「手を合わせる環境について」 平成十四年一月

 新年明けましておめでとうございます

この法話を、お聞きの皆様、初詣なさった方も沢山おいでることと存じます、なぜ初詣をするのでしょうか、

新年、新たな気持ちで、再出発を誓うことこそ必要です、

ただ単に商売繁盛、開運息災、事業繁栄、入試合格、単なる一つの欲望ですね、

もっと大切のことがあるはずです、その大切なこととは、生きているということ、生かさせて頂いているということでは、ないでしょうか、生きているということ、それは何かの形を残すこと、形とは物体だけでなく「心」を、残し、子孫に伝えることではないでしょうか。

 先年私が、鎌倉の大仏様を参拝にまいりました、そのときに、このような面白い場面にであいました、

 たしか五月頃でした、天気はよし、陽気はよし、鎌倉大仏・高徳院さんは、いつも、ながら大勢の修学旅行の学生や、参拝者たちで、にぎわっておりました、

そんな時ときです、とある十数名の学生たちが、手には数珠を持ち、合掌し、袈裟

をかけ「般若心経」を大仏様に向って読んでいるのです、私は、その声の中で、他の

観光客の様子を、うかがっていました、

すると、学生たちの隣の方で、男子二人、女子二人の二十代そこそこの若者が、同じ様に合掌をして、お参りをしていたのです、そして、その更に横では、十七、八歳と見える女子三人が、学生たちを指さして、軽蔑の言葉を発し、笑っているのです。 私は現代の若者気質の両極端を、見たような思いになりました。

 他人の熱心に、また、素直に手を合わせる姿に、共鳴できない彼女たち三人は、不幸なことに、そういう手を合わせる様に環境に、めぐり合うことが、これまでなかったのだろうと私は思いました。

 観光で訪れる、京都や奈良の社寺にしても、手を合わせることを常として育った者は自然に手が合わさるものだと思います。

 各家庭の中で、手を合わすことの実践を、この電話をお聞きの方、インターネットを、お開き頂いた方から、始めて頂けたらと思います、

 そして、もう一つ、修学旅行などでも、神社仏閣の由来や、縁起だけを、見て歩くのでわなく、学校で先生方に、それらの社寺には「手を合わせる」ことの年輪が重ねられ生きたということを、教えていただけたら、どんなにいいだろうと、思うの

です。