テレホン法話     生と死をこえて           平成145              

皆様お変わりございませんか、五月の連休もいつか通り過ぎて、五月晴れの侯となりました、

でもなぜか、雨がおおいいですね、でも境内の、つつぢ、は満開を迎えるべく、にぎやかに咲き出しました

不思議ですね、お花に「よく咲いたね、美しいよ」と言葉をかけますと、一段と美しく咲いてくれます、

なにを馬鹿な植物に言葉はわからないよと、言われる方も有るかも知れませんが、一度試してみてください

ただし一度だけ話して其の後は水もやらない、これではだめですね、

植物もいずれの日か必ず枯れますね、人間で言えば死を迎えます、

生まれたものは、確実に終わりを迎えます、いくら抵抗しても、自然の摂理ですね、

今日は40歳のご婦人が、自分の信仰を持っていたために、安らかに死を迎えられた、お話をいたします、

 彼女は乳癌が方々に転移し、余命幾ばくかの日々を送っていました、

そんなある日、其の日の様子を尋ねにきた婦長さんに、彼女はつぎの酔うな話をしました

「生命が、会ってもなくても、同じなんだというところにきているんです、きていると言うと、段階があるわけじゃあないんですけど、勿論現世のものは見聞きできますね、今生きてねだから、もしあの世にいったら、自分が人に尽くしたり、今自分がやりたくても、寝ていて出来ないことが、できるんじゃないかも思うんですそこは、垣根か、カーテン一枚ぐらいな、物で仕切られて仕切られているだけで、もうそこだと思うのです、生きることと、死ぬことっていうのは、一つのもの、死の先は、今とかわらないわけです、生きるとか、死ぬってことは、一つのものだから、死の先は今と変わらないわけです、

生きるとか、死んでると言う事に関係なく、そこに置かれたら、また同じことが出来るんだと、言う信念があるんです、だから今ここで、頑張って我を通しても、出来ないことは出来ない、無理は無理なんだからと思えるのです、そこは通さないでもこの先に出来ることがある、と、思っているのです、お礼、感謝、おわぴ、生が終わっても、すぐ続けて出来るから、今と同じところだと思っているのです、」

こころを大きく持ち、仏教の教えを聞く、これこそ、安らぎの世界えの道ではないでしょうか