旧社会の破壊も人の命の犠牲も顧みない社会革命活動や無神論思想へと走る当代の青年群像を、糾弾と風刺を込めて批判的に描いている。
一方、終盤のステパン氏の放浪の末での回心は作者ドストエフスキーが理想として抱いていた宗教的精神(キリスト教)への今後のロシアの回帰を表したものと言えよう。

「私は『悪霊』の中で、この上なく純潔な心を持つ人間でさえ、身の毛のよだつような悪事へとまきこまれていくその多様をきわめた動機を描こうとしたのである。」
(
週刊雑誌「市民」に発表された「現代的欺瞞のひとつ」(1873)の中のドストエフスキーの発言。)
(ルカ福音書を引いて)
悪鬼が入り込んだ豚たちが悪鬼に導かれて気が狂い崖から海に飛び込みおぼれ死んでしまうが、やがて彼らの病は癒えてイエスの足もとに座るであろう。〔以上その趣意〕」
(
最後の放浪におけるステパン氏の言葉。新潮文庫の下巻のp493p494。そのルカ福音書の文は作の冒頭にも引用されている。)

・ピョートルやシガリョフが述べた政治社会思想や作中のシャートフ殺害事件は、その後20世紀に起こる社会主義革命後のソビエト共産主義体制下の独裁・密告・粛清、社会革命を目指す組織の組織内暴力事件(日本の学生運動組織内でのリンチ殺人事件)を予言し警鐘した小説として現在でも注目されている。

スパイ制度や密告を提唱。「時に中傷や殺人もありえる。」
( グループの首領ピョートルが語る秘密結社グループの革命組織活動のスタンス。新潮文庫の下巻のp124p125)
「わたくしの結論は、出発点となった最初の観念と、直角的に反対している。つまり、無限の自由から出発したわたくしは、無限の専制主義をもって論を結んでいるのです。しかし、一言申し添えておきますが、わたくしの到達した結論以外、断じて社会形式の解決法はありえないのです。」
( 作中に登場するシガリョフの社会統治をめぐっての言葉。新潮文庫の下巻のp101)

〔第2部9章(「チーホンのもとで――スタヴローギンの告白」)のこと〕
この第2部9章は、婦女子が読むに好ましくないということで版元側のゴーサインが出なかったため、その連載は休止され(連載は1年後に開始されていちおうの完結を見た)、この章はそののち、手を加えながらも、結局、作中に入れられないままに終わった。ドストエフスキーの死後の1921年に、ドストエフスキーが朱筆を加えたその初稿刷り(校正刷版)やアンナ夫人が筆写したもの(筆写版)が発見され、第2部の9章は、現在では、本来の位置に置かれる、または、二つの版の差異がわかるようにして別途に末部に付される、といった処置が施されている。
    






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