娼婦を本業としてやり始めたわたしだったのだが、性的快感もお金も得られなくなっても、やっぱりまともな仕事が欲しかった。人類最古の商売とはいえ、娼婦をずっと続けることには抵抗があったからだ。
そんなある日、福島泌尿器科からの帰り道、いつもと違ったコースを歩いていると、小さな印刷会社の玄関に張られている、女子従業員募集の張り紙が目に入った。わたしは、考えもなしに、その印刷会社のドアを開けていた。
「勤務時間は、午前9時から午後6時まで。昼休みは1時間。日曜日は原則として休み。給料は税込み12万。残業手当もある。ボーナスは、そんなに多くはあげられないが、一応夏冬の二回ある。とりあえず3ヶ月は、臨時社員だが、それでいいかね?」
税込み12万と言えば、元の給料の約3分の1だ。時給にして、600円程度。パートやアルバイトと変わらない。しかし、わたしはその印刷会社で働くことにした。贅沢しなければ、生活するのには充分な報酬だ。それに、ともかく毎月の決まった収入が欲しかった。
「はい、結構です。いつから来ましょうか?」
「明日からでも頼むよ。給料は、日割りで出すから」
「分かりました。明日、9時前には来ます」
「履歴書も頼むよ」
「はい。明日の朝、持って来ます」
履歴書には、早乙女裕子の名前を使う予定だ。早乙女裕子は、もうこの世にはいない。5年程前、事故で亡くなっている。早乙女裕子の、生年月日も、本籍地も、卒業した高校の名前も知っている。現住所は、わたしのマンションでいいだろう。この東京のど真ん中で、早乙女裕子の名前を使っても、誰も気づかないし、迷惑もかからない。
「あ、それから、保険は、国保でお願いするよ」
「はい」
最大の難関を忘れていたが、国保でよかった。共済保険だと、加入するときに、確か戸籍謄本が要るのじゃないかなと思う。他人の名前を使うから、戸籍謄本を要求されては困るのだ。もし、病気になったときは、福島医師が面倒を見てくれると言っていたから、心配はない。
わたしは、双葉印刷と言う、その小さな印刷会社で働き始めた。出勤してすぐに、わたしは、従業員にお茶を入れる。従業員は、男ばかり6人。みんな、40以上のようだ。
「ありがとう、裕子ちゃん」
「ありがとう」
自分たちより若い女が入って、従業員たちは嬉しそうな顔をしている。わたしが、実は男だと知ったら、どんな顔をするだろうか? わたしは、心の中でほくそえんだ。
「裕子ちゃん、これ、コピーしてくれ」
「はい」
「裕子ちゃん、これ清書してくれないか?」
「はい」
これも、わたしの主な仕事のひとつだ。それに電話番。わたしの勤めていた若葉旅行社では、女子従業員の誰もがやらなかったことを、わたしは喜々としてこなしている。
給料は安いが、リストラの影におびえながら、汲々として働くこともない。精神的には、随分楽な仕事だ。
双葉印刷で働き始めて、2ヶ月が過ぎようとした頃、社長に呼ばれた。
「裕子ちゃん、彼氏はいるのか?」
「いえ。いませんけど」
「まあ、いてもいいか」
「何の話ですか?」
「よく働いてくれるから、来月から正社員にしてあげようと思ってね」
「ほんとですか?」
「ほんとだよ。ただし、もし結婚しても、ここで働いてくれると約束してくれるならだ」
「結婚の予定はありませんから、大丈夫です」
「じゃあ、来月からと言うことで・・・・」
「ありがとうございます」
わたしにとって、正社員になったからと言って、それほどメリットがあるわけじゃない。ただ、少し収入が増えるだけだ。それでも、確固たる収入の道ができたことで、わたしは嬉しくてたまらなかった。
浮き浮きしながら、マンションのエレベーターを上がると、部屋の前に若い女が立っていた。茶色と言うより、黄色に近い色に染めた長い髪。キャミソールに、ミニのフレアスカート。今流行りの底の厚い靴を履いていた。わたしの部屋を訪ねてくる女などいないはずだが・・・・。
「お帰り、早乙女さん」
わたしは、首を傾げた。わたしに久しそうに話し掛ける、その若い娘には、見覚えがあるのだが、誰なのか思い出せない。
「中に入れてくれる?」
わたしは、言われるままに、その娘を部屋の中に入れた。
「わあ、結構片付いてるんだ。お父さんも、意外にやるのね」
お父さん!!?? その言葉に、わたしは、腰を抜かさんばかりに驚いた。わたしに、お父さんと言う人物は、この世に二人しかいない。和代と勝だ。目の前の娘は、和代ではない。とすると・・・・。
「どうしたの? そんなにびっくりして」
「ま、勝なの?」
「昔は、そんな名前だったわ」
勝とは、もう一年以上会っていない。勝が家出する以前も、ほとんど部屋の中に閉じこもっていたから、まともに顔を見た覚えもなかった。わたしの覚えている勝の顔は、幼い小学校の頃の勝の顔だ。
目の前の勝は、随分成長しているし、女の格好をしているのだ。自分の息子だと言うのに、まったく分からなかった。
「どうして、そんな格好を?」
「お父さんと一緒だよ」
「わたしと?」
「そうよ。わたし、女装が好きなの」
「女装が好きって、・・・・いつから?」
「小学校のときからよ。誰もいないとき、和代姉さんの服を着ていたの」
「誰もいない時って、佐知代が、母さんがいつもいただろう?」
「母さんは、父さんがいないときは、ほとんど家にいたことがないよ」
「ええっ!? 何だって!」
勝のその言葉に、わたしは驚きを隠せなかった。
「母さんは、ほとんど毎日、出かけていたよ。男に抱かれるためにね」
「う、嘘だ」
佐知代が、売春していたのは事実だが、勝が小学校の時からだって!!!
「和代姉さんも知ってるよ。知らないのは、父さんだけだったよ」
「・・・・信じられない」
「だから、学校から帰ると、和代姉さんが帰ってくるまでの間、わたしは自由に女装できたって訳よ」
「そうだったの。勝、あなた・・・・ただ、女の服を着ているようには見えないけど・・・・」
「そりゃ、そうよ。ホルモン、飲んでるもん」
「いつから飲んでるの?」
「3年ちょっと前からかな」
「3年ちょっと前!! じゃあ、家出する前からなの?」
「そうよ。だから、ばれないように、自閉症の真似して、学校にも行かないで、部屋に閉じこもっていたの」
「知らなかった・・・・」
「父さんが、家族のことには、一番疎いからね」
そう言われて、返す言葉がなかった。
「ばれるのが怖くて、家出したの?」
「それもあるけど、和代姉さんが結婚することになって、女装用の服が手に入らなくなったでしょう? それに、もっと自由に女装してくって」
「お金は? お金がなかったでしょう?」
「母さんのへそくりを盗んだのよ。男から貰ったお金を結構貯め込んでいたからね」
佐知代は、一言もそんなことをわたしに言わなかった。いや、わたしに内緒のお金だったから、勝が持ち出したことを言えなかったのだ。
「今は、どうして暮らしているの?」
「新宿のゲイバーで、下働きをしているよ」
「ゲイバーで!?」
「父さんと違って、わたしは、ニューハーフとして堂々と表に出て働くつもりだから」
「そう。わたしがこんな生活をしているのを、どうして知ったの? このマンションは引き払ったことになっているし、表札も違う名前なのに」
「父さん、女性ホルモンを福島先生にもらっているでしょう?」
勝が、福島医師の名前を知っていると言うことは・・・・。
「あっ!? もしかして、勝も福島先生に?」
「そうよ。父さん、タマを取る手術を受けたでしょう」
「え、ええ」
「そのあと、病院にくる日が変わったわよね」
「そう。そうだった」
「だからね。わたしが、女性ホルモンを取りに行く日といっしょになったのよ。わたしが、福島泌尿器科に行った日、机の上に置かれていたカルテをたまたま見たの。福島先生は、カルテは本名で書くからね」
「そうだったね」
「野本省吾って名前を見たときにはビックリしたわ。住所も間違いないから、父さんも福島先生にかかっていると知ったの」
「なるほどね」
「でも、父さんも女性ホルモンを飲んでいるなんて、思ってもみなかったわ。福島先生が、注射を取りに行った隙に、カルテをめくってみたら、女性ホルモンが処方されていて、睾丸除去って書いてあったのには、ほんとにビックリしたわ」
「勝は? 勝は、女性ホルモンだけなの?」
「タマも棹もないわ」
「ええっ!! 棹もないって、まさか、性転換したってこと?」
「そうよ。つい最近ね。ほら、見て、見て」
勝は、そう言って、スカートの裾をまくり上げた。可愛らしい小さな花柄のショーツを穿いた勝のそこには、ペニスの膨らみはなかった。どんな風になっているか見たかったが、それは言い出せなかった。
「どこで、どこでやったの? 外国?」
「福島先生に決まってるでしょう?」
わたしは、その言葉に、ほんとに驚いた。性転換手術は、外国でしているものだと思っていたからだ。
「福島先生が? そんなの国内で許されているの?」
「許されてないわよ。闇でやってくれるの」
「闇で・・・・」
「タマ抜きだって、違法でしょう? 同じことよ」
「それもそうだけど・・・・」
「外国でやると、いろいろトラブルがあっても、そうそう行けないでしょう? 福島先生は、腕もいいし、アフターケアも万全だからね。父さんもよかったらしてもらったら?」
「わたしは、そこまでは・・・・」
「その気になったら、福島先生に頼むといいわ。入院費も全部含めて、100万円足らずだから」
「あそこは入院できないでしょう?」
「福島先生の知り合いの病院を使うのよ。タマ抜きはひとりでできるでしょうけど、性転換手術は一人じゃできないでしょう?」
「なるほどね。・・・・考えてみるわ。それにしても、親子でニューハーフだ何て、遺伝かしらね」
「ホモは、遺伝するらしいって言われているようね」
「勝もホモなの?」
「も、ってことは、父さんもそうなのね」
「・・・・そうだろうと思うわ。女とはしたくもないし、男とするほうがいいみたい。勝もそうだとすると、やっぱり遺伝なのね」
「遺伝じゃないわよ。わたしは、お父さんの子供じゃないから、ただの偶然よ」
さらりと言ってのけた勝の言葉に、わたしは愕然とした。
「勝が、わたしの子じゃないって!?」
「そうよ。わたしと、父さん、全然似てないでしょう?」
「嘘よ! 嘘よ! そんなこと絶対嘘よ」
「父さん、血液型は、AB型でしょう?」
「そうだけど・・・・」
「わたしは、O型。ABとOの間の親子関係は成立しない。これは遺伝の常識よ」
わたしは、呆然とその場に座っていた。
「和代姉さんも違うよ。父さんの子どもじゃない」
意気消沈したわたしに、追い打ちをかけるように、勝がそう言った。
「そんな馬鹿なこと!」
「和代姉さんは、母さんが、学生時代の恩師の子供なのよ。その人には、奥さんも子供もいたから、結婚できなかったの。だけど、子供だけは産みたかったから、父さんを騙して結婚して、父さんとの間の子供のような顔をしていたのよ」
「そんなこと・・・・」
「今はもうないけど、母さんが学生時代に書いた日記の中に、そう書かれてあったのを見たの。間違いないわ」
佐知代と結婚したのは、子供ができたからだ。わたしが、大学に入ってすぐ、マンドリンクラブの歓迎会で、佐知代に出会った。一気飲みで、意識をなくしたわたしが目を覚したとき、ベッドの中に佐知代がいた。同級生だと思ったのに、佐知代は卒業前の4回生だった。つまり、三つ年上だった。2ヶ月後、妊娠した、絶対産むと言われ、まだ、18だったのに、わたしは佐知代と結婚した。その子が、わたしの子供じゃなかったなんて!
「子供の頃、一度、和代姉さんの父親にあったことがあるわ。母さんが、わたしと和代姉さんを遊園地に連れていってくれたとき、知らないおじさんが近づいてきて、和代姉さんを抱き上げたの。その時、母さんがその男に言ったの。あなたの子よって」
「黙って! もう何も言わないで!」
わたしは、泣いた。佐知代に裏切られたのは、わたしが、仕事にかまけて、かまってやらなかったせいだと思っていた。それが、初めから騙されていたなんて・・・・。
「泣かないで、父さん。こんなこと言うために、ここに来たんじゃなかったのに・・・・」
佐知代には、最初から騙されていた。守ろうとしてきた子供たちも、わたしの子供ではなかった。悲しくて、悲しくて、死にたい気分だった。
「父さん、元気出して! 生きていれば、そのうちいいこともあるわよ。今日は、もう帰るわ。また、会いにくるから。今度は、楽しい話しをしよう。女同士として」
勝は、そういい残すと、部屋を出て行った。知らなければよかった。こんなことは・・・・。わたしは、その夜を泣き明かした。
誰かにそばにいて欲しかった。誰かに抱かれていたかった。わたしは、生理痛がひどいからと会社に嘘の電話をして、真田を探した。
紳士録名鑑を調べた。真田と言うのは偽名だと分かっていた。スーツのネームは、雨宮になっていた。60歳前後で当てはまる人間は、一人しかいなかった。
わたしは、電車に乗って、その雨宮が、あの真田と同一人物かどうか確かめに行った。雨宮電子と書かれた会社の前で、わたしはじっと待った。社長室まで、確かめに行くわけにはいかなかったからだ。
2時間ばかり待ったとき、会社から出てきたのは、真田だった。真田は、やはりこの会社の社長の雨宮だった。
雨宮は、近寄ろうとするわたしに気づいたが、さも迷惑そうな顔でわたしを見た。そして、知らん顔をして、車に乗って去っていった。
わたしは、諦めてマンションへ帰った。部屋に着いて、しばらくして、電話のベルが鳴った。
「野本さん、わたし、由紀」
「ああ、由紀さん。何? 仕事の話しなの?」
「仕事と言えば、仕事の話しだけど・・・・」
「何なの?」
「あなた、今日、真田さんに会いに行ったでしょう?」
「え、ええ」
「あんな事してもらったら、困るの。わたしが紹介する人は、みんな、自分の性癖を他人には知られたくないの。二度とあんなことはしないで」
「ごめんなさい。もう、しないわ」
「真田さんは、同じ人を指名することは滅多にないから、諦めた方がいいからね」
「分かったわ」
真田、いや雨宮にとって、わたしはひと時の快楽の対象でしかない。そんなことに気づかないで、馬鹿なことをしたものだ。
「ところで、今晩空いてる? 仕事があるんだけど」
「今日は、そんな気分にならないの。またにして」
「いいの? お金がないんじゃないの?」
「お金には、そんなに困ってないから」
「最近、わたしの紹介をよく断るけど、わたし以外の人に、紹介してもらってなんかないわよね」
双葉印刷に勤め始めてからは、由紀の話しは、ほとんど断っていた。
「そうじゃないわ。堅気の仕事をしているから」
「へえ、そうなの。それは良かったわね。じゃあ、また電話するわ」
由紀からの電話が切れて、すぐに電話が鳴った。
「もしもし、早乙女さん?」
「はい、そうですけど、どなた?」
「わたしよ。もと勝」
「ああ、勝。どうしたの?」
「どこ行ってたの? 今朝からずっと電話してたのよ」
「ちょっと、野暮用があって」
「あんな話しをしたから、自殺でもしたんじゃないかと思って、心配したよ」
「ありがとう。大丈夫よ」
「よかった。ところで、父さん、P&Aの由紀って、ニューハーフと付き合いがあるんじゃないの?」
「あるわよ。女装を始めた頃から、お世話になってるの」
「男も見つけて貰ってるんでしょう?」
「・・・・ええ。最近は断っているけど・・・・」
「あんまり付き合わない方がいいよ」
「どうして?」
「あいつは、男をニューハーフの道に引きづり込んで、売春させて儲けているって噂だよ」
わたしはぎょっとした。まさか・・・・。由紀は、人助けだと言っていたが・・・・。
「分かったわ。忠告は心に留めて置くわ」
勝の言うことが本当ならば、わたしは頼る人間が、またひとり減ったことになる。
孤独の中で、悶々として暮らした。元気のないわたしに、会社の同僚の男たちは、慰めの言葉をかけてくれた。
「裕子ちゃん、どうした? 男に振られたのか?」
「そんなんじゃないです」
「ふうん」
「生理がひどいんだよ。生理が」
恐らく、いまどきこんな言葉を大企業の中で使えば、セクハラで訴えられるところだ。だが、わたしには、分かっている。男たちは、別にそんなつもりはないのだ。わたしの気を引くために、ちょっと茶化してみているだけだ。
「早乙女君、ちょっといいかな?」
社長に呼ばれた。きっと正社員になる手続きの話しだと思った。しかし、おかしいと思ったのは、これまで、わたしのことを早乙女君なんて呼んだことがなかったことだ。いつも、裕子ちゃんなのに・・・・。
「ドアを閉めてくれ」
「はい」
「生理痛のほうはもういいのか?」
「はい、もうすっかり」
「早乙女君のような人間でも、生理があるのか?」
「えっ!?」
社長が何を言わんとするのか、わたしにはすぐに想像がついた。
「社長さん・・・・」
「まだ、わたししか知らないことだが、そのうち、みんなに知られるだろう」
わたしは、ただ俯いて、社長の話しを聞いていた。
「君の仕事振りに文句があるわけじゃあないんだ。だけど、・・・・困るんだ。分かってくれるだろう?」
ニューハーフであろうと、仕事さえきちんとしていればいいはずなのに、社会は受け入れてはくれない。
「辞めて欲しいんですね」
「残念だが・・・・」
「分かりました。今日まで、お世話になりました」
涙が、ポロリと流れた。それは、今のわたしを受け入れてくれない社会に対する、悔し涙だった。
社長はそれでも、日割りの給料に3万円ほど追加してくれた。それが、わたしの仕事に対する評価だと理解して、自分を納得させた。
わたしの精神状態は、どん底だった。何をする気にもなれず、丸二日間、何も食べないでマンションの中に閉じこもっていた。自殺と言う言葉が、頭に浮かんだが、その勇気もなかった。
電話が鳴った。出ないで放っておくと、いつまでも鳴り続けた。しかたなく、わたしは受話器を取った。
「やっと出たわね。自殺でもしたんじゃないかと思っちゃった」
由紀の声だった。
「自殺する気なんてないわ」
「そう? ずいぶん、元気がないわね。この前以上よ」
「やっと見つけた仕事場を、馘首になっちゃって」
「そうなの。どうしてなの? ミスでもしたの?」
「わたしが、男だとばれたの」
「男だったら、どうしていけないの? 仕事はちゃんとやってたんでしょう?」
「もちろんよ。単に女装した男を受け入れてくれないだけよ」
「仕方ないわね。ところで、仕事があるんだけど、どう?」
「この前より、もっとその気がないわ」
「お金、要るんでしょう?」
「当分の間はいいわ。こんな精神状態じゃ、相手に悪いもの」
「そうね。じゃあ、気分が晴れたら、連絡してね。待ってるわ」
電話が切れてから、ふと思った。このところ、由紀からの電話は、月に一回あるかないかだ。先週電話があったばかりなのに、どうして・・・・?
双葉印刷の社長に、わたしのことを告げ口したのは、由紀じゃないだろうか? 前回の電話が切れるときの由紀の言葉。へえ、そうなの。それは良かったわね、という言葉には、変な響きがあった。それに、今日の最初の言葉。自殺でもしたんじゃないかと思っちゃった、というのは、わたしが馘首になって、落ち込んでいるのを知っているような口振りだった。きっとそうに違いない。わたしを、売春の手駒にしたいのだ。勝の言った通りだ。由紀のことは、信頼していたのに・・・・。
どうしてこんなことになってしまったのだろう? あの夜、由紀のいたゲイバーにさえ立ち寄らなかったならば・・・・。ちょっとした間違いで、わたしは・・・・。
やっぱりわたしは運の悪い男なのだろうか? わたしはこの先、娼婦として朽ち果てねばならないのだろうか? やり直せれば・・・・。人生をやり直すことができれば、二度とこんな人生は送らないのだが・・・・。