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Q
<「真理」「思想」について>
(6
を追記:18/5/30)


真理は百年もテーブルの上に置かれ、人まえに出されているが、人びとはそれに見むきもせず、人間の頭によって考え出されたものを追っている。」
(『作家の日記』より。)



「真の真理というものは、つねに真理らしくないものである。」
(『悪霊』より。)



「我々は過ちを重ねることによってのみ真理に到達するものなのである。」
(
評論集より。)



「不幸の中にこそ真理が姿を現わすものである。」
(
書簡より。)



「偉大な思想は偉大な知性からよりもむしろ偉大な感情から生まれる。」
(
小沼文彦訳。『永遠の夫』より。第13章。新潮文庫ではp195)



「人は思想をとらえようが、思想は常に人間よりも現実的である。」
(『罪と罰』より。)



R
<「
労働」について>  http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif


「わたしはふとこんなことを思ったことがあった。つまり、もっとも凶悪な犯人でも震えあがり、それを聞いただけでぞっとするような、恐ろしい刑罰を加えて、二度と立ち上がれぬようにおしつぶしてやろうと思ったら、労働を徹底的に無益で無意味なものにしさえすれば、それでよい。いまの監獄の苦役が囚人にとって興味がなく、退屈なものであるとしても、内容そのものは、仕事として、益(えき)も意味もある。囚人は煉瓦(れんが)を焼いたり、畑を耕したり、壁を塗ったり、家を建てたりさせられているが、この労働には意味と目的がある。苦役の囚人が、どうかするとその仕事に熱中して、もっとうまく、もっとぐあいよく、もっとりっぱに仕上げようなどという気をさえ起こす。ところが、たとえば、水を一つの桶(おけ)から他の桶へ移し、またそれをもとの桶にもどすとか、砂を搗()くとか、土の山を一つの場所から他の場所へ移し、またそれをもとへもどすとかいう作業をさせたら、囚人はおそらく、四、五日もしたら首をくくってしまうか、あるいはたとい死んでも、こんな屈辱と苦しみからのがれたほうがましだなどと考えて、やけになって悪事の限りを尽くすかもしれない。」
(『死の家の記録』より。新潮文庫のp33p34)




S
<「自然」について>


「晴れた空、清い空気、若い草、愛らしい小鳥、自然は限りない美の世界である。」
(『カラマーゾフの兄弟』より。)



自然とのふれあいこそが、あらゆる進歩の最後の言葉である。」
(
『作家の日記』より。)

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