テレホン法話 平成14年10月  人、生まれて学ばざるは 生まれざるに同じ                    

読書の侯になりました、御変りございませんか、

江戸時代の儒学者(じゅがくしゃ)貝原(かいはら)益軒(えきけん)(1714年没)の言葉として知られていますが、仏教では「人もし生きること百年ならんとも怠りにふけり励み少なければ

かたき精進に奮いたつものの一日生きるも及ばざるなり」  (法句経112)という言葉があります、

 人間が他の胴部と違っている点は一体どのようなことだろうか、ということについすは、古来いろいろなことが言われてきましたか、その一つが文化と、

いわれているものです、そして、その文化の基本となるものが学問なのです、

 生まれて、食べて、子孫を増やし、そして死んでゆくだけなら、どんな動物た゜ってできます、人間だってそのよえな一生を送ることは可能でしょう、ところがそれだけのために一生を送ったのであれば、折角人間として生まれさせてもらった甲斐がないのではないでしょうか

学ぶということ、人間として、この世に生まれた本当の意義を追求し、むそしてどのような一生を送れば意義ある人生にすることができるか、と、言うことを学ぶことではないでしょうか、フランスの哲学者デカルトは、「われ思う ゆえに われあり(コギト・エルゴスム)」という言葉を残しイいます、

人として学ばざれば(うれ)い無しと(いえど)(きん)たるを如何せん  (法言)

この言葉の意味は 〃人間でありながら学ばないといると、たしかに苦労はないだろうが、鳥や獣し同じ存在になってしまう〃ということでう