テレホン法話  死は「終わり」か    平成14年6月

 


もしもし、その後、御変りありませんか、

今日は、危険の中でも、最も恐ろしいと怯える死について、お話致します、

 世間一般に「死ぬ」 とは「終わる」ことと考えているようですね 、しかし、()たして「死」とわ[大光院1] 

本当に「終わり」なのでしょうか、私たちは「私たちの肉体が(ほろ)びれば全ては終わってしまう」と、思い込みすぎるのではないでしょうか、

 父母よりこの世に生を(さず)かった以上、死は必ずやってくるものです、それは、極めて当たり前の理(ことわり)であり、太陽が東から昇れば、必ず西に沈むという理(ことわり)と同様に、動かし(がた)い事実です、では、どうして、私たちは、西に太陽が沈んでも、明日は、また太陽が昇る、という発想(はっそう)を、「死ぬ」ことに関してはしないのでしょうか。

私たちが、今、この世において、生きることを「今生(こんじょう)」と呼びます、

地球上に生命(いのち)が誕生して以来の、長い歴史を辿(たど)り、祖父母、父母を()て、私たちが誕生するまでを「前生(ぜんしょう)」いいます。

この世で幾年間かを、過ごした後を「後生」といいます。

それら永劫(えいごう)と言う時間を視点(してん)として、考えてみると、私たちの今生(こんじょう)における一生は、ほんの(わず)か、一昼夜の如くにすぎません。

「死」を生命の終わりとして受け取めるのではなく、次の生命の始まり、一つの通過点(つうかてん)としてとらえることが、出来ないでしょうか、そうすれば、「この世に生きている内が花だから、したいことをして生きるのさ」といった、刹那的(せつなてき)な人生観には、ならないでしょう。

生死(せいし) ()える心境(しんきょう)になるための修行は、お念仏 唱題(しょうだい) 座禅(ざぜん)と、いろいろとありましょう、

どのような修行を選択(せんたく)するのか、それは、あなた自身の(えん)意志(いし)なのです、                

一生一度の、この世の生命、大切にして、ください、

不明の事柄、困ったことの出来たとき、いつでも大光院に電話ください、仏様と一緒に考えましょう

必ず道は見つかるはずです、よい一日一日をお過ごしください    合 掌