本 来 無 一 物  ~15年10月

 皆様 御変りございませんか

今回は 鎌倉時代に ()(しゅう)を開いた一遍(いっぺん)上人(しょうにん)の残された有名な言葉を紹介いて、その思想に()れてみたいと、おもいます、

「本来無一物なれば、諸事において、実有我物のおもいなすべからず。一切を(しゃ)()すべし」

これを解かりやすくいえば「私たちが、この世に生まれた時には何も所持していない、また、全てのものは、仮の存在であり、自分の物として確実に所有しているという思いなど、起こしてはならない、一切を捨て去りなさい」となりましょう、

私たちの今日、只今の生活には、まず、自分を取り巻く、家族や、社会があります、

私だけに限ってみても、幾十年の歳月の積み重ねの上に立ち、その間、どの一コマ、一光景を除いても、今日、ただ今のの私のありよう は異なっていたかもしれません、

それゆえ、私たちは、積み重ねてきた経験の所産というものを、大切なものと考え、それにとらわれはしても、捨てるという考えには、なかなか至りません、

一遍上人は、興顔という僧侶から、

念仏は、どのように唱えたらよいのか、と尋ねられ

「捨ててこそ念仏ができる」と申されました、

この「捨てる」と言う意味は「智恵も、愚痴も、善悪の境も、地獄を恐れる心や、極楽を願う心まで捨てること」だとされています、

一遍上人は、五十一歳で亡くなるまで、日本全国を

「本来無一物であること」を説いて、布教の旅をし続けたそうです、

現代人にとって、得ることは容易のできても、すてることほど、難しいものは、ないのではないでしょうか、

人間としての幸の真理、求め方、それもまた、必要では、ないでしょうか、