テレホン法話       一つの嘆きとして          平成12年11 

 朝晩は冷え込んできました、皆様お変わりございませんか、

 今日のお話は一つの嘆きとして、訴えたいお話であります                       

現代は宗教に入る一歩手前の論理すら、喪失している時代だと、よく言われます、バスをハイジャックしただけでなく、殺人までおこす、自分がしたことを隠すために、忍び込んで殺人まで犯す少年、心の痛い話です、

 お釈迦さまは「他人に及ぼす行為は、自分にされた時、いかに思うか考えてから実行せよ」と言われています、また、僧侶(そうりょ)言う言葉の原語では、「サンガ」と申しますが、「サンガ」とは「人々が集まれば、1人が良いことをなすよりも数倍も良いことができる力となる」という意味だと、いわれています、

これらの事件では、犯人も、周囲の人も「自分の可愛さ」の殻の中に、閉じこもっていたとしか、言い様がありません、

 少年五人が、夜九時、学校のプールで騒いでいた、駆けつけた警官が説諭をした、繰り返し繰り返し、でも返事もしない、警官が平手で二回叩いた、少年が鼻血を出した、少年の母親が警察に届け出た、その警官は減俸一ヶ月の処分を受けた、

 なにか納得がゆきません、入ってはならない場所に入り、騒いだのは少年です、警官の注意を無視したのは少年です、自分だけ満足すれば、違法をしても、他人に迷惑をかけても、よいのか、正しいと言えるのか、その様の事の無いように、教育するのは、元来親の役目です、行の大小は別にして、行った行為は、自分本位であったとしか、言い様がありません、

信仰、宗教は自分の心の中に住まうものです、

神の国発言をして、国会で問題になりました、神を信じない人たち、神に感謝をしない人たち、恐ろしいですね、

数十年昔の話です、終戦後日本の旅行者がアメリカ旅行の時パスポートの検閲で宗教欄があった時代です、宗教欄に無しと記入してあるのを見てその検閲官が、恐怖を感じたと言ったそうです

世界の国々に神を否定する国があるでしょうか、神と戦争とを一つにする、勝てば官軍、負ければ賊軍、神とは自然です、自然の教えでしょう、神が争いを好むわけが有りません、ただ唯物的な生活、ものにたいする、感謝の心を、忘れてはならないと思います、敗戦によって、個人の自由が尊ばれました、個人の自由と我儘とは違います、先祖を敬う気持ちを、子供のときから、育ててゆくことが、他人を大切にすることに、繋がるのでは、ないでしょうか、