ニーチェにおけるドストエフスキー

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ニーチェにおけるドストエフスキーについて論じている論文・本

・シェストフ著『悪の哲学―ドストイェフスキーとニーチェ』(植野修司訳。雄渾社1967年初版。)の中の分。
・リュバック「ドストイエフスキーとニーチェ」
〔『ドストイエフスキー―ヒューマニズムの悲劇』(1944年。リュバック著、野口啓祐訳。
筑摩書房1952年刊。)の中の第1章。p10p51。〕
・秋山英夫「ドストエフスキーとニーチェ」
1950年刊『理想』に掲載。秋山英夫著『文学的ニーチェ像』(勁草書房1969年刊)に所収。〕
・島田謹二「ニーチェとドストエフスキー」
〔『比較文学』(要書房1953年刊)に所収。〕
・マウリーナ「ドストエフスキーとヨーロッパ」の中の分。
〔マウリーナ著『ドストエフスキー』(1952年刊。岡元藤則訳。紀伊国屋書店1964年初版。)p247p251。〕
・古内武「ニーチェとドストエフスキーの地下室人」
〔『ドイツ文学』(1961年刊)27号に所収。〕
・ルネ‐ウェレック「ドストエフスキー論の系譜」の中の分。
〔ルネ・ウェレック・筆(1962)・大橋洋一訳。
『特集=ドストエフスキー』(現代思想1979年6月号。青土社刊。)に所収。p206207。〕
CA‐ミラー「ニーチェのドストエフスキー″発見″」
1973年刊『ニーチェ研究』に掲載。邦訳なし。〕
・川原栄峰「ニーチェの『ニヒリズム』という用語についての覚え書き―ニーチェ、ブールジュ、ドストエフスキー」
〔『フィロソフィア』第62(1974年刊)に所収。〕
・内村剛介「西欧におけるドストエフスキー」の中の分。
〔内村剛介・筆。『ドストエフスキー』(「人類の知的遺産51」。講談社1978年初版。)に所収。p362p363。〕
・氷上英廣「ニーチェとドストエフスキー―イエス像をめぐって」
〔『現代思想(19799月号)(青土社刊)に所収。〕
・渡辺二郎「ニーチェのドストエフスキー発見―ミラーの研究」
〔『現代思想(19799月号)(青土社刊)に所収。〕
・吉沢慶一「ドストエフスキー―ニーチェも教えられるところのあった唯一の心理家」
〔『ニーチェ物語―その深淵と多面的世界』(渡辺二郎・西尾幹二編。有斐閣1980年初版。)の中の
「精神的親縁者」内の分。p128p129。〕
・W‐シューバルト著『ドストエフスキーとニーチェ』(駒井義昭訳。富士書店1982年初版。)の中の分。
・井桁貞義「ニーチェの『悪霊』からの抜き書きについて」
〔井桁貞義著『ドストエフスキー』(センチュリーブックス・人と思想。1989年清水書院初版。)p179p183。〕


〇ドストエフスキーについて言及している「ニーチェの書いた文章」。
・『偶像の黄昏』(1888年に完成)の中の分。
・『ヴァーグナーの場合』(1888年に完成)の中の分。
・『反キリスト』(1888年に完成)の中の分。
・『権力への意志』(1880年代にニーチェが書き残した遺稿集)の中の分(1888年に書いたもの)
・書簡の中の分。
(
井桁貞義氏が確認したところによれば、
1887
年の212日・223日・37日・327日・512日・513日、
1888
年の1020日・1120日、の日付けの書簡中に見られる。)

「ドストエフスキーを発見したことは、私にとって、スタンダール以上に一層重要であった。彼は
心理研究の領域で、私に何事かを教えた唯一の人である。」
(ニーチェ著『偶像の黄昏』より。)


※、ニーチェがドストエフスキーの小説に初めて接したのは、
ニーチェの晩年にあたる18872(あるいは、18871月前後。ドストエフスキーが没してすでに6年が経っている。)であり、
(1887
2月に、ある本屋で、たまたま、フランス語訳の
『地下室の手記』
〔=ドストエフスキーの小説『女あるじ』とドストエフスキーの小説『地下室の手記』の抜粋からなる特殊な本〕
を見つけ、買って帰って読み終え、その後の知人に宛てた書簡(1887223日付けの書簡)の中でニーチェは、
「たちまち血縁の本能の呼ぶ声を聞き、私の心は歓喜に踊った。」
と、告白している。

ニーチェがドストエフスキーに接した5ヶ月後に、『道徳の系譜』が成り、その翌年(1888)に、『ヴァーグナーの場合』『反キリスト』『この人を見よ』『偶像の黄昏』などを立て続けに完成させている。
その翌年(1889)1月に、ニーチェは精神錯乱に陥って入院し、亡くなる1900年まで正常な精神活動を喪失してしまう。

ちなみに、
ニーチェが「永劫回帰の思想」のインスピレーションを得るのは、ドストエフスキーに接する6年前(ドストエフスキーが没した年)であり、『ツァラトゥストラ』を完成させるのは、ドストエフスキーに接する2年前(『善悪の彼岸』の完成はドストエフスキーに接する前年)である。(以上、O'さん作成の晩年の「ニーチェ年譜」による。))

ニーチェは、『地下室の手記』『女あるじ』の他に、その後、ドストエフスキーの『死の家の記録』『虐げられた人びと』を読んでおり(のちに、ニーチェは、妹には、『死の家の記録』を読むことをすすめている)、『罪と罰』『白痴』も読んだと推測されているものの、ニーチェの研究者たちによって、従来、初めは、ドストエフスキーの小説(『地下室の手記』『女あるじ』『死の家の記録』)の中の登場人物の性格描写に、ニーチェがそれまで考えてきた人間学に重なるものを読み取り、血縁者として、強い興味を抱いたものの、やがて、最後はドストエフスキーへの関心は薄れ、ニーチェの最晩年の思想や著作には、ドストエフスキー文学の顕著な影響関係は見られない、とみなされてきたが、
(
例:
「彼のドストエフスキー発見は遅きに過ぎて、その思索にいかなる刻印も記すに到らなかったのである。ただ、いずれにしろ、彼はドストエフスキーをデカダンスとしか見ておらず、ドストエフスキーの宗教および哲学上の位相の本質を見極めることはできなかった。」(ルネ‐ウェレックの言))
1970
年に刊行されたグロイター版ニーチェ全集によって、ニーチェは『悪霊』からの抜き書きやメモを残していたこと(ニーチェは1888年の初めに『悪霊』も読んでいて、作中のキリーロフの思想などにも接して書き抜きをしていたこと)が明らかになり、研究者たちの注目を集めた。
(
このあたりのことについては、上に挙げている井桁貞義氏の「ニーチェの『悪霊』からの抜き書きについて」が参考になります。ニーチェが『悪霊』に接していたという事実からは、私たちドストエフ好きーとしては、ニーチェの最晩年の思想への、『悪霊』のキリーロフの思想の影響なども、大いに気になるところです。)

ただし、ニーチェは、『カラマーゾフの兄弟』『未成年』は読んでおらず、ドストエフスキーの真髄に触れる体験を持つことなく生涯を終えてしまっている。
ドストエフスキーは、ニーチェの思想に似た、神の死の宣言・超人思想・永劫回帰の思想などを、先取りしてすでに述べていたのであり、今後のさらなる研究によってドストエフスキーのニーチェへの影響関係の実際を知り、両者の思想の
類似や相違、両者の思想形成の背景などを見ていくことは、私たちドストエフ好きーには興味が尽きません。

ニーチェとドストエフスキー――この二人は解決の時を知らせる合図であった。つまり、ニーチェは人の目をさます侮蔑の偉大な詩人であり、ドストエフスキーの方は人を救済する愛の大詩人であった。二人は宗教的詩人である。ニーチェは神が死んだことを証明するために彼の哲学を創造し、ドストエフスキーは無信仰との戦いの中でその作品を創(つく)った。ニーチェはアンチキリストの名においてキリストと戦い、ドストエフスキーはキリストの名においてアンチキリストと戦ったのである。ニーチェは虚無の夜の中に挫折したが、ドストエフスキーのホサナ(=神への讃歌)は懐疑の地獄の中から立ち昇ったのである。
(
マウリーナ著『ドストエフスキー』のp249)


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