C<「人間」について>


1.人間は秘密の存在です。
この秘密を解かなくてはなりません。一生をこの秘密の解明に費やしたとしても、時間を無駄にしたとは言えない。ぼくはそういう秘密に取り組んでいるのです。なぜなら、人間になりたいから。」
(1839816日付けの兄ミハイル宛の、ドストエフスキー18歳の時の手紙の一節。)

2.イヴァン「ぼくが考えてみるに、もし悪魔が存在しないとすれば、つまり人間が作り出したものということになるね。そうすれば人間は自分の姿や心に似せて、悪魔を作ったんだろうじゃないか。」
アリョーシャ「そんなことを言えば、神さまだって同じことです。」
(『カラマーゾフの兄弟』より。第3編第3。新潮文庫の上巻のp459)

3.「その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々(おうおう)、聖母(マドンナ)の理想をいだいて踏み出しながら、結局ソドムの理想をもって終るという事なんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。つまりソドムの理想を心にいだいている人間が、同時に聖母の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬(どうけい)を心に燃やしているのだ。いや実に人間の心は広い、あまり広過ぎるくらいだ。俺は出来る事なら少し縮めてみたいよ。」
(『カラマーゾフの兄弟』の長男ドミートリイの言葉。第3編第3。新潮文庫の上巻のp203
※この分は、ルージンさんからも投稿あり。)

4.「それにしても、人間(劣悪な環境の中でも、慣れていけば、)生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。」
(『死の家の記録』より。新潮文庫のp15)

5.「どんなに堕落した人間の心の中にも、きわめて高尚な人間的な感情が残されていないものでもない。人間の心の深部は究(きわ)めつくせないものである、だから頭から堕落した人間を軽蔑してはならない。いや、むしろ反対に、その美点を探し出して更生させてやらなければならない。一般に認められている善悪とか、道徳の標準などはあてにならないものである。」
(『ステパンチコヴォ村とその住人』より。)

6.「神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。」
(
『カラマーゾフの兄弟』の長男ドミートリイの言葉。第3編第3。新潮文庫の上巻のp203)
※この分は、ルージンさんからも投稿あり。)

7.人間というものは罪深いものだ。」
(評論「ロシア文学論」より。)

8.「満足ってのは常に有益なものだし、あらあらしい無限の権力は、たとえそれが蠅に対するものでも、やはり、一種の快感ですからね。人間は天性、暴君だから、迫害者になるのを好むものです。」
(『賭博者』より。新潮文庫のp56)

9.「わたしはもちろん、哲学者じゃないけれど、しかしどんな人間でも、見かけよりずっと余計に善良さを持ち合わせているもんだと、わたしは思うね。」
(『ステパンチコヴォ村とその住人』より。)

10.(途中、略)この世の中にいるはみんないい人なのよ。ひとり残さずいい人なのよ。この世の中ってほんとにいいものね。わたしたちは悪い人間だけど、この世の中っていいものだわ。わたしたちは悪い人間だけど、いい人間なのよ。悪くもあればよくもあるのよ……(以下、略)
(米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の中の、モークロエ村での酩酊しているグルーシェンカの言葉。第8編の8。新潮文庫の中巻のp335)
※、グルーシェンカ(ドストエフスキー)の結局の人間観が表れた、泣ける絶唱となっている。

11.―〔以下は、後に、追加します。〕http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif



D
<「
」について>

1.は、すべてのものをあがない、すべてのものを救う。現にわしのようにお前と同様罪深い人間が、お前の身の上に心を動かして、お前をあわれんでおるくらいじゃによって(=くらいだから)、神さまはなおさらのことではないか。はまことにこの上ない尊いもので、それがあれば世界中を買うことでもできる。自分の罪は言うまでもない、人の罪でさえ、あがなうことができるくらいじゃ。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第2編第3のゾシマ長老の言葉より。新潮文庫の上巻のp96)

2.「わたしは人類をするが、自分で自分に驚くのだ。人類全体をすればするほど、個々の人間に対するが薄らぐのだ。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第2編第4のゾシマ長老の言葉より。新潮文庫の上巻のp107)

3.をともなう謙抑は恐ろしい力である。あらゆる力の中でも最も強いもので、他にその比がないくらいである。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第6編第3のゾシマ長老の言葉より。新潮文庫の中巻のp109)

、上の文中の「謙抑」という言葉は、ドストエフスキーのキーワードの一つ。

4.愛情があれば、幸福なしでも生きていける。」
(『地下室の手記』の第2部の6より。新潮文庫のp143)

5.なしにはなにも認識できない。によって多くのものを認識できる。」
(
メモノートより。)

6.は労働だ。もまた学びとらねばならないものだ。」
(
『カラマーゾフの兄弟』より。)

7.「空想のは、すぐに叶(かな)えられる手軽な功績や、みなにそれを見てもらうことを渇望する。また事実、一命をさえ捧げるという境地にすら達することもあります。ただ、あまり永つづきせず、舞台でやるようになるべく早く成就して、みなに見てもらい、賞()めそやしてもらいさえすればいい、というわけですな。ところが、実行的なというのは仕事であり、忍耐であり、ある人々にとってはおそらく、まったくの学問でさえあるのです。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第2編第4のゾシマ長老の言葉より。新潮文庫の上巻のp109
※この分は、有容赦さんの投稿により掲載。)

8.「長老さまもやはり、人間の顔はに経験の浅い多くの人にとって、しばしばの障害になると言っておいでになりました。しかし、じっさい人類の中には多くのがふくまれています。ほとんどキリストのに近いようなものさえあります。これはぼく自身でも知っていますよ、兄さん……」
(『カラマーゾフの兄弟』の第5編第4のアリョーシャの言葉より。新潮文庫の上巻のp455)

9.は自己犠牲なしには考えられないものである。」
(
『評論集』の中の「「ロシア報知への回答」より。)

10.「自分の家の中に、自分の目の前に(対象が)あることが一番多いのに、なにも人間の大偉業を求めてがむしゃらにどこか遠いところへ突っ走ることはありません。」
(書簡より。)

11.「つとめて自分の隣人を進んで怠(おこた)りなくするようにしてごらんなされ。そのの努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不死も確信されるようになりますじゃ(=なります)。もし隣人にたいするが完全な自己犠牲に到達したら、そのときこそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、あなたの心に忍び入ることはできません。これはもう実験をへた正確な方法じゃでな(=なのだよ)。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第2編第4のゾシマ長老の言葉より。新潮文庫の上巻のp105)

12.ラキーチン「人をするには、何か理由がなくちゃならない。ところで、きみたちはぼくに何をしてくれたい!」
グルーシェンカ「理由がなくたって、さなきゃだめだわ、ちょうどこのアリョーシャみたいにね」
(『カラマーゾフの兄弟』より。第7編第3。新潮文庫の中巻のp168)

13.は人間を平等にする。」
(『白痴』より。)

14.(前略)世には自己の限界の中にだけひそんで、世間を憎んでいる魂があります。けれども、この魂に慈悲を加えてごらんなさい。を示してごらんなさい、たちまちこの魂はおのれの行ないをのろいます。なぜなら、この魂の中には多分に善良な萌芽(ほうが)がひそんでいるからであります。かような魂は、ひろがり、成長して、神の慈悲ぶかいこと、人々の善良公平なことを見知るでしょう。彼は悔悟の念と目前に現われた無数の義務とに慄然(りつぜん)として圧倒されるでしょう。(以下略)
(米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の公判での弁護士フェチュコーヴィチの言葉。
12編第12。新潮文庫では、下巻のp447)

15.「いちばん大事なのは、自分をするように他人をするということだ。これがいちばん大事なのだ。これがすべてであって、これよりほかには何も必要でない。」
(『作家の日記』より。)

16.「他人に対してもっとやさしく、もっと気をつかい、もっと愛情を持つことです。他人のために自分を忘れること、そうすればその人たちもあなたを思い出してくれます。自分も生き、他人をも生かすようにする――これが私の信条です!」
(『スチェパンチコヴォ村とその住人』より。)

17.
より尊いものがあるでしょうか?は存在よりも高く、は存在の輝ける頂点です。」
(
『悪霊』のステパン氏の言葉。新潮文庫の下巻のp507)

、実にこれが、人生のすべてだよ。」
(?より。)

18.「時間をもっても、空間をもっても、はかることのできない無限の生活において、ある一つの精神的存在物(=人間)は、地上の出現によって『われあり、ゆえに、われす』という能力を授けられた。彼は実行的な生きたの瞬間を、一
度、たった一度だけ与えられた。これがすなわち地上生活なのである。それと同時に、時間と期限が与えられた。ところが、いかなる結果が生じたか?この幸福な生物は限りなくとうとい賜物(たまもの)をこばんで、尊重することも
愛好することも知らず、嘲笑(ちょうしょう)の目をもってながめながら、冷笑な態度を持()していた。(以下、略)
(『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の言葉。第6編の(I)。新潮文庫の中巻のp114p115)

19.「天使というものは、人を憎むことができないものでございますし、また人をさずにはいられないものでございます。いったいすべての人間を、すべての同胞をすることができるものでございましょうか?わたしはこうした問いをよく自分の心に問うてみるのでございます。もちろん、それはできない相談ですが、むしろ不自然と言ってもよいくらいでございましょう。抽象的に人類をするということは、ほとんど例外なく自分ひとりをすることになるのでございます。」
(『白痴』のナスターシャ‐フィリポヴナの手紙の中の言葉。第3編の10内。新潮文庫の下巻のp252)

20.「尊敬のないっていったいなんだろう!」
(書簡より。)

21.―〔以下は、後に、追加します。〕http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif



E
<「
」について>

1.「限りない神さまの愛を使いはたしてしまおうとするような人間に、そんな大きなが犯せるものではない。それとも神さまの愛でさえ追っつかぬようながあるじゃろうか!」
(米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の第2編第3のゾシマ長老の言葉より。新潮文庫の上巻のp96)

、上の言葉でゾシマ長老(ドストエフスキー)が言おうとしていることには、たいそうハッとするものがあります。

2.「しかし、神はロシアを救ってくださるであろう。なぜなれば、いかに民衆が堕落して、悪臭ふんぷんたる罪業を脱することができぬとしても、彼らは神が自分の罪業をのろっておられる、自分はよからぬ行ないをしている、ということを承知しているからである。わが国の民衆は、まだまだ一生けんめいに真理を信じている。神を認めて感激の涙を流している。ところが、上流社会の人はぜんぜんそれと趣きを異にしている。彼らは科学に追従して、おのれの知恵のみをもって正しい社会組織を実現せんとしている。もはや以前のごとくキリストの力を借りようとせず、もはや犯罪もない罪業もないと高言している。もっとも、彼らの考え方をもってすれば、それはまったくそのとおりである。なぜなれば、神がない以上、もう犯罪などのあろう道理がない!」
(米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の第6編第2のゾシマ長老の言葉。新潮文庫の中巻のp101p102)

3.
「お母さん、ぼくはさらに進んでこう言います、――ぼくたちはだれでもすべての人にたいして、すべてのことについてがあるのです。そうのうちでもぼくが一ばんが深いのです。―途中、略―ぼくがすべてのものにたいして罪人となるのは、自分でそうしたいからですよ。ただ、腑()に落ちるように説明ができないだけなんです。だって、それらのものを愛するにはどうしたらいいか、それすらわからないんですもの。ぼくはすべてのものにがあったってかまやしません、その代わり、みんながぼくをゆるしてくれます。それでもう天国が出現するのです。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第6編第2のゾシマ長老の兄マルケルの言葉。新潮文庫の中巻のp53p54)

「人間というものは罪深いものだ。」
(評論「ロシア文学論」より。)

「ぼくは、もしかしたら、あの人たちに対してずいぶん罪なことをしているのかもしれない!……みんながある、みんながあるんだ……だから、みながそのことに気がつきさえすれば!……
(『悪霊』のシャートフの言葉。新潮文庫の下巻のp384)

「まずすべての人を、常に赦(ゆる)しましょう……そして、ぼくらも赦(ゆる)してもらえるという希望をもちましょう。そうですよ、だれでもみなおたがいにを犯しているものですものね。万人が罪人(つみびと)なのですから!……
(『悪霊』のステパン氏の言葉。新潮文庫の下巻のp478)

、上の3のマルケルの言葉は、ロシア正教の教えを踏まえた、「罪の共同体(ソボールノスチ、相互の罪の自覚とゆるし合い)」というドストエフスキーの思想がもっともよく表現されている箇所。

4.
犯罪は社会機構のアブノーマルに対する抗議だ。」
犯罪には《環境》というものが大きな意味を持っている。」
(『罪と罰』の3部の第5より。新潮文庫の上巻のp448p450)

5.―〔以下は、後に、追加します。〕http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif