テレホン法話  敬老の日に思う  平成16年9月 

もしもし御変りございませんか 今月九月十五日は敬老の日ですね

わが国の平均寿命は八十歳代に入っています、

でも歳をとるということは、いうまでも無く身体が朽ち衰えていゆくことを意味し、病院や診療所の待合室は、身体の苦痛を訴える、お年寄りで、いつも一杯です、と同時に、お釈迦様がお教え下さったように、死を迎えるその瞬間まで、人格の完成に向け、精進すれば、必ず安らぎを得ることができる、という、精神の方も、向上し続けることが可能なのです、

お釈迦様の教えになぞらえていうなれば、老いたる者を敬うことは、その人が、これまで努力して生きてきたという業績を敬え事です、

また近年増えつづけている「老人ボケ」、痴呆症のような人を敬えるのか、という疑問をお持ちの方もいるでしょう、しかしその人なりの年齢まで生きることができた、ということに対し、生命への畏敬の念が湧いてこないでしょうか、ここから私たちは、なにかを、教わることができるのではないでしょうか、

敬え側の心得と同様、若き人より敬われる、老人の側の心得とてあるものです子育てが終り、孫も出来、仕事も退職すると、もう自分の輝かしい部分は終わった、というような、言葉を口にするする人がいます、けれども死を迎える、その時まで、いかに自分の人格を高めて行くか、信仰なり、奉仕なり、趣味なり、その場だけを楽しむのではなく、実のある時間の過ごし方をしていただきたいものです、敬う側も、敬われる側も、いつでも、互いに尊敬しあう、間柄でありたい、と思うのです、

今月は 、秋の「お彼岸」が九月二十日から二十六日です

ご先祖に感謝をする週間であり、一層の精進をする週間でも有ります、御先祖詣りを滞りなく、してあげて下さい、当山においても、彼岸中供養のお経が執行されます、

殊には彼岸の中日二十三日には 魔除け 災難よけ

大法要「大般若経六百巻転読会」午後一時より執行されます皆様の御来山をお待ち致しています