H<「人生」「生きること」について>

1アリョーシャ「地上に住むすべての人は、まず第一にを愛さなければならないと思いますよ。」 
  イヴァン「の意義以上にそのものを愛するんだね?」 
アリョーシャ「むろん、そうでなくちゃなりません。あなたのおっしゃるように論理以前にまず愛するんです。
       ぜひとも論理以前にですよ。そこでこそ初めて意義もわかってゆきます。」
                  (米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の第3編の第3「兄弟の接近」より。)
       

2「全体のために働けばよいのである。未来のために仕えればよいのである。しかし、決して報いを求めてはならぬ。
 しいて求めずとも、すでにこの世において、偉大なる報いが与えられている、
 ――すなわち、正しき者のみが所有しうる心の喜びである。」

                  (『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の言葉。)
     

3「ああ、諸君、ああ、かわいい親友、人生を恐れてはいけません!
 なんでも正直ないいことをしたときには、人生はなんと美しいものに思われることでしょう。」
     (米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の末尾で、アリョーシャが町の少年たちの前で語る言葉。
      新潮文庫の下巻のp496)
        

4「おい、アリョーシャ」
 とイヴァンはしっかりした声で言いだした。
「もしぼくがほんとに粘っこい若葉を愛せるとするなら、それはおまえを思い起こすことによって、はじめてできることなのだ。
 おまえがこの世界のどこかにいると思っただけで、ぼくには十分だし人生に愛想もつかさないでいられる。」
    (米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の第3編の第3「兄弟の接近」より。新潮文庫の上巻のp507)

   、心打たれる箇所。
      故・久山康氏(哲学者。元・関西学院大学教授。西宮市の「土曜会」(「ドストエフスキー研究」発行)主宰。)
      は、上のイヴァンの言葉を、
         「作中の一つのクライマックスを形成している光景」
              (久山康「ドストイエフスキイにおける愛の問題」より。)
      と評している。      
               

5「あれはどこで?」
 ラスコーリニコフは歩きながら考えた。
「どこで読んだんだっけ?なんでも死刑を宣告された男が、死の一時間前に言ったとか、考えたとかいうんだった。
 もしどこか高い岸壁の上で、それも、やっと二本の足で立てるくらいの狭い場所で、絶壁と、大洋と、永遠の闇と、
 永遠の孤独と、永遠の嵐に囲まれて生きなければならないとしても、そして、その一尺四方の場所に一生涯、千年
 も万年も、永久に立ちつづけなければならないとしても、それでも、いま死んでしまうよりは、そうやって生きた
 ほうがいい、というんだった。なんとか生きていたい、生きて、生きていたい! どんな生き方でもいいから、生
 きていたい!
……なんという真実だろう!ああ、なんという真実の声だろう!」
                        (『罪と罰』より。第2部の6。新潮文庫の上巻のp274)

    、心打たれる箇所。
        

6人生は楽園です。われわれはみんな楽園にいるのです。
 ただわれわれがそれを知ろうとしないだけなのです。
 もしそれを知ろうとする気になりさえすれば、あすにもこの地上が楽園となるのです。」
           (『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の兄マルケールの言葉より。新潮文庫の中巻のp52)
          

7「あまりに意識しすぎるのは、病気である。正真正銘の完全な病気である。
 人間、日常の生活のためには、世人一般のありふれた意識だけでも、充分すぎるくらいなのだ。」
                           (『地下室の手記』の第1部の2より。新潮文庫のp11)
                 

8「まったく、習慣てやつは、人間をどんなふうにもしてしまうものなのだ。」
             (『地下室の手記』の第2部の7より。新潮文庫のp155)
9
「習慣というものは実に根強いものです。」
                 (『作家の日記』より。)
10
「人はとかく慣れやすいものだ。国家的、政治的関係でもそうだ。習慣がおもなる原動力なんだ。」
                 (『カラマーゾフの兄弟』のコーリャの言葉より。第10編第3)
 11
「大尉、僕の見たところでは、君はこの四年間少しも変わらないね。」
 
 前よりいくぶん優しい調子で、ニコライはこう言い出した。
 
「ふつう人間の後半生は、ただ前半生に蓄積した習慣のみで成り立つ
 
 と言うが、どうやら本当のことらしいね。」
 
「なんという高遠な言葉でしょう!あなたは人生の謎をお解きになりましたよ!」
 
 なかば悪くふざけながら、なかばわざとならぬ感激に打たれて(彼はこうした警句が大好物だったので、)
 
 大尉は叫んだ。
       (米川正夫訳。『悪霊』より。第2編第2章の1。新潮文庫では、第2部第2章の2〔上巻のp415)
                

12は苦痛です、は恐怖です、だから人間は不幸なんです。」
               (『悪霊』のキリーロフの言葉。新潮文庫の上巻のp1799行目〜14行目。)
         

13人生はすばらしい。醜悪だったのは我々の方なのだ。」
                   (『作家の日記』より。)
           

14「子供の時分の思い出からその人生に繰り入れられた神聖で貴重なものがなければ、人間は生きていくことすらもできない。
 なかには、見受けたところ、そんなことは考えていないような人もいるけれど、
 それでもやはりこうした思い出を無意識にちゃんと心にとめているのである。」
                              (『作家の日記』より。)

   、子供時代によき思い出を与えられることの大切さを、ドストエフスキーは、折にふれて、説き、強調している。
         

15「哲学は必要なものでございますよ。ことに現代にあっては、その実際的応用がじつに必要なんでございますが、
 みんなそれをなおざりにしておりますので。いや、まったくですもの。」
                          (『白痴』より。)
               

16人の一生は――贈物です、人生は――幸福です。
 そのそれぞれの瞬間が幸福になりうるものなのです。」
                    (書簡より。)
        

17「人間は到達を好むくせに、完全に行きついてしまうのは苦手なのだ。
 もちろん、これは、おそろしく滑稽なことには相違ないが。」
                    (『地下室の手記』の第1部の9より。新潮文庫のp53)
                 

18「肝要なのは自分自身にうそをつかぬことですじゃ。
 みずから欺(あざむ)き、みずからの偽りに耳を傾けるものは、ついには自分の中にも他人の中にも、
 まことを見分けることができぬようになる、すると、当然の結果として、自分にたいしても、他人にたいしても
 尊敬を失うことになる。何者をも尊敬せぬとなると、愛することを忘れてしまう、ところが、愛がないから、
 自然と気をまぎらすためにみだらな情欲におぼれて、畜生(ちくしょう)にもひとしい悪行を犯すようになりますじゃ。
 それもこれも、みな他人や自分にたいするたえまない偽りからおこることですぞ。」
     (『カラマーゾフの兄弟』の、フョードルに向けてのゾシマ長老の言葉。第2編第2。新潮文庫の上巻のp81)
                  

19「きみは生活に飢えているくせに、自分では生活上の問題を論理の遊戯で解決しようとしている。 ―途中略― 
 きみは自意識を鼻にかけているが、要するにぐずをきめこんでいるだけだ。」
                       (『地下室の手記』の第1部の11より。新潮文庫のp59p60)
             

20「 ―途中略― (「もしゆるされたらそのあとの人生は、一分一分をいちいち計算して、もう何ひとつ失わない
 ようにして大事にする」と死刑前に考えた死刑を免れたそのあなたのお友達の男の方は、死刑を免れたのち、)
 どうなさったんでしょうねえ……だって、そのかたは減刑になったわけですから、つまり、その《無限の生活》
 を与えられたのでしょう。それじゃ、そのかたはそれからのち、その宝物をどうなさったでしょう。一分一分
 いちいち《計算して》生活なさったんですの?」
「いえ、ちがいます。当人が自分で言っていましたが、いや、私もそのことはとっくにきいたのですがね――ま
 るっきりちがった生活をして、じつに多くの時間を空費してしまったそうですから」
「まあ、それじゃ、あなたにとっていいご経験でしたのね。つまり《いちいち計算して》生活するなんてことは、
 実際にはできないことなんですのね。どういうわけかわかりませんが、とにかくできないことなんですのね」
「ええ、どういうわけだか不可能なんですよ」
 公爵は同じことをくりかえした。 ―以下略―
       (『白痴』の第1編の第5より。新潮文庫の上巻のp111p112)
      

21「人間は身持ちをよくしなければならない。身持ちが悪いというのは、つまり自分を甘やかしている証拠で、
 悪い性癖は人間をほろぼし、台なしにしてしまうものだ。」

       (『貧しき人々』より。)
   

22「中庸(ちゅうよう)を失った人間は破滅する。」
       (『未成年』より。)
    

23「笑うことがいちばんですよ! 笑うにまさる福なしです。」
       (『未成年』より。)
      

24人生はどうしてこんなに短いのか、わしにはどうしてもわからない。そりゃむろん、退屈させないために
 ちがいない。人生もやはり造物主の芸術作品だからな。プーシキンの詩のような、非のうちどころのない
 完全な作品だよ。短いということは芸術の第一条件だ。でも、退屈しない者には、もっと長い生命をあた
 えてやってもよさそうなものだ。」
       (『未成年』のニコライ老公爵の言葉。第2部第8章の2)
    

25「今すべての人はできるだけ自分を切り放そうと努め、自分自身の中に生の充実を味わおうと欲しています。
 ところで、彼らのあらゆる努力の結果はどうかというと、生の充実どころか、まるで自殺にひとしい状態が
 おそうて来るのです。なぜと言うに、彼らは自分の本質を十分にきわめようとして、かえって極度な孤独に
 おちいっているからです。現代の人はすべて個々の分子に分かれてしまって、だれもかれも自分の穴の中
 に隠れています。だれもかれもお互いに遠く隔てて、姿を隠しあっています。持ち物をかくしあっています。
 そして、けっきょく、自分で自分を他人から切りはなし、自分で自分から他人を切りはなすのがおちです。
 ひとりひそかに富をたくわえながら、おれは今こんなに強くなった、こんなに物質上の保証を得たなどと考
 えていますが、富をたくわえればたくわえるほど、自殺的無力に沈んでゆくことには、愚かにも気づかない
 でいるのです。なぜと言うに、われひとりをたのむことになれて、一個の分子として全を離れ、他の扶助も
 人間も人類も、何ものも信じないように、おのれの心に教えこんで、ただただおのれの金やおのれの獲得し
 た権利を失いはせぬかと、戦々兢々としているからです。真の生活の保障は決して個々の人間の努力でな
 く、人類全体の結合に存するものですが、今どこの国でも人間の理性はこの事実を一笑に付して、理解し
 まいとする傾向を示しています。しかし、この恐ろしい孤独もそのうちに終わりを告げて、すべての人が互い
 に乖離(かいり)するということが、いかに不自然であるかを理解する、そういった時期が必ず到来するに相
 違ありません。そういった時代風潮が生じて、人々はいかに長いあいだ闇の中にすわったまま、光を見ず
 にいたかを思って、一驚を喫(きっ)するに相違ありません。 ―以下、略― 」
    (米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の言葉。第6編の(D)。新潮文庫の中巻のp80)
      

26「どうにも暇(ひま)をもてあましたら、誰かか、あるいはなにかを、愛するようにつとめることだな、ただ
 なにかに熱中するのもよかろう」
        (『未成年』より。第2部第1章の4内。新潮世界文学のp256)
   

27「気分のうえで決して年をとらないようにしてください、そして(人生になにが起ころうとも)人生に対する曇(くも)
 のない目を失わないで下さい、永遠の若さよ万歳! 人間の若さは時間と生活の力に支配されるとともに、
 またわたしたちの力にも左右されるものであることをお信じください。」
                                 (『作家の日記』より。)
       

28「希望を持たずに生きるのは悲しいことですね。」
                      (書簡より。)
     

29「われわれ自身の精神とその内容が豊富になればなるほど、われわれの住んでいるむさくるしい片隅や生活も、
 またそれだけ美しくなっていくものです。」
                      (書簡より。)

3-「各個人の自己完成が《いっさいのみなもと》であるばかりでなく、
 いっさいの継続であり結末である。」
                  (『作家の日記』より。)
             

 ―〔以下は、後に、追加します。〕                              http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif