念死念仏 16年3月
三月六日は啓蟄、冬眠していた虫や小さな生き物たちが、春にきずいて土の中から出てくる頃とされています、
毎日の慌しい生活の中でさえも、春の気配が、あちこちに、見つけられる季節になりました、
季節感だけでなく、私たちは日ごろ、最も大切なことを忘れがちに、生活を繰り返しています、
親の恩、人の愛情、自然の恵み等々、
この十四日に命日を迎える中国、唐の時代の善導大師と言う人は、いつも大切なものを忘れずに、念仏を唱えなさいと、教えを残しました、
その大切なものとは、『死ぬ』ということ『死』です、
いつでも自分の死を想い、死を念じ、「どうぞ、浄土へ生まれさせて下さい」と、阿弥陀仏に念じる
「念死念仏」の法を説かれたのです、
私たちの生命など、はかないものです、
決して、数時間後にも元気でいられる保証など、どこにもありません、
このお正月に、御餅を食べていて、のどにつまらせ、何人も亡くなられたという話を、幾度となく耳にしました、
そんな私たちですが、死を想いながら時を過ごすことが、一日のうちにどれだけあるでしょうか、
善導大師は、お念仏は死後、極楽浄土へ往生できる為の修行であるから、
佛を念じること、「念仏」と、死を想うこと「念死」とが一つになって、かけがえのない、一瞬一瞬を
過ごすことになるのだと、教えられました、
それはまさに、生き生きと、生き抜くための教えであります、
先ず、死を忘れながら生活している恐ろしさに、気ずかせていただくこと、これが出発点でなくては
なりません、
同時に御先祖に感謝をする気持ちも、大切でしょう、
当山に於いては、三月十七日の彼岸の入りより二十三日の彼岸のあいた、毎日読経が執行され特には、彼岸中日の二十日には正午より、「心願成就の大施餓鬼法要」が執行されます、
ご先祖様、水子様の供養の為、塔婆供養を致しますので、ご家族お揃いご参拝ください
皆様のご多幸を、お祈りいたします、